カリスマ(1999年 104分)

監督:黒沢清

出演:役所広司、池内博之、大杉蓮、洞口依子、風吹ジュン

 

黒沢清の中でも評価の高いカリスマ、見た。

 

 

カリスマと呼ばれる周りを枯らしながら生きる木を巡って物語は進んでいく。

 

これまで黒沢清映画を何本か見てきたけれど、これまで寓話的なものは初めて見た。

話運び自体は過去作の「CURE」で語ろうとしたものを更に拡張したものなんだろうけど、物語が進むに連れ、特に映画後半30分では、登場人物の行動や言動がより抽象度を増していき、難解な印象を受けた。

 

基本的には、カリスマと呼ばれる周りを枯らしながら生える一本の木を巡り、森全体を生かすか、カリスマを生かすかの二者択一になぞらえ、全体を犠牲にして個を選ぶか、個を犠牲にして全体を選ぶかというテーマが根幹にある。

 

黒沢清✕役所広司のタッグの作品を見るのは「CURE」「」に続いて3作目なんだけど、相変わらずこのタッグの映画がめっちゃ好きだということがわかった。「CURE」を初めて見た時の衝撃ほどはなかったけれど、なるほど、黒澤清の代表作と呼ばれるだけある傑作だと思った。

 

カリスマを守る池内博之と、カリスマを伐採しようとする大杉蓮、表面的には中立の立場に見える植物学者である風吹ジュンの3つの対立構造のパワーバランスの変化によって、この映画の推進力が生み出される。

 

映画の場面が進行していくのが森の中というすでにどこか現実離れした象徴的な空間であるので、登場人物がやけに観念的だったり、抽象的な言動をとっても違和感なく見ることができる。

 

主人公を務める役所広司は刑事で、過去に人質をとって立て籠もった犯人とその人質の両方を死なせてしまう。このことが映画の冒頭で語られる。

両方共生かそうとすればどちらとも死んでしまうことが、手際良く語られているのが良い。

 

また、役所広司が務める刑事という仕事柄も、個を選ぶか、全体を選ぶかのあらゆる選択において必要不可欠である規則や法律、ひいては法則みたいなものを司る役割を過去に担っていたこともこの物語の寓話性を高めている。

 

後半でカリスマは焼かれてしまい、一時的に個を失った状態で進行していくんだけど、新しく役所広司が見つけてきたカリスマの代わりに、新しくやってきた植物園に依頼されたバイヤーの松重豊やこの新しいカリスマは普通の木であり、何の価値もないと言っていた植物学者の風吹ジュンまでもが魅了されてしまう。

個は全体に対しての反撥から生まれる個であり、個の集合体が全体であることを表しているのだろう。実際役所広司もそのことを悟って、最終的に彼自身がカリスマを継承していく。

 

と、なんだか寓話的で難解な内容だったから、話がごちゃごちゃしてるけど、黒沢清と言えばの半透明の遮光物が登場したり、おお黒沢清映画見てる〜と思えるようなサービスショットもいくつかあったりしてよかった。

 

ドレミファ娘の血は騒ぐ」でも主演を演じていた洞口依子が今回、キーパーソンとして登場するんだけど、ファムファタルとまではいかないけれど、無邪気で主人公を振り回すのが相変わらずかわいかった。

 

バイオレンスシーンなんかも少ないんだけど、今回は結構容赦なくて、特筆すべきは洞口依子が池内博之に日本刀で刺されるシーンとハンマーで処刑されるシーンだ。

このシーン両方共、ほとんど音がなくてちょっと再生速度を落としているのかと思えるほどゆっくり刃物が身体を貫き、ハンマーが頭に降ろされる。特に後者のシーンでは加えて遠くからの全体を俯瞰したような妙に感情を排した、どこか人間的でない無機質な印象を受ける。こういう不気味不穏演出大好き。

 

このテーマの延長線上に過去作である「回路」が位置づけられるんだろうけど、こっちのほうがテーマとオチがラストシーンに深く関わっていて好きだ。

 

間違いなく今まで見てきた黒沢清映画の中で一番難解だろうけど、個人的にはこういう観客の思考の余白のある映画のほうが好きだ。その点では、どちらかというと映画というよりも文学向きであるように思う。このまま戯曲化しても差し支えることがないくらい脚本は本当に良く出来ていると思う。

一度見ただけでは完全には理解の器を超えてしまうほどの圧倒的情報量の映画であるため、また落ち着いたら整理してもう一度見たい。

黒沢清映画でも「CURE」に負けずとも劣らないほど好きな作品になった。

 

世界の法則を回復せよ

 

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