いじめられた友の身代わり暴行を受けた女児の話を美談にするな?美談は心の底から湧き出るもの-1- | popo♪のブログ

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孔子も孫子も「治世救民」を天命として我欲のカケラもなかったそうです。「季布の一諾」が座右の銘として、孔子、孫子、老子、司馬懿に学んでいます。
ささやかながら幸運をお分けします。

イジメられた同級生の身代わりに暴行を受けた小3女児。

美談にするなという意見もあるらしい。

しかし、美談や正義感というものは、そもそも人として自然に心の底から湧き出るもので、生存本能から派生したものという意見もある。

ただ、美談と言えば意図的に作られたものを指すことが多い。

が、それらは必要なものである。
人としての正義感を、時代を超えて共有することを目的とするからである。
多くの人々が共有できるということは、生き残るための一つの方法につながる。

たとえば、刑法典などはそれを明文化したものだろう。

この小3女児の友をかばう行為は、正当防衛行為である。

心の底から湧き出た正真正銘の正義感あるいは思いやりの心であり、本来、だれもがなすべき行為である。

ここで、勘違いしてはならないことがある。

下の記事にあるように「正義感が裏目に」という見出しがあるが、大きな勘違いである。

「友をかばうこと」と「身代わりに暴行を受けること」は、まったくの別物である。

身を呈して友をかばうことは正義だが、身代わりに暴行を受けることは正義でも美談でもない愚行である。
この点を混同する大人が少なくないのは困ったものである。

この事件の教訓は、暴行行為がいかに卑劣な行為であるかを教えてこなかった大人に重い責任がある。
この事件は、以前からいじめと称する暴行傷害事件が発覚するたびに問われてきた大人の責務が、放置されたままになっていることに起因する。

また一方で、友をかばうことは善であり正義だが、身代わりに暴行を受けることは善や正義ではないと、大人でも区別できていない。
小3の児童が分別できるはずもなく、これもきちんと教えてこなかった大人に責任がある。

そのあたりの区別ができないのが、教育機関なのだから、いじめ防止対策基本方針の策定などは大した意味はないだろう。

学校教育では、人として守るべき道徳を徹底してたたき込むことこそを教育指導の最大の基本方針とすべきだろう。
英語やダンスなど目先の人気取り政策が先行している教育では、いじめと称する暴行傷害や犯罪の芽が減ることはありえない。

まずは、大人がどこまでが善で、どこからが善ではないのか学ぶ必要がある。

同時に、義務教育における道徳教育を根本から見直す必要があるのではないだろうか。

どこまで、教育関係者が、この問題と真剣に取り組んでいるのか、はなはだ疑問である。


『テーマ「愛知・豊橋の小3女児、いじめられた同級生かばって暴行被害」 担任教諭の対応は…
」 担任教諭の対応は…
2014.7.20 18:00 (1/4ページ)[ニュース『深・裏・斜』読み]

 愛知県豊橋市の公立小学校3年の女子児童が6月、いじめられた同級生をかばったところ、逆にいじめられ暴行を受けた問題。担任の教師がいじめを「遊び」として見過ごすなどしたため、女子児童は3週間の長期欠席に追い込まれた。

 過去にはいじめを見かねて立ち向かった子供が次の被害者になり、自ら命を絶った事例もある。「教訓をいかし、課題を検証してほしい」。自殺した子供の遺族からは切実な声が上がる。19日から夏休みが始まった今、親子で改めていじめ問題を考える機会にしてほしい。(篠原那美)

■正義感が裏目に

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■「美談にしないで」

 「教師や学校がいじめを傍観するから、子供たちは、何とか自分の力で解決しようと追い込まれてしまう。いじめは犯罪であり、子供に『立ち向かえ』と指導するのは間違いだ」
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■ いじめ防止対策基本方針 都道府県策定はまだ7割弱
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4月1日時点で策定した都道府県と政令市は45で、全体の67%にとどまっていることが分かった。
・・・・・・・・・・・・・・・』(msn news)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140720/edc14072018000002-n1.htm