西国三十三カ所めぐり 滋賀、京都 激坂編
(三井寺の納経堂)
昨日(8/15)は、先日、ディレイラーの断線でギア固定で京都の平地のお寺だけを回ることになった西国三十三個所巡りで飛ばしてしまった大津方面のお寺へ。
切れたワイヤーを交換してもらい、JR石山駅からスタート。ここから「岩間寺」を目指します。
大津と山科の間の山の中にある岩間寺。お寺までの3キロの山道は激坂でした。途中、1キロぐらい押してのぼりました。写真がボケるぐらいバテバテです。松尾芭蕉の俳句をここで読まされても役にたちません。自転車を押して登っていたら、ランニングウェアの中年カップルが激坂を歩いて降りてきます。もしかして走って登ってきた?
帰ってから調べたら、自転車乗りの間では一応知られた練習コースらしいです。久しぶりのガチ乗りの私には無理でした。
なんとかたどり着いて第十一番札所 御朱印獲得。
激坂を恐る恐る下って、交差点のコンビニで飲み物を買って飲んでいると、先ほどのランナーカップルに出会いました。登りより、あの坂を自転車で降りた、という方に関心されました。
次は、近くの石山寺。
ここは色々有名な大寺院です。門前には食堂、土産物屋などが文字通り市をなしてます。
お盆なので、お祭りの提灯がでてました。
高台にある本堂で御朱印をいただきました。ここでも、先ほどのランナーカップルに出会いました。どうも西国巡りを走ってやっているようです。
次は、大津の「三井寺」です。
御朱印は本堂ではなく西の端にある観音堂でいただきます。ここも有名大寺院で、沢山の建物があります。琵琶湖が良く見える高台です。
これが有名な「三井の晩鐘」です。この日はお盆で特別に、無料で一人一回、鐘をつくことができました。鐘の残響が残っている間に祖先にお祈りするのだそうです。
門前の茶店でにしんそばをいただきます。丁度、ちょっと小雨が降ってきて汗冷えもしたので温かいものが食べたかったのです。この店からお寺の山門のほうを眺めていたら、さっきのランナーカップルが入っていくではありませんか。やっぱり石山寺から走ってきたのですかね。10キロぐらいだから丁度良い距離ですし。この後、清水寺までまさか走っていった?
さて、これで、先日パスしてしまった、大津の三寺を回ったのですが、まだ時間はあるので。京都の西山にある善峯寺を目指すことにします。大津から京都にいく道は国道1号しかないのですが、交通量が多く危険そうなので避けたいところです。以前にも通った、三井寺の裏から山科に抜ける「小関越え」という山道でいくことに。
さっきの岩間寺の参道に比べたら楽勝のミニ峠です。ここから山科の谷間の住宅地を通って山科の旧東海道を経由して京都の南禅寺にでてきます。
途中に「蹴上」というところを通過したので確かここに「インクライン」の遺構があったはず、と思い出し、探すと道の向こうにありました。
これがインクラインの廃線跡です。一見普通の鉄道跡に見えますが、ちがうのです。
こういう舟を台車に乗せて、京都と琵琶湖の間の物流を明治時代にになっていたものです。最初は水車でウィンチを巻き上げる仕組みだったそうですが、のちに日本最初の水力発電所がここにできてモーターで動かしていたそうです。
ここには琵琶湖疎水という琵琶湖の水を京都に引く水路があって、疎水は途中で地下の水路トンネルになってしまい舟が通れないので、インクラインが設置されたそうです。大津京都間は当時は険しい旧東海道の峠道しかなかったので重要な輸送手段だったようです。
南禅寺の前に「琵琶湖疎水記念館」というのがあって説明図などがありました。私が自転車で通ってきたルートはほぼ琵琶湖疎水ぞいだったらしいです。
ここで、ちょっと時間をとってしまったので、寄り道しないで、京都市内を横断して、太秦あたりから南下して善峯寺を目指します。
洛西ニュータウンの裏あたりから西山を登っていったところに吉峰寺はあるのですが、この坂がまたもや約3キロの激坂で、またまた途中で沈没してしまい、最後の1キロぐらいは押して登りました。
ここも後で調べたら自転車乗りには知られた練習コースだった。なんと、この先にもっと恐ろしい坂があるそうです。
ヘロヘロになって、自転車をお寺の入り口の橋に停めて、さらに徒歩で坂道を登りようやく到着。閉門5時で、4時半ごろ到着。急いで御朱印をいただき、軽く境内を見学。異常に真横にのびた天然記念物の松とかありました。
この日は時間があれば亀岡の次の札所までいけるかと思ったのですが、無理でした。後日行きましょう。
下ってきて、長岡京をちょっと通り過ぎたところにある「ひじりのね」という日帰り温泉で汗を流しました。ここは、どこかのアルカリ分の濃ゆい温泉をもってきていてお肌すべすべになるいいお湯でした。
その後、阪急長岡天神駅前で居酒屋をさがしたら「クウノハナレ」という変わった名前のクラフトビールの店があったので入ってみました。
松江のスタウト、箕面のペールエールなどを美味しくいただきこの日をじっくり反省いたしました。
この日の走行距離は 68キロ、獲得標高は804メートル。天候、風邪、自転車故障などが続き、ガチのヒルクライム付きサイクリングは7月初めのグランフォンド吉野以来でした。登坂力下がってます。
この日のコースはこの Garmin Connect に。
三十三個所めぐりの20番までクリアしました。次は亀岡の穴太寺と北摂の三寺を回りたいと思います。その次は姫路方面の三寺ですが、その後が天橋立、琵琶湖の竹生島、岐阜の山奥など遠いところになります。今年中には全部回りたいですね。
西国三十三カ所めぐり 京都編
今日は、久しぶりに西国三十三カ所巡りの続きをやろうと、JR宇治駅まで輪行。宇治あたりの2カ所と大津方面の3カ所を巡る予定でした。
ところが!
輪行作業中に、リアの車軸で電動ディレイラーの電線を挟みこんでしまい、断線! リアディレイラーが動かなくなりました。トップ固定!
幸い、フロントの方は動くので、インナーに落として、インナー・トップという変なギア比で取りあえず走れますが、これでは坂道がうまく登れません。とりあえず、前半の宇治の2寺は坂があまりないので、そこに向かうことに。
まず、おちゃめなウサギの石像がある「三室戸寺」十番札所です。
観光シーズンとは思えない静かさです。まだ朝9時前ですし。
次は豊臣が花見をしたので有名な「醍醐寺」第11番札所。
すごく広いのですが、秀吉のゆかりの寺だから江戸時代に嫌がられたのか、全体に傷んでます。
ここは奥にある観音堂で御朱印をいただきます。
さて、予定ではここから峠を越えて山の上にある岩間寺にいって石山寺、三井寺にいく順番なのですが、この変速できない自転車では無理そうなので、順番飛ばしになるのですが、京都市内のお寺を回ることにします。
道を予習してなかったので、適当に走ったら、山科から京都に抜ける国道のバイパスみたいなところに。登り坂でうまく登れないし、車はビュンビュン通って怖いので歩道を押して登りました。そうするとトンネルには歩道がなくて横の旧道に回るように標識が。
そっちにいくとこんな古風なトンネルが!
これを抜けて、無事東山方面に抜けます。
到着したのは「今熊野観音堂」第十五番札所です。京都に熊野とはこれ如何に?
ここは東大路からちょっと山を登ったところで、また押さないと着けなかったです。
さて、ちょうどお昼どきになったので、なにか食べようと東大路を店を探しながら走ると、インド料理店を発見。
マトンカレーとナンをいただきました。京都の観光地で和風のもの食べるといろいろ高かったり面倒なことになりそうなので、ここでサクッと塩分補給を兼ねて。
この次は清水寺のはずなのですが、順番を間違えて「六波羅蜜寺」第十七番札所へ。ここも観光客とは縁のなさそうな、地元のお寺です、お盆のお祭りやってました。
さて、次は本日の最難関、清水寺です。大変な国際的な人込みです。観光バスの駐車場に自転車を置いて、参道を登りますが、人をかき分けていく感じです。
レンタル着物をきた観光客も多いです。
御朱印の窓口もちょっと行列。4人ぐらいで書いているのであまり待たなかったですが。
本堂と舞台は工事中なのですが、それでも大人気!
次はちょっと北のほうへ行って、「六角堂」第十八番札所です。
名前の通り六角のお堂です。ここは生け花関係のお寺らしく生け花の建物が隣に。
なぜか鳩の置物がお地蔵様の前に整列。
最後は「革堂」(こうどう)第十九番札所です。ここも通り過ぎそうになる、こじんまりしたお寺です。これにて、宇治と京都市中の札所コンプリ!飛ばしてしまった大津周辺はなるべく早く回りましょう。
まだ、3時過ぎでヒマなので、二条城に。
ここも当然、外国人観光客に大人気。徳川家の権力を見せつけるような広大な二の丸御殿を見学。本丸御殿は現在工事中ですが、完成するといつでも見学できるようになるそうです。
城内の茶店で、かき氷!
ということで、本日の変速機なしインナー・トップしばりのサイクリングはここでほぼ終了。
最寄り駅のJR二条駅へ。
駅前でみつけたスペインバル「カメバル8」で北海道産の生牡蠣をまずいただきました。京都駅周辺だと、どこも観光客でいっぱいでしょうが、ここはガラガラでした。おいしく、三皿、三杯いただいて帰ります。
二条駅のホームから見える夕日です。帰りは電車が混むのでのんびり各駅停車で神戸まで帰りました。
じつはこっちのカーボン車の方にのるのは吉野以来で一月半ぶりです。それなのに壊してしまい、ごめんなさい。
本日の走行コースこの Garmin Connect に。 走行距離はわずか32キロ、獲得標高(一部歩き)は329メートルでした。
今日は曇りで猛暑ではなくてよかった。40度の日に京都こなくてよかった。京都市内を自転車で走ったのは初めてです。
映画「エイリアン」シリーズの謎に迫る!
映画「エイリアン」シリーズ全作品を改めて見直したので、映画では語られていないSF的な設定について考えてみる。なお、この考察は「プロメテウス」を含む「エイリアン」シリーズの映画、全6本のみを「聖典」とし、「エイリアン vs プレデター」シリーズ、小説、コミック、ゲームなどの設定は取り入れていない。
単純なSFホラーシリーズであった「エイリアン」(1から4)は、リドリー・スコットが新作「プロメテウス」で実際に活動している「エンジニア」種族(肌の白い巨人族)を登場させたことにより、深いSF的背景をもつ大河シリーズとなったのである。以下は「プロメテウス」「エイリアン コヴェナント」「エイリアン」の3本の映画について、下記の疑問を考察しつつ、補完していくものである。お楽しみいただければうれしいです。なお、当然のことながら、各作品の結末が書いてありますので、ご注意ください。
*「エンジニア」は何をしようとしていたのか。
*「プロメテウス」の惑星はどういう場所だったのか。
*「コヴェナント」の惑星はどういう場所だったのか。
* デビッドは何を目指して何をしたのか?
*「エイリアン」の惑星にあった、エンジニアの遺体(スペース・ジョッキー)、宇宙船、エイリアンの卵はどこからきたものなのか。
「プロメテウス」
エンジニアが地球創成後にDNAをばらまいたのは、最終的に自分たちと同じような知的生命体を発生させたい、という「宇宙播種計画」のような意図があったと思われる。超長期のテラフォーミングのようなもの。現在の地球生命がすべて依存しているDNAと細胞の仕組みは非常に巧妙で、どう自然発生したのか想像もつかない。おそらく非常に稀な偶然でしか起きないことだとしたら、それが「エンジニア」種族の母星で起こり、以後、彼らはそれを全宇宙に広げる、という運動をしている、という考えもなりたつ。
彼らの訪問が地球生命誕生以前だとすると38億年前なので、彼らの文明はそれから少なくとも数十億年継続していることになる。それにしては、彼らの姿かたちやテクノロジーが38億年前と現代であまり変わっていないので、あるいはタイムトラベルの技術をもっていて、太古の惑星に自分たちのDNAを撒いてまわり、現実を改変する、というようなことをしているのかもしれない。
彼らは最初の訪問の後も定期的に地球を訪問し「手入れ」をしていて、最後の訪問が紀元前2000年ころで、人類に自分たちの最寄りの基地のある星の場所を伝達していった。これがプロメテウスの惑星(LV223)である。
その最後の地球訪問の後、彼らはなぜか危険な生物兵器の開発をはじめてしまい、「辺境」であったと思われるLV223がその実験場となった。ここで、彼らや人類のように彼らと共通のDNAシステムを持つ動物に感染し、寄生して、殺戮と増殖のみを繰り返す遺伝子をもつウィルス状のものを開発した。(ブラック・グー)
この生物兵器を開発した意図は、エンジニア種族同士の争いのためではなく、彼らが発生させた知的生命体のうち、彼らの意図に沿わない「不良品」を全滅させる手段なのかもしれない。
ところが、LV223でのこの開発は失敗してしまい、彼ら自身が感染し、絶滅されてしまう。発生したエイリアンは、設計意図通りに、動物をすべて絶滅させた後は自らも絶滅してしまう。(元の開発意図が惑星を破壊しないで、不良品の動物だけを絶滅させ、進化をやりなおさせるのだとしたら、エイリアンだけが生き残っては困るので、動物を絶滅させた後は死滅するようにプログラムされていたはずである。)
その結果、LV223にはブラック・グーの大量の容器と、ただ一人、人工冬眠して生き延びたエンジニアとその宇宙船、研究施設の廃墟などが残されていた。
そこに、プロメテウス号がやってきて、ご存知のようなことになり、ショー博士と半分壊れたアンドロイドのデビッドが、エンジニアの宇宙船にのって逃げ出す。
[エイリアン コヴェナント]
デビッドは宇宙船内でショー博士に無事組立直してもらい、本来のミッション「生命創造の謎を解く」に戻り、宇宙船とともに持ち出したブラック・グーの研究を進める。そしてLV223でどうのようなことが起こったかを解明する。そして、修理された際に狂ったのかなにかの理由で、自ら生命を創造し世界を支配したい、という意思をもつようになる
。
LV223からデビッドが宇宙船で向かった「コヴェナント」の惑星(以下 コヴェナント星)も、LV223と同じくエンジニアの母星ではなく「辺境」の中継基地のような星であったと思われる。(母星にしては小さな都市が一つしかない。)
コヴェナント星に到着したデビッドは、この星唯一のコロニー・基地の上空からブラック・グーを散布し、全住民を殺戮してしまう。
この行為の意図は二つ考えられる。「プロメテウス」でエンジニアは宇宙船を地球にむけて発進させようとして阻止されたが、これは、「不良品」と判断された人類をブラック・グーで絶滅させる意図の行動であったらしい。デビッドはコヴェナント星のエンジニアも遅かれ早かれ同じ行動をとると考え人類を保護するために絶滅させた、という考え。
もう一つは単に自分の生命創造実験をじゃまされない環境で行なうために全住民を排除した、という考え。
いずれの理由にせよ、デビッドは、コヴェナント星が無人の廃墟となりエイリアンも死滅するのをまって上陸し、ショー博士の体も利用して実験を続けてフェイスハガー式エイリアンを開発する。
その一方、自分がこの開発成果とともに、脱出できるように、ショー博士の声を利用したビーコンを発信する。もしかしたら、コヴェナント号が漂着する原因となった「ニュートリノ嵐」もデビッドがエンジニアの技術を使って起こしたものかもしれない。
そして映画にあるようにデビッドはコヴェナント号の乗員の大半の命をエイリアンに奪わせ、同型のアンドロイドとすり替わって、人工冬眠中の2000人の実験材料とともに宇宙のどこかに向かう。
この行き先はどこか?さきほどのデビッドの行為の意図の二つの可能性のうち、人類がエンジニアに抹殺されるのを防ぐ、という意図だとすれば、船内でさらにエイリアンの遺伝子改造を研究し、エンジニアの母星あるいはより重要な拠点惑星への大規模なエイリアン攻撃をする、というのが考えられる。もし、単により邪悪な生物を自由に研究したい、というのであれば、当初の予定の惑星に向かい、そこで、人類とブラック・グーの様々な組み合わせで実験三昧の暮らしをする、ということかもしれない。
[エイリアン]
さて、ここまでの推論通りだとすれば、地球も、今までの映画に出てきた3つの惑星も、どうもエンジニア種族の主たる拠点からは遠そうである。母星ないし本拠地にいるエンジニアはコヴェナント星の仲間に異変が起こったことは遅かれ早かれ察知して、調べに行ったと思われる。彼らの通信や宇宙旅行の技術は不明だが、距離に比例した時間はかかると思われる。
そうすると、コヴェナント星に調査に行ったエンジニアの調査隊は全住民が虐殺され、何者かが新種のエイリアンを開発した痕跡を発見したと思われる。そして、その調査隊は帰路に意図してか意図せずに船内に持ち込んでしまった卵か幼虫か成体のエイリアンに襲撃され、惑星LV-426に漂着してしまう。そして最後に警告のメッセージを発信するようにセットしてパイロット(スペースジョッキー)は息絶える。無人となったこの惑星上では、設計通り、エイリアンは死滅するが卵だけは宇宙船内に残された。
以後は「エイリアン」の映画の通りである。








































