日本体表のユニホームを着て、日本人の代表として、買春をした
日本は後進国になってしまって、同時に日本人のモラルも後進国になってしまった。
アジア大会で日本人の選手が、日本選手のユニホームを着て、買春をした。
日本の恥をさらしに行ったようなもの。
かつて、高度経済成長時代に、日本人が団体で東南アジアに買春ツアーに出かけていた。
その時代と同じことをしている。
同じではなくて、状況はもっと深刻である。
日本体表のユニホームを着て、日本人の代表として、買春をした。
だから、日本は戦中と同じように、アジアの女性を慰安婦扱いにしていると、海外は非難するだろう。
ことに、特亜三国は狂気して、非難するはずだ。
日本国と、日本人のプライドは地に落ちた。
薩長同盟成立の場所
大河ドラマの、『西郷どん』はあまり見ないが、そろそろ、薩長同盟が成立しそうなので、今夜は、『西郷どん』を見た。
薩長同盟締結は次回に放送される。
この歴史的な同盟が締結された場所はどこなのかということがつい二年前までは分からなかった。
小松帯刀の京都の寓居であることは分かっていた。
その寓居は、近衛邸のお花畑の中にあった。
薩長同盟は、京都の薩摩藩邸で締結されたというのが長い間の通説だった。
薩摩藩邸というのは、現在の同志社大学の今出川キャンパス。
京都の今出川の薩摩藩邸で薩長の話し合いは始まったのだが、薩摩も長州も薩長同盟の話を持ち出すことがなく、埒が明かないから、四日後に近衛邸の敷地にある小松帯刀の寓居に場所を移した。
坂本龍馬は、薩摩藩邸での薩長の話し合いの場には立ち会ってはいない。
坂本龍馬は、小松帯刀邸での最後の話し合いの場に現れた。
龍馬はすでに薩長同盟は成立していたものと思っていたが、まだ、成立していないと知り、激高した。
龍馬の剣幕に気圧されて、薩長同盟が締結された。
この歴史的な薩長同盟の場所は、近衛邸跡地の碑のある、同志社大学の新町キャンパスだと断定されたが、その後の研究で、『堀川一条東入る南側』とされた。
ところが、二年前の最新の研究で、『京都市上京区室町通鞍馬口下ル森之木町462』と特定された。
この近衛邸は広大な敷地で、小松帯刀の寓居とうより、ほぼ薩摩藩邸として機能していたのではないかと思われる。
二歳児発見の残る謎
山口県で行方不明になっていた二歳児が無事に発見された事件で、謎な部分が残っている。
二歳児が三日間何も食べずに気温の高い中で、サバイバルできたことは奇跡であるが、奇跡というより謎だという見解がネットでは数多く見られる。
二歳児が発見された場所は一度捜索している。
その捜索の方法がいい加減で、見つけられなかったのか、あるいは、二歳児がもっと山の高い場所にいたのかもしれないが、生命に別条のない状態で発見されたのは、腑に落ちない。
二歳児は、山の中ではなくて、別の場所に監禁されていて、捜索の手が、監禁場所に迫って来たので、犯人が、夜のうちに、二歳児を山の中の置き去りにしたのかもしれない。
謎が残るが、二歳児がきちんと話すことができれば、謎は解ける。
長く厳しい冬になる
お盆を過ぎると暑さも収まる。
それどころか、涼しくすらなってきた。
このまま、秋になってしまうのか。
酷暑の夏であったはず。
気温が41度を超えた地点があった。
だから、地球温暖化なのか。
ただのヒートアイランド現象ではないのか。
毎年、秋が短く、冬が長がく厳冬になっている。
今シーズンも長く厳しい冬になる。
2歳児を発見したのは、大分から来た、ボランティアの78才の男性
山口県の行方不明になっていた二歳児が無事に発見された。
発見したのは、大分から来た、ボランティアの78才の男性。
捜索開始からわずか30分で発見した。
2歳児は、高い方に歩いていく傾向があるから、高い場所にいるはずだと、直感で捜索して、ほんとに、発見した。
この男性は実は、只者ではなかった。
ボランティアのベテランだった。
以前にも行方不明の女児の捜索にも参加していたし、東日本大震災のボランティア、最近の西日本豪雨のボランティアにも参加していた。
この男性は、これまで生かされていたことの恩返しにボランティアを始めた。
ボランティアは自己完結で、食事も泊まる場所も自分で用意するという精神でボランティア活動をしていた。
日本には、まだ、こういう人物がいる。
それにしても、2歳児が二晩も夜を過ごして、よく無事でいられたものだ。
奇跡は単独で起こるのではなくて、人と人の関わりの中から生まれる。