みなさんこんにちは

 

 

 

今回は日本人・タイ人の比較を「常識」という角度から見ておきましょう

 

「常識」ってなんでしょうか?

 

法律とは違いますね、宗教でも道徳でもない、地域や職場などの慣例・慣習・習慣でもないような気がします

 

法律や慣習、習慣などの論拠があれば、「Aの場合Bという対応をする」に対し、反対者がいても、一応「Aの場合Bを行う」が正当化され、聞き手(反対者)も納得せざるを得なくなるでしょう、ところが

 

「常識」には一貫した実態や正解不正解がありません

 

「常識」は人や地域によって異なります、「常識」と口にするとき、発言者は「自分が絶対正しい」と信じ、相手特有の考え方に全く気づかなくなりがちです。この点が「常識」の盲点ともいえます

 

例えば、決まり文句「常識で考えれば~すべきだ」(あるいは、「普通に考えれば~すべきだ」)と言われ、聞き手が腑に落ちないと、その後、不信感・対立意識・反発心などが起こり、まして立場が弱いと、ストレスや自己不信から心身を病むことが近年多発しています

 

「常識」は気軽に使える反面、確固とした実態がないため危険な用語かもしれません

 

「普通は~だ」の「普通」も「常識」と同じでしょう 

日本人は「常識」を人だけでなく、外国そのものに対しても使います

 

 

「日本の常識」では生きにくいと感じている方へ

 

今回はタイ人の行動を手がかりに「タイの常識、つまり日本では非常識かもしれないこと」を参考にし、これまでの常識を疑ってみましょう。(日本人同士でも人によって「常識」が異なるのに)読者の「常識」が、全世界でも通じると思うなら、それは読者の勘違い、家と職場の往復だけの日々では仕方がないことかもしれませんね

 

日本は技術面ではまだ誇れても、すでに心理面・精神性では後進国となったと思われます、タイと関わっている読者ならこのあたりで他国(ここではタイ)の人々の常識を他山の石としてはどうでしょうか

 

 

 

 

タイ的常識5選(他にもありますが割愛)

 

  1 人に迷惑をかけてもいい

 

 

これはお釈迦様も公認していますが、他人に迷惑をかけない人はいません

 

タイ人は他人に迷惑をかけてでも自由を大切にします(因みに「タイ」は「自由」という意味らしい)、まず自分が平穏な心になることをタイでは重視されます。タイ人が他人から迷惑を受けたことで怒ることは(一部のビジネスを除き)あまりなく、マイペンライ(この場合の訳は「仕方ないね」)となって終わります。

 

微笑みの国タイ人の笑顔は彼らの平穏な心(or心理的余裕)が基になっていると感じます

 

窃盗をしたり、パワハラをしたり等等、犯罪の場合を除き、例えば体調不良のとき、重要会議を欠席したり、家事を休んだり、混んだバスの中で高齢者に席を譲らないなどは堂々と行いましょう。自身を犠牲にしなくていいのです

 

Uターンができない迷惑な道

しかしなんとかなっているように見える

 

まずは読者が「楽(サバーイ)」になることが先

他者を助け、笑顔になってもらうには自分を犠牲にしてはいけないと思います、「重要会議に出席しなければ」と考えず、自分ファーストでいきましょう…とタイ人は教えてくれています。自分を大切にしているため、多くの人々に親切になれる…筆者はそう感じています

*ここで反発がでそうですね。「私には家族の生活があるので自分は犠牲にならなければ」「介護をしなければならないので私は犠牲になっても」等です。日本に住んでいれば避けられないことですが、あえてタイの場合を考えると、子供は近所の人が面倒を見てくれます、そして介護を必要とする高齢者は、元気な高齢者が世話をする…この「助け合う社会構造」を日本は構築できなかったのです…理由はそれぞれとしても、日本が精神的後進国である一例と言わざるを得ません

 

 

 

  2 いい子(=偽善者)になるな 

 

 

タイ人はお金をもらうときは、生活の糧として一時的に日本的な「いい子」になるかもしれません

 

ですが無理して相手の目を気にしすぎ(できないかもしれないのに)「私がやります」のような優等生発言はしません。無理して「いい子」を演じるより、できないなら、いつもの(作業可能な)仕事に取り組んでいる方が健全です

 

「あなたがいないと仕事が回らない」と言われて(異常に)喜ぶのは日本人くらいかも?

 

タイ人ならそんな甘言は笑顔でスルーします,(やりたければやればいいのですが)やりたくない仕事を無理してやることはありません、何か理不尽なことを言われ、あなたが不満を言えば(日本人上司の)決まり文句「お前の代わりはいくらでもいる」と言われておしまいですから「おあいこ」です

 

意味のない苦労をして称賛される時代は終わりました

タイではもともとそんな称賛を喜ぶといった発想は日本の昭和の時代でもなかったはずです(華僑は別、彼らはタイ人ではありませんから)

 

 

 

 

  3 努力信奉を疑え

 

 

「努力」という漢字、よく見ると「怒りの力」のように感じるのは筆者だけでしょうか?

 

タイではもともと「努力」は「苦しむ」というニュアンスがあることは以前にも述べました。幸か不幸か、各自に与えられた素質は各人各様で、何もしなくてもできる人はできる、どんなに努力してもできないものはできないーこれを一律にできるよう指導するのは不平等だと感じます

 

筆者の住んでいたタイのアパートにはタイ人労働者が大勢いました、彼らはよく「あの日本人マネージャーアホちゃうか、まるで右利きの人に左利きになれと言っているような命令じゃない…」―これはマネージャーのせいではありません。そのマネージャーを教えた日本の学校(or先生)の責任でもあると感じます

 

「努力すれば何でもできる」教育(思想)はまるでインチキ宗教のごとく危険です

たとえば、今の日本の「就職氷河期世代」は努力し続けました、おそらく氷河期前後の世代より読書量も多く博識です、他の世代は彼らを助けず都合良く使い、切り捨ててきたため、大企業の重役より危機管理がすぐれ、判断力もあり優秀だと感じます、ですがその結果報われた人は筆者の周囲ではゼロです、努力とは何でしょうか…

 

それに引きかえ、タイ人は必要以上の努力をせず、経済的にも(日本人の目から見れば)恵まれなく、出世しなくても日々楽しく幸せに暮らしています

 

その当たり前の姿を見て(経済的余裕があっても)「羨ましい」と感じたら、メンタル面でかなり辛い状況にあると思われます

 

歳をかさね、お金や権力を使わず楽しめて心暖まる会話ができるノウハウがないと寂しいですね。タイ人はお金をかけずに楽しむ方法を知っています

*タイにも「努力のあるところに成功がある(ความพยายามอยู่ที่ไหน ความสำร็จอยู่ที่นั่น)」という格言がありますが、「努力」の部分を「苦しみ」と読み替えるとタイらしく感じます

 

 

 

 

  4 楽な道を選べ

 

 

タイ人の常識で、「(心身共に)楽であること(サバーイ)が最重要だと何度か述べました。

 

極論ですが、端的に言えば「やりたくないことはやらなくてもいい」

それがタイ人の大半の常識と思われます。その証として

 

タイでは他者の自由奔放な行動に対し、日本人の常識以上に寛容です(政治・金銭トラブルは例外)

 

相手から迷惑をかけられたと認識する日本人の感情は、タイ人なら多分「彼らは結局、ああするしかなかったんだ、ま、別にいいじゃないか…」となる場合が大半かもしれませんーそして「仕方がない」と受け流すのがタイでの紳士的対応だと思います。

*読者自身の常識「オレの若い頃は云々」とか「オレのいた前の会社ではもっと効率的に云々」などに固執するのは「自分のみの常識」を押し付けているだけで、聞き手は不快「サバーイでない」状況になり…「常識」に従うことで、日本人の好む常識「人に迷惑をかけてはいけない」を否定するパラドックスに陥ることになります

 

常識を説くことが非常識発言になり、それに悩む日本人をタイ人は不思議に感じているのではと想像します

 

いずれにせよ「楽な道を選ぶ」は「自由」への近道だけではなく、他者に寛容になれる隠し味をもっていると(タイ人と接するたびに)感じる場面が多いですね、それでもやはり「他人に迷惑をかけたくない」と遠慮して不自由を選ぶ???

 

「他人に迷惑をかけたくない」思考はある程度までにしませんか

 

迷惑をかけたと思い込んでも、相手は何も感じてない(or気づいていない)ことの方が多いかもしれません…人は自分のことを考えるだけで精一杯、あなたのかけたと思う迷惑など案外「他人事」かもしれません…深く考えるだけ心労がたまるだけ…ミイラ取りがミイラになってしまいます

 

睡いのでちょっと昼寝休憩

この休憩でどんな迷惑が起こるのだろうか?

 

 

  5 1+1=2でなくてもいい

 

 

昨今のマニュアル化社会、何か知りたくてコールセンターに電話すると人でなく、音声ガイダンスによって解決する時代になりました。マニュアル化は効率的でもあるので一概に否定できませんが、高齢者には地獄絵巻のようで可愛そうです

 

マニュアル信仰の末路

マニュアル信仰時代の今ですが、若い世代もいずれ、物覚えや体力の衰えを感じるときが来るでしょう、その頃の仕事はすべてAIがやり、今の若者世代の多くはひょっとしたら農業従事者になっているかもしれません(いま一番深刻な農業従事者の高齢化です―農業従事者がいないと食生活に困るので需要はなくならないでしょう…)

 

 

 

マニュアルがない職業が主流になる

そんなとき、「オレの若い頃はブラインドタッチが当たり前で、EXCELでマクロが組め、VLookなどでAIを支配していたんだ」と過去の栄光(??)を誇っても、未来の若者からは「はやく、牛に餌をやれ」と言われる時代が来るかもしれません、農業に限らずマニュアルがない職業が主流になるような予感がします…

 

 

自然に帰ろう

 

発想は柔軟に

さて、タイ人はマニュアルを作るのも、マニュアルに従うのもかなり苦手かもしれません。その分、発想は日本人より柔軟な感じがします、

 

あるときタイ人から「1+1=2」でなくてもいい、オレは3がいい」と言われました。「なぜ?常識、いや規則(=マニュアル)では絶対2でしょ」と言えば、「1を人と見れば、男女が結婚すれば、子供ができて3になるだろ」と言われ苦笑したことがありました

 

日本人が「タイ人はいい加減」と思っても、タイ人は「タイでは柔軟に対応するのが普通」と言い返されるかもしれません

 

 

警官が勤務中に商人になるのは常識ではだめでしょうか

体調の悪い娘さんを手伝うお父さんです

地方タイでは、仕事の制服を普段着にする人もいます

 

 

おまけの話 

 

 

タイ語に「常識」という単語はあるのでしょうか?

 

タイ語で「常識」はサーマンサムヌック(สามัญสำนึก)といい、直訳は「感じたり、意識する感覚」となります。「感覚」は個人の感情なので、日本語の「常識」とは一致しません

 

タイ人同士では他者のサーマンサムヌックにあれこれ真剣に意見しませんが、冗談や、皮肉、一時的な即答で言い返すことはあります、これは親しみの裏返しだと感じます

 

 

タイでは常識(サーマン・サムヌック)という単語を使って会話することは(筆者の経験不足のためか)あまり聞いたことがありません、感情面以外のむしろ数値的なニュアンスで「通常は(パッカティ)」「多くの場合(スアン・ヤイ)」と言うほうが自然です

 

各国にはそれぞれ異なった「常識」があります

ーそれを「正義」という人もいます

その「常識」が古より自国や他国の人々を苦しめています

 

合法的な範囲で「常識」という不可視な鎧を外してみましょう

心身ともに楽になれば、今後の人生の「幸福組」になれるはずです

 

*「幸福」に「勝ち組、負け組」はありません、また「不幸組」もありません…念のため

 

 

 

 

ここまでにしましょう