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アマチュア無線の裏側で

1970から1980年代の忘れがたい記憶から

「カンマツ」の真空管は私の世代の経験ではなく、もう昔話でした。「神田+マツダ」の略で、さらに分解すると神田は秋葉原の隣駅です。戦後まず電気関係のジャンク屋や露天商が出たのは神田寄りの地区だったからで、その時代を知る私の親世代は今でも秋葉原を指して「神田の電気街」という言い方をします。

「マツダ(MAZDA)」はGE社の管球製品ブランドで、日本でのライセンシーは東芝です。従って他国では同じMAZDA名でもメーカーは違います。対象は照明用電球と真空管、余り知られていない物では写真用の閃光電球(発光一発使い捨て)とその発光器もです(昔は東芝も写真用品を製造したので)。とにかく昔は真空管は東芝製が信頼されていたので、安い他社品のロゴを消してマツダ印に書き換え、市場に流した偽物が「カンマツ」です。

 

その後、国産はどれも優秀な品質になり、続いてカラーテレビまでもが半導体化すると「カンマツ」詐欺は姿を変えました。オーディオ界が舶来・高価・ビンテージを崇めるようになったので、独テレフンケン、英マラード、米ウェスタン・エレクトリックなどの贋物が出回るようになり、これを今風に「アキバフンケン」(一般的ではありません)と呼んだ人がいたのも理解できます。

 

私は1985年頃にこの偽物作者の一人から特定の「作品」の特徴を聞いたことがあり、それはまだ秋葉原に何軒も存在した真空管ショップでもよく見ました。彼らも「私らプロですからねー」とか言いながら節穴目なのか、「怪しいけど分かるまい」と思ったか、どちらにせよカンマツを流通させた業界ですから全部が優良店ではなかったはずです。

現在は店頭からは消えました。供給が絶えて全て末端消費者に収まったのでしょう。ほぼオーディオ用の管種なので、真実を知るより騙されたままの方が幸せなのですが、一つだけ気になっている事があります。それは昔、ハムフェアで展示されたJARL収蔵資料の中に含まれていたことで、これだけは死ぬまでに明かそうかなと思っています。

 

当ブログも8月2日に開設以来の四半期の間、2回の外遊中を除いては完全に毎日更新を続けてきました。以前も「番外 当ブログについて補足」を書いていますが、再び振り返っての状況を下記しておきます。

 

毎日毎日、新規投稿を続けられたのは準備あってのことで、まずはブログを開設する前に「これを題材に書けそうだ」というキーワードだけの箇条書きリストを作ってありました。それを元に書きかけの原稿が常時10本くらいは手元にあり、完成したものからアップロードする、という流れです(それでも後日追記は完全には無くなりません)。また、何か書いている最中に思いついた関連事項を「その2」として連投する事もよくありますし、リストも新規ネタを思い出すたびに補充します。

頻繁に「内容のある」投稿を続けられるサイトの主というのは、大体上記のような管理をしているのだろうと想像します。

 

悪い例としては、ネタが尽きてから誰も興味を持たないグダグダな日記と化してしまうか、一度更新が滞ったら事実上の放棄というパターンで、これは絶対に避けたいところです。私の場合、ネタ元リストの内容はもう7割方を消費済なので、連日投稿がいつまで続くかは既に補充とのペースで決まる段階なのが現状です。

 

ところで、私以外にも過去話を語るweb上のサイトやYouTube動画は色々とありますが、違法CBとかオーバーパワーとか電波法違反の過去を語りだす例が少なくありません。それも懺悔ではなく、「もう時効だろ、若気の至りだ武勇伝だ」というスタンスが多いと感じます。これについては「黎明期のアンカバー局」にも関連することを書きましたが、その違法体験を開陳して何か新たな情報やハム界へのメリットがあるのか? 考えてみても無いのならば、そのまま黙っていてくれるのが一番だと私は思うのです。

 

 

ハムが机上で使うスタンド・マイクとしては、プリモUD-844(八重洲YD-844はOEM)、アイワDM-47、それに後から出て来たトリオMC-50(これもプリモ?)が定番でした。画像を調べれば同時代の人にはすぐ分かるような製品ばかりです。いずれもダイナミック型でハイインピーダンス固定、もしくはハイ・ロー切り替え式です。管球式の送信機が多かった時代なので、マイク入力がトランジスタ化されていてもハイインピーダンス接続という機器も普通にありました。なお、ダイナミック・マイクはボイスコイルが可動側ですからインピーダンスを稼ぐ目的で巻数をあまり多くもできないので、昇圧トランスを筐体に内蔵するのが昔の常道です。

 

DX'erに人気が高かったのはASTATIC D-104 (SilverEagle)で、クリスタル型のその音がDX向き・・・とされていましたが、古風なデザインと舶来で高価なのが憧れという要素もあったでしょう。なお、D-104は普通はインピーダンス変換器が入っていますが、一般に単体のクリスタル・マイクのエレメントは負荷インピーダンスの大小で極端に音が変わるので(フィルターを形成するため)、そこを可変にすると相手を驚かせて遊べます。

 

私が最初に買った八重洲のYD-844はマイクとスタンドは一体型なのに背が低く、また高さ調節の機能もなく、しかも持ち上げると送信になる邪魔なスイッチが底面にあります(これは殺していた人も多い)。あまりに使いにくいので、家にあったソニーのワイヤレスマイクが有線兼用なのに目を付けて試してみたのですが、すぐに変な事に気付きました。スタンドに置くのと手持ちとでは音が違うのです。これはRFの回り込みが原因でした。

 

それから色々と経験した結果言えるのは、マイク回路への高周波の回り込みは簡単に起こるということです。高価なマイクをあれこれ取り換えては、音があーでもないこーでもない、という人は昔からいましたが、回り込みで音が濁っているだけかも知れませんし、まして無線機側のマイク入力端子に入っているキャパシタを弄ろうなどとは考えない事です。

 

 

昔はラジオ雑誌のみならず、一般少年誌などにもハムの資格取得を勧める広告が出ていました。出稿者は社団なり財団なりの非営利組織で大体は旧郵政省か旧文部省の天下り先、それもひとつふたつではありませんでした。

 

それらの団体のうち私が実体を見たことがあるのは、電波振興会と無線従事者教育協会の二つです。前者は「電波受験界」、後者は「電波と受験」という無線従事者の受験情報誌を月刊で発行し、それらは「初歩のラジオ」と「ラジオの製作」の関係と同様、読者層も内容も、また見た目の体裁までもがソックリなライバル関係でした(いずれも休廃刊)。

 

「電波振興会」は電波監理局内の一角に構えて様式書類やガイドを販売していました。たとえて言うなら警察署と交通安全協会のような感じでしょうか。「情報通信振興会」と名を変えたた今でも同事業は続いているようです。

 

「無線従事者教育協会」の方は、無線技術士の過去問題集を買うため東京・目黒まで訪れたことがあります。その時見た事務所の様子ですが、あたかも生徒も教員も少ない地方の小中学校の、それも古い校舎の事務室、という雰囲気の場所でした。プロ向けテキストの需要量は限られているので、このような規模の専門出版が行う程度で満たされていたのです。なお、CQ出版社以外に、ここもモールス練習用ソノシートを作製していたことはハム界では全く知られていません。宣伝すれば良かったのでしょうがね。

この無線従事者教育協会という団体自体についても、また「電波と受験」誌についてもweb上に残された情報はほとんどありません。恐らく先の「電波振興会~電気通信振興会~情報通信振興会」ほどにはバックに恵まれず、インターネットの普及以前の時代に解散してしまったからだと思います。

 

前回書いた、サイバネット工業製の輸出用CB機の話の続きです。2-Xtal式PLLの40ch AM 5W機用の基板のみをジャンクで購入し、最低限の配線と半裸状態でしばらく違法CBウォッチングに使用したものです。これを実に「40年ぶり」に通電してみました。


こういう際は真空管機ならば大容量・高耐圧のアルミ電解のリークを警戒してスライダックで徐々に電圧を上げますが、CB機ではそこまで神経は要しません。ただタンタルだけは嫌なので、今後使うつもりなら積層セラミックに交換でしょう。まずは低目の8Vから始めると最初は「死んだふり」ですが、10分ほどでアルミ電解が復活し始めます。車載兼用ですから電源電圧は16Vくらいまでは平気なはずなので、最終的に15Vまで上げ半日かけ酸化膜の化成処理を終えました。これは実使用電圧より少し高めで行うことがポイントで、化学反応を伴うため例えば12Vで行えば12Vまでしか性能は復活しないからです。

その結果ですが、受信に関する限り、各同調回路のズレはほとんど全くありませんでした。感度の方はとりあえずキャリアを入れてみると、-20dBμが有感で使用可能です。


当時は欲しくとも買えなかった測定器類も今は揃っているので、送信も試してみます。最初は1W以下でしたが調整を進めるごとにピークを上げ、最終的には電源電圧15Vで定格の5Wが得られました。変調器の実力は3Wくらいだと思いますが、その程度に収めたのも設計のうちなのでしょう。送信については狂いが大きかった割には調整可能な範囲内にあったということは、元々が未調整のまま放出された基板で、それを当時の私が受信部だけ調整していたようです。


以前トラブル原因として書いた「2SC710と2SC460」がよりによって両方とも載っているのは不問にします。少なくとも機器の設計者に責任はありません。それを除けば低廉な部品ばかりで作られ、しかも良い保存環境でもなかったアナログ回路なのに、40年間も放置後のこの結果は見事と言うしかありません。当時の日本の製造業が誇った底力です。

 

今回は日本では「違法CB機」とされる機器のお話です。しかし輸出用の正規な規格の製品が日本で使われて「違法運用」になるのであって、機器自体は真面目な目的で立派な設計のものですしメーカーにも失礼なので、私は言い方には気を付けています。

 

その機器の成り立ちと日本で流れた経緯は検索で分かる話なので略しますが、多くは日本製品がアメリカに輸出されてRadio shackやらGalaxyやらLafayetteやらhy-gainやらと色々なブランドで販売されました。OEM最大手だったのはサイバネット工業(後に京セラが吸収)で、多く還流したのは水晶制御の23ch機と、40chでPLLシンセサイザー式の、いずれも5ワットAM機でした。

これらCB機の特徴としてノブやらスイッチ類が無駄に多い傾向があり、それは日本でオーディオ・ブーム時に売れていたステレオ機器も笑えません。「ナントカ機能搭載」とカタログに沢山書ける方が売り易かったからです。例として、ハム用の無線機にTONEノブなんてありませんが(ゼロでもないのですが・・)、輸出CB機では珍しくありません。

 

私は当時、サイバネット製の40ch機のジャンク基板を入手しました。特徴的なのは、デジタル表示とかノイズブランカーとか付属回路の有無にも共通の基板で対応しており、これで原価は余り変わらず付加機能でグレード分けした商品が揃えられるわけです。なお購入したのは恐らく1978年で、既に輸出用CB市場は崩れかけていた時期ですから、余剰な仕掛り品の除却が流れていたのでしょう。

 

輸出機は40chあっても日本の合法CBの8チャネルとは一つも周波数が合わないので、無改造では普通には用途がありません。ただし、アンテナを繋げば数多の違法運用が入感したので、私は興味本位でよく聞いていました。あとは28MHzに改造するかどうかです。

私のハム掛け出し時代のこと。あるコンテストのCW部門で電信級局のJH1某氏が優勝し、それにより次点になった局が「10Wで優勝できるはずがない、オーバーパワーに違いない」、とクレームを起こした事件がありました。

 

クレームの手続は正式なものと受理され、JARLニュースは主張を原文通り掲載しました。その内容ですが、証拠は何も示されていません。10Wで私のパワーに対抗するには何dBのゲインのアンテナが必要だがそんな物が存在するだろうか?、とか、入賞局には立ち入り検査すべき、だとか、結びでは私は優勝を確信してコンテストを終えたのに・・・という感情論、そういう内容だったはずです。現在の社会通念で言えば完全に誹謗中傷に当たります。

 

もちろん審理で結果は覆っていません。しかし、その後の世間での扱われ方がニューカマーの私には異様に思われました。とにかく活字になったものだけ拾ってCQ誌あたりに散見されたのも、「難しい問題だね」とかいう記名記事とか、「バワーである程度決まってしまう」とかいう無記名の記載いずれも見られる一方で、10Wでも可能性はあるという意見が全然見当たりません。そこから、ほとんどの人はオーバーパワー疑惑に肯定的らしい、という空気を感じ取ったのは、当時は私も初級局だったからこそ特に敏感だったのでしょう。

「10W局は頑張るだけ無駄だからやめとけ」と(言ってはいませんが)そういう言葉の暴力的な雰囲気も、事のついでに感じていました。教育の現場とかならば間違いなく忌避されるモラハラです。

しかしもっと重要なのは、証拠なしでは誹謗中傷となること、それ自体を咎める意見を全く見なかったことです。JARLも全文公開を前提ならば受理には慎重となるべきだったでしょうが、それは今の常識あってこそ言えることかも知れません。

「モラルというものは常に低下する一方」、のような言い方を老人はよくしますが、少なくとも上記に関しては、当時の遅れた習慣や常識をやっと現実が追い越した、という気がするのです。

 

昔、一部の地域だけかも知れませんが、6mバンドでA2 (A2A)の交信が流行しました。つまりAMで肉声の代わりに低周波発振器の音を入れたモールス通信で、当時のAM機にセミ・ブレークイン機能があるはずもなく、打鍵が終わると手動でキャリアを切るのです。通信手段としてほとんどメリットはなく、まさに「スタンバイ・ピー」が流行した時期と重なりますし冗談含みの遊び心だったのでしょう。それでも相手局はいましたし、また下記する当時の6m機なりの事情もありました。

 

SSB/CWを復調するには、最も簡単にはAM受信機にBFOを注入しますし、HFでやっとSSB局が出始めた頃にはそれが普通だったはずです。ところが、当時の市販の6m AM機にはそのBFOさえありません。そのような状況ではA2A電波にはBFOが不要、という唯一の利点はあります。

 

その頃、画期的なAM/FM機として発売されたのが井上電機のIC-71で、プロダクト検波こそありませんが、オプションでBFOがありました。それが水晶発振の455kHzをIFに注入するだけなので、動作させるとSメーターがパッと振れるので「あれはAGCが感度を下げてしまうから使えない」と言う人が結構多くいたのです。

実際にはその程度AGCに圧縮されようが、A1Aならば聞こえるはずのものはどうやっても大概聞こえます(極限を追求する人ならば最初からHF機にクリコンでした)。またSSBを受信する場合、目的信号の方が強過ぎると逆にBFO出力が不足するという問題もありますが、全く使えないということもありません。いずれも「耳学問から受け売りへ」、「やってみれば分かるのに」というお話です。

 

なお、A2Aが聞こえだしたのに伴って「マイクに発振器の音を入れるのはA3Aだ」、従って電話級でも可能という噂が立ちました。しかし符号に情報を載せたら、どういう方法で生成しようがそれは電信だと思います。

 

 

私は限られた時間の工作ならば市販品にないものを作るか、自分で考えた回路の実験が優先と高校生のあたりから方針が決まっています。テレビカメラの製作は(未完成にしろ)その一つだったわけですが、SHFも意識したことはあります。

 

1970年代にはSHFを簡単に発生するガン・ダイオードなどはありません。真空管の一種であるクライストロンを使い、10GHz帯に出るのが少なくとも私が当時私が目にした全ての実験例です。クライストロンはキャビティを内蔵するため個々に適用周波数が決められていますが、当時ジャンクで豊富に存在した2K25が周波数的に近かったので良く利用されたのだと思います。

ひとつの例として、10GHzの製作から免許取得までの流れをCQ誌で見たことがありますが、特に印象的だったのは地方電監ではなく当時の郵政省電波監理局(いわゆる本省)決裁となり、持ち込みで完成検査を受けたという最後の段でした。前例の乏しい周波数や電波形式の許可は本省に委ねられる、という噂は聞いたことはありましたが、アマチュア局の実例となると非常に少ないようです。以前書いた「1キロワットを超える免許」の申請も本省で審議されたのでしょうか?


さて、SHFを扱うには導波管など、それこそSHF専用の部品が色々と必要ですし、工作は精密さを要しますし、測定手段も独特です。アマチュア向けの参考記事もほとんどありません。知恵や部品を借りられる経験者が身近にいないことには、私レベルの高校生がすべてを手探りで始めるのは困難と思いました。テレビカメラの場合は、池上通信機の人(非ハム)から話を聞ける事が前提にあったから踏み切れたのです。

SHFもキットでも良いので何か完成品を手にしてからであったならば、着手までのハードルは格段に低かったはずです。マキ電機はその分野のパイオニアでしたが、創業のJH1UGF 槇岡氏の逝去により、その流れが目下のところ絶えてしまったのは残念です。

トリオの受信機、9R-59Dは高周波1段・中間周波2段増幅(高1中2)で、IFは中波ラジオと同じ455kHzのシングルスーパーです。一応は上限30MHzまで4バンドですが、この構成ではSSB通信機としては7メガ帯までしか実用性はありません。

 

理由として、周波数が高くなるほど安定度とイメージ比が悪くなり、ダイアル目盛が詰まってきて同調操作も周波数読み取りも難しくなるというのが大きなところです。同一バンド内における感度差は重要な事の割にその調整の難をあまり解説されませんが、キットであろうと自作する上では妥協も必要とされる最後の関門です。結局これらを総合すると、7メガ帯と同じバンド・ポジションに属する14メガ帯でも使い物にはなりません。7メガ帯でさえも回路と動作を知らずに扱えるものではなく、まず正確な周波数を知ることさえ初心者には困難だと思います。

 

トリオもハイバンドが無理なのは承知なので、9R-59Dの前身である9R-59の時代に外付けでブリセレクター兼クリスタルコンバーター(3.5メガ帯に出力)のSM-5を発売しており、これは9R-59D の時代になってもパネルを換えてSM-5Dとして引き継がれました。それに関する9R-59Dの取説上の説明は次の通りです。

(9R-59Dは)とくにコンバータを使用しないでも十分にアマチュア局用受信機として動作しますが、さらに安定な通信を望む場合にはコンバータを使用します

本当に「十分に」ですかねぇ。AMの時代で空もガラガラだったら、無理して多少は使ったかも知れませんが。とにかくSSB時代が到来してもメーカーとしては自己否定できない苦しさがここには見て取れるではありませんか。