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読んでから見るべきか


創作ラボ2


『龍馬伝』はシナリオを基にした小説本が発売されています。


小説のほうを先に読んで、ドラマの放送を見るのか、放送を見てからドラマを見るるべきか。


やはり、小説を読んでから大河ドラマを見たほうが、ドラマを理解するにはいいのではないかと思い、毎回、放送の前には小説本を読んでいます。


第4回まで放送が終わっているのですが、第4回の放送が過去最高の視聴率だったようです。


ドラマは、これからもますます面白くなってくるはずです。


史実と、ドラマは違うので、そこのところは理解した上で、龍馬伝を見るべきです。


岩崎弥太郎がやけに汚れていと、三菱グループのイメージが悪くなるのではないかということも言われているのですが、実際には、幕末の郷士以下の階級の人々はあんなふうに、頭からほこりをかぶっているような状況だったのではないかと思います。


毎回、龍馬伝は楽しみにしています。





源氏物語には注釈が必要

与謝野晶子現代訳の『源氏物語』の「桐壷」から「空蝉」まで、読んでみました。


他の人の現代訳がどんなものなのかは分からないので比較できないのですが、翻訳された時代が、昭和初期ころなので、現代訳とはいっても、平成の時代からすると少し古く感じます。


源氏物語は、それが書かれた時代の知識がないと、言葉の意味が分からないと思われます。だいたい、貴族とは、どういう身分の人たちなのか、収入源はどうなっていたのか、どれだけの階級があったのか、どういう生活習慣があったのかが分かっていないと充分には理解できないだろうと思われます。


現代では分からない、習慣とか、社会的背景とか、言葉の意味などは注釈があったほうがいいだろうと思われます。


文章として、原文に忠実に訳すと、意味が分かりにくいものは、意訳をして、現代の文章としてこなれたものに直す必要があるだろうと思います。


原文を現代語に置き換えるだけでは、流れるような美しい文章にはならないでしよう。


小説にするには、翻訳者が言葉を補い、原文の言葉の順序を変えて、理解しやすい文章にする必要があります。



青い手紙 22

畠山純一は、再婚相手の連れ子だった。たまたま、その女性は畠山という苗字だった。同じ苗字だったから、世間的には、女性の連れ子と養子縁組をしていなくても、養子なのだと思われていてもおかしくはない。


畠山義男と、妻の間には子供は生まれなかった。彼の実子は初婚の相手との間に生まれた男の子だけだった。それが、畠山修二だった。初婚相手とは、子供ができてから1年後に離婚した。子供は母親が引き取った。そして、その母親は、7年前に死亡している。


再婚相手は5年前に死亡している。畠山純一の妻も2年前に死亡している。


畠山義男は、畠山純一の息子と養子縁組をしている。つまり、畠山義男の財産は、養子縁組をしている畠山純一の息子と、畠山修二が相続することになる。


『サニーアップコーポレーション』の現在の取締役社長は畠山純一だが、相続によっては、畠山修二が新たな社長となる可能性もないわけではない。


畠山修二は、会社の役職に就いているわけでもなく、株の投資によって利益を得て、ほとんど遊んで暮しているようなもので、とても、大企業の取締役など務まるような人物ではない。


畠山義男のかつてのメイドであり、ヘルパーだった彼女はこのように語った。


私は奇妙なことに気づいた。


彼女の声の質に、記憶があったのだ。


「社長がお気の毒です」彼女は涙声で言った。

彼女の言った社長とは、故人となった畠山義男ではなくて、現社長の畠山純一のことだろう。


「また、あなたに何かお訊きすることがあるかも知れません。連絡先を教えてくれますか?」

私は、名刺を差し出しながら彼女に言った。彼女はあまり気乗りはしない様子だったが、連絡先を教えてくれた。

平家物語を読み終える

吉村昭の『平家物語』をやっと読み終えました。


文庫本で540ページ一冊です。


平家物語は本来、もっと長い物語のはずですが、ダイジェスト版のよにして、短くしているのだと思われます。


短いといっても、540ページはかなり長いです。少しづづ読んで、一ヶ月ほどかかったように思います。


登場人物が多くて、誰が誰なのか、さっぱり分かりません。


武士は、勝ち目がない場合は、すぐに自害し、家族や、一族郎党が討ち取られると、さめざめと泣きます。


不思議なくらいに、誰もかれもよく泣きます。


恥をさらすよりは、自ら死を選ぶ場面が多くあります。


生きながらえて、引き回されるよりは死を選ぶのが武士なのでしよう。


討ち取られた者は必ずといっていいほど首を切られます。


なぜ、そのような残虐なことをするのだろうと思うのですが、首を持ち帰るのが討ち取った証拠になるのでしよう。


あまりに、奢り高ぶった平家は衰滅する運命にあったわけです。


次は、与謝野晶子の源氏物語を読みます。



前兆

何かいつもと違うことが起こる場合は、前兆がある。


朝、カメラの三脚を車から取り出す時に、落下させてしまった。


雲台の角と、水平方向のパン棒に傷がついた。


長く使ってきたものに、ほんの少しではあるが傷がつくと、とても気分が悪い。


物は買った時のままの状態で使い続けたい。


十年以上使っているものが、不注意とはいえ、傷つくということは、縁起が良くない、何かの不吉な前兆だろうと思った。


それは、当たったというべきだろう。


お昼頃に、携帯電話が行方不明になった。


どこかで落としたのだと思った。



たぶん、車の中だろうと、思って、車の中を探した。


しかし、見つからなかった。


探し物は必死になって探している時には、なぜか見つからない。


お昼前に携帯電話を一度使っているから、使った場所に戻ってみた。


やはり、ない。


可能性としては、車の中がもっとも高い。


なぜなら、車の外から、運転席に上半身を入れた状態で電話していたからだ。


車の中は一度調べたはずなのに、その時は見つからなかった。


固定電話から、携帯に電話をかけた状態のまま、車に向かった。


車のドアを開けると、携帯電話のベルの音が聞こえた。


不思議な感じがした。


一度調べたはずなのに。その時は、見つからなかった。なぜ、携帯電話のベルの音が聞こえるのか。


携帯電話は意外なところに挟まっていた。


なぜ、そんな隙間に、うまく挟まるのか納得がいかなかった。


運転席の左側のサイドブレーキと座席の間に、携帯電話はまるで身をひそめるように、立った状態で、ぴたりと運転席の左サイドに貼りついていた。


なんで、そんなにうまい具合にピタッと座席に貼りついていたのかは分からない。


いろんなところに、隙間がある。


隙間に入り込んでしまうと、なかなか見つからない。