捉え後の世界(捉え暦):11ヵ月20日

原始体操開始から:1年11日

検証理論:北京原人理論(重心力トレーニング)

 

3本の軸がわずかだか同時に感じ始めてから(2年14日【3本の軸・大腰筋・伸ばす縮める】)、ようやく日常的に軸を感じて、それに沿って生活することができるようになってきた。軸の日常化がかなり進んだ。そしてこれに伴い「眉間の眼」も日常化している。

 

3本同時認識から、ここまでの経緯を少しまとめておく。

 

最初に起きたのは眉間と下っ腹の繋がりである。いわゆる上丹田と下丹田が繋がり始めた。この2つが繋がっていると感じている時は手刀チェックはもちろんOKだし、「眉間の眼」が発動している状態になっていた。

 

しかし、胸との繋がりに違和感を覚えていた。眉間と下っ腹の間にあるの胸骨の奥の収まりがいまいちだった。上下を結ぶ線の間に上手く並んでいない感じだった。胸が逃げている感じであった。そんな時に、胸骨を指先で押して姿勢を整えるみたいなことが、太極拳の本に書いてあった。押してみる、おお、なるほど、胸が軽くなる。で、気づいた。上下を結ぶ線に対して、胸が少し後ろに行っていることに。

 

そこから、眉間―胸骨―下っ腹(上中下丹田)がいつも繋がっている状態を日常的に維持して過ごしてみた。

 

ただ、まだ安定感がなかった。そんなことしているうちに、左右股関節を徹る軸がはっきりしてきた。そっか、股関節のことを忘れていたと思い、もう一回意識化した。

 

そうすると、今度は股関節から胸の乳首の奥辺り(肋骨の奥)を結ぶ軸が出来上がってきた。感覚的には股関節から乳首の奥辺りに太い杭が下から上に出ている感じである。

 

そして、そこのピンポイントに肋骨より上を預ける。そうすると、股関節はこれまで以上にオンになり、杭、つまり軸がもの凄いはっきりした。

 

それと同時に、今度は左右の軸の下へのベクトルに拮抗するかのように、下っ腹(特に会陰)→胸骨の奥→眉間の奥という順番で上のベクトル、つまり中心軸が発生した。

 

そう、3本軸が同時に、かなりはっきりした状態で発動したのである。

 

逆も試してみた。左右の軸は上のベクトルで、中心軸は下のベクトル。実に面白い。

 

さらに気づいた。あれ、これって大腰筋エレベータの時の感覚と酷似している。5月1日(令和元日)からエレベータを始めてから一カ月、その成果が出てきたようだ。そして、やり方も間違っていなかったようだ。二の腕はまったく太くなっていない。お腹はぷにぷにのまま。しかし、軸がはっきりしてきたのだ。

 

日常的に3本軸ができている生活をしていると、またまた気づいた。左右から中心方向に向かって、つまり内旋で、螺旋状に、上から下に、下降気流のような力の風が吹いている。別に身体を内旋されているわけではない。

 

てな感じで、現在、立ち歩き座りのいずれにおいても、3本軸がある状態で過ごしている。

 

で、さらに感じたことがある。

 

それは、3本軸が徹ってそれに身体ちゃんと委ねられていると、真っすぐしようと思わなくても真っすぐに勝手になっている。だから、もちろん猫背にもならない。というか、猫背にも、極端に胸を張った姿勢のどちらにもなりようがない、といった方が正確かもしれない。それ故、力みようもない。

 

おそらく、重力、自重、ヒトの骨格、筋肉の関係で、胴体深部が十分に活性化して.3本軸ができると、自然の法則により、このような姿勢になるのだと思う。

 

巷にあるトレーナー同士の「猫背VS真っすぐな姿勢」論争で言われている、特に「猫背でも動きやすければそれが正しい姿勢で、無理にまっすぐするのは窮屈でダメな姿勢」というのには違和感しか覚えない。

 

西洋式の姿勢とか、昔からの日本の姿勢とか色々言われているようだが、それはあくまで外面的なものであって、本質的なことでは無いようにしか思えない。

 

理由は非常に単純で、3本の軸がしっかりと形成されれば、つまり、「軸のある住人」になれれば、自然の法則に従って、ヒトの姿勢は何もしなくて猫背でもない極端に胸張った姿勢のどちらにもならない。力みのないリラックスした状態で外見上は地面と垂直に近い姿勢に自動的になる。肋骨が適切な位置にあるので、背中が少し丸みを帯びる。肋骨本来の丸みである。決して猫背の丸い背中ではない。肋骨の位置が正しいと、肩は脇から生えているではないかと思うぐらい下がり、嫌でも広背筋・前鋸筋が優位に働くので、腕の力みが激減するし、肩こりも激減する。

 

残念ながら、論争しているトレーナーの多くはおそらく「軸の無い住人」。なぜなら、「軸のある住人」になれば、そもそも問題にならない。軸があればそもそも猫背になりようがない。

 

これは「軸の世界」に入って「軸のある住人」になって初めて見えてきたことである。

 

「中心軸の感覚は、まさしく誰にとっても依って立つ基準であり、そのまま達人の動きにたどりつく出発点でもあるのだ。中心軸の感覚があるとないとでは、動きばかりだけでなく、物のとらえ方、見方まで変わってくる。私は、誰もが中心軸の感覚を持ち、それを基準にしてさまざま表現活動をしていけば、かなり面白い世界になると思っている。」(『スーパーボディを読む』p167より引用)

 

「軸の無い住人」のままでは、達人やスーパープレーの動きを分析できないし、ましてや真似などは到底できないことを暗に言っている。また、「軸のある住人」になることが出発点あり、余計なお節介だが、残念ながら、日本サッカーの低迷の理由は、この出発点にすら立てていないトレーナーや選手が多いのが現状だからではないだろうか。

 

自分はもちろん仕事でアウトプット(表現活動)をする機会がある。これからどんな世界が観えて、どんな世界を創造できるか楽しみでしょうがない。

 

ウソか本当か、身体内部からの報告でした。

 

始まりはいつも北京原人から。