みなさんこんにちは
最近「コミュ力」というフレーズをよく聞きます
「コミュ力がないと組織でやっていけない」
「コミュ力が管理者(リーダー)の必須条件」
「コミュ力によって人間関係が円滑になる」
「コミュ力がないと周囲から疎まれる」
「先生のコミュ力が生徒との良好な関係を築く」(←意味不明)
暑い!
会話もしたくないときにまず、ワンショット
1「コミュ力」「コミュ力」…まさに「コミュ力様々」の現代
「コミュ力」ってそんなに大切ですか?
「コミュ力」について定義を調べてみました、それによれば
人と人とのやりとりにおいて、お互いの意思疎通をスムーズにするためのスキル
コミュ力があると
*わかりやすく伝える
*聞き上手
*相手の立場に立てる
*相手の心を掴む魅力がある
*ネタが豊富
*人をやる気にさせる 等等
なるほど、素晴らしい感じですね…
そのあとに
人はコミュ力を高めないといけないとあります
ですが、上記の全部または一部を常時完璧にできる人っているのでしょうか
コミュ力アップの強制的風潮にも違和感を感じませんか?
逆に、コミュ力がないと
*他者に興味が持てない
*順序立てて話せない
*話題の引き出しが少ない
*興味が合う人とだけ話が盛り上がる
*視線を合わせるのが苦手 等等
↑
これって悪いことなのでしょうか?単に生き方が不器用なだけではないでしょうか(←ある意味愛すべき存在かも)
逆に「コミュ力のある人」は結局、内心、相手より自分に何らかの利益や信頼が獲得できる戦術のような考えがあると穿った見方をしてしまいます
筆者のような心理学の門外漢からみれば
上述のコミュ力の有無は生まれつきの性格で
強制的にコミュ力アップなどできないように感じます
そして「コミュ力がない」例をみても、
これらがどうして否定的に見られる風潮があるのかよくわかりません
何でも「有るかor無いか」の2択をし、片方を否定的目線で見る…日本人自身も気づいてないかもしれませんが海外に長い日本人なら、この2択で優劣を求め、「だからあいつはだめなんだ…」と決めつける日本の風潮に何か異様な空気感を感じている方も多いのではと感じます
2 タイ人のコミュ力
タイ人は「コミュ力」の有無をさほど問題視しないと思います
日本人が定義する「コミュ力がない」こともタイ人なら「コミュ力がある」の一部だと感じているように思えます
コミュ力の有無にかかわらずタイ人は常に楽しそうです
「コミュ力がない」とさんざん指摘されたあなたも、タイ人のコミュニティーに入れば、まず日本では出会ったことのないタイ人に興味がでる可能性があります
どうして?
農作業の休み時間
この世界にコミュ力は不要
無言もコミュ力のひとつ
微笑みの国タイ
微笑まなくても、それもコミュ力
タイはコミュ力無用地帯
タイのコミュニティーに入れば、タイ語ができなくても「指差し」などで何かを伝えたくなるでしょう、
なぜ?
あなたが黙っていても彼らはあなたを無視できないからです
どうして?
ひとりだけ沈黙している人がいるとタイ人は心配で不安に感じるからです
タイ人は「人間を人間として見ている」からだと思います
ーこの当たり前がコミュ力の前提だと感じられます
日本人よ、大丈夫ですか?
社員を「人材」と呼んでますね、人間は材料(機械)ではありません
ところで、タイにもひとりで黙って行動するのが好きな人がいます、そういう人は最初に私はこういう性格ですと自己申告?することがよくあります
そして黙って行動する人にはそっとしてあげます、仲間はずれにもしません(何かのお知らせなど必ず教えてあげます)ーこれもコミュ力ではないでしょうか
そのためか(タイ語が話せないという理由で)無口にならざるをえないなあなたも何か話したくなるような雰囲気に包まれるのです
繰り返しますが、彼らはあなたが黙っていてもあなたを無視することはありません、あなたが黙っていることでタイ人に嫌われる事も絶対ありません
自然体でいることもコミュ力のひとつです
また、視線を合わすのが苦手なあなたに彼らは何も不思議な感情をもちません
それがタイ人の一般的なコミュ力だと感じます(私見ですが)
なごやかなお喋り
最初に(笑顔の)会話有りき
コミュ力など不要
タイ人の会話感
そこで先程のコミュ力の有無の例にタイの場合はどう応対するでしょうか
数人のタイ人に尋ねてみました、「タイ人→」がタイ人のおおよその考え方です
*数人のヒアリングなのであてにならないかもしれませんが、とりあえず…
日本でコミュ力がある場合
*わかりやすく伝える
タイ人→難しい議論はしない、わかりやすくではなく簡単に伝える
*聞き上手
タイ人→ただ聞いているのは退屈orこちらからも話さないと相手も疲れると思う
*相手の立場に立てる
タイ人→相手を余程知っている場合、初対面の相手の立場には立ちようがない
*相手の心を掴む魅力がある
タイ人→そんな魔術師のようなことはムリ
*人をやる気にさせる
タイ人→言葉だけでやる気にさせるのはムリ、やった結果報酬が約束されるならやるでしょう
逆に、日本でコミュ力がない場合
*他者に興味が持てない
タイ人→知り合いになるまで興味を持てと言われてもムリ
*順序立てて話せない
タイ人→プリゼンなら別、会話は脱線する方が楽しい
*話題の引き出しが少ない
タイ人→引き出し?そんなあれこれ知ってる人なんていないと思う。自分の好きな話題だけ詳しければいい
*興味が合う人とだけ話が盛り上がる
タイ人→あたりまえでしょ!
*視線を合わせるのが苦手
タイ人→相手が恋人なら視線を合さないかも…でも若い頃だけね
番外:「お見合い成功にコミュ力は必要?」
タイ人→「不要、コミュ力のある人って口だけで詐欺師みたい」という意見あり
やはりご縁で決まるらしい
*以上、タイ人の回答は資料価値が乏しいので当てにならないかもしれませんが参考までに…
まとめ
タイ人の例から「コミュ力」という言葉に振り回されないことが大切だと感じます
まだ電気切らないで
あと2日で払います
いまお金貸してくれるところ探し中
どっちに行ってもハートバーンセーン方面
(上2つ)タイ人はユーモアが好き
あえて言うならユーモアがタイ人のコミュ力か?
日本人の中にはユーモアに対し「軽い」と
否定的に捉える人もいますね
タイではあり得ません
おまけの話 知識と知恵
急にタイ語の話
タイ語会話について、読者は単語や熟語をいっぱい覚えることが大切だと感じていると思います、確かに語彙力も大切です。ただ、筆者は「単語量より、話そうとする気持ち」の方が大切だと感じます
「話そう、話したい」というエネルギーがコミュ力の源泉かもしれません
筆者も含め、歳を重ねると単語が覚え難くなりますね、ですがたとえ10個(いや5個でも)限られた語を駆使しすれば意思疎通は可能です
どうして?
これは年月を重ねるごとに備わった「知恵」ですーこの知恵が若い世代はまだ備わる途上のため、単語量(=知識)に頼るしかないのです
コミュ力も単にノウハウ本に書かれた「知識」に頼らず「知恵」を使ってみればどうでしょうか
ここから脱線です
「知恵」はタイ語で「パンヤー」、日本語に音写され「般若」
社会人に人気のある漢字276文字で作られた「般若心経」は「知恵の経典」―これを読めば
(「コミュ力」が)
「有る・無ない」という発想自体が存在しない
ことが理解できるでしょう(蛇足までに)
ここまでにしましょう
月光浴でパワーをゲット