冥王星移住計画 -9ページ目

川村記念美術館

千葉県佐倉市。ドライヴがてらいきたいところだけど、途中の景色がいいわけでもないのがちょっとつらい。
ロスコ・ルームがいい。ロスコのやたらでかい作品が広い部屋の四方の壁に展示されていて、独特の雰囲気を醸し出してる。月に一度、十五分くらい、ここで憩いたい感じ。この部屋の雰囲気を味わうためだけでも、いく価値はある。
以前、なにかの企画展の関係か、ロスコの展示方法が変わっていて、狭い部屋のすこし高いところにちいさめの作品(ロスコにしてはちいさいというだけで、それでもでかい)が展示されていたことがあった。その展示方法もよかった。だれか外部のひとがからんでたのかもしれないけど、学芸員もなにげに優秀っぽい。

東京都現代美術館

江東区木場。辺鄙なところなのがつらい。
安いのがいい(一般500円)。すごい目玉作品があるってわけじゃないけど、全体的に作品の質はなかなか。コスト・パフォーマンスはかなり高い。ときどき企画展もやってるけど、安い常設展だけでじゅうぶんたのしめる。

絵画・彫刻

「絵画・彫刻」ってカテゴリを追加してみた。
だれが好きかっていわれると、かなり悩む。
Chagall好きなんだけど、メジャーすぎるので、べつのにしたい。Miloも好きなんだけど、知人がMilo大好きっ子なので、避けたい。CezanneとかRothkoとかPicasoとかも好きだけど、Picasoはメジャーすぎるし、キュビズムは実験主義的で好きじゃないし、CezanneやRothkoはちょっと地味すぎる。KleeとかModiglianiも好きだけど、あまり突き抜けたものは感じない。
彫刻だったらAlberto Giacomettiなんだけど、絵画はこれだってのがちょっと選べない。

10.3.9

ウプデータンが来てた。Tiger発売前の最後のアップデートか。
さっさとアップデートしちゃいたいんだけど、意味もなくひとりで連続稼働に挑戦中なので、なんだかもったいなくてできない。まだ16日目。最近安定してるので、数ヶ月は余裕だと思う。結局、なにかインストールしたりとかで再起動せざるを得なくなるわけだけど。
どうでもいいことだけど、10.3.9って、数字のうえでは10.4に近いはずなのに、中身的には10.3.0に近いのがちょっと不思議。たった0.0.1なのに越えられない壁がある。ゼノンのパラドクス(アキレウスと亀)みたいな。

谷川俊太郎

なんかふつうにいい。現代的でポップでわかりやすい。いい意味で「古典的芸術」の方向に走りすぎていない。
記憶に残ってるのは、処女詩集『二十億光年の孤独』「周囲」のなかの次の一節。

アンドロメダ星雲とオリオン星雲との
地球に関する事務的な会話

『眼球譚』

バタイユの小説のほうの代表作。
さすがにエロティシズム研究家だけあって、距離感やズレ具合はさすが。フランス書院の代わりにはならないけど、ちょっとちがった興奮ができる感じ。

Cathy Dennis

ものすごくマイナーですが、じつはいちばん好きです。
1991年ごろ、"Just Another Dream"の や "All Night Long (Touch Me)" という曲がヒットしました。もともとはいわゆるクラブ系で、その後、ふつうのポップスに転向しました。
声がとてもいいんですが、甘すぎるのが難点。ポップス転向後の曲もけっこう佳曲ぞろいなんですが、声と曲調があいまって媚びすぎな感じで、女性が聴くにはきついかも。

なかなか話の合う相手がいないのが、マイナー好きのつらいところ。海外にはファンサイトもありますが、いまいち盛り上がりに欠ける。時代も時代だけに、DVDも出る気配ないし。。。

+20,000

rank0417

ランキング急降下。総合で2万も下がった。閲覧者増えたのになんでだろう。途中でジャンル変更してみたせいかも。まわりが上がって追い抜かされたってのもあるかも。よくわからん。
むしろおもいっきり下がってくれてよかった。半端に数千くらい下がってたら落ち込んでたかも。こんなに下がればなんかおかしいって思える。

復讐しよう

すこし前にリベンジという語が流行った。それは現代社会のある種の閉塞感への大衆の集合意識の無意識的反応だったような気がする。以下は前回の記事(Jewel "Hands")の流れで考えた刑罰論。
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根気よく犯罪者を更正させる。更正不可能な人間なんてほとんどいないのだろう。可能性がある以上、試みてみるべきなのだろう。理想をいえばそういうことなのだろうけれど、現実的に難しい。
社会的に見れば、刑罰の本義はもちろん更正にある。二度と社会に迷惑をかけないように「洗脳」することにある。
けれど、被害者とその関係者にとっては、加害者の更正は二義的なもので、処罰そのものが重要なものだといえる。それによって心理的負債は補填される。そういった心の経済があまり顧慮されず、神経症的なまでに残虐性が忌避され、司法があたかも善意の塊のごときものとして措定されていることは現代の法哲学の足枷/病弊のひとつのように思える。
ハムラビ法典のような復習法の原則はたしかに極端なものかもしれない。けれど、復讐というのは甘美なもので、被害者の感情をやわらげる効果をもつ。そういった効用を一定範囲で積極的に認めてみてもいいと思う。
極端なまでの「善の装い」を脱ぎ捨てて「悪」を積極的に利用すること、毒をもって毒を制すこと──そういったかたちの改革が今日の司法制度には必要なのだと思う。犯罪者が守られすぎるがゆえに、正直者が損をするというような制度はどこか病んでいる。結果、病理が病理を生むという悪循環が生じている。犯罪被害者やその家族の自殺なんて、笑うしかないほどの悲劇だ。「健全な憎しみの発露」の可能性を開くことにより、風通しをよくすることが必要だと思う。

Jewel "Hands"

In the end only kindness matters

そうなのかもしれないと思う。赦しと隣人愛? それも必要なものなのかもしれない。
けれど、その一方で憎悪(や性欲などの「悪しきもの」)の発露が不健全なまでに法的に規制されていることが、現代社会の救いがたい一面のような気もする。The Cardigans "Do You Believe?"のなかでは次のように唄われる。

Do you really think that love is gonna save the world
And do you really think that love is gonna save your soul
Oh, I really, really hope so
But I don't think so

愛だけではだめだと思う。