みなさんこんにちは

 

 

 

最近「コミュ力」というフレーズをよく聞きます

 

「コミュ力がないと組織でやっていけない」

「コミュ力が管理者(リーダー)の必須条件」

「コミュ力によって人間関係が円滑になる」

「コミュ力がないと周囲から疎まれる」

「先生のコミュ力が生徒との良好な関係を築く」(←意味不明)

 

暑い!

会話もしたくないときにまず、ワンショット

 

  1「コミュ力」「コミュ力」…まさに「コミュ力様々」の現代

 

 

「コミュ力」ってそんなに大切ですか?

 

「コミュ力」について定義を調べてみました、それによれば

 

人と人とのやりとりにおいて、お互いの意思疎通をスムーズにするためのスキル

 

コミュ力があると

*わかりやすく伝える

*聞き上手

*相手の立場に立てる

*相手の心を掴む魅力がある

*ネタが豊富

*人をやる気にさせる 等等

 

なるほど、素晴らしい感じですね…

そのあとに

 

人はコミュ力を高めないといけないとあります

 

ですが、上記の全部または一部を常時完璧にできる人っているのでしょうか

 

コミュ力アップの強制的風潮にも違和感を感じませんか?

 

逆に、コミュ力がないと

*他者に興味が持てない

*順序立てて話せない

*話題の引き出しが少ない

*興味が合う人とだけ話が盛り上がる

*視線を合わせるのが苦手 等等

        ↑

これって悪いことなのでしょうか?単に生き方が不器用なだけではないでしょうか(←ある意味愛すべき存在かも)

 

逆に「コミュ力のある人」は結局、内心、相手より自分に何らかの利益や信頼が獲得できる戦術のような考えがあると穿った見方をしてしまいます

 

筆者のような心理学の門外漢からみれば

上述のコミュ力の有無は生まれつきの性格で

 

強制的にコミュ力アップなどできないように感じます

 

そして「コミュ力がない」例をみても、

これらがどうして否定的に見られる風潮があるのかよくわかりません

 

 

何でも「有るかor無いか」の2択をし、片方を否定的目線で見る…日本人自身も気づいてないかもしれませんが海外に長い日本人なら、この2択で優劣を求め、「だからあいつはだめなんだ…」と決めつける日本の風潮に何か異様な空気感を感じている方も多いのではと感じます

 

 

  2 タイ人のコミュ力

 

タイ人は「コミュ力」の有無をさほど問題視しないと思います

 

日本人が定義する「コミュ力がない」こともタイ人なら「コミュ力がある」の一部だと感じているように思えます

 

コミュ力の有無にかかわらずタイ人は常に楽しそうです

 

「コミュ力がない」とさんざん指摘されたあなたも、タイ人のコミュニティーに入れば、まず日本では出会ったことのないタイ人に興味がでる可能性があります

 

どうして?

 

農作業の休み時間

この世界にコミュ力は不要

無言もコミュ力のひとつ

微笑みの国タイ

微笑まなくても、それもコミュ力

 

 

 タイはコミュ力無用地帯

 

タイのコミュニティーに入れば、タイ語ができなくても「指差し」などで何かを伝えたくなるでしょう、

 

なぜ?

 

あなたが黙っていても彼らはあなたを無視できないからです

 

どうして?

 

ひとりだけ沈黙している人がいるとタイ人は心配で不安に感じるからです

 

タイ人は「人間を人間として見ている」からだと思います

 

ーこの当たり前がコミュ力の前提だと感じられます

 

日本人よ、大丈夫ですか?

社員を「人」と呼んでますね、人間は材料(機械)ではありません

 

ところで、タイにもひとりで黙って行動するのが好きな人がいます、そういう人は最初に私はこういう性格ですと自己申告?することがよくあります

 

そして黙って行動する人にはそっとしてあげます、仲間はずれにもしません(何かのお知らせなど必ず教えてあげます)ーこれもコミュ力ではないでしょうか

 

そのためか(タイ語が話せないという理由で)無口にならざるをえないなあなたも何か話したくなるような雰囲気に包まれるのです

 

繰り返しますが、彼らはあなたが黙っていてもあなたを無視することはありません、あなたが黙っていることでタイ人に嫌われる事も絶対ありません

 

自然体でいることもコミュ力のひとつです

 

また、視線を合わすのが苦手なあなたに彼らは何も不思議な感情をもちません

 

それがタイ人の一般的なコミュ力だと感じます(私見ですが)

 

なごやかなお喋り

 

最初に(笑顔の)会話有りき

コミュ力など不要

 

 

 タイ人の会話感

 

そこで先程のコミュ力の有無の例にタイの場合はどう応対するでしょうか

 

数人のタイ人に尋ねてみました、「タイ人→」がタイ人のおおよその考え方です

*数人のヒアリングなのであてにならないかもしれませんが、とりあえず…

 

日本でコミュ力がある場合

 

*わかりやすく伝える

 タイ人→難しい議論はしない、わかりやすくではなく簡単に伝える

 

*聞き上手

 タイ人→ただ聞いているのは退屈orこちらからも話さないと相手も疲れると思う

 

*相手の立場に立てる

 タイ人→相手を余程知っている場合、初対面の相手の立場には立ちようがない

 

*相手の心を掴む魅力がある

 タイ人→そんな魔術師のようなことはムリ

 

*人をやる気にさせる

 タイ人→言葉だけでやる気にさせるのはムリ、やった結果報酬が約束されるならやるでしょう

 

逆に、日本でコミュ力がない場合

 

*他者に興味が持てない

 タイ人→知り合いになるまで興味を持てと言われてもムリ

 

*順序立てて話せない

 タイ人→プリゼンなら別、会話は脱線する方が楽しい

 

*話題の引き出しが少ない

 タイ人→引き出し?そんなあれこれ知ってる人なんていないと思う。自分の好きな話題だけ詳しければいい

 

*興味が合う人とだけ話が盛り上がる

 タイ人→あたりまえでしょ!

 

*視線を合わせるのが苦手

 タイ人→相手が恋人なら視線を合さないかも…でも若い頃だけね

 

番外:「お見合い成功にコミュ力は必要?」

 

 タイ人→「不要、コミュ力のある人って口だけで詐欺師みたい」という意見あり

 

やはりご縁で決まるらしい

 

*以上、タイ人の回答は資料価値が乏しいので当てにならないかもしれませんが参考までに…

 

 

まとめ

 

タイ人の例から「コミュ力」という言葉に振り回されないことが大切だと感じます

 

 

まだ電気切らないで

あと2日で払います

いまお金貸してくれるところ探し中

 

どっちに行ってもハートバーンセーン方面

 

(上2つ)タイ人はユーモアが好き

 

あえて言うならユーモアがタイ人のコミュ力か?

日本人の中にはユーモアに対し「軽い」と

否定的に捉える人もいますね

タイではあり得ません

 

 

おまけの話 知識と知恵 

 

急にタイ語の話

 

タイ語会話について、読者は単語や熟語をいっぱい覚えることが大切だと感じていると思います、確かに語彙力も大切です。ただ、筆者は「単語量より、話そうとする気持ち」の方が大切だと感じます

 

「話そう、話したい」というエネルギーがコミュ力の源泉かもしれません

 

筆者も含め、歳を重ねると単語が覚え難くなりますね、ですがたとえ10個(いや5個でも)限られた語を駆使しすれば意思疎通は可能です

 

 どうして?

 

これは年月を重ねるごとに備わった「知恵」ですーこの知恵が若い世代はまだ備わる途上のため、単語量(=知識)に頼るしかないのです

 

コミュ力も単にノウハウ本に書かれた「知識」に頼らず「知恵」を使ってみればどうでしょうか

 

ここから脱線です

「知恵」はタイ語で「パンヤー」、日本語に音写され「般若」

 

社会人に人気のある漢字276文字で作られた「般若心経」は「知恵の経典」―これを読めば

 

(「コミュ力」が)

「有る・無ない」という発想自体が存在しない

 

ことが理解できるでしょう(蛇足までに)

 

 

ここまでにしましょう

 

月光浴でパワーをゲット

 

 

 

みなさんこんにちは

 

 

 

最近の円安、国内不景気の影響が原因で、タイ法人に直接就職する人も増えているようです

 

タイの高層ビルで働く!

(タイに限らず)海外で働く若者が増加中

 

今日は(日本人がひとりもいない)タイ現地法人で働く日本人にはちょっとやりにくい、or 向いていないかなと思われる仕事を取り上げましょう、人によっては向いているかもしれません

いつものことですが、あくまでも筆者の主観です

では

 

  1 シフト勤務

 

 

日本でいえば、コンビニ・スーパー・コールセンター・警備員などです

 

タイでも通常、1ヶ月のシフトを組むと聞いています

 

シフトは、通常出勤の曜日が固定されなく、加えて出勤時間帯が週や日によって異なることもあります

 

仮に3交代(午前・夕刻・夜勤)なら前任社との引き継ぎが必須ですね、最初に勤務した人に起こった問題を2番目の人が理解しておく

 

その日だけで問題が解決すればいいのですが、数日問題が解決できない状況もあります。日本人はこういった申し送りが得意ですが、タイ人は次の2点で徹底できない可能性があります

 

①前任者が先に帰り、後任者が引き継ぎメモなどを読んでいないことが多い

 

何かあればまた問い合わせがあるだろう、約束事項を実行しなくても許してもらえる…この許してもらって(ある意味)当然という習慣はこれまで何度か述べました

 

②予定通りにいかない

シフトを組んだ時点で、今日の何時に誰と誰が交代するという意識が弱く、交代者が出勤日を間違えることもあり、数日後にはシフトが滅茶苦茶に変わってしまうこともありえます

 

日頃からメモを取る習慣のないタイ人、無断欠勤も大目に見てもらえる傾向がある中、シフト勤務は日本のように予定通りになりにくいことが多々あります

 

ところが予定通りにならなくても、大まかに見れば業務に支障がない場合があり、それで一見落着となるケースがほとんどです


つまりシフト勤務自体がタイ社会ではなじまないように感じます、100%厳格な引き継ぎを目指す日本人には辛いところですね、タイ人側からすれば

 

給与をくれるのは会社ですか?

それともシフトですか?

 

と皮肉らるかも

 

関連して裁量労働も向いていないかもしれませんね、裁量労働は日本人にも向いていないと思います。やはり欧米系の方が格段能率がいいと感じました、筆者も長く欧米企業にいましたが、彼らは職務遂行のためには、忖度なし。コミュ力無用、結果が最優先だからです…

 

ポイント1

 

タイ人の予定は日々変わる

 

 

  2 外回り営業や債権回収などの取り立て業務

 

日本の場合、売上代金の回収や、金融の返済催促はとても厳格です、日本人上司であればタイ人社員も一応頑張って、何かを差し押さえても回収に厳しく対応するでしょう

 

ところが、タイ人しかいないタイ企業では、債権回収に出かけた社員が、債務不履行者と話し込み同情してしまうことがあります(筆者も回収スタッフとの同行経験有り)

 

借金取り立ての仕事は冷淡になるべきだという一般的な感覚で現地社員と同行しても、借金をしている人の味方になってしまうように感じることがあるでしょう

 

回収に出かけたタイ人はなんとか相手の利益?になように、いろいろ工夫することがあります、そして差し押さえられるものも見て見ぬふりをし、債権者と債務者の関係から知り合い(or友人)のような関係になるかもしれません

 

普通の小さなラーメン屋でも

借金して出店するところ多し

黄色に赤文字の赤文字は華僑系タイ文字

借金先との関連はないが…

 

タイ人上司も一応、「早く取り立てろ!」と怒りますが、その怒りも時間の経過によって忘れられがちです。で、回収担当者は、以後ルートセールスのように債務者の家に訪問して「どうですかね」とか尋ね、以後お喋り…日本人にはそう見えるでしょう

 

お金を貸しすぎて会社が潰れそうになってはじめて、事の重大さに気づく…日系企業ではありえない世界ですね

 

この背景には「もっている人がもっていない人に施す」といった習慣もあるのかもしれません、ビジネスと習慣の混在もタイ独特の現象かもしれません

 

ポイント2-1

 

華僑系でないタイ人はビジネスで冷徹になれない    

 

ただ借りる相手が華僑なら高利貸しのようにすべてを失うことは言うまでもありません、バンコクに何世代も住み続ける彼らの素顔はやはり中国人だからです、15.6世紀ころ極貧の華僑が成功したのは金融業だからです…

 

ポイント2-2

 

華僑系タイ人はビジネスには厳格

 

バンコクの中華街は庶民的、タイ語があまり通じない

バンコクしか旅行しない人にはおすすめ

あまり厳格な雰囲気は感じないかも

アナログの物販の現場などが見られます


慢性病を抱えた人もここの漢方薬は日本の数倍効く

日本で販売していないものは

日本の漢方薬局で漢字で教えてもらいましょう

 

 

 

  3 手間のかかる仕事

 

たとえば「辞書作り」「長期プロジェクト」など

最初は威勢がよく、あれこれアイデアを出したり積極的ですが、時間の経過とともにやらなくなるはずです

 

やらなくなった頃は別の新しい仕事に夢中になっているでしょう、ですがやがてその仕事も徐々にやらなくなります、タイ人しかいないタイ法人に入った読者はタイ人と一緒に「手間のかかる仕事⇒忍耐力や持続力を求められる仕事」を始めると、結局読者自身がひとりでやることになるでしょう…挙げ句、「どうしてそんなに真剣にやるのか?」と周囲から言われ、組織の中で浮いてしまうかもしれません

 

 

ポイント3

 

タイ人は忍耐の必要な仕事(長期的に、何年もかけて実現させる仕事)は向かない

 

興味の対象がコロコロ変わる

 

ここまで読むとタイ人の大雑把さや気まぐれ、忍耐力のなさを否定的に感じるかもしれませんね

 

ただ一旦、タイ人だけのコミュニティーに入り込むと、いままでの日本の生き方が正解だったのかな?と思う機会と出会えます

 

この出会いは貴重です

 

どちらの国の考え方が良い・悪いの問題ではなく、読者にとって居心地のいい生き方を選択するきっかけになると思います 

 

 

おまけの話① 

 

日本のように、アパート・マンションは昼間(朝5時頃から夜9時頃までは管理人がいますが、夜間は警備員が配置されています(場所によっては昼頃からもいます)

 

ところがこの警備員が夜間の勤務時間に寝てしまうことがあると地方に赴任するする独身男性から聞き、そんな辺鄙なところなら犬の方が役立ちますよと(半分冗談で)助言?したところ、本当に犬を4匹飼いました、またメイドさんともいい関係になりました。

 

ところが帰国間際、犬がなつきすぎ、帰るに帰れなくなりました、結局その男性は北タイの片田舎で、メイドさんと犬4匹を伴い結婚、いまは農業従事者として幸せに暮らしてい(ると思い)ます

 

タイ北部(最低気温が10度以下になる季節も)

犬も元気に遊んでいます

 

タイも日本も最後に残るのはインフラやITでなく

農業なのか?…

 

東アジア的「義理人情」の思想のほとんどないタイでも犬は別なようです、ただし北部の寒冷地帯の犬だったからかもしれません(バンコクの犬は終日寝ていますから)

 

*このあとラオス赴任者へのラオス語講習で同じことをいったら、犬3匹を飼い、結局日本まで連れて帰ってきたとか…後に再会したときかなり叱られました…

 

 

おまけの話② 

 

タイ人は自国の文化に関してはとても興味を持ち、特に学生時代から学校で盛んに教育されます、タイ人が日本人のように英語が苦手なのも外国文化を取り入れる下地がなかったのではと感じます

 

音楽も独特の旋律で、現代タイポップにもその旋律(日本で言う和声)を感じます。

いろいろな国の音楽を受け入れられる日本とは温度差があり、たとえばベートベンの第九などのコンサートに連れていくと3分と座っていられないで帰りたがります、これは上の2で述べた忍耐力の問題とは違いますが…

 

古典楽曲はイベントの際によく使われます

 

 

おまけの話③ 

 

高齢化、独居化はタイにもすでに始まっています、Facebookのタイムラインにも以下のような投稿が増えてきました

 

子供がいないなら

年をとったら誰が世話をしてくれるのだろうか

 

 

「実際、一人暮らしでもOK、

ひとり旅(レジャー)もOK

独りで食事もOK しかし(物価は)高いね、今度

なにかする時お金がかかるならお母さんに頼もう」 

親のすねかじりができる間はオッケーですが

歳を重ね核家族が増えれば…

日本と違いタイは何とかなるかもしれません

筆者は案外楽天的に考えてます


 

 

 参考

タイで就労したいときは、基本日本人しかできないこと、あるいは技術的にその人しかできないことが前提となりますので、タイへ行ってコンビニやガソリンスタンドの従業員などタイ人で十分できることは現状就労ビザは発行されないと思います

 

 

ここまでにしましょう

 

 

 

みなさんこんにちは

 

 

 

令和になって「Z世代」の性格についてよく耳にするようになりました

 

年齢的には10~20歳代、今なら30代に入った人たちも指します

 

Z世代の行動や性格について否定的な指摘が多いようですね

 

彼らに否定的な反応をするのはミドル・シニア世代に多いような気もします

 

昭和期から平成初期に管理職だった人からは、否定的を通り越して、「人間失格」のような烙印を押されたかもしれません

 

ではタイではどうでしょうか?

私見ですが

 

タイ人は日本のバブル期以前の昭和からも、今の日本のZ世代のような性格だったように感じます

 

昭和頃のバンコク

 

*タイのグローバル化によって華僑を中心としたバンコク周辺では日本や欧米の考え方の影響で、大多数を占める他の地域のタイ人とは異なり、日本のミドル・シニア世代の考え方に似ている)こともあります、誤解を恐れずに言えば、「バンコク生まれのバンコク育ち」の人たちは「タイ人ではない」、異次元のタイ人と一応形容しておきます

 

さて、日本のZ世代の特徴をタイ人目線で見てみましょう

 

  1 怒られた経験がない

 

タイ人も怒ることはありますが、基本家庭でも職場でも学校でも

 

「怒る」という行為はタイでは暴力なのです

 

特に公的な場における「怒り・叱り」は場合によっては暴力とみなされ、怒る程度によっては犯罪になることもあります(泣きわめく子供を親が叱るのは別ですが…)

 

 

 

  2 忍耐力や協調性に欠ける

 

忍耐力―これは自分自身の限界を超えることへの賛美かもしれませんが、「好きでもないことを無理矢理やり続けることから何が生まれるのか?」と逆に質問されますし、大人のタイ人なら忍耐力によってお金になるなら話は別だと言い返されるでしょう

 

好きなことならもはや「忍耐力」とは言えないでしょう…好きなことをコツコツやっているタイ人もいます…これを忍耐力と呼ぶなら日本人の忍耐力は「いやなことでもやらなければならないある種の我慢」タイプが多いといえそうですね

 

協調性に関して

 

タイでは「協調性」を強要しなくても「助け合う」という習慣があります

 

 

落ちないよう助け合う

協調性があるタイの人たち

楽しそうな通学風景ですね

危険だと過敏に反応するのは日本人?

 

嫌々他者に迎合して上手くやっていくという意味の協調性は馴染まないはずです

 

 

 

  3 すぐ会社を辞める

 

いやな環境に長くいることはタイ人にとってサバーイ(楽な気分)ではないので、すぐやめることは当たり前です

 

「他に行くところはいっぱいある」というより、もともとタイは農業国です、大手企業を嫌でやめて、魚釣りや農業従事者になることはよくあることです

 

 

 

バンコクの人たちはこの切り替えに抵抗があるらしく、そのあたりが元来のタイ人と異なる点かもしれません(変なプライドか?)

 

 

  4 甘やかされるので打たれ弱い

 

 

何度かこのブログで紹介しましたが、

 

タイ人は甘やかされて育ちます

 

タイ語の「甘やかす(ใจดีチャイディー)」は日本の辞書には「親切」と訳されています

 

「甘やかす」は愛情をたっぷりと子供に注ぐことです、これがやがて他者への「親切」を生む原動力になっていると感じます

 

そして「打たれ弱い」ことの何がいけないのでしょうか?

 

打たれ弱いは優しい人である証

タイに住んでいるとそのように感じます

 

これは昭和時代のタイ人も同じです(筆者は1980年前半にタイにいましたが、その時も今も同じです

 

子供は常に独りにさせない

 

 

  5 「ありがとう、すみません」が言えない

 

これだけは1から4と若干異なりますが、タイ人も何度も何度も「ありがとう、すみません」は言いません。その場限り、1回だけの発言が大半です

 

わざわざ「ありがとう」と言わなくてもいい

そんな空気感があります

 

筆者の住む(日本の)町の子どもたちは、しょっちゅう「ありがとうございました」と言ってくれます、サッカーのような遊びをして筆者の自転車にボールをぶつけても「おじさん、ごめんなさい」と言ってくれます

 

危なっかしいタイの日常

「人は他人に迷惑をかける存在」

-これ、お釈迦様の教え

だとすれば「謝る」のは余程の場合

 

おそらく、子供時代と社会人になってからの世界観にはなんらかの壁があるのでしょう


タイの場合、どこからが社会人かよくわからないことは(バンコク以外)ならよく感じることです爆笑

 

お礼や謝罪が言えないのはメンタル面での病が原因の場合も考えられますが、社会人になって「ありがとう、すみません」が言えなくなる日本人Z世代は、もしかして非Z世代の影響があるのでは…と感じます

 

Z世代への偏見があるとすれば非Z世代の一部の心ない時代遅れのおじさんやマダムに原因があるのかもしれませんが、ここでは「時代の変化」ということにしましょう

 

 

まとめ 

 

日本のZ世代の性格や行動様式-それはタイ人にとって昭和以前からごく普通にありました

 

現代タイのZ世代は大昔のタイ人と然程変わりません

 

同じだと言ってもいいと思います

 

日本のZ世代はまだまだ古い日本の価値観の中にいます

 

今の若者がタイ人の性格に似てきたとすれば、筆者としては微笑ましく想います照れ


時代の変換-日本も優しい国になるといいですね

 

Z世代の人たちはそんな未来から来た最初の使者かもしれません

 

自由な国タイから来た使者?

 

おまけ 

 

彼(or私)は大きく

お前は小さい…と訳せる

(実際はカオヤイ国立公園の

ムンマンレック町)

 

公的看板にもユーモアを感じます

タイ人には、どこか心の余裕があります

日本のZ世代が、その先駆けに

なるかもしれません,タイ人のようにウインク

 

 

ここまでにしましょう

 

 

 

 

 

 

みなさんこんにちは

 

 

 

日本人の好む「前向きに!」

「何でも前向きに考え、前向きに行動しましょう」

 

まるで生き方のスローガンのような「前向き」推奨が耳につきます

 

あなたが悩み、悶々とし夜も眠れない、そんなときクリニックに行っても、先生や上司に相談しても、心理カウンセラーに相談しても、友人に打ち明けても、返ってくる答えは「前向きに!」 

 

「前向に考えよう」と自分自身で自覚できるようになったら、それはとても良いことだと思います、ですが、辛い苦悩の最中に無理やり前向きにならなくてもいいと思います、なぜ?

 

「前向きに生きろ」は残酷な言葉

例えば、震災・突然の解雇・大切な人との別れなど、想定外の不幸に遭った人に「前向きに生きましょう、希望を持って!」…あなたはこの台詞を言えますか?

 

逆の立場なら「前向きに」と言われて心底嬉しいですか?

 

生まれつき不得意なことに「前向きになって頑張りましょう」とか言っていませんか?

 

欠点や弱点も個性

生まれつき不得意なことを無理して得意にする必要はありません、あなたの不得意はある意味個性です、これを心無い人に欠点・弱点と言われても無視しましょう

 

欠点や弱点を伸ばすことも個性教育だと思っています

 

周囲の「前向きに生きなければ」攻撃…いま辛い思いをしている人を余計に辛くするのではと感じます

 

「前向き」にはいつかわからない将来に向けたニュアンスがありますね

 

前向きは未来に希望を持つ事とも言えますが、希望は今が絶望だと自分で認めることになります

 

「前向きに生きてますか?」

と言っても

「前向きに歩いている」と言い返えされそう

 

前向きと言われるたびに今の苦悩が増幅する可能性も秘めています

「前向きに生きよう」は発言者の自己満足になってしまうかもしれません

 

話が逸れました

 

 

 

  タイ人は「前向き」に考えない

 

多くのタイ人に「前向きに考えて」と言ってもピンとこないでしょう

*タイ語で「前向きに~」と訳す場合、対応した単語はなく、説明調な訳になるはずです

 

 

タイ人は「今向き」です

 

タイ人は遠い将来より、今できることを考えます

災難に遭った瞬間は日本人以上に大騒ぎするかもしれません

 

すぐに対処できるなら(その日は)なんらかの行動を必死にやりますが、気分的、体力的、金銭的にできないと直感したら、すぐ諦めるでしょう…

 

タイ人の「諦め」上手

諦めるは元々、「現実を明らかにする」とい意味

現実を受け入れるとも言いかえられます

 

雨季最盛期、前が見えない!

早く行くのは諦めよう

 

そして、周囲の人も、悩んでいる人の話を傾聴することがほとんどだと思います

 

多くの日本人がやりがちな、あれこれ慰めたりアドバイスしないで、タイ人は一緒に悲しむ

or一緒に残念がるのが一般的でしょう

 

本人も日本的な「前向に」にはなれないし

周囲も「前向に」とは言わないでしょう

(たとえ、「前向き」というタイ語があっても…)

 

なぜ?

「今」だけを考える環境に育ったからです

雨が降るか降らないだけの気候

タイ人にとって一生涯ひとくくりで「今」…

のようなイメージです

 

 

明日も明後日も同じ

 

 

「今」が大事

タイ人が大切にするのは「今、目の前のこと」です、結果「今日」も「明日」も「今日」となり心理的な時間の区切りが薄くなります

「前向き」という段階を踏んで前に進むといった発想がしにくいのです

 

そのときどきの感情に従うことが

「タイ的な前向き」と言えます

 

この中に辛い思いをしている人がいても

いつでも悩めると思うかも

それより、貴重な今日一日

楽しむ時間を忘れないタイの人々

 

 

生涯が「今or今日」

ちょっと哲学的なので

「今日」の感情を「明日」に引きずらないと言い変えましょう…

たとえば、どんなこと?

 

昨日や明日の話題をしないor忘れる

昨日のお礼や謝罪をしない

明日(未来)の計画を立てたがらない

過去の反省をしない

未来に期待をしない

長期計画が苦手

約束の賞味期限は2~3日

2週間後は100年後のように感じる

 

などなど、日系企業のマネージャーが頭を抱えるような話題です

 

 

タイ旅行者も上の例を覚えておくと、何かあっても腹が立つことはないでしょう

 

 

なるようにしかならない

(タイ語はเลยตามเลย ルーイ・ターム・ルーイ)

 

その日、その日の現実は受け入れるけど次の日には引きずらない

今辛い人はそのまま辛い自分のままでいる

 

一日一日に向き合うほうがいずれいい方向に向かって行くかもしれません

日本のように遠い未来のことを考えると気が滅入ってきませんか

 

「今」だけを考えますか?

それとも

希望が叶うまでの長い道のりを

常に考え続けますか?

 

どちらも結果は分かりません

 

タイ人のように「今」のことだけ考える方が楽(サバーイ)

 

日本人のように「前向き」と考えると不安や心配が長期間続きます

 

タイ人は未来の権利を放棄し

日本人は未来の権利に執着する

 

 

タイの「今向き」発想も一度試してみれば人生変わるでしょう 

 

 

 

おまけの話① 

 

江戸時代の禅僧に良寛という人がいました

良寛さんは、実家新潟で起きた地震の際、

実家宛に手紙を書きました

そこには(原文略で)

 

災難(=辛い出来事)に遭ったときは、そのまま何もしないでいる方がいい

そのまま何もしないでいることが、災難(=辛い出来事)から逃れる最良の方法だ

 

タイ人の「今向き」になんとなく通じるものがあるように感じます

 

 

 

 

おまけの話② 

 

タイ旅行をすれば気付くと思いますが、ふと「今何時?」と思ったとき、おそらく日本ではあるはずの場所に時計はないでしょう…

 

 

いま、何時ですか?

 

 

ここまでにしましょう

 

 

 

 

 

みなさんこんにちは

 

 

 

日本ではヒマでいることを否定的に考える人が多いような気がします

 

今回はタイ人気質を参考に「ヒマ」な生き方をおすすめしたいと思います

 

最初に、「ヒマ」の反意語である「忙しい」の意味について

 

日本人は「忙しい、忙しい」とよく口にします

タイ人も「忙しい」といいます

タイ語では「ユン(ยุ่ง)」や「ミー・トゥラ(มีธุระ)」、または「空いていない(マイ・ワーン(ไม่ว่าง))など…

 

日本人とタイ人が「忙しい」と言う場合、共通した部分もありますし、全く違うこともあります

 

 

  1 タイ人と日本人の共通した「忙しい」感情

 

 

残業100時間とか本当に忙しいとき(ただしタイで残業100時間はあり得ない)

 

やりたくない理由を作り出すとき

 

 たとえば

 ★面倒な仕事や(家庭内での)

    用事を断わりたいとき

 ★他の件に取り組んでいるので

    時間・体力的に無理なとき

 ★デート・食事などを誘われたが

    行きたくないとき

 

 

楽しいことに夢中になっているとき

 

たとえば

ゲームや趣味に没頭している最中に「これから、お祭りに行きましょう」などと誘われた時の「忙しい」、このとき「まあ仕方がないか」と受け入れるますねてへぺろ

 

 

 

  2 日本的「忙しぶりっ子」の本心

 

 

某書によれば、上記1の理由とは違い「忙しいい、忙しい」を連発する人は下記のような特徴があるそうです

 

忙しがる目的は?

誰かの役に立っていると自己アピールしたい

自分は仕事やプライベートが充実して活き活きしていると周囲に宣伝したい

 

なぜか?

内面では、不安感で悩んでいる、or周りから認めてもらいたいからとか…

 

なお、予定が1日でも埋まっていないと不安になる人がいますが、それはその人の性格なので特段問題にすることではないと思います

 

ちなみに大半のタイ人は日本人が手帳に予定を入れまくることを奇異に思っているでしょう

 

日本人との付き合う機会が多いタイ人は手帳に予定を書いています、ただタイ人の場合は必要だから(or相手が日本人だから)書き留めておく程度です

 

反論もあるでしょう

たとえば「忙しいですか?」―「忙しいです」―「それはいいことですね」という定型挨拶

 

これは仕事がたくさんあって、収入が多くなるので生活が豊かになるから「忙しくていいですね」と言う場合です―これはその通りです

 

敬遠される「忙しぶりっ子」

ところが、職場や地域のコミュニティーでやたら「忙しい、忙しい」と周囲に吹聴する人がいます

 

ゆるい職場や、悠々自適な人たちでさえ「忙しい」を連発するのは、ある種の「忙しさ」依存症か、上で書いた自己アピール魔


この2つのうち、後者の方が厄介で、一見ヒマそうに見える人、例えば職を失って求人に応募しても、面接に呼んでもらえず、仕方なく家にいるといった本当に困っている人であっても、怠慢な人と攻撃するする場合があります


 

周囲は当然この種の忙しぶりっ子さんから離れていくでしょう


そんな寂しい思いをしない方法があります

それが

 

タイ人に学ぶヒマのすすめです

 

 

 

 

  3 その前にタイ人の忙しさとは

 

 

1でも述べたように、タイ人が「忙しい(ユン!)」と言う場合、バタバタし何をどうしたらいいか分からないまま、時間だけが立っていくような状況をいいます、いま何をすればいいか分からない場合が大半です

 

そんな彼らに向かって「忙しいことはいいことですね」とは言えませんね

 

一定数の例外を除き、タイ人は「忙しい」と言うことで自己アピールはしませんし、「ヒマ」なことに(日本人のような)独特の「後ろめたさ」は感じないはずです

 

 

忙しいですか?

 

 

  4 ヒマから余裕が生まれる

 

 

英語でリッチと言えば「お金をたくさん持っている」を思い浮かべますが、リッチには「自由に使える時間をたくさん持っている」という意味もあります

 

タイ語で「ヒマ」は「ワーン(ว่าง)」といい、「空いている=時間がある」という意味です

 

タイ人から「忙しいですか?」と問われ、「いや、ヒマですよ」と返せば、「それはよかった、これから友人の家でパーティーをするので一緒にいけますね」といった好意的な反応が帰って来るでしょう

 

読者も2回目のタイ旅行からは、ヒマの良さを探してみましょう

 

逆に「忙しい、忙しい」と言えば「大変ですね」と哀れみの目で見られるでしょう

 

 

 

タイは1日48時間の世界

 

何度か述べましたが、タイは季節(気候)に変化がほとんどありません、また日常で自らバタバタしないので、1日が48時間あるような感覚になると感じられます

 

日系企業で10分前に出社しろと言われても、時間が倍ある感覚なので10分遅れても、タイ人からは何も言われないのです

 

時間が流れない世界

時間は人間が作った愚かな区切り

自然界は時間を気にしていない

向こうの山に向かって「忙しいですか?」と問えば

どんな答えがかえってくるのだろうか

 

 

1日48時間、日本人にはヒマですが、30分かけてやっていたことを、1時間かけてもいいのがタイの時間観念だと筆者は感じます、

 

1日48時間感覚が習慣化すれば、楽しいことに倍の時間を感じ、忙しさから開放され、ある種の余裕が生まれるでしょう

 

「余裕」ーそれは読者にとってリッチなことなのです

 

ヒマを肯定的に

「ヒマ」は日本人にとっては否定的ですが

これからは「ヒマ」を肯定的に捉え

 

どんなに忙しくても

「忙しいですか?」の問いに

「いやぁ、ヒマですよ」

と嘘でも、返答し続ける

ことをおすすめします

 

最初は違和感があっても「ヒマです」と言い続けるうちに、やがて余裕が生まれ(いい意味でヒマになり)、タイ人のように寛容な対応ができるはずです


何年ぶりかの笑顔も戻って、いつものイライラも和らぎ、一人暮らしで誰とも会話がなくても、楽しく暮らせる可能性を秘めています

 

精神的に冷え切った日本が、すこしは暖かくなるでしょう、そして

 

そんなあなたの周りには、多くの人々が親しみをもって集まってくるはずです照れ

 

自分自身をもっともっと大切にすれば

独り(独身)でいることが、

必ずしも価値がないというわけではない


本当の孤独は忙しさが原因かも

 

 

 

ここまでにしましょう

 

 

 

 

 

 

みなさんこんにちは

 

 

今日は軽いお話です爆  笑

 

さて、どのようなとき、タイ人から「可愛い」と言われるのでしょうか?

 

男性でも女性でも、タイ人異性から「可愛い」と言われて悪い気はしませんね

 

「可愛い」はタイ語で「ナーラック(น่ารัก)」といいます(直訳は(愛すべき(人、存在…・))

 

あなたが、(小さい)子供や、ペットと一緒にいる場合、タイ人はあなたではなく「子供やペット」を可愛いと言うでしょう、可愛いポーチや雑貨類も同様です

 

ですが、あなたに向かって直接「可愛い」とは、多分、言わないと思います

 

 

SNSで直接「可愛いね」と書けますが、やはり書き言葉or社交辞令です

 

男性のあなたが、恋愛関係でもないタイ女性に「ナーラック」といっても効果は期待できないでしょう

 

では性別問わずタイ人があなたに「可愛い」というのはどんな場合でしょうか

 

 

  1 あなたの意外な一面を見た時

 

 

意外な面白さを好む

 

日頃、堅物なあなたが、突然、思いもよらぬ行動に出た時

 

下の写真、上は日頃厳しいことで有名な先生が、附属幼稚園でいきなり、それも必死になって、幼稚園の子どもと(何らかのゲームで)はしゃぐ姿に向かって「先生、可愛い」と同僚などが言う場合

 

幼稚園生のゲームに本気で挑む先生

日頃は厳しさが売りの教師らしいが…

 

次の写真、あまり面白みがない左端の男性が、写真撮影のときにとったポーズに、「~君、可愛い」と言う感じですてへぺろ

 

 

 

楽しい・笑顔・笑いが

タイの3大必須マナー

 

他の例も多数ありますが、「想定外の面白さ」をタイ人は好むようです

 

タイでは複数人の飲み会(食事会)のとき、「楽しい」「笑顔」「笑い」を重視し、この3つが、タイ人社会のマナーとも言えます、日本人にありがちな深刻な話(重い話)は「酒が不味くなります」

 

日本人がタイ人社会についていけないのはこんな場面からも想像できます

 

 

  2 予想していなかったことを言い出した時

 

これは相手にメリットがある場合に限ります

ですがメリットを与えるタイ人も楽しんでいます

 

 

楽しければ

仕事もお金も二の次

 

例えば、何人かのタイ人といたとき、あなたが「今日はオレの驕りでMKにいこうか!」

 

ちょうどお腹がすいているときなら、「今日のあなたはナーラック!」のような返答があるでしょう、ポイントは「相手にメリットのある意外性と偶然性」で、即断・即決・即実行が原則です

 

以前から予定を決めたがる日本人はあまりタイ人から好まれないかもしれません(あまり可愛くないかも)

 

また、北の果てメーサイで急用の女性、いまいるところは南部のヤラー(県)、そこに現れた近所の男性「よっしゃ!オレの車で連れい行ってやる」←「可愛い!」などの場合

 

ま、穿った日本人のために補記すれば、急用がある女性はもうひとり友人の女性(や家族のだれか)を連れて行くはずです、ガソリン代とか宿泊費は負担ができる立場の人がはらうか、適当な割り勘になるでしょう

 

 

なかなか楽しいぜ
南北縦断の旅

 

 

 

  3 その他

 

 

たとえば、タイ人にとって好物のタイ料理で絶対に日本人には食べられないだろうと確信していたものを、美味しそうにパクパク食べて、「あぁ 美味しかった(アロイ)、おかわり!」とか言ったときに、「可愛い!」と言われるでしょう

 

 

日本の料理なら納豆・梅干し・イカの塩辛、わさび付刺し身等々

 

*ただウケを狙って旅行前に激辛・激臭なものを食べる練習はやめましょう(体調不良になるかもしれませんので)、因みにタイ人はわさびを知っていてもからしは知らない人が多い←地方で)

 

偶然だからこそ「可愛い」のです

タイ人は偶然を楽しみます

 

 

おまけの話 

 

あなたが急に無口になったとき、タイ人は何と言うでしょうか

 

(答)サヌック・マイ?(楽しいですか?)

 

タイ人は無意識レベルで常に楽しい状況を作ろうとします、言葉がまだ話せないという理由もあり、黙り込んでしまうこともあります、筆者も初めてタイに行ったときよくありました…

 

それが原因で楽しくなさそうだと勘違いしてしまうのです、ですがタイ人はあなたが気を使わずにすむよう、自然と導いてくれます、でないとお互い楽しくないからです、これはタイ人の本能的な対応のように感じます

 

タイ勤務で仕事が大変な思いをしても、タイ人の同僚から「楽しいですか?」ーこんなときは嘘でも「楽しいよ」と応えるのが自然、文句は日本人上司に向けてください十字架

 

そしてアパートに帰れば、警備員から「仕事は楽しい?」と聞かれますね…100%

 

タイ旅行では暗い話はNG

なぜなら

タイが解決してくれるから

 

タイ人に、タイ語で「私は最低時給でこきつかわれ、煩いお局にいじめられ、残業しても残業代はつかず、最近はパワハラ(orセクハラ)をうけ、労基署に相談に行っても、相手にされない、クリニックで鬱病だと診断され、貯金は物価高騰で減るばかり…たまたまタイはストレス解消になると聞いたのでタイに来たんです」ショボーン

 

これに対しタイ人は

 

「タイにきて楽しいですか?

と言います、下線部は

楽になりましたか?」と同じ

 

辛いこと・楽しくないことは

タイではいつの間にか消えていき

笑顔や笑い・楽しさが戻って来る

 

そんな不思議な力があることを

タイ人は無意識に知っている

 

上の辛い境遇を言った人も

タイ社会に入れば本来の自分を

取り戻すことができるでしょう

 

それがタイの不思議な魅力

 

 

 

上の辛い話ですが、これだけのことがタイ語で話せれば、何らかの方法でタイに移住できる…というのは横において

 

日本が楽しくないと思いながら年を重ねるのは人生の無駄遣いです、(日本国籍のまま)タイ移住、一考の余地はあるかもしれませんトランプハート

 

 

 

 

ここまでにしましょう

 

太陽と目覚めて

星たちと眠る

自然に生きるのが自然

そして楽しい

 

 

 

 

みなさんこんにちは

 

 

今回は「中途半端」について考えてみましょう

何年かタイに住んで、日本に戻った時の違和感、まるで別の惑星に来たような… 

 

帰国して一番強く感じたのは、「ニコッとしても目が笑っていない」ことでした。人間型AIロボットならあのような感じかもしれません

 

知人がスピリチャル系のブログを始めたので、それ系のプロのブログを読んでみると、第一印象の悪さ・違和感・悪い直感・ピンときたなどは、「生命を脅かされるサイン」だそうです

 

面接は第一印象で決まるとハロワで言われましたが、そんな秘密があるのかも

 

タイ人、特に集団の中に入ると、「この人はいい人」と独り言のように言います、まだ出会って5秒もたっていないのに?あれは直感だったのかと思います

 

自然界からの警告が無視できなくなった現代

 

 

話を「中途半端」に戻しましょう

冒頭のロボットのような人間…そこには絶対間違ってはいけない。それには手抜きしない完璧主義者の空気が支配しているように感じます

 

日本人は(あまり良くない意味で)真面目です、真面目が経済を発展させましたが副作用として人の心を疲弊させたように思います…

*いまや日本の幸福度は51位とか(タイの47位を下回った)―この統計は複数ありますが目についたものです

 

 

 

目は笑っている

 

 

こんな世の中になったいま、たまにはカリカリしないで、手抜きや中途半端な生き方も実践しましょう、生活の知恵として、否、大袈裟かもしれませんが読者の命を守るために…

 

タイでは日本的「中途半端」

が求められました

 

筆者はタイにおいて「中途半端=いい加減」な生き方をさせられました…言い換えれば、「いい加減な生き方」をしないとタイ人と付き合うときに波長が合わない(タイ社会で浮いてしまう)、そんな感じを受けました

*いい加減は「良い加減」とも言われます…暑がり・寒がりがいるように、個人によって適温が違います、例えば規則でエアコン26℃設定をしても、暑いと感じる人もそうでない人もいます、その人によって(あるいはその日によって)最適(=完璧)な温度は違います、要するに、何かルールを決めるとほとんどの人がそのルールから外れ、その人にとって完璧ではなくなるのです…皮肉なことに

 

タイ語で「中途半端」はครึ่งๆกลางๆ(クルンクルン・クラーンクラーン)と訳されています、直訳の「半々で真ん中」は、東洋思想の「中道」「中庸」のニュアンスも一部含むと感じられるので、

 

タイ語の中途半端は「ほどほど」

といった感覚かもしれません

 

ところで

 

タイではどうして日本的な「中途半端」が否定されないのでしょうか?

 

大型トラック通れるの?

狭いコーンの間隔調整や検問

いつ誰がするのだろうか?

人影なしだが、ま、いいか

 

 

  1 完璧にやっても誰も気付かない

 

 

これは妬みで無視されるといった日本にありがちの思考ではありません、例えばある作業(何かの組み立てとか)を最初から最後までやりとげた!…ところが周囲のタイ人にはどこが100%か分からないような気がします

 

実はタイ人自身もどこが100%なのかよく分かっていないのがほとんどです

 

「完璧」という発想がない…

と思います

 

 

なるようにしかならない

タイで完璧を求めても疲れます

 

 

  2 途中で終わっても完璧

 

 

完璧はタイ語でเรียบร้อย(リーアップローイ)

 

例えばあるイベントや式典(高校だと文化祭とか)で、予定の半分ちょっとしかできなかった

 

途中で打ち合わせと違うパプニングが起こった…こんな場合、今日の「イベントどうでしたか?」と問えば「リーアップローイ(完璧?)」と言ったあと「楽しかった(サヌック)」と続けるでしょう、日本では少しでも手違いがあると「責任・責任」と煩いですね、責任フェチか?

 

私見ですが

 

全ての事をこなせなくても、

タイでは楽しければ

完璧感があるようです

 

特に手違いのハプニングは大歓迎

その場がより楽しくなります

 

あと5分以内に大雨

5分前は快晴

ハプニングが突然おこることを

自然界がおしえてくれる

 

 

  3 タイの「ウサギとカメ」 第2バージョンに学ぼう

 

 

日本でも学校で習う「ウサギとカメ」ーサボったものが負ける・怠慢の戒め

 

因みにトルコでは亀の替え玉がゴールにいる(これはアジアの民話に多いパターン)

 

インドでは寝ている兎を亀が起こすとか…

*インド版はにわかに信じがたいのですが、最近電車の中で「体調の悪そうな人を見かけたら、『どうされましたか?』とお声がけください」というアナウンスを聞きますが、タイやインドではそんな放送しなくても見て見ぬふりはしないはず、インドのカメはウサギの体調を心配したのでは?

 

さて、タイの「ウサギとカメ」は日本と同じですが

 

第2バージョンがあります

 

ウサギが走っている途中、遠くに見える綺麗な花に見とれコースをはなれ、別の所へいってしまいます、もちろん競争のことは忘れ夢中になっている間にカメがゴールするというパターンです

 

ウサギはレースに関しては中途半端(いい加減)です、ですがこのウサギ、試合の勝ち負けにこだわらず、楽しさを選択することで(多分)幸福度がアップしたと思いませんか?

 

そもそも、最初から勝敗が分かっていて、それでも歯をくいしばって諦めないことを賛美するなら日本は常軌を逸している、要はアホとしか思えません

 

カメは負けると分かっていても日夜努力をし、なんとかウサギと互角になれるよう訓練する、こんな危険な教育?が完璧主義を称え、中途半端(タイなら「ほどほど」)を見下したのでしょう

 

言い換えれば、できないことも、途中で投げ出さず努力してできなければいけないと教え込まれてきたのです

 

できないことをできないと認められることが悟りだと、曹洞宗の道元禅師は教えているのですが…

 

*タイの「ウサギとカメ」第2バージョンは、ひょっとしてタイの50歳くらい前の人は知らないかもしれません。第1バージョンは中国的、第2バージョンはインド的のように感じます、因みにラオスの国語の教科書には今も第2バージョンがあるかもしれません(10年前はありました).

 

どこが終点?

どこまで行けばいいのか

途中で日没

おなかがすいた

そこがオレの今日の終点

 

ウサギが途中で寝るのは眠くなったか退屈だったからで、このあたりのウサギの気持ち(=自分を大切にする)重要性は教えられず、怠慢は「悪」と習ってきました

 

日本版の偶然ウサギが寝てしまってカメが勝ったことはストーリとしては禁じ手ですが、そのあたりはうやむやにし、ひたすら走り続けるカメの「中途半端な行動をしない」ことが重視され、タイのように「運」にまかせることは否定的に捉える傾向になってしまいました、某著名人の著書のネーミングをもじって、タイでは、

 

99%は運

 

 

カメが勝ったのは努力の積み重ねで実力がついたのではなく「運」のおかげです

 

それを努力の結果や怠慢の戒めと教えるのはいかがなのものでしょうか?

 

「運」は「(ご)縁」とも言い換えられます

 

読者より出世した人もよく考えれば「運(ご縁)」です、もし「努力」を肯定するなら「努力」できたのも「運(縁)」、読者がいま、悪事をせず「善人」でいられるのも「運(縁)」です

 

駅で、読者が親切心で車椅子のけが人の手伝いをしようとしたところ車椅子の誤作動でホームに落ち死亡させたら読者は(証人や証拠がない場合)「殺人者」になってしまう…これも「運や縁」なのです…タイ人なら多分そう考えるでしょう

 

タイ語で「努力や努力の経緯」を褒める表現が無いのがその証です

 

成功した人に「すごい!(ケン・マーク)」と言いますが「運が良かったね」ということでしょう

 

そのかわり、「頑張りなさい」と言わないで「ご幸運を(チョークディー)」と相手の「運」を願うのです

 

筆者は「努力」の全てを否定していません。例えば、お金を払ってでもやりたい仕事に没頭することも努力ですが、このような自身とって充実したことへの努力は大いにやるべきだと思います、もっとも本人は「努力している・苦労している」という意識はないでしょう…

 

ところで

「蛍の光と窓の雪」、大雪の夜電灯を消して、窓ガラスのもとで本を読んでみましたが、読めるはずありません

 

「ロウソクの光、窓の外にある電灯」ならまだしも・・・このようにできないことを変な喩えで成し遂げることを教わった真面目な日本人…結果、残業200時間の過労死などが近年社会問題になっています

 

筆者も努力の良さは分かりますが、たまにはタイ的な「中途半端(ほどほど)」な生き方もおすすめです

 

 

完璧主義捨てますか 命捨てますか

 

ちょっと大げさですが…読者にお任せします、直感で判断してください

 

冒頭で日本帰国後「完璧主義」を直感した筆者は、その後、年齢的かつコロナの影響で,本業のタイ語の仕事がなくなり、中途半端な短期の仕事を繰り返さざるを得なかったのですが、結果的に良かったと感じています

 

なぜ?

 

様々な業界出身の人や、元クリエイター、イノベーターが本業の友人ができたこと

そして、何よりも(以前もやっていましたが)改めて現代の非正規社員の世界を知ることで日本人理解が深まり、このブログを始めるきっかけとなったからです、ずっとタイにいれば、かえってタイ人がわからないまま終わったと思います

 

 

今日は3月31日、タイでも卒業証書の授与式ですおめでとうございます

 

最初に教えた生徒はもう30すぎ

 

ここまでにしましょう

 

 

 

 

 

みなさんこんにちは

 

 

 

今回は日本人・タイ人の比較を「常識」という角度から見ておきましょう

 

「常識」ってなんでしょうか?

 

法律とは違いますね、宗教でも道徳でもない、地域や職場などの慣例・慣習・習慣でもないような気がします

 

法律や慣習、習慣などの論拠があれば、「Aの場合Bという対応をする」に対し、反対者がいても、一応「Aの場合Bを行う」が正当化され、聞き手(反対者)も納得せざるを得なくなるでしょう、ところが

 

「常識」には一貫した実態や正解不正解がありません

 

「常識」は人や地域によって異なります、「常識」と口にするとき、発言者は「自分が絶対正しい」と信じ、相手特有の考え方に全く気づかなくなりがちです。この点が「常識」の盲点ともいえます

 

例えば、決まり文句「常識で考えれば~すべきだ」(あるいは、「普通に考えれば~すべきだ」)と言われ、聞き手が腑に落ちないと、その後、不信感・対立意識・反発心などが起こり、まして立場が弱いと、ストレスや自己不信から心身を病むことが近年多発しています

 

「常識」は気軽に使える反面、確固とした実態がないため危険な用語かもしれません

 

「普通は~だ」の「普通」も「常識」と同じでしょう 

日本人は「常識」を人だけでなく、外国そのものに対しても使います

 

 

「日本の常識」では生きにくいと感じている方へ

 

今回はタイ人の行動を手がかりに「タイの常識、つまり日本では非常識かもしれないこと」を参考にし、これまでの常識を疑ってみましょう。(日本人同士でも人によって「常識」が異なるのに)読者の「常識」が、全世界でも通じると思うなら、それは読者の勘違い、家と職場の往復だけの日々では仕方がないことかもしれませんね

 

日本は技術面ではまだ誇れても、すでに心理面・精神性では後進国となったと思われます、タイと関わっている読者ならこのあたりで他国(ここではタイ)の人々の常識を他山の石としてはどうでしょうか

 

 

 

 

タイ的常識5選(他にもありますが割愛)

 

  1 人に迷惑をかけてもいい

 

 

これはお釈迦様も公認していますが、他人に迷惑をかけない人はいません

 

タイ人は他人に迷惑をかけてでも自由を大切にします(因みに「タイ」は「自由」という意味らしい)、まず自分が平穏な心になることをタイでは重視されます。タイ人が他人から迷惑を受けたことで怒ることは(一部のビジネスを除き)あまりなく、マイペンライ(この場合の訳は「仕方ないね」)となって終わります。

 

微笑みの国タイ人の笑顔は彼らの平穏な心(or心理的余裕)が基になっていると感じます

 

窃盗をしたり、パワハラをしたり等等、犯罪の場合を除き、例えば体調不良のとき、重要会議を欠席したり、家事を休んだり、混んだバスの中で高齢者に席を譲らないなどは堂々と行いましょう。自身を犠牲にしなくていいのです

 

Uターンができない迷惑な道

しかしなんとかなっているように見える

 

まずは読者が「楽(サバーイ)」になることが先

他者を助け、笑顔になってもらうには自分を犠牲にしてはいけないと思います、「重要会議に出席しなければ」と考えず、自分ファーストでいきましょう…とタイ人は教えてくれています。自分を大切にしているため、多くの人々に親切になれる…筆者はそう感じています

*ここで反発がでそうですね。「私には家族の生活があるので自分は犠牲にならなければ」「介護をしなければならないので私は犠牲になっても」等です。日本に住んでいれば避けられないことですが、あえてタイの場合を考えると、子供は近所の人が面倒を見てくれます、そして介護を必要とする高齢者は、元気な高齢者が世話をする…この「助け合う社会構造」を日本は構築できなかったのです…理由はそれぞれとしても、日本が精神的後進国である一例と言わざるを得ません

 

 

 

  2 いい子(=偽善者)になるな 

 

 

タイ人はお金をもらうときは、生活の糧として一時的に日本的な「いい子」になるかもしれません

 

ですが無理して相手の目を気にしすぎ(できないかもしれないのに)「私がやります」のような優等生発言はしません。無理して「いい子」を演じるより、できないなら、いつもの(作業可能な)仕事に取り組んでいる方が健全です

 

「あなたがいないと仕事が回らない」と言われて(異常に)喜ぶのは日本人くらいかも?

 

タイ人ならそんな甘言は笑顔でスルーします,(やりたければやればいいのですが)やりたくない仕事を無理してやることはありません、何か理不尽なことを言われ、あなたが不満を言えば(日本人上司の)決まり文句「お前の代わりはいくらでもいる」と言われておしまいですから「おあいこ」です

 

意味のない苦労をして称賛される時代は終わりました

タイではもともとそんな称賛を喜ぶといった発想は日本の昭和の時代でもなかったはずです(華僑は別、彼らはタイ人ではありませんから)

 

 

 

 

  3 努力信奉を疑え

 

 

「努力」という漢字、よく見ると「怒りの力」のように感じるのは筆者だけでしょうか?

 

タイではもともと「努力」は「苦しむ」というニュアンスがあることは以前にも述べました。幸か不幸か、各自に与えられた素質は各人各様で、何もしなくてもできる人はできる、どんなに努力してもできないものはできないーこれを一律にできるよう指導するのは不平等だと感じます

 

筆者の住んでいたタイのアパートにはタイ人労働者が大勢いました、彼らはよく「あの日本人マネージャーアホちゃうか、まるで右利きの人に左利きになれと言っているような命令じゃない…」―これはマネージャーのせいではありません。そのマネージャーを教えた日本の学校(or先生)の責任でもあると感じます

 

「努力すれば何でもできる」教育(思想)はまるでインチキ宗教のごとく危険です

たとえば、今の日本の「就職氷河期世代」は努力し続けました、おそらく氷河期前後の世代より読書量も多く博識です、他の世代は彼らを助けず都合良く使い、切り捨ててきたため、大企業の重役より危機管理がすぐれ、判断力もあり優秀だと感じます、ですがその結果報われた人は筆者の周囲ではゼロです、努力とは何でしょうか…

 

それに引きかえ、タイ人は必要以上の努力をせず、経済的にも(日本人の目から見れば)恵まれなく、出世しなくても日々楽しく幸せに暮らしています

 

その当たり前の姿を見て(経済的余裕があっても)「羨ましい」と感じたら、メンタル面でかなり辛い状況にあると思われます

 

歳をかさね、お金や権力を使わず楽しめて心暖まる会話ができるノウハウがないと寂しいですね。タイ人はお金をかけずに楽しむ方法を知っています

*タイにも「努力のあるところに成功がある(ความพยายามอยู่ที่ไหน ความสำร็จอยู่ที่นั่น)」という格言がありますが、「努力」の部分を「苦しみ」と読み替えるとタイらしく感じます

 

 

 

 

  4 楽な道を選べ

 

 

タイ人の常識で、「(心身共に)楽であること(サバーイ)が最重要だと何度か述べました。

 

極論ですが、端的に言えば「やりたくないことはやらなくてもいい」

それがタイ人の大半の常識と思われます。その証として

 

タイでは他者の自由奔放な行動に対し、日本人の常識以上に寛容です(政治・金銭トラブルは例外)

 

相手から迷惑をかけられたと認識する日本人の感情は、タイ人なら多分「彼らは結局、ああするしかなかったんだ、ま、別にいいじゃないか…」となる場合が大半かもしれませんーそして「仕方がない」と受け流すのがタイでの紳士的対応だと思います。

*読者自身の常識「オレの若い頃は云々」とか「オレのいた前の会社ではもっと効率的に云々」などに固執するのは「自分のみの常識」を押し付けているだけで、聞き手は不快「サバーイでない」状況になり…「常識」に従うことで、日本人の好む常識「人に迷惑をかけてはいけない」を否定するパラドックスに陥ることになります

 

常識を説くことが非常識発言になり、それに悩む日本人をタイ人は不思議に感じているのではと想像します

 

いずれにせよ「楽な道を選ぶ」は「自由」への近道だけではなく、他者に寛容になれる隠し味をもっていると(タイ人と接するたびに)感じる場面が多いですね、それでもやはり「他人に迷惑をかけたくない」と遠慮して不自由を選ぶ???

 

「他人に迷惑をかけたくない」思考はある程度までにしませんか

 

迷惑をかけたと思い込んでも、相手は何も感じてない(or気づいていない)ことの方が多いかもしれません…人は自分のことを考えるだけで精一杯、あなたのかけたと思う迷惑など案外「他人事」かもしれません…深く考えるだけ心労がたまるだけ…ミイラ取りがミイラになってしまいます

 

睡いのでちょっと昼寝休憩

この休憩でどんな迷惑が起こるのだろうか?

 

 

  5 1+1=2でなくてもいい

 

 

昨今のマニュアル化社会、何か知りたくてコールセンターに電話すると人でなく、音声ガイダンスによって解決する時代になりました。マニュアル化は効率的でもあるので一概に否定できませんが、高齢者には地獄絵巻のようで可愛そうです

 

マニュアル信仰の末路

マニュアル信仰時代の今ですが、若い世代もいずれ、物覚えや体力の衰えを感じるときが来るでしょう、その頃の仕事はすべてAIがやり、今の若者世代の多くはひょっとしたら農業従事者になっているかもしれません(いま一番深刻な農業従事者の高齢化です―農業従事者がいないと食生活に困るので需要はなくならないでしょう…)

 

 

 

マニュアルがない職業が主流になる

そんなとき、「オレの若い頃はブラインドタッチが当たり前で、EXCELでマクロが組め、VLookなどでAIを支配していたんだ」と過去の栄光(??)を誇っても、未来の若者からは「はやく、牛に餌をやれ」と言われる時代が来るかもしれません、農業に限らずマニュアルがない職業が主流になるような予感がします…

 

 

自然に帰ろう

 

発想は柔軟に

さて、タイ人はマニュアルを作るのも、マニュアルに従うのもかなり苦手かもしれません。その分、発想は日本人より柔軟な感じがします、

 

あるときタイ人から「1+1=2」でなくてもいい、オレは3がいい」と言われました。「なぜ?常識、いや規則(=マニュアル)では絶対2でしょ」と言えば、「1を人と見れば、男女が結婚すれば、子供ができて3になるだろ」と言われ苦笑したことがありました

 

日本人が「タイ人はいい加減」と思っても、タイ人は「タイでは柔軟に対応するのが普通」と言い返されるかもしれません

 

 

警官が勤務中に商人になるのは常識ではだめでしょうか

体調の悪い娘さんを手伝うお父さんです

地方タイでは、仕事の制服を普段着にする人もいます

 

 

おまけの話 

 

 

タイ語に「常識」という単語はあるのでしょうか?

 

タイ語で「常識」はサーマンサムヌック(สามัญสำนึก)といい、直訳は「感じたり、意識する感覚」となります。「感覚」は個人の感情なので、日本語の「常識」とは一致しません

 

タイ人同士では他者のサーマンサムヌックにあれこれ真剣に意見しませんが、冗談や、皮肉、一時的な即答で言い返すことはあります、これは親しみの裏返しだと感じます

 

 

タイでは常識(サーマン・サムヌック)という単語を使って会話することは(筆者の経験不足のためか)あまり聞いたことがありません、感情面以外のむしろ数値的なニュアンスで「通常は(パッカティ)」「多くの場合(スアン・ヤイ)」と言うほうが自然です

 

各国にはそれぞれ異なった「常識」があります

ーそれを「正義」という人もいます

その「常識」が古より自国や他国の人々を苦しめています

 

合法的な範囲で「常識」という不可視な鎧を外してみましょう

心身ともに楽になれば、今後の人生の「幸福組」になれるはずです

 

*「幸福」に「勝ち組、負け組」はありません、また「不幸組」もありません…念のため

 

 

 

 

ここまでにしましょう

 

 

 

 

 

みなさんこんにちは

 

 

 

社交辞令はどの国にもあると思います

 

ところが社交辞令なのかそうでないのか分かりにくいものもあり誤解を招き、結果気まずい関係になったり、本気にしたため裏切られたと感じることもあります

 

今回は上記に関する例をラフに見ておきましょう

 

 

 

  1 形式的な例

 

 

たとえば友人の息子・娘さんが入学試験に合格したor結婚したなどの場合、特に読者とは面識がない人でも「おめでとうございます」と言いますね。さらに友人の知り合いの知人の場合であっても「おめでとうございます、よかったですね」とか言うと思います

 

タイでも知人の知人くらいまでなら「おめでとうございます(タイ語:ขอแสดงความยินดี(コー・サデーン・クワーム・インディー)」と言います

 

不幸な事例-事故や逝去の場合も上と同じです(タイ語:ขอแสดงความเสียใจ(コー・サデーン・クワーム・シアチャイ(残念です、ご愁傷さまです)」

*亡くなった人のことを、「彼は楽(サバーイ)になったとよく言います(タイ語で:เขาสบายแล้ว(カオ・サバーイ・レーオ」です)

 

他に「道中、お気をつけて」「おめでとうございます」「終生、ご多幸を」「健康になりますように(日本語の「お身体をご自愛ください」)」など主に文章で使います、それだけに形式感があります。社交辞令は「言葉の慣習」と言われる所以でしょう

 

話はそれますがタイ語学校では「こんにちは(サワッディー)」を教えたあと、「お会いできて嬉しい(Nice to meet you.)」を教えるところが主流です、タイ語では「ยินดีที่ได้รู้จัก(インディー・ティー・ダイ・ルーチャック)」です、このフレーズは出会ってお互いを理解し、意気投合したときに使う、つまり別れ際に使うのが本来の使い方ですが、会っていきなり英語のように使う人をよく見かけます

 

*筆者はこのフレーズを初心者にあまりおすすめしていません、「タイ語は発音が難しい」とタイ人講師に洗脳された方が、発音に対し不必要に自信を失うこともあるからです。また、ひとりの人に一生で一度しか使えないし、先に相手に言われたらもう使えません。もし相手が「詐欺師」や「あなたに下心がある人」なら、いきなりあなたから「お会いできて嬉しいです!」と言えば相手のペースになり危険!というのは考えすぎですが…この「インディー・ティー・ダイ…」のフレーズは相手に言わせましょう

 

動物界にも社交辞令があるかも

 

 

  2 日本語では社交辞令でもタイではそうではない場合

 

 

機会があればまた会いましょう

日本ではお互い心の中では、「余程のことがない限り会わない」ことが多いと感じますが、「また会いましょう」とタイ人に言えば「いつ?」「何時?」と聞かれます

 

また、誘ってください

(もう誘われたくない場合も)日本では使いますが、タイでは明日・明後日のことと勘違いし、「いつですか?明日なら空いてますよ」とか言ったあと「いま、有名なお祭りやってます。行きますか?」「何か他に見たいものは?」などと勘違いするケースがあります

 

逆に年に1度タイ旅行をする人が、「来年も来るので、また誘ってください」と社交辞令と違ってお願いした場合、今度はタイ人が覚えていないでしょう。これまでも述べましたが、約束の賞味期限は長くて1週間程度です

 

(あの件)何かあればこちらから連絡します

これをタイ人に言っても、要件を明確に覚えているのは3日くらいかもしれません。むしろ、社交辞令で言ったことを忘れてくれるので気が楽です

 

逆にタイ人から「(あの件)またかけ直します」と言われても、かかってくることはないでしょう。こちらからかけ直しても「どうした、なにかあった?」…まあこのやりとりが自然だと事前に知っておくことをおすすめします

 

暑い国タイ

辛いものでないと食欲がでない

 

 

 上記背景

 

タイ人気質と風土の関係を何度かお話しましたが、ずっと同じような気候が続く国では、「区切り」の概念が希薄になると思われます。「時間にルーズ・すぐ忘れる」と日本人が感じるのも「時(とき)」を区切って行動する習慣が芽生え難いからでしょう…タイ人の多くがメモをこまめに取らないのもその現れかもしれません

 

年中暑いタイ

食糧はOK

 

おまけ①

☆行けたら行く(ไปก็ไป パイ・コ・パイ)

日本では、「調整次第では行きます」、タイなら「あなたが行くなら行く」といった返答ですが、基本的に「行きたくない」のが本音でしょう。タイ人から誘われて気が乗らないなら「パイ・コ・パイ」を使ってみましょう

 

このローカル線で行けたら行こう!安いから

 

 

3 タイの社交辞令ベスト1は 

 

 

キットゥン

 

 

今回は英語のI miss you.(恋しい・寂しい・想っている→場合によっては「好き、愛してる」)を表すキットゥン(คิดถึง)について考えてみましょう

 

歓楽街やナイトライフの場面で「キットゥン」と言われた場合は社交辞令や営業トークと割り切りましょう

 

筆者がFBの誕生日お祝いメッセージ(最近は簡単にできます)を送信すると、「ありがとうございます」をタイ語or英語or日本語で返信する人がいます。その返信に対し、「あなたのことを「とてもキットゥンしています(คิดถึงแกจัง)」と書くとリアクション(といっても絵でのメッセージで「私もキットゥン」)が返ってくることがありますが、社交辞令の典型的なやりとりとも言えます、理由は年賀状のように1年でたった1回のやりとりだからです

 

日本もタイも同じ

スマホは生活の一部

 

LINE交換までできても、友人止まりのケースが多いのは、何か共有する事柄(例:仕事・遠距離趣味仲間・レッスン対象者)ではないからです

ところで、タイ旅行者でこのキットゥンを言われ、本気で「I love you.」と言われたように錯覚する人が結構いますが仕方ないです、つまり

 

「キットゥン」は罪深い社交辞令

人懐っこいタイ人からキットゥンと言われれば、誰もがその気になるのは自然なことで、罪深い表現だと思っています、タイ語学校やガイドブックでちゃんと説明すべきだと感じています

 

 

本来の「キットゥン」を感じるには時間がかかる

というのも、タイ人が本気でI miss you.と言う場合、仕事でも、日常生活でも、毎日会っている(or週に1回でも)継続した期間の付き合いが前提になります

 

またsnsでの継続した付き合いより、むしろ直に会っていることが重要です。何語で話すかは重要ではありません、対面で話すことで、相手の息を無意識に受け取ることが大切なのです

 

息(いき)は生(いき)ることで、お互い生きたやりとりから初めることで、初めて「キットゥン=想う・恋しい・寂しい」という感情を交換しあえると感じます

 

本当に「キットゥン」なら「キットゥン」と言わない

毎日のように顔を合わせている相手を恋しいと想うときは、キットンやラック(愛する)といったフレーズを使わないで、たとえ数日しか会っていなくても「長いこと会ってなかったね」とか「どこに消えて(=行って)いたの?」のように他の言い方をするのが自然です

 

今はLINE、ZOOM、WhatsAPPなどで顔を見ながら話せます。タイと日本、4600キロ離れていても、継続して顔を見て話せると本当の友人になれるでしょう(特に恋愛関係を望むなら、かなり時間はかかりますが最低限必要な努力といえます)

 

性別問わず、いつも一緒だった人がいなくなると

「キットゥン」の想いが起こる

 

歓楽街ではビジネスライクで

 

おまけ②

日本人が帰国時にタイ人から言われるフレーズに「(今度は)いつ帰ってくるの?ータイ語:「เมี่อไหร่จะกลับมา?)」があります。タイ人にとってはありふれた言い方かもしれませんが、「帰ってくる」という語になんとなく後ろ髪を引かれます

*最近、最初にいた高校から「いつ帰ってくるの?みんなキットゥンしている。はやく帰ってきてまた教えてほしい」と某先生からラインがきましたが、返答に困りました→いろいろ考えて返信する頃、相手はこの件を忘れている可能性があるからですウインク

 

また、日本で長期休暇をとって訪タイし、帰る時に、「なぜそんなに急いで帰るの?タイ語:ทำไมรีบกลับ?」とよく言われます。「仕事があるから」「ビザの関係で」…など本当のことを言っても嘘をついているような気分にさせられます

 

上記2例、相手の真意は分かりませんが、仮に社交辞令だとしても、ほのぼのとした感じになる人が多いのではと想像します照れ

 

  エピローグ

 

ここまで書いてきて思うのは、筆者はタイが専門だから上記のような偉そうなことを言えるのであって、仮にタイではない他国に赴任したら、やはり「キットゥン」のような表現と出会えば、タイの初心者同様、「親愛表現」「愛情表現」と思いたくなるしょう、人間は感情の生き物ですから

 

 

 

 

課題

 

さてタイ語にも他にも聞き手を困惑させるフレーズはあるはずです、例えば

*すばらしい(ケン・マーク、スット・ヨートなど)

*お大事に(ハーイ・ワイ・ワイ)

*ご幸運を(チョーク・ディー)

など…気がついたら自問自答してみましょうチョキ

 

 

ここまでにしましょう

 

 

 

みなさんこんにちは

 

 

「大人の対応」という言葉をよく聞きませんか?

 

あたりさわらず、事を荒立てない、どんな間違ったことを言われても言い返さないなどなど…そういったことが「大人の対応」と言われ、大人の対応を取ることに何の疑いもない風潮があります

 

日本では(日本的)大人の対応ができる人が人格者であり、あるいは仕事のできる人、リーダーの必須条件と見做されているようです

 

今回は、「他者から自分にとって理不尽なことを言われたとき」の反応について、日本とタイの「大人の対応」について比較してみましょう

 

 

  1 日本人の場合

 

 

相手が悪いと誰もが思っても、じっと我慢する、場合によっては(不本意に)謝罪する、口答えは絶対しない→これが日本人の大人の対応の代表的事例です。周囲の人も見て見ぬふりをして関わらないようにする。たとえパワハラ級のことをされても泣き寝入りすることも多いですね

 

「忖度」や「暗黙の了解」も大人の対応なのか?と穿った見方をしてしまいます(このふたつ、タイではあり得ません。またタイ人に「忖度」や「暗黙の了解」を求めてもムダです)

 

大人の対応に従いすぎる人は、必ず後遺症が出ると思います-これがタイと決定的に異なる点だと思います

 

まず、我慢することでストレスが溜まり、鬱状態になることは今や万人の知るところとなりました、以後憎しみが後々まで引き、人によってはトラウマになり自信がなくなる、そして自分自身の行動に制限をかけ、殻に閉じこもり心の底から喜べない日々が続く

 

真面目な人に限って不必要な「反省」をし、最終的に引きこもり、無口になってしまうなどなど…事例をあげればきりがありません。こんな話、書いていても嫌になりますね、ですが現代日本に根付いていることは事実でしょう。そんな被害者に他者は「なんとか辛抱してくれ」とか「頑張れ!」としか言えないのが一般日本人の限界かもしれません。私見としては「我慢したり、頑張ったりしなくてもいい」と思います

 

 チープな美学はNG

 

日本人の「大人の対応」は自分さえ我慢すればという「チープな美学」だと思います。日本の性なのかもしれませんが、この考えに疑問を抱く多くの方々(特に若者)はこの「チープな美学」をゴミ箱に捨てましょう。人生の無駄遣いのように思います

 

日本人は常に群れの中での自分を考える

 

 

  2 タイ人の場合

 

 

さて、タイの場合です。誰が聞いても相手が悪い場合、タイ人は即反撃に転じます。我慢などしません。彼らの反撃は声は小さくても凄まじく、自身の主張を相手にぶつけ、最初に指摘した相手も再度言い返し、言い合い合戦が続きます。周囲の人も無関心にならず自分の主張を言い始めることも多々あります

 

このように、自分自身の主張(意思)を相手に明確に伝えることが、タイ人の大人の対応だと感じます

 

 

そして、長時間、お互い言いたいことを言った(伝えた)わけですから、意見がどうしても合わなければ、そのコミュニティー(会社など)を辞めて、さっさと別の世界へ行くケースが多いですね(その分、職を転々とする)のが一般的です

 

結果、言いたいことは言いつくしたのでストレスはほぼありません。組織に合わない場合、環境を変えることで恨みが後々まで残ることはないでしょう

 

たとえ、環境を変えられなくても、ストレスで鬱状態になり、引きこもることは(薬物でもやっていない限り)レアケースだと思います。なぜでしょうか?

 

タイ人は何か不当なことをされた場合2つの現象がおこります、それは

 

 

 

 譲歩せず自分が正しいと思う気持ちが増強する

 

日本人から見て「悪い」と感じることも「一歩も引かない」強さがあります。タイ人同士の言い訳合戦は結構長引きますが、不幸中の幸いなのか、翌日まで口論を持ち越さない場合がほとんどです

 

 

 上記に関連して、憎しみや仕返しの感情はいくら強くても持続しない

 

タイ人はそんなに長く同じ感情を維持することが(いい意味で)苦手です。 ただし恋愛における嫉妬の感情だけは例外です(タイドラマでも定番のテーマですからご用心ください)

 

反省しない

そして「悪いことを言って怒らせた」という「反省」はしません…といいますか、タイ語には(日本語にぴったり合った)「反省」という単語がないと思っています。たとえ「悪いことを言った/言われた」と感じても、その感情は上の例と同様、次の日まで持続しないでしょう

*(「ブログ・タイ人は1日が4コママンガ」で述べたように)強い憎しみを感じても、後のトラウマや引きこもりにつながる可能性は日本に比べたら格段に低い(というよりない)はずです

 

 

 

 

大人の対応のまとめ

 

日本人:我慢して事を荒立てない→自分の気持ちを抑え他者を気にして行動する傾向がある日本人は周囲から自主的な大人の対応を求められ、結果後遺症が長期にわたって残る可能性がある

タイ人:我慢しないで主張する→他者は他者、自己感情を優先し率直に発言することが多いタイ人はタイ的な大人の対応を自主的にするが後遺症は発症しない

これらが日本人・タイ人の「大人の対応」の違いとその根拠だと考えられます

 

 

  タイ人・日本人の「大人の対応」の正体と対策?

 

筆者の私見としては、タイでは案外風土の問題が影響していると思っています

 

上例の「嫌なことも忘れるのが早い」はタイ人の大人の対応ではなく、暑い風土では自然と(不随意的に)忘れてしまうのです。酷暑の中での作業に体力が要るように、年中暑いタイでは、理不尽なことを言われても「悩み考えこむ」ことで体力が消耗するので、やがて「どうでもいいや」となるのです

 

大人の対応とマイペンライ

この「どうでもいいや」という風土的感性が、あの「マイペンライ(大丈夫)」というタイ独特のフレーズを生み出した根源であり、自由に自分の意見を主張しても(つまり、タイ式大人の対応をしても)、いずれ「マイペンライ」という歯止めによって深刻な事態(鬱病やトラウマなど)にならないことをタイ人は潜在意識下で認識していると筆者は感じています

 

「マイペンライ」は(日本・タイ問わず)、「大人の対応」が暴走しないような働き(日本のストレス過多、鬱病やトラウマ、タイの口論のはてに起こる暴力など)に歯止めをかける働きがあるともいえます

 

日本人もマイペンライという思考を見習いましょうウインク

 

 

 

おまけの話 

 

「我慢」は仏教では否定されます。我慢の「慢」は「慢心する」という意味で、我慢は「我(=自分に)慢心する」が本来の使い方です。極端に言えば「自惚れる」ともとれ、「他者のために我慢する」のは「他者に対する自惚れや自慢」と言えば言い過ぎかもしれませんが、こう考えると、我慢する裏には、自分を苦しめるだけでなく、相手より自分の方が偉い、俺/私を見習って苦しめ」という屈折した心理状態が潜んでいる可能性があります叫び

 

一方、タイ人が我慢しないのは仏教の教えに自然と従っているみたいですが、ちょっと話が出来すぎですね爆笑

 

仏教は中道(道の真ん中を行く)ことを重視します

タイ語でเดินสายกลาง (ドゥーン(歩む)・

サーイ(道)・クラーン(真ん中)といい

偏らない生き方を説いています

 

 

ここまでにしましょう