大連マイブーム・復活編! -66ページ目

12月31日

2005年最後の日である。

曇り空、雪のつもる大晦日だ。


年末になると、日本語の先生達は学生に

「よいお年を」とか、「あけましておめでとうございます」を教える。

私ももれなく教える。

そうすると、学生が聞いてくる。

「先生、どうして日本人は元旦を祝うんですか?

どうして春節(旧正月)を祝わないんですか?」

どう答えたらいいだろう。

私は、

「日本は今、陰暦を使ってないし・・・そういう習慣なんです・・・」

と、しどろもどろだ。

ある日本通の中国人の先生がこれについて、

「春節を祝うのは、世界中で中国人と韓国人だけなんです。

だから、そっちの方が“なんで?”なんですよ」

と、学生に言うという。

すばらしい答えだと思った。

そう。

中国人は、本当の意味で世界を見ることができない。

というか、機会がない。

中国が一番、世界の中心だ、という中華思想はまだ健在なのだ。

世界の中で中国は、という逆の考え方がない。


私も、この閉鎖的なところにいて、

裏返して物事を見れなくなってきているようだ。

髪の毛や目の色が同じというだけで、

日本とは根っこのところが全く違う中国。


来年も、この中国に振り回されていくんだろうか。

それを受け止めて、さらにスラリとかわしていける

大らかな気持ちを持ちたいものである。





今日は26日

クリスマスが終わった。

25を過ぎると、安くなる、というが、

私は25を過ぎて、もう何年もたっているので、

却って価値が出てきているかもしれない。


おかしのいえ


今年はご近所のホームパーティに参加した。

最近のクリスマスで、久々に楽しかった方である。

4年前は忘れもしない、12月17日に当時の彼にふられ、

24日にクリスチャンの友人一家と共にキャロリングをした。

それで、心が救われたものである。

3年前はダンスマンライブに行った。これは楽しかった。

2年前は???覚えていない。

おそらく遅くまで仕事をしていたと思う。

忙しい時期だったはずだ。

去年は 夫に約束を破られ(彼も仕方ない事情があったのだが)、

猛烈に腹が立ち、家出をしたが、

あまりの寒さですぐに家に帰ってフテ寝した記憶がある。


一番嬉しかったのは、多分10歳にもならないころ、

朝起きてみたら枕元に本当にプレゼントが置いてあった時だ。

人形の家具セットだった。

クリスマスの数少ない、いい思い出である。



腹立ち。

なにかを教える、と言う場合、

教える内容の他に、悩むことがいろいろある。

最近授業で困っていることベスト3。


①あからさまに聞いていないヤツがいる

  別に居眠りするわけでもなく、

伸びたり、あっちむいたり、ぼーっとしたり。

  聞き取れている学生は楽しく会話にのってくるから、

  私の言ってることがまったく聞き取れていないことが原因らしい。

    

     聞き取れない 

  → つまんない 

  → 聞かない 

  → 分からなくなる 

  → 聞き取れない

  のスパイラル。

自分だけ分からなければいいが、他人を私語に巻き込もうとする。

  はぁ。

  

②その場さえ切り抜けられればいい、と簡単に考えてるヤツがいる。

  だれのための勉強なんだ!と怒鳴りたくなる。

  その場だけだから、全く累積できていない。


③基礎ができていないのに、小難しいことをいいたがる。

   できないヤツに限ってこうかもしれない。

   


・・・というか、メガネの君だよ!

うしろの方の席にいる!

このレベルの会話の授業は君には難しすぎてもともと無理なんだ。

一生懸命ならいい。

私も頑張れる。

でも、いろいろ制限があるから、おこるにおこれず、

それにつけこんでノラリクラリ。

やりたくないなら出て行っていい。

笑顔の裏で、猛烈に腹立ててるんだぞ!



映画

映画館に行った。

見た映画は「如果・愛 Perhaps Love」 。

なんと言っても、

金城武、
「チャングムの誓い」のチ・ジニ、

「二人の人魚」の周迅、

と、私の好きな俳優女優めじろおしである。

(張学友も出演。)

日本と韓国市場を狙いすぎじゃ・・・?とも思ったが、

金城が銀幕に出てきたとたん、そんなことは関係なくなった。

1時間40分の、東洋映画界では珍しいミュージカル映画、

十分楽しんだ。


それにしても、中国の映画館、

覚悟はしていったがやかましい。

ポップコーンとか何かの音ならまだいい。


話す。


あっちでも。


こっちでも。


ざわざわざわざわざわざわ・・・


そのうち携帯もなる。

しかも良い場面なのに、間抜けな音楽だったりする。

何年も前よりはもちろん向上している。

でも、

でも・・・


いいところなんだ。

金城と周迅のキスシーンなんだぞ。

お願い。

静かに見て。


今日は、別の意味で泣けた。



クラシックコンサート

大雪を越えて、コンサートに行った。

大連国際音楽クラブ「日中友好音楽会」である。

この音楽クラブはもともと大連の愛好家達が立ち上げたものらしい。

現在は日本支部もあって、このコンサートのために

中国側と日本側でそれぞれ練習し、

今日、やっと一緒になるのだそうだ。


オーケストラ


会場は大入り。なんと、お客のほとんどが中国人である。

今日の演奏はアンコールも含めて10曲ばかり。

なかでも、ヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」(・・・だったかな?)

は圧巻、会場の皆、聞きほれた。

ドボルザーク「新世界より」は、

“遠き山に日は落ちて~”のくだりにさしかかると、

なぜか目がしらが熱くなった。

音楽は言葉よりも心にしみる時がある。


知り合いの知り合いの方が、

わざわざ東京から演奏にいらっしゃったので、

演奏終了後、邪魔を承知で会いに行った。

第一バイオリンの方だった。

普段なら、接点のない方と、

こんなところで会えるのは、楽しいものである。


ひどい雪

昨日に引き続き、今日も雪である。

今日はついに大連の空港から国際線が飛ばなくなったらしい。

本当にひどい雪である。

私の住む開発区は、除雪が行き届いて、まだいい。

市内の方に行けば行くほどひどくなる。


積もった雪


ライトの上に積もった雪。

20cmはくだらない。

こんな雪なのに、中国の車は、

スノータイヤもはかない、チェーンもしない。

今日は日曜で、出たくない人は出なければいが、明日は月曜。

どうなる!?


雪人

また、この季節が来た。

零下の世界になった。

そして、また、雪が降った。

ゆきだるまは中国語で「雪人:シュエレン」という。

去年の“雪人”は、一度融け、今年、また別の顔で舞い戻ってきた。

町の中に、何食わぬ顔で座っている。


ゆき


子供の頃、雪が降るとワクワクした。

「何か」が起こりそうな気がした。

10代のころだってそうだった。

雪が降ると、長いコートを翻して、

私を連れに誰か(もちろんかっこいい男の人)が

来るんじゃないかと思ったりした。

(このへん、ちょっと漫画の読みすぎである。)

イマジネーションは尽きなかった。


今、そんな想像は、どうやってもでてこない。

何もない大連では、

その想像力の片鱗でももどってきたら楽しいのにな、と思う。

大人になるとお化けや妖精が見えなくなる、というのは

本当なんだなあ。





自分を信じられなくなるとき

洗面所の左側に歯ブラシ立てが置いてある。

そこにはチューブ式「竹塩」歯磨き粉が立ててある。

顔を洗うとき、歯ブラシ立ての隣にチューブ式の洗顔料を立てておく。

顔を洗って、さっぱりしたところで、

「さて、歯を磨くか」と思い、手を伸ばす。

歯ブラシに、にゅーっとペーストをつける。

口に入れ、磨き始める。


・・・。

・・・。

・・・・。


なんか、口がしびれてくる。

そして、味が変だ。


そう。

この間違いを何回しただろう。

歯磨き粉と間違えて、洗顔料で歯を磨いているのだ。


もう、ボケが始まったんじゃないかと、心配になる。

こんなとき、相当ブルーだ。

バレエ

女子であれば、だれでも一度は憧れるであろう、バレエ。

私は、いいなあ、と憧れても、

それをやってみたいとは親に向かって口に出せない子供だったし、

だいたいがバレエなど高嶺の花の習い事、という時代だった。

中学校・高校くらいになってバレエ漫画を読みあさり、ため息をついたものだ。

現実を知っていた青春時代だったのである。


背中


今日は近所の子供バレエ教室の発表会があった。

友人の娘さん達が出るというので一緒に行ってみた。

4歳位の小さい子はチュチュが着られてとてもうれしそう。

中学校くらいのお姉ちゃんになると、

赤い衣装とか、すっと伸びた腕や足、ちょっと上向きにしたあごとか、

なにからなにまで本格的。

この中から、将来のプリマドンナが出るかもしれない。

いっぱい撮った写真は、ちゃんと保管しておこう。



26時間断水

断水である。

中国ではまだまだ日常茶飯事であるが、

幸い、うちのあるアパートは1年で2回あるかないか、

大規模なのはほぼなかった。それが自慢だった。

でも。

近所の大工事のため、ここいら一帯の水道がとまる。

しかも、25日22:00~26日24:00まで、通算26時間の断水。

長すぎる・・・。

しかたない、とか、中国だから、ではすまない。


断水


全部に水をいれた。


トイレの水


バケツでトイレ対応。洗濯機にも溜めてある。

何時の時代の人なんだ、という感じである。


その昔、フランスの王妃マリーアントワネットは

「パンがないならお菓子を食べればいいじゃないの」

と言ったとか言わないとか。

水がなかったら彼女はなんと言っただろう。

「ワインでも使ったら?」だろうか。


「なくなって、初めて分かる、大切さ」である。

小学生の標語みたいだが。