創作ラボ2 -686ページ目

国民読書年

今年は、国民読書年であるらしい。


だからといって、何か国民的な大きなイベントがあるのだろうか。


都道府県単位で、あるいは、図書館単位で何かイベントがあるのだろうか。


今年が、国民読書年だということは全く知らなかった。


そんな年ではなくても、とりあえず、今年はこれだけは読むのだという決心はしている。


『源氏物語』は読むつもりでいる。


与謝野晶子源氏は、第三巻の四分の三程度まで読み進んでいる。


このペースだと間違いなく、第五巻まで、今年中に読み終えるだろうと思う。


たいしたことではないが、国民読書年に、『源氏物語』を読むのだと決心しただけのことだ。


時間がないと、なかなか読むことができない。


一時間、ずっと読み続けるということは難しい。


だから、10分とか、20分だけ読むのだと自分に言いきかせてみる。


そういう時間の単位でこつこつと読んでいく。


一冊を読み終えるには時間がかかるのだが、確実にしっかりと、読み続けることはできる。


10分の時間がない場合は、5分でもいい。読んでみる。


大切なことは継続することである。

思い込み

見知らぬ場所に出かけるときは、まず、地図で場所を確かめる。


地図の場所を頭に叩き込む。


その時、ほんの少し思い違いをしてしまう。


交差点の場所を一つだけ間違って覚えてしまう。


覚えるというよりは、思い込んでしまう。


場所的には、交差点の信号一つ分だけずれているだけ。


しかし、自分が進んでいる道は間違っていないと思い込んでいるから、交差点から二つ目の筋を左に曲がったところの右手に目的の場所があるはずだと思い込んでしまっている。


しかし、目的の場所がない。


自分は間違っていないはずだから、間違いなく目的の場所に居るはずだと思い込む。


とすると、何が間違っているのだろうかと、考えてみる。


自分の地図の見方は間違っていないのだから、つまり、自分は間違っていないのだから、地図が間違っているのだと思い込む。


でも、地図は持っていない。地図は頭の中にある。


目的地にたどりつけず、家に帰って、地図を確かめてみる。


そして、初めて、自分の思い込みが間違っていたということに気が付く。


自分が正しいのだと思い込んでしまうと、自分が間違っているのだとは決して認めたくはない。


思い込みは、恐ろしいものだ。


思い込みのおかげで、貴重な時間を無駄にしてしまった。




厄年には何か起こる

厄年なんて関係ないと思うか、厄年だから厄払いをしなければと思うか、人それぞれだと思う。


厄年なんて、関係ないのかどうかは、単純に統計を取れば分かるだろうと思う。


一般的に、厄年と言われる時期には確かに、禍が自分自身に襲いかかってくるし、周りにいる家族とかにも禍が襲ってくる。


身体の変調の次期に当たるから、何か悪いことが起こるのだろうか。禍は人が生まれてから、あるサイクルで襲ってくるものなのだろうか。


統計的に、厄年には、悪い事が起こるのだから、厄払いはしておくべきだろうと思う。しないよりは、した方が禍を避ける確率は高くなるはずだ。


女性の場合は、三十代の前半は、ほとんど厄年だと考えていい。


気になる人は、厄払いをした方がいい。

真実の顔

化粧の仕方によって、まったく別人に見えることがある。


あるいは、ヘアースタイル、衣装によってもそういうことは起こる。


家の外に出る場合は、女性は、まず間違いなく、化粧をする。


メイクアップをした顔が女性のふつうの顔だということだ。


とすると、作られた顔を見ているということになる。


ほんとの顔は、メイクを落とした顔だ。


しかし、その顔はほとんどの場合は見ることはできない。


メイクを落とした顔がほんとの顔だろう。


メイクを変えるだけでも、顔が変わってしまったように見えることもある。


よく知っている女性だけど、昼間はきっちりとしていたメイクが、夜には少しメイクが薄くなってしまって、やわらかいライトの下では誰だか分からないことが何度もあった。


ほんとの顔とは、メイクをしていない顔であるはず。


たとえば、免許証などの身分を証明する写真は、本来、素顔であるべきだろうから、メイクはNGということになるはずなのだが、メイクしないで写真に写る女性はいないだろう。


とすると、免許証の写真は真実の顔を証明するものとしての価値はあるのだろうか。







“to be or not to be”

シェイクスピアの戯曲には有名な台詞はいくつもあるけれど、『ハムレット』の中の、“to be or not to be”が最も有名な台詞だろうと思われる。


それで、これをどう訳すか。


一般的に、『生きるべきか死ぬべきか』と訳されている。


“to be”とは、文字通りに訳すと、『在ること』、あるいは、『在るがままの状態』という意味だろうと思う。


“to be”を、『生きるべき』と訳すと、ビートルズの“Let it be”は、『生きよう』と訳すことなるのだろうか。


“to be”は『このまま』とか、『今のまま』というように訳しておけばいいような気がする。


小田島雄志氏は、『このままでいいのか、いけないのか』と訳している。


この訳が文字通りの訳で、自然だろうと思う。


ハムレットの中で、もう一つ、気になる台詞がある。


それは、ハムレットがオフィーリアに言う、『尼寺へ行け』という台詞。


この台詞は、何かの時に使えそうな台詞です。


何か言い争いをして感情が高まった時に、言ってしまいそうな台詞です。


尼寺へ行けば世俗を離れて清らかな暮らしをできるという意味なのか、それとも、目の前から消えてくれという意味で言ったのか。


ついでに、もう一つ、『弱き者、汝の名は女なり』。


ハムレットが、死んだ父親の弟と結婚した母親に向かって言う台詞。


この台詞は、現代では使えないだろう。