冥王星移住計画 -11ページ目

年賀状

今日、三ヶ月遅れでふたりに出した。
近況報告メールともいう。

外出先での読書

ひさびさに家の半径五〇〇メートル圏内から外に出た。
姉を姉の車で病院まで送っていった。
姉が診察を受けているあいだ、持参した文庫本を読んでいた。集中できず、おなじ文を三回くらい読んだりした。ごくふつうの小説で、簡単な文章なのに、頭に入らなかった。ひとがたくさんいるところでは意識が周囲に拡散しがち。つねに無用なまでに警戒してる感じ。

東京はひとが多すぎだと思う。住民税を吊り上げて低所得者から順に出ていってもらうべきだと思う。

経年変化:二

(つづき)
親はかならずしも子よりも視野が広いわけじゃない。
親は「避妊しろ」といい、子は「生でやりたい」という。
親は性器も記憶も劣化しすぎていて生のよさを忘れてる。
子は生のよさに目がくらみ、妊娠の怖さを忘れてる。

どっちもどっち。たんに視点がちがうだけ、重視しているものがちがうだけ。
一時の快楽はかならずしも長い人生に劣るものじゃない。

経年変化:一

二十代も後半にさしかかって人生観は微妙に変わった。とりわけ「家族」「親/子」「時間」「仕事」「金」「個人/社会」といったあたりの概念の周辺に変化が生じた。

けれど、それは見る角度や感じかたが変わったにすぎない。
こどもじみた「よけいなもの」を捨て、おとなになるために必要な「貴重ななにか」を集める。知識や経験を蓄積する。──それは一般には「成長」と呼ばれる。なんだか進歩史観めいている。
それは進歩でもなく成長でもなく、たんなる変化だと考えたい。
理想的な変化を成長と呼ぶことはもちろんできる。そんなのは定義次第だ。けれど、それを成長と呼んだとき、「失われたなにか」への哀惜の念もまた消え去るような気がする。(つづく)

悟り

「きみは人生というものを知り尽くした気になってるけど、きみにはまだ見えていないものがある」
二十歳を過ぎたころ、四十前後の知人にそういわれた。
たしかに当時のぼくは増長していた。悟った気になっていた。「無知の知」なんて自分には無縁のものと思っていた。そして、年長者の説教じみた言葉を笑って聞き流していた。それは自負と気概の表れだったかもしれない。

それでよかったのだと思う。誤謬や盲目のもとでしか築きえないものはきっとある。
ぼくはたしかにまちがっていた。けれど、後悔はしていない。

Gatorade

だいぶ前に、GatoradeブランドがPepsiかCoca-Colaに巨額で買い取られそうだっていう記事を読んだ。スポーツドリンクなんてどれも似たような味なのに、って思った。微妙に味をいじって独自ブランドにして流行らせることができれば、けっこう儲かるかも、って思った。第二のGatoradeが出てきてもおかしくないな、と。

Gatoradeはわりときっちり研究してつくったらしい。実際、飲んでみると、そんな感じはする。口当たりがいい。

ステビア

口のなかに残る、あの後味は絶対に体によくない。
角砂糖みっつくらい飲み込んだほうがよほど体にとって負担がすくないにちがいない。

やつらはきっとなにか企んでる。みんなだまされるな。

懺悔

親が基地外だと子も基地外になりやすい。基地外とつきあうと基地外になりやすい。


ぼくはあなたをすこし壊してしまったかもしれない。
あなただけはどうか幸福な人生を歩んでいてほしい。

鬼束

なんて愚かな汗に まみれているのよ

明日が見えてしまうなら 立ち止まってみるの
足跡だらけの道など走るのはやめて

栄光はこの手の中 そんなとこにはないわ
ひどく汚れたその足の痛みに気づいて
──Back Door

栄光を目指したくなる。ふつうに働くのがばかばかしくなる。

自然と自由

カントは「自然に縛られないことこそ真の自由」だという。
そんなのは詭弁だと思ってた。むしろ「縛られるか縛られないかを選びうる状態」こそ、真に自由な状態なんだと考えてた。けれど、最近「自分の本性」に縛られている自分を見るにつけ、選んだというよりただ易きに流れただけの自分を見るにつけ、彼のいうことにも一理あるかもしれないと思いはじめた。

自分の習慣を捨て、やりたくないことをやり、自分ではないような自分になれたとしたら、きっと解放感につつまれるだろう。がむしゃらに働く自分。陽気に笑う自分。クラブなんかで踊りまくっておしゃれなバーで気どってグラスを傾ける自分。──反吐が出そうだ。解放とはかくも酸っぱいものなのか。