1.いじめ、体罰、脱法ハーブ
そもそも、この女児や友人が受けたのは、いじめではない。
暴行傷害・脅迫という犯罪行為である。
「いじめ」と「暴行・脅迫」は、その境界が明らかである。
例え、児童同士であっても、恐怖心を抱かせる言動や身体に触れる行為があったとたんに「犯罪行為」へと変わる。
このことは、一般社会と変わらない。
メディアや教育関係者をはじめとする大人たちは、学校ということで特別に甘く見てはいないだろうか。
これらは言葉のマジックである。
2.脱法ハーブ
ここに武田邦彦教授の指摘がある。
「違法ドラッグ」のことを「脱法ハーブ」と耳触りのよい言葉をメディアが使う。
「脱法ハーブ」という言い回しは、犯罪者が反社会性を隠すために作った言葉である。
そういう趣旨の指摘がされている。
そのまま報道機関が安易に使うとは、反社会的行為の片棒を担ぐのに等しいということだろう。
3.指導上の体罰
暴行傷害行為を耳障りよくしたのが、教育現場などで行われる「指導上の体罰」である。
文科省によれば、体罰に該当する行為は、次の2つの場合とする。
(1)身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る、蹴る等)、
(2)被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai1/siryou4-2.pdf
実は、この報告を呼んだ瞬間、驚きと絶望が同時にやってきた。
(1)は、明らかに刑法にいう暴行罪、傷害罪に当たる行為で、犯罪行為である。
暴行罪や傷害罪が刑法に規定されているのは、被害者の生命・身体への危険を含むからである。これを指導上の「体罰」に入れてはいけない。
どうせ禁止するのだから、「体罰」でもよいではないかという意見もあるかもしれない。
しかし、暴行・傷害という犯罪行為を「体罰」という犯罪者側の言葉で誤魔化すのは、根本的に誤りである。
(2)は、極端な場合は強要罪に当たるケースも出てくるだろうが、それ以外の場合、基本的には、指導上の「体罰」と言われるものである。
なぜ文科省が、暴行・傷害行為を犯罪者側のいう「体罰」という言葉で誤魔化しているのか、理解に苦しむ。
文科省官僚ですら区別できていないのに、教育現場で区別を求めるのは至難の業だろう。
4.まとめ
イメージや見た目が似ているからといって、同じものとは限らない。
味噌もクソもいっしょに扱うと事の本質が隠れてしまうという先人の言葉ある。
「正直者がバカを見る」。だから、正直は勧められないというのはスジが違う。
正直者がバカを見ることのない方法を考え、システムを作るべきである。
「正義」も同じ。
「正義を美談にするな」と安易な方向に進むと、事の本質が隠れてしまう気がする。
正義漢がバカを見ないシステムを追求すべきである。