復讐しよう | 冥王星移住計画

復讐しよう

すこし前にリベンジという語が流行った。それは現代社会のある種の閉塞感への大衆の集合意識の無意識的反応だったような気がする。以下は前回の記事(Jewel "Hands")の流れで考えた刑罰論。
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根気よく犯罪者を更正させる。更正不可能な人間なんてほとんどいないのだろう。可能性がある以上、試みてみるべきなのだろう。理想をいえばそういうことなのだろうけれど、現実的に難しい。
社会的に見れば、刑罰の本義はもちろん更正にある。二度と社会に迷惑をかけないように「洗脳」することにある。
けれど、被害者とその関係者にとっては、加害者の更正は二義的なもので、処罰そのものが重要なものだといえる。それによって心理的負債は補填される。そういった心の経済があまり顧慮されず、神経症的なまでに残虐性が忌避され、司法があたかも善意の塊のごときものとして措定されていることは現代の法哲学の足枷/病弊のひとつのように思える。
ハムラビ法典のような復習法の原則はたしかに極端なものかもしれない。けれど、復讐というのは甘美なもので、被害者の感情をやわらげる効果をもつ。そういった効用を一定範囲で積極的に認めてみてもいいと思う。
極端なまでの「善の装い」を脱ぎ捨てて「悪」を積極的に利用すること、毒をもって毒を制すこと──そういったかたちの改革が今日の司法制度には必要なのだと思う。犯罪者が守られすぎるがゆえに、正直者が損をするというような制度はどこか病んでいる。結果、病理が病理を生むという悪循環が生じている。犯罪被害者やその家族の自殺なんて、笑うしかないほどの悲劇だ。「健全な憎しみの発露」の可能性を開くことにより、風通しをよくすることが必要だと思う。