イの国探検隊ファンの皆様、鰐積の皆様、アマでありカミでもある皆様、こんにちは。グラサン
 
先の探検では、陸奥、福島県のクニを探検しました。
奥の細道の冒頭に三里うんぬんは、粂(天津久米、久米氏)のこと、大和、月読命の勢力圏、素戔嗚尊の影響のことを言っているとの妄想でした。
福島県には、飯盛山があり、讃岐の飯野山のこと。
よって、 我が精鋭の探検隊員を送り込んで飯盛山を探検しています。

 

法然寺

 

眉のごとの山方向から龍神が住む丸亀島方面へパン

難破の海です。
 

「富田」といえば、徳島県の眉山は、昔は「富田山」。一般に眉山と呼ばれるようになったのは、文政年間(1818~1830年)以降。明治の中頃、1895年には小学校教科書の地誌に、眉山の地名が表れ一般化した。万葉集「眉のごと 雲居に見ゆる 阿波の山 懸けて漕ぐ舟  泊まり知らずも」 船王

1871年の廃藩置県により、高松藩は高松県に、丸亀藩は丸亀県となり、同年に合併し、県名が香川県となったが、1873年には、香川県は阿波国・讃岐国・淡路国を範囲とした名東県(みょうどうけん)に編入されている。
これが、ほぼイの国の範囲かもと妄想。にやり
 
 
 
前回
「承元の法難」配流された法然の移動は、土佐国の予定を変更→讃岐国→摂津国
法然と土佐国、讃岐国、摂津国が登場。
摂津は西国三十三所観音巡礼と配流の法然がつながる。
讃岐と法然は、飯野山=飯盛山に祭られるのは、ウガヤフキアエズと玉依姫の子である「稲飯命」

興福寺で思い出す過去の探検で、赤い亀の「赤」とは、水銀朱とすれば、藤原北家の興福寺の三面六臂の阿修羅像は元は朱で塗られ「赤」。
三面六臂=庚申塔の女性ショケラをつかむ青面金剛
庚申塔2000基超えの密集地帯=阿波徳島(一部東讃)
青面金剛は青色、青色=緑泥片岩(青石)=鉄=赤色
青面金剛=猿田彦大神=クナト神(フナト神、車田神事)
阿修羅像は、北家の南円堂には安置されず、その外。

 
興福寺は、薬師寺、法隆寺と並ぶこの3寺が大本山の法相宗。

法相宗で、四国八十八霊場15番札所・薬王山金色院国分寺「阿波国分寺」につながり、創建当初は奈良の法隆寺や薬師寺、興福寺と同じ南都の学派に属する法相宗であり、寺領は二町四方(47,602㎡)で、ここに金堂を中心に七重塔も建つ壮大な七堂伽藍が整っていた。弘法大師空海が弘仁年間(810〜24)に四国霊場を開創の巡教の際に、宗派を真言宗に改。
阿修羅像のある興福寺と「阿波国分寺」が法相宗でつながる。
これまでの探検で、亀は龍、虹、蛇であり鰐、赤色は阿修羅と妄想。
稲飯命は鰐とも呼ばれる。

 
赤い亀=阿修羅・亀=鰐(龍、蛇、虹)=稲飯命(金比羅大権現)=法相宗

法然は稲飯命(鰐)で鸕鶿草葺不合尊と豊玉姫の子で、豊玉姫の妹、玉依姫の夫)。藤原北家の興福寺は法相宗で薬師寺、法隆寺、清水寺とつながる。
興福寺にある朱塗りの阿修羅像は興福寺でも脇に置かれ、三面六臂で赤=青の青面金剛(猿田彦大神)につながり、庚申塔密集地は阿波。
 
つまり、法然(稲飯命)を非難の興福寺は、法相宗(稲飯命)でつながるものの阿波は脇に置いている状態。
北家の興福寺は、法然を非難する=稲飯命を非難の構図。

藤原北家といえば、「応天門の変」で伴氏(大伴・大友)、紀氏を政界から追放。
その後、武家の台頭が始まる。

北家の興福寺
VS
法然=稲飯命、伴氏(大伴家持、菅原道真)、石清水八幡宮の紀氏(讃岐国司紀夏井、紀貫之)。
なんじゃないかいの
だった。真顔
 
近藤氏は、「ふなと神は(徳島県)全県的に分布し、その信仰圏は広く、なんずく鮎喰川上流の神山町に密集しているのはなぜだろう。」

 

 

 

 

 

今回、
鵜葺草葺不合、稲飯命の子孫で、飯野山、飯盛山に繋がる法然上人

 

法然上人の讃岐配流と晩年
讃岐国滞在は10ヶ月と短いものであったが、九条家領地の塩飽諸島(丸亀市の)本島や西念寺(現・香川県仲多度郡まんのう町)を拠点に、75歳の高齢にもかかわらず讃岐国中に布教の足跡を残し、空海の建てた善通寺にも参詣している。

 
 
法然を偲ぶ法然寺も高松市にある。
 
法然寺 

美作国久米南条に父の漆間時国と、母の秦氏のひとり子として誕生した浄土宗の祖である法然上人は、興福寺が専修念仏を非難し、法然らの処罰を朝廷に訴えたことが発端「承元の法難」で1207年75歳にして京から四国に配流となり、小松庄(現まんのう町)生福寺に籠居し、10カ月間念仏を説き、法然上人の足跡が讃岐にとどめられることとなった。
その後、江戸時代のはじめ、初代高松藩主松平賴重公は、法然上人の徳を慕って上人ゆかりの生福寺を高松に移し、藩主家菩提寺「仏生山来迎院法然寺」を開く。

二河白道に導かれ、極楽浄土へ到る、浄土思想をこの世のものとする伽藍配置で、極楽浄土をこの世に現す寺として、また庶民に開かれた寺として、讃岐の人々の信仰を集めて今日にいたっている。

法然上人二十五霊場の第二番として、四国では唯一の札所。

 

 

それから461年後の1668年に松平頼重が生福寺跡を仏生山来迎院法然寺として復興した。

 

ヒミコもしくは、その妹が祭られるとも言われる、ちきり神社西側には、高松藩松平家の菩提寺 法然寺が見えます。山上が以前の鎮座地らしい。上の方に以前は随身門だろう山門が見えます。

金比羅さんは、「ゆうがさん」こと瑜伽神社(法相宗)とはセットでお参りしたとつたわる。

唯識思想は、阿閦如来(あしゅくにょらい)密号は不動金剛。

梵名は「揺れ動かない者」

 

瑜伽神社=法相宗=稲飯命

 

 

金毘羅さんは、象頭山松尾(まつおじ)

松尾寺は、香川県仲多度郡琴平町にある高野山真言宗の寺院。

院号は普門院。

本尊は釈迦如来、新四国曼荼羅霊場第16番札所。

 

ご詠歌:

 みあぐれば 心もきよき 象頭山 の御幣に 神ぞまします

 

金=赤=水銀朱

日本最古の水銀朱採掘跡は阿波グラサン

 

 

紅玻璃阿弥陀像とは善峯寺蔵の宝冠を戴いた密教式の阿弥陀如来。玻璃とは水晶で、本来は紅水晶のような美しい紅色の体の阿弥陀如来の意味(但しここでは通常の金色の体色で表現されている)。善峯寺蔵。金色=紅色。玻璃とは、サンスクリット語スパティカの音写で、玻瓈、頗黎とも書き、水精(すいしょう)と訳すが、赤・白などの水晶の意味。古代インドでは、この世における最高の宝とする七宝の一つ。原語には石英。ガラスを意味するパーリ語のパリカphalikaからサンスクリット語化したもので、一般にガラスの古名。瑠璃=赤=白。江戸硝子 紅玻璃(べにはり) 冷酒杯の説明からは、鮮やかで美しい紅色は、ガラスの原料に金を混入させることで発色することから「金赤」と呼ばれています。紅色=紅色+金。金色=紅色(赤)

 

 

 

 

松尾寺の縁起では、大宝年間に修験道の役小角(神変大菩薩)が象頭山に登り、天竺霊山に住する護法善神金毘羅(クンビーラ)の神験に遭ったのが開山縁起。

この伝承から、これが金毘羅権現になったとされる。

 

鷲ノ山産の石棺は、香川県内8例、大阪府柏原市で2例。

古墳時代前半期における石材産地および石材加工の一つの中心。

 

役行者が神験に遭った霊鷲山とは、讃岐の鷲ノ山と妄想。

 

 

鷲ノ山産の石棺は、高松市の石清尾山の(国指定史跡)石船古墳をはじめとして中讃地域など県内8例大阪府柏原市で2例確認され、鷲ノ山周辺が古墳時代前半期における石材産地および石材加工の一つの中心として広く知られていた。妄想するに、役行者が神験に遭った霊鷲山とは、暗に讃岐の鷲ノ山では?

 

 

 

松尾寺は現在の金刀比羅宮本宮の場所

十一面観音菩薩立像が本尊の本堂があり、

守護神である(神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民などを守護するとされた30柱の神々)三十番神の堂が左奥にあった。

 

日蓮宗における三十番神

日    神名    現在の名称
1    熱田大明神    熱田神宮
2    諏訪大明神    諏訪大社

3    広田大明神    広田神社
4    気比大明神    気比神宮
5    気多大明神    気多大社
6    鹿島大明神    鹿島神宮
7    北野大明神    北野天満宮
8    江文大明神    江文神社
9    貴船大明神    貴船神社
10    天照皇太神    伊勢神宮内宮
11    八幡大菩薩    石清水八幡宮
12    加茂大明神    上賀茂神社・下鴨神社

13    松尾大明神    松尾大社
14    大原大明神    大原野神社
15    春日大明神    春日大社
16    平野大明神    平野神社
17    大比叡権現    日吉大社西本宮
18    小比叡権現    日吉大社東本宮
19    聖真子権現    日吉大社宇佐宮
20    客人大明神    日吉大社白山姫神社
21    八王子権現    日吉大社八王子社
22    稲荷大明神    伏見稲荷大社
23    住吉大明神    住吉大社
24    祇園大明神    八坂神社

25    赤山大明神    赤山禅院
26    建部大明神    建部大社
27    三上大明神    御上神社
28    兵主大明神    兵主大社
29    苗鹿大明神    那波加神社
30    吉備大明神    吉備津神社

 

 

 

 

 

善通寺で修行をし長尾城城主の弟である宥雅は、当地の一角にあった善通寺の塔頭である称名院に入り、松尾寺金光院を創立し院主となり、1573年(元亀4年)には現在の四段坂の下の北側に金毘羅堂(金毘羅王赤如神御宝殿)を建立し、新たな守護神として金毘羅神を勧請し金毘羅権現として祀り、金光院はその別当になる。

 

昔は、

金毘羅(稲飯命)と瑜伽神社(法相宗)とセットでお参りしていたという。

 

阿閦如来(あしゅくにょらい)

密教における金剛界五仏(五智如来)の一尊で、金剛界曼荼羅では大日如来の東方に位置する。唯識思想でいう「大円鏡智」(だいえんきょうち)を具現化したもの。

また胎蔵界の東方、宝幢如来と同体と考えられている。

密号は不動金。梵名は「揺れ動かない者」という意味で、この如来の悟りの境地が金剛(ダイヤモンド)のように堅固を示す

 

唯識説 ゆいしきせつ
インド仏教の瑜伽 (ゆが) 行派、が主張する万有は識 (純粋な精神作用) とする説。
中国仏教の摂論宗、法相宗などが瑜伽行派。この説は、すべての存在は根本の識である阿頼耶識の転変により構成され生じる。
中国では玄奘がこの説を伝え、弟子の窺基が大成した。日本には法相宗として伝わり現在でも奈良の薬師寺、興福寺、京都の清水寺で研学されている。
徳島市八万町に創建の瑜伽大権現があるのを見つけた。御本社である岡山県倉敷市の由加神社本宮からの勧請と思われる。由加神社本宮は日本三大権現の一つ、また厄除けの総本山として知られ、二千有余年の歴史を持つ神仏混淆のお山
その昔には磐座を信仰し、近郊の人々の守護神として崇められ、その後733年に行基菩薩が十一面観音を祀り、併せて神仏混淆の霊山として崇拝されてきた。桓武天皇の代以来、朝廷の祈願所として繁栄。
また、内海随一の信仰の聖地としても、四国「金毘羅大権現」と共に「ゆがのごんげんさま」として一生に一度は参詣して諸願成就を祈る「両まいり」の大権現として信仰された。

 

 

 

なんやかんやで、

 

瑜伽神社=法相宗=稲飯命

金=赤=水銀朱

日本最古の水銀朱採掘跡は阿波グラサン

 

役行者が神験に遭った霊鷲山とは、讃岐の鷲ノ山と妄想。

金毘羅(稲飯命)と瑜伽神社(法相宗)とセットでお参り。

 

唯識説=阿頼耶識の転変=瑜伽行派=阿閦如来=大日如来の東方=不動金剛=玄奘(西遊記)=法相宗(薬師寺、興福寺、京都の清水寺)=二千有余年の歴史を持つ磐座信仰=行基菩薩が十一面観音=朝廷の祈願所=四国「金毘羅大権現」と「ゆがのごんげんさま」一生に一度は「両まいり」

 

興福寺(南円堂=藤原北家)=法相宗

法相宗=四国八十八霊場15番札所・薬王山金色院国分寺

興福寺南円堂に入っていない阿修羅=赤い亀=鰐積=金毘羅大権現=瑜伽行派・唯識派=法相宗

 

 

 

また長くなったので、この辺で

 

 

 

 

【海空(青空)

 

日本の海の向こう側 カッコつけた渡来人が
イ国人を切り倒した ピカピカに光った直刀で
できれば僕の憂鬱を 切り倒してくれればよか~ったのに

おおきみにワイロを贈り 浄土への通行手形を
ねだ~るなんて、本気なのか?

誠実さのかけらもなく 笑っている奴がいるよ

隠しているその手を見せて みろ~よ


人の うわさ~や、趣味や髪の有無で~
一体この僕の何が~わかるというのだろう~


法然さんその籠に 僕も乗っけてくれるよね
行き先なら どこでもい~い

こんなはずじゃなかっただろう?
歴史が僕を問い詰める まぶし~いほど 空と海のことばで

 

甲羅ヤマト(ザ・ブルーハーツ甲本ヒロト・真島昌利風で)

 

 

 

ではまた。滝汗