こんにちは
12月になって益々寒さが増し、益々天気も悪化の一途をたどるジュネーブです(笑)
少し重いテーマになりますが、自分の周りで人間関係(肉親、友人含む)について考えさせられる機会が重なり、人間関係について思うことを書いてみようと思います。
まず、身内に起きた人間関係のこじれについて。
昨年祖父が亡くなった際、親の兄弟が、遺書をこっそり捨ててしまったという事件がありました。遺書は計6通あり、そのすべてが、宛てられた人物に読まれることなくこの世界から消え去りました…
私が推察するに、自分について不利な内容であったためにその方は、捨ててしまったと思います。
これは、私の親とその親族間で起きたことであり、私とは直接関係することではないのですが、相続関係が原因で親族関係に亀裂が入るというのは、よくある話であり、それが身内に発生したことにハラハラさせられました。
その方とは、私も普段から親しくしている間柄で、そのような行動に出られたことが信じられないし、
また自分の想いが伝わることがなかった祖父に対しては、無念、の一言に尽きます。
その手紙が捨てられてしまった以上、祖父がどのような気持ちをもって最期の言葉を綴ったのかという事実は永遠に知られることがないのですから…
もう一つ。これは私の友人との関係について。
15年以上の、親友の一人に数えてもよいといえる友人がいます。その子とは高校まで同じで、大学からが別、というまさに思春期を一緒に過ごした仲なのですが、大学生活・社会人を機に、お互いの指向の違いから、私は彼女の行動や決定を心から応援できなくなりました。
その「違和感」は、彼女が妊娠したあたりから表出し始めました。
「妊娠は、〇〇病院で、子どもはこういう育て方をしたい、会社には〇〇頃に復帰して、できれば第二子は〇〇年に授かって…」
彼女の中では、いわゆる若くて働くお母さんとしての今後の人生設計が決まっており、それを堂々と語ってくれました。
「保育園からは、偽の保育園入園不可証明を発行してもらって、それをもとに人事部には育休を1年間延長してもらう。第二子もそうするつもりだから、合計4年間育休を取得するつもり。あと、出産は関西の方が安いからこっちでするけど、その後は夫の昇進を考えると関東に戻った方がいいから、来年以降異動させてほしいと夫の会社には伝えていて…」
余りにも自分中心すぎる人生設計を恥じらいもなく語れる彼女に呆れてしまい、そこから距離を置くようになりました。
私はまだ結婚も、まして妊娠もしていないので、その段階にいる彼女への醜い嫉妬なのかなと思って、しばらくそのもやっとした感情に触れないようにしていたのですが、先日、共通の親友と話した時、「実は私も、彼女は自己中心的すぎると思うと思っていた」という点一致し、私の抱いた感情は割と客観的なものだったのだと思いました。
彼女に、そんなうまい人生なんてないよと言ってやりたいけれど、それは、私が言ってやる義理もないし、それを言って受け入れられるような彼女でもないと思います。だから、悲しいけれど、彼女とは違う部類の人間だという整理の仕方でその人間関係をやり過ごすしかないのかもしれません。
しかし親族については、そうもいっていられませんね。
私の親も、遺書の遺棄という決定的な行為によって、関係性は大きく変わってしまったと言いました。
友人関係であるならば、もう二度と話すことはない、決定的な事象かと思いますが、それでも付き合っていかねばならない親族関係。
そのようなどうしても精神的に乗り越えられない出来事を、どのように昇華するのか―――友人関係ですら、もやもやした気持ちを抱えながらくすぶっている私には、想像もつきません。
先日30歳になりました。ここ数年、特に20代後半から、人間関係は非常に難しいな、と思わずにはいられません。
他人は自分の想い通り・期待通りには動いてくれないからです。
そして、人間関係も生き物のように、時とともに形を変えるからです。
人間関係のこじれから、不毛なネガティブ思考に翻弄され浪費した時間は、かなりの時間に匹敵したなと笑。
あとから、ああ言ってやればよかった、とか
もう少し責め立ててやろうか、とか
自分の中にこんなにいもどす黒い生き物がいたのかと思うほどのどろどろとした感情に飲まれたことも幾度か。
そして、最終的には、「言わずに我慢してよかった」と思うことがほとんどなんですけどね。
でもそれも時と場合によるし、だからこそ、マニュアル通りにいかない人間関係は、本当に難しいなと思います。
イギリス、スイスで、日本人特有の人間関係には巻き込まれることは少なくなったけれど、今度はこっちで出会う人間との人間関係に巻き込まれるようになりました。
国が違っても、言語が違っても、文化が違っても、つまるところは人間性だと思います。
こいつ、常識ないな?というのは、その人が外国人であることとは関係ないんです。
外国人でも、常識的に、相手をリスペクトして対応できる人はいるし、そこはやはり個人個人の人格なのかと思います。
私は、周りにはどう写っているのだろうか?
どんな場合も正々堂々と行動できているだろうか。
人間関係のこじれに巻き込まれたときは、自身を省みる機会なのかもしれません。