中国女

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中国女(1967年 95分)

監督:ジャン=リュック・ゴダール

出演:アンヌ・ヴィアゼムスキー、ジャン=ピエール・レオ、ジュリエット・ベルト、フランシス・ジャンソン、ミシェル・セメニアコ、レクス・デ・ブロイン

 

最近またゴダール見返してる。ゴダールの映画って好きなやつはめっちゃ好きだけど、理解不能なやつはマジで意味不明すぎて窒息死しそうになる。中国女はだいぶ前に意味も分からず見てて、今回改めて見たけれど、死ぬかと思った。

 

 

冒頭のタイトルクレジットなんかはゴダールきっての名作、気狂いピエロとほぼ一緒だ!最高かよと思っていたけど、毛沢東の思想に影響されたフランスの若者たちの会話が抽象的で高次元すぎてげんなりしてた。途中からは彼らの話していることはいったん置いといて画面だけ死んだ目で眺め続けてた。アワーミュージックなんかはけっこう好きだったんだけどな。

 

中盤にあるこの映画の最大の見せ場だと思われる、女学生が思いついたテロの計画を大学教授に熱弁を振う電車の中でのシーンがあるんだけど、大学教授に次第に論破されていき、黙っちゃうのは面白かった。このシーンがあるから、政治活動をする若者たちへの冷笑的なメタ視点的見方をすればいいのかとなんとなく理解できたような気はする。

 

政治思想を煮詰めるにつれて自死を選ぶ学生なんかも出てきたりするんだけど、普通に笑えた。電車のシーンがなかったら急に自殺しだして混乱していたように思う。

 

相も変わらず物体配置と色彩の美しさは健在で、これすらなかったら確実に見るのやめてた。逆に言えば内容はつかめなくともぼーっと画面を眺められるだけの訴求力はあるように思う。

セットだとか色彩、演出は今見てもあんまり古くない。象徴的だけど、直接的でもある赤い本。今回は第四の壁を破ってくる演出なんかあったりしてそこそこ楽しめた。

 

音感だけで会話するのも素敵だった。愛してるで終えるあたり、プラネテスのしりとりなんかを思い出した。(でもこの映画だと愛してるで終わった後に微妙に変な空気になってる)

 

まあでも唯一この映画を見て学んだことは、自分とは意見が合わない人間のことを「修正主義者だ!」と言い続ければ相手は折れて出ていくということ。今度友人に使ってみようかと思う。

 

個人的にはこの映画を見ていてなんだか似たようなことが僕の人生でもあったなと思い、思い返していると、高校のころ、なんだかふわっと集まったクラスメイトとの会話中に誰かが急にガンダムの話を始めたところ、自分以外の人間全員がガンダムフリークスだったときの感覚とそっくりだ。断片的に知っている固有名詞なんかは登場するし、日本語として彼らの話していることの意味は理解できるんだけど、話についていけない。でも周りはなんだか楽しそうみたいな感覚。この映画とほぼ同じだ。僕は何もできずにただ笑っているだけだったように思う。

 

「試験とは不要なものだ 時間のあるものが優先される人種差別であり、様々な悩みの根源でもある」

 

「本を燃やしてしまうと批判すらできない」

 

最初にも言った通りゴダールの映画って合う合わない強烈に二分されていて、今作は完全に後者だ。正直見ていてきつかった。誰だこれを名作だと評価したやつは、意味わかんねーぞという気持ちにならなくもない。見ていての意味不明さではパビリオン山椒魚なんかを思い出すレベルで、ついていけない自分がちょっとつらかった。この時代のゴダールは尖ってるな。ジャックナイフみたいだ。

この映画は圧倒的情報量の暴力だ。この映画のことを高く評価する人間を修正主義者!と積極的に攻撃していきたい。

 

B-