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アマチュア無線の裏側で

1970から1980年代の忘れがたい記憶から

電解コンデンサと言えば、電子部品の中では一番寿命の短いもの、と考える人が大多数ですが、今回はそれに関する話です。なお、「ケミコン」と呼ばれる事が多いため「電解キャパシタ」と書くのは通称的でなく私も違和感あるので、ここはコンデンサと呼んでおきます。

 

実のところ、40年ぶりに輸出用CB機に通電した話で書いたように、(電圧印加で復活させる必要はありますが)1980年あたりにもなれぱ「四級塩でない国産の」電解コンは一般的に認識されているよりずっと信頼できます。加えて重要なのが容量抜けの可能性への対応で、まともな設計なら想定内の事として最初から余裕を持たせるとか、容量変動が余り問題にならないような使い方をするという点です。第一、当時の汎用電解コンの容量誤差はブラス側は100%も許容されていました(倍もあり得たということ)。

 

ただし特に小型の物に限っては交換推奨です。理由は容積が小さいほど封口部の面積比が大きいので電解液が消失し易く(ドライアップ)、ESRと容量の悪化に直結するからです。私の経験としては1970頃の製品でさえ相当に復活するもので、実際に当時のステレオや無線機で今も使用中の物も多いのですが、直径5Φとかの小型品はさすがに無理があります。

 

なお、一部のアナログテスターが装備する容量測定機能は当てになりません。それは可聴周波で交流抵抗を測る仕組ゆえに、劣化して洩れ電流が増えた分は容量を大きく見せてしまうからで、正しく知るには交流ブリッジのような誘電正接も評価できる測定器が必要です。

 

交換もダメージ無しで出来れば結構な事ですが、下手をすれば基板の銅箔が剥げますし、多層基板では壊してしまう危険もあります。だというのに、オーディオの素人修理の体験談では製造から10年や20年のものを問答無用で全交換、などが普通に語られていますが、「測定してみたら容量は正常でした」って、それはそういうものです。それどころか、お金を取る自称プロの修理屋でも「まずケミコンを全部交換しましたが、症状は変わりません」から入る例が決して珍しくなく、これは完全に技術レベルが疑われます。しかも手持ちでも何でも新品ならば構わないのでしょう。スイッチング電源など、専用品でなければ交換がむしろ寿命を縮めかねない事も理解していないかも知れませんよ。

 

 

真空管がトランジスタに置き換わる過程では「性能ではまだ真空管」という意見が多くありました。当時のカラーテレビでは「あえて真空管で作りました」という広告が打たれたことさえあります。アマチュア無線機ではもっぱら受信性能で話題とされますが、初期のソリッド・ステート受信機には飽和とか多信号特性に目立って不都合があったものです。

 

かつて存在した全管球式の受信機は、結構ノイズが出るものです。それは、真空管は高温で動作するから熱雑音が・・とか、雑音特性の悪いソリッド抵抗を多用したので・・という理由よりも恐らく大きなレベルの話です。ただ(それらの塵も積もるのかも知れませんが)、6BE6とか6BA7といった7極コンバータ管はノイズを出しやすいのは間違いありません。また当時はメーカーにも高度な測定器や解析技術がなかったでしょうし、レベル配分が最適化できずにノイズが問題になるステージに大きなゲインを持たせてしまう、なども理由にあったかも知れません。

 

ノイズの点ではハイブリッド機の末期にもなれば、普通に使う分には間違いなく全管球式より性能は向上していました。もっとも、それはPLL化されていない機器ならば、の話です。PLLはループ制御するキャリアの裾野を拡げる形で位相雑音が必ず出るので、ノイズの音質も量も違います。

ただし、改良の進んだソリッド・ステート受信機であっても非常に大きなアンテナを繋いだり、マルチオペレータのコンテストのように至近で送信されると「ガサガサボコボコ」とか、甚だしくは受信不能になりました。八重洲FT-101のアンテナ入力にはヒューズ代わりのランプが入っていますが、それが薄ぼんやり光るのを見た経験さえあって、そこまで極端な環境になると真空管は動作電圧が高い分、大入力への強さを発揮したのです。

参照記事 「RF GAINをどう使うか

前回の続きです。

一応、時代は全管球式からハイブリッド機を経てソリッド・ステート初期までに置きますが、トリオ製品は使い勝手に関してまさに「痒い所に手が届く」という程に良く練られているのが特長でした。これはオーディオ界で老若男女の万人を相手してきた経験が生きたのでしょう。それに対し、八重洲の方は「もう少し考えてから作れ」と言いたくなるほど操作性には無頓着なところが多々ありました。

 

例をあげると、スター・八重洲OBの田山彰氏がその著作「SSBトランシーバー」(NHK出版)でトランシーブ操作につき、セパレート機は受信機のVFOで送信機をコントロールできれば充分でそれ以上は過剰サービス・・という本音を吐露されています。そのような認識から余り踏み出さないのが八重洲、思いついた以上は実装しておくのがトリオ、などと感じていました。実際、FL/FRDX400ラインは完全な「たすき掛けVFO」ではありませんし、FL/FR-101ラインは八重洲の最終型セパレート機だというのに、たすき掛けの切り替えが送信機・受信機両方のスイッチの同時操作が必要という知育ゲームで、しかもFR-101受信機にはセパレート機のくせにスプリット運用上の制約さえあります。こんな仕様はトリオでは考えられない事です。

 

私は八重洲を主力にしたからこそトリオの操作性は(599ラインとか何台かは所有しましたが)隣の芝生みたいなもので褒めることが多くなるのです。ただし八重洲はトリオよりは確実に内部にお金が掛かっていて動作は無難、丈夫かつ修理も容易、という印象を持っていました。また、小改良を即刻実施するのも八重洲の特徴で、実物と回路図は(新品付属であってさえ)違う点は探せばどこかに必ずあります。

 

その頃から見れば、今ではメーカーの個性は大変薄くなりました。いずれにせよ、自分がそれしか持っていない物を「〇〇が最高」と言っていいのは高校生までです。一方、大人になって「舶来が最高」の結果ありき、になってしまう人も多いのですが。

国産でHFのSSB機が現在でも実用可能な程度の性能に至ったのは、まだ全管球式の時代、トリオではTS-510トランシーバー、八重洲ではFL/FR-100Bラインからだろうと思います。以来、「トリオ派」と「八重洲派」という贔屓がいつの時代も存在しました。

 

もう一つの大手であるアイコムですが、HF機としては井上電機時代に既にIC-700T/RラインとIC-2KLリニアアンプがありました。前者は送信のドライバと終段以外が全部半導体、後者はリニアにはTV用水平出力管の使用が常識だった時代に、国産初の送信管採用(572B)と昔から何か先進的な事を持ち込むのが特徴だったのです。その社風のまま、次は革新的なIC-710までHF機の時代を一気に飛ばしていますので、少なくとも玉石ハイブリッド機が終わるまでの時代にはアイコム派とか井上派という言い方はなかったと思います。しかし、その後に生じたアイコム派については私はアイコムのHF機は所有歴がないので語れません。

 

また、アメリカ製品についても在米時に触らせて貰っていた程度で、個人で所有したことはありませんが、日本製と比較すると良きも悪しきも両面で色々と特徴が際立っているので、当ブログでも時々語るに値するのです。時に悪いこともあろうが、バリエーションというものは趣味では重要な楽しみ要素です。

 

さて、私はトリオと八重洲についてはは新品、また製造中止の中古も含め何台も入れ替えてきました。そこで過去の投稿を振り返ると、終段管のこと水晶の精度ダイヤル表示トランシーブ対応など、褒めて来たのはトリオばかりです。加えてデジタル表示や増幅型ALCのことなど、トリオがリードしていた点にはまだ書いていない事も残っています。それを承知の上で、どちらかと言えば私は八重洲派でした。

 

このあたりの続きは次回で。

どこでだったか、「オールウェーブ受信機(オールバンドではない)」、という記述を見たことがあります。本当はそこまで厳密な定義はないと思いますが言いたいことは明確で、後者がゼネラルカバレッジで前者が全HFハムバンド専用の事です。背景にはAMからSSBへの移行に伴って受信機がハムバンドに専用化したことがあり、これでは短波放送などは聞けません。

ゼネラルカバレッジとはgeneral coverageであって、cover rangeではありません。それにカバーレージでもなく、いうなれば「カバリッジュ」です。

私の場合、何を間違ったか幸いだったのかトリオ9R-59D を買っており最初からBCL程度のことはできました。また、モニターやヘテロダイン周波数計のようにも使ったと「アマチュア用の測定器」で書きましたが、管球式の受信機は過大な入力をしてもまず壊れはしないので安心かつ便利でした。ともかく1970年代はBCLブームの最中とあって「全波」受信への欲求はハム以外にも大変深く、それに応えて登場したのがワドレー・ループ方式です。一例にドレークSSR-1がありました。

 

SSR-1は当初から本当にドレーク製か?と疑われたのは正しく、日本製です。そもそも発表時の写真はパネルに「SEIWA」の文字が印刷されたもので、これはドレークの代理店であった世和興業(商社)の企画です。それがブランド許諾でR.L.DRAKEに書き換えられたのが流通したモデルでした。舶来信仰が強いと「設計がドレークで製造が日本」という願望というか幻想が必ず顔を出すのですが、別にこの世界に限らず、完全なファブレス企業でもなければOEMと決めたら設計から丸投げな方が普通です。

 

ワドレー・ループ機は各社が発売しましたが、隅々までが廉価設計なので基本性能はBCLラジオと大差ありません。本格的にアマチュア無線機がゼネカバ受信になったのは(本物のドレーク製の)TR-7とか、アイコムIC-720あたりからです。

 

タイトルから、車上からCWで通信する話と思われたことでしょうが、違います。

 

1970年頃、VHFのFMカートランシーバーとしてはトリオのTR-5100(6m)とTR-7100(2m)が代表的なものでした。周波数の移動はロータリースイッチで固定のチャネルを切り替えるのみで、そのチャネル一つの追加にも送受信それぞれの水晶発振子を購入しなければならない、と極めて不自由かつ不経済な形態でした。表示は周波数ではなくチャネル番号のみ、しかもそのチャネルブランは統一されておらずメーカー独自という不便もあったのです。

そんな当時から「カートランシーバー」はトリオの登録商標、という話は聞こえていました(未確認ですが)。確かに他社はモービルトランシーバーとか呼んでいたように思います。

 

「エレキー」もカツミ電機の商標です。それを知っている出版やメーカーは一般名詞として「エレクトロニック・キー」とか「自動電鍵」と書きましたが、ついつい「エレキー」と呼びたくなるのは自明です。では英語ならば? 大昔のハリクラフターズや新しいMFJの単体製品も、また最初にトランシーバーに内蔵したシグナル・ワンのCX-7でも、全て単に "keyer" とだけ表記しています。もちろん説明的にelectronicが付いても構わないのですが「keyingの行為者」、という観点では人間だろうが機械だろうが同じことで、keyerだけでも充分なのです。

 

カツミ電機はエレキーが主力商品で、他に思いつく製品はマイクコンプレッサーくらいです。小さな会社だったのでSHF/UHFのマキ電機と同様、創業社長の逝去で事業を畳みました。エレキーの商標も維持するには費用を払い続けなければなりませんが、誰かが引き継いだか、それとも失効したのでしょうか? 

現役の電鍵メーカーであるGHD社の広告には「エレキー」とか「バグキー」(これもVIBROPLEX社の商標)という言葉が使われているのを見て、上記のような話を思い出した次第です。

かつて今世紀初頭あたりの「2ちゃんねる」に次のような投稿がありました。原文通りではないでしょうが趣旨通りとは思います。

ハムフェアの開会挨拶の際、司会者は原氏を来賓のように扱い、原氏もそのような態度で登場した。JARLはフェアの主催者なのだから、その代表者は来客の前では呼び捨てで紹介された上、それらしく振る舞うべきだし、原氏も企業育ちならそれを常識と教えられなかったはずはない。

さて、私はその翌年のハムフェアでは開会式を最初から見ていました。そこでの司会者は会長挨拶に先立ち、

「主催団体であります日本アマチュア無線連盟を代表しまして会長・原昌三が・・」

と非常に明確に語りました。明らかに先年の投稿を誰かが司会者に見せており、その一つ一つを確認するかのように忠実に取り入れた司会進行だったのです。

 

それはともかく、この開会式で私がもっと印象深いのは来賓の数です。関係先だの海外からの客だの何だのとズラリと横一列に並び、さすがにスピーチは一部の人だけですが、紹介だけは全員分、漏らさず行いました。

ハムフェアの開会式というのは(私もでしたが)開場一番、掘り出し物ジャンクを求めて走り込みたい参加者ばかりですから、立席のまま延々と続く来賓紹介を前にしては、おあずけを喰った犬と一緒です。不満が声になってあちこちから漏れてきたり、叫びあう中国語の声が聞こえたり、ザワザワ雑談が始まったりと場の雰囲気が悪くなり出したのは、それこそ海外団体からの来賓には見せたくないような状況でした。

私も行ってみた全部のハムフェアで開会式に立ち会ったわけでもありませんが、この頃が一番感心しない式次第の進行だったかも知れません。

リチウムイオン電池の充電」を先日書いて以来、不適切な自作のTIPSをいくつか思い出したので少し書いてみます。

 

まずは、電解コンを逆直列にすれば無極性化できるという話。私はこれを「ラジオの製作」誌の作例で知って以来、長く信じていましたが、後にごく限られた条件でしか許されない事を知ります。メーカーさえ採用した例も見たことはありますが、一般論を言えば不可です。

 

昔はマンガン電池に直接ハンダ付け、という工作はよくありました。しかしアルカリ乾電池が主流になると電解液が強アルカリ性なので漏れると大変、止めましょう、となりました。それでも一次電池なら元々封じられたエネルギー以上のトラブルはないのに対し、二次電池は過充電対策として圧力弁などの構造があります。ニッカド電池のタブのスポット溶接の跡にハンダ付けできる・・・と某氏はCQ誌に書きましたが、それはいけませんね。

 

LM380は僅かな外付部品で2.5WのAFアンプが出来る1970年代には画期的なICでしたが、DIP14と小さいだけに放熱条件が厳しく、基板なら銅箔面積、ヒートシンクなら形状の指定などがあります。近年「革命アンプ」の素材としてオーディオ界でも着目されたのですが、その作例の中にはソケットを使った上にユニバーサル基板というものがありました。今はデータシートの入手は簡単なのですから、それくらいは読まなくてはね。

 

IFフィルターの切り替えを二極双投(DPDT)、つまり6Pのリレー1個で済ませる、という作例も見ました。これは帯域外の減衰量が何十dBにも及ぶという認識がありません。金属ケースの大きなフィルターでさえ基板の中央にシールド板を立てることがあるというのに、静電結合するような距離で入出力を並べては台無しです。

 

ひとつひとつがそれで終わらず、知れば波及のある教訓です。まだありますが、いずれまた。

 

 

1970年代も後の方になると、オーディオアンプでもスイッチング電源の採用が始まっています。「パルスロック電源」と称したソニーが最初だったか? は少し記憶があやふやですが、とにかくそのソニーの広告では「だから音が良い」とは書いていないものの、ユーザーをその方向に仕向けるような言い回しが上手いな、と思ったものです。

 

ハム用のリニアアンプでは、最初のソリッド・ステート機である JRCの JRL-2000F がスイッチング電源内蔵で、発売されたのは1998年のようです。私もハムフェアのJRCブースでその新製品デモを見ていましたが、ひとりの外人がやってきて「deviceは何?」と尋ねると、ある説明員が(英語も苦手だったのでしょうが)黙ってパネル上の「48 MOS FET's」という文字を指し示しました。その本数も、またパネルに誇らしげに書くことも時代性を物語る製品です。

続いて別なハムが「スイッチング電源だとノイズが気になるんですが」、と言うと、これには元気の良い説明員氏が答えていわく「本当に気になりますか?だったら我々使いませんよ」と応じました。

 

ところでこの威勢の良い方の説明員氏ですが、自らはハムの経験はない人だったのか、「アマチュアの人がアースだなんて思ってる物はですねー」とか、二言目には露骨にプロっぽい「上から目線」で話をするのです。しかし、質問された内容には的確に、かつ聞かれた以上に多くのことまで教えてくれました。物静かで紳士的でもパネルを指さすだけの説明と比べ、どちらが歓迎すべきものかは言うまでもありません。

 

 

高校生の頃、技術に長けた友人から「チョッパー式電源」というものの説明を受けました。今で言うスイッチング電源の一種で、早速興味を持ったものです。

もちろん当時もコントロール用のICはあったはずですが、トラ技誌などの小売りの広告には見当たらず、やむなく概念図だけを頼りに手元の部品で実験的に作ってみました。なお、50ヘルツでトランスを通した後の回路なのでアマチュアの試みとしては安全ですが、重量とコストはシリーズ式と同等というスイッチング式らしくない無駄構成で、私の手持ちのトランスの仕様に縛られなかったというだけの事です。それを完成したあたりで受験により無線も工作も一旦中断。

 

大学時代には「いまや半導体の時代」と思い、八重洲のソリッド・ステート化HF機の第一号、FT-301を購入しますが、これがトランジスタ式らしい小型軽量を活かした移動兼用の12V仕様で、AC電源は外付けです。そこで昔作ったチョッパー電源でまず受信だけ動かしてみたら物凄いノイズで、ことに1.9MHzではSメーターが 9+20dBとか振れてしまう始末で何も聞こえません。ところがノイズ・ブランカーを入れると嘘のように綺麗サッパリ消えて無くなり弱い信号まで聞こえてきたのです。

 

受信機のノイズ処理が振幅を制限するだけのANLから脱し、ノイズ・ブランカーに代わられたのは古くはアメリカのコリンズの純正オプションパーツ、あるいはSignal/One CX-7とかが私の知る範囲ですが、国産での導入は八重洲FT-101あたりからでしょう。しかしそれらの古いセットばかり触っていた私は、初めてFT-101Zに接した時にはいわゆる「都市雑音」に良く効くのに驚きました。ところがFT-301のNBは「全く」それらに効果が見られず固定局では用を為しません。それは上記の通りほとんど車載時のイグニッション・ノイズだけを想定した設定だったからですが、その後はノイズ・ブランカーもどんどん進化し、現在に至るのです。