みなさんこんにちは

 

 

「大人の対応」という言葉をよく聞きませんか?

 

あたりさわらず、事を荒立てない、どんな間違ったことを言われても言い返さないなどなど…そういったことが「大人の対応」と言われ、大人の対応を取ることに何の疑いもない風潮があります

 

日本では(日本的)大人の対応ができる人が人格者であり、あるいは仕事のできる人、リーダーの必須条件と見做されているようです

 

今回は、「他者から自分にとって理不尽なことを言われたとき」の反応について、日本とタイの「大人の対応」について比較してみましょう

 

 

  1 日本人の場合

 

 

相手が悪いと誰もが思っても、じっと我慢する、場合によっては(不本意に)謝罪する、口答えは絶対しない→これが日本人の大人の対応の代表的事例です。周囲の人も見て見ぬふりをして関わらないようにする。たとえパワハラ級のことをされても泣き寝入りすることも多いですね

 

「忖度」や「暗黙の了解」も大人の対応なのか?と穿った見方をしてしまいます(このふたつ、タイではあり得ません。またタイ人に「忖度」や「暗黙の了解」を求めてもムダです)

 

大人の対応に従いすぎる人は、必ず後遺症が出ると思います-これがタイと決定的に異なる点だと思います

 

まず、我慢することでストレスが溜まり、鬱状態になることは今や万人の知るところとなりました、以後憎しみが後々まで引き、人によってはトラウマになり自信がなくなる、そして自分自身の行動に制限をかけ、殻に閉じこもり心の底から喜べない日々が続く

 

真面目な人に限って不必要な「反省」をし、最終的に引きこもり、無口になってしまうなどなど…事例をあげればきりがありません。こんな話、書いていても嫌になりますね、ですが現代日本に根付いていることは事実でしょう。そんな被害者に他者は「なんとか辛抱してくれ」とか「頑張れ!」としか言えないのが一般日本人の限界かもしれません。私見としては「我慢したり、頑張ったりしなくてもいい」と思います

 

 チープな美学はNG

 

日本人の「大人の対応」は自分さえ我慢すればという「チープな美学」だと思います。日本の性なのかもしれませんが、この考えに疑問を抱く多くの方々(特に若者)はこの「チープな美学」をゴミ箱に捨てましょう。人生の無駄遣いのように思います

 

日本人は常に群れの中での自分を考える

 

 

  2 タイ人の場合

 

 

さて、タイの場合です。誰が聞いても相手が悪い場合、タイ人は即反撃に転じます。我慢などしません。彼らの反撃は声は小さくても凄まじく、自身の主張を相手にぶつけ、最初に指摘した相手も再度言い返し、言い合い合戦が続きます。周囲の人も無関心にならず自分の主張を言い始めることも多々あります

 

このように、自分自身の主張(意思)を相手に明確に伝えることが、タイ人の大人の対応だと感じます

 

 

そして、長時間、お互い言いたいことを言った(伝えた)わけですから、意見がどうしても合わなければ、そのコミュニティー(会社など)を辞めて、さっさと別の世界へ行くケースが多いですね(その分、職を転々とする)のが一般的です

 

結果、言いたいことは言いつくしたのでストレスはほぼありません。組織に合わない場合、環境を変えることで恨みが後々まで残ることはないでしょう

 

たとえ、環境を変えられなくても、ストレスで鬱状態になり、引きこもることは(薬物でもやっていない限り)レアケースだと思います。なぜでしょうか?

 

タイ人は何か不当なことをされた場合2つの現象がおこります、それは

 

 

 

 譲歩せず自分が正しいと思う気持ちが増強する

 

日本人から見て「悪い」と感じることも「一歩も引かない」強さがあります。タイ人同士の言い訳合戦は結構長引きますが、不幸中の幸いなのか、翌日まで口論を持ち越さない場合がほとんどです

 

 

 上記に関連して、憎しみや仕返しの感情はいくら強くても持続しない

 

タイ人はそんなに長く同じ感情を維持することが(いい意味で)苦手です。 ただし恋愛における嫉妬の感情だけは例外です(タイドラマでも定番のテーマですからご用心ください)

 

反省しない

そして「悪いことを言って怒らせた」という「反省」はしません…といいますか、タイ語には(日本語にぴったり合った)「反省」という単語がないと思っています。たとえ「悪いことを言った/言われた」と感じても、その感情は上の例と同様、次の日まで持続しないでしょう

*(「ブログ・タイ人は1日が4コママンガ」で述べたように)強い憎しみを感じても、後のトラウマや引きこもりにつながる可能性は日本に比べたら格段に低い(というよりない)はずです

 

 

 

 

大人の対応のまとめ

 

日本人:我慢して事を荒立てない→自分の気持ちを抑え他者を気にして行動する傾向がある日本人は周囲から自主的な大人の対応を求められ、結果後遺症が長期にわたって残る可能性がある

タイ人:我慢しないで主張する→他者は他者、自己感情を優先し率直に発言することが多いタイ人はタイ的な大人の対応を自主的にするが後遺症は発症しない

これらが日本人・タイ人の「大人の対応」の違いとその根拠だと考えられます

 

 

  タイ人・日本人の「大人の対応」の正体と対策?

 

筆者の私見としては、タイでは案外風土の問題が影響していると思っています

 

上例の「嫌なことも忘れるのが早い」はタイ人の大人の対応ではなく、暑い風土では自然と(不随意的に)忘れてしまうのです。酷暑の中での作業に体力が要るように、年中暑いタイでは、理不尽なことを言われても「悩み考えこむ」ことで体力が消耗するので、やがて「どうでもいいや」となるのです

 

大人の対応とマイペンライ

この「どうでもいいや」という風土的感性が、あの「マイペンライ(大丈夫)」というタイ独特のフレーズを生み出した根源であり、自由に自分の意見を主張しても(つまり、タイ式大人の対応をしても)、いずれ「マイペンライ」という歯止めによって深刻な事態(鬱病やトラウマなど)にならないことをタイ人は潜在意識下で認識していると筆者は感じています

 

「マイペンライ」は(日本・タイ問わず)、「大人の対応」が暴走しないような働き(日本のストレス過多、鬱病やトラウマ、タイの口論のはてに起こる暴力など)に歯止めをかける働きがあるともいえます

 

日本人もマイペンライという思考を見習いましょうウインク

 

 

 

おまけの話 

 

「我慢」は仏教では否定されます。我慢の「慢」は「慢心する」という意味で、我慢は「我(=自分に)慢心する」が本来の使い方です。極端に言えば「自惚れる」ともとれ、「他者のために我慢する」のは「他者に対する自惚れや自慢」と言えば言い過ぎかもしれませんが、こう考えると、我慢する裏には、自分を苦しめるだけでなく、相手より自分の方が偉い、俺/私を見習って苦しめ」という屈折した心理状態が潜んでいる可能性があります叫び

 

一方、タイ人が我慢しないのは仏教の教えに自然と従っているみたいですが、ちょっと話が出来すぎですね爆笑

 

仏教は中道(道の真ん中を行く)ことを重視します

タイ語でเดินสายกลาง (ドゥーン(歩む)・

サーイ(道)・クラーン(真ん中)といい

偏らない生き方を説いています

 

 

ここまでにしましょう