お久しぶりです。
ロンドンもとうとう5か月目に突入しました。
ロンドンに住むことが夢!という人は多いですが、私は特にそうでもなく(イギリスに住めればどこでも良かったのかもしれません)。
それでもロンドンにもうすぐで半年になるのかぁと思うと感慨深いです。
5月に入ってからロンドンは晴れの日が増え、日照時間も長くなり、1年で一番美しい時期に突入しております
緑は青々と生命力にみなぎり、日光はここぞとばかりに人びとの笑顔を照らし、不思議と街全体が興奮で沸き立つ―――そんな素晴らしい毎日です。
(とある休日のHyde Park)
私のロンドン生活と言えば、職場も3ヵ月目に入り、そこそこ給料も貯まってきて、キンドルを買い替えたり、ちょっと良いシャンプーを試してみたり、Primarkではない肌に優しい肌着を購入してみたり、物理的にやっと、安定しつつある毎日です。
(Modianoの厭世的なパリを題材にした小説。近々パリに行くので)
Happy days without any concernみたいに聞こえますね、これじゃあ苦笑
実は、今の職場、辞めようと思って動いてます。
せっかく手に入れた束の間の安定でした涙
まだ正式に報告はできないけれど、転職活動が終盤まできており、近日中に発表できるかも(したい)しれません。
けれども今日の投稿は転職活動についてではなく、自分自身の葛藤について書いていこうと思います。
私は、どうしても自分に嘘がつけないんだなぁと思うここ数日でした。
それに改めて気づけた一連の日々だったというか…
私はビザの関係でイギリスにいられる期間は2年間です。
就労ビザを取得すれば別ですが、2年間を区切りに日本帰国を予定しており、私がここにいられる時間は有限です。
数年前までの私は、イギリスにもっといたい、ヨーロッパに長く定住したい、なんて思っていました。
ただ、今は全く別のベクトルから海外在住を捉えています。
どこに住むかよりも、なにをするか、今後は自分のキャリア(なにをするか)を深堀りしたい、ということです。
この境地に達することができたのは、自分なりにかなり英語を頑張り(あくまで主観です)、ネイティブと言わずとも、かなり高いレベルまでこられたという自負があるからです。
英語がもう、劣等感を誘因する要素ではなくなった―――だからもう英語圏にいなくてもいいんです、正直言うと。
話を戻します。
2年間しかない滞在期間で、どこまで帰国後のキャリアに資する経験を積めるか―――この目的意識に則り、現在の職場は全く将来への糧にならないと判断し、転職活動を始めることにしました。
きつい言い方をはばからずに言うと、現職は有限かつ貴重な時間の使い方としては無駄に近い、と判断しました。
30代に入って、周りが安定しつつある中、安定したいと願う自分がいることにも気が付き始めました(2年後の日本帰国もその一環かな)。
一方で、現状に改善点があって、それが自分の行動ひとつで変えられるなら、安定をぶちのめしてでも変えてやらあという猛獣も自分の中にいることに気づけました。
今の職場で2年間、大切なイギリス生活終えてられっか!という私の中の猛獣が暴れ出し、安定を望む自分を押しやって、ここ3週間は、日々面接でした。
今回はもっと、自分のやりたい方向性に近づけそうです。
職場の人とも、あらかた面接を通して、挨拶をし、自分がどこで、どんな人と、何をするのかを事前にかなり聞くことができました。
とはいえ、1社で4回の面接はさすがにヘトヘトです
1時間近く英語・日本語で話しっぱなしのものが4回。。
これも、やはり2年前の私にはできなかったことですね。
英語で話すということへの強い苦手意識はもちろん、
自分の歩んできたキャリアを(言語関係なく)理路整然と語ること、
どんな質問が来ても、自分のキャリアの節目節目の決定を負い目なく説明できること、
回り道したけど、日本からイギリスに来て、国連に就職したけどイギリスに舞い戻ってきたこの2年間の物語を自信と誇りを持って語ること、
これは、やはり自分のかけがえのない人生をがむしゃらに駆け抜けてきたからこそ、
自分に嘘をつかず、自分の決定に目を背けず、誠実に向き合い続けたからこそやっとできるようになったことだと思います。
その点で、私は自身の成長を非常に誇りに思います。
5月に入ってからは急に在宅申請したり(複数回)、もうかなり怪しい動きをしまくっていたので現職の上司にはばれてるかもなぁ笑
でもやっぱりそこに感情的になっては進めないし、同情的になるべき場面はそこではない、と信じて進んでいます。
あともう少し。
まるでイギリス生活の締めくくりのようなやや自分に酔いしれた一人語りとなってしまい恐縮ですが、私は、まだまだ奮闘します。
永遠に自分の理想と成長のために、葛藤しながらも進んでいこうと思います。
(トンネルはもう少しで抜けられると信じて)