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2011年03月31日

移転のお知らせ

テーマ:お知らせ
ご訪問下さりありがとうございます。

筆者の都合により現在、このブログは更新を停止しております。

2011年4月頃に再開する予定ですので、しばらくお待ち下さい。

コメントは投稿可能です。
ご質問等はメッセージ送信をご利用下さい。

(2010-12-12)




現在、ブログよりホームページへの移行中です。

3月下旬頃までにはコメント等も完了予定です。

その際、暫らくはこのブログは残しホームページと共存させますが、時期を決めて閉鎖する予定です。
 
(2011-03-10)




ホームページを『旧軍戦史雑想ノート』開設しました。

以前のブログより読みやすくなっておりますのでご利用下さい。

(2011-03-23)








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2009年08月01日

特設航空母艦「冲鷹」【護送空母】 

テーマ:特設航空母艦

特設航空母艦「冲鷹」【護送空母】 

 

客船「新田丸」を改造。 

 

【改装完成】 

昭和17年11月25日 

【基準排水量】 

17,830トン 

【速力】 

21.0ノット 

【発着甲板】 

172.0メートル、幅23.5メートル 

【備砲】 

12.7センチ単装高角砲8基 

【搭載機数】 

27機 [常用23機、補用4機] 

 

 

昭和17年12月12日~18日

ラバウルに派遣される陸軍の白城子教導飛行団(飛行第四五戦隊の九九式双発軽爆撃機23機と要員203名を搭載)を輸送のためトラックに向かう。

 


昭和18年4月25日~5月13日

「雲鷹」と共にトラックへ飛行機を輸送。〔第二五航空戦隊・第二五一海軍航空隊用の零戦60機〕



昭和18年5月24日~6月9日

「雲鷹」と共にトラックへ飛行機を輸送。

 


昭和18年6月16日~7月2日

「雲鷹」と共にトラックへ飛行機を輸送。

 

 

昭和18年11月30日

軽空母「瑞鳳」、護送空母「雲鷹」、重巡「摩耶」、駆逐艦「曙」「朧」「漣」「浦風」とトラック拍地を出港し、横須賀に向かう。 

この際、駆逐艦「山雲」により撃沈された、米潜水艦「スカルピン」の生存者41名が捕虜として「雲鷹」に21名、「冲鷹」に20名便乗、大船収容所に向かった。

筆者注《HN:mtさんによる米側資料(「雲鷹」のコメント欄を参照下さい)にスカルピン生存者は雲鷹に20名・冲鷹に21名であって、冲鷹の1名だけが助かったので、大船に着いたのが21名という》

 


昭和18年12月3日

夜半 トラックよりの帰途、八丈島東方200浬の地点で、米潜水艦「セイルフィッシュ」の雷撃で魚雷1本が左舷艦首に命中、航行不能となる。 



昭和18年12月4日

朝、避退中に更に魚雷1本が左舷機械室に命中。さらに3本目が命中。

0847 沈没した。

艦長:大倉留三郎大佐が戦死。 

便乗していた、米海軍捕虜の20名も死亡した。

筆者注《HN:mtさんのコメント〈本邦文献で正確に書いてあるものは無く、大戦時米国海軍の潜水艦乗組員だった方とそのHP http://www.subvetpaul.com/を通じて確認しました。
ここにに関係出典」は揃っており、41名中、大船に着いたのは21名で間違いありません。
後は、同じ場所に全文引用されている、冲鷹から唯一助かったGeorge Rocek氏自身の手記に注目すれば、雲鷹20名・冲鷹21名だったことがわかります。〉》




*筆者の別ブログ『航空戦史雑想ノート』にも併載しております。



【参考文献】 

テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。 

 


[筆者注:調査未完につき、今後大幅に加筆・改訂を予定しております] 

 


初稿  2005-05-24

第2稿 2009-08-01 一部加筆・公開


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2007年06月16日

特設航空母艦「雲鷹」/旧特設航空母艦「八幡丸」【護送空母】

テーマ:特設航空母艦

特設航空母艦「雲鷹」/旧特設航空母艦「八幡丸」【護送空母】

 

商船「八幡丸」(北アメリカ航路用の豪華客船)を改造。

【同型艦:「海鷹」「冲鷹」】 

 

【竣工】

昭和15年7月31日 日本郵船 客船「八幡丸」 

【徴傭】

昭和16年10月21日 特設航空母艦に類別 

【改装開始】

昭和17年1月      呉工廠

【改装完成】 

昭和17年5月31日 

【基準排水量】 

17,830トン 

【速力】 

21.0ノット

【航続力】

8,500浬(18ノット)

【発着甲板】 

長さ172.0メートル(のち180メートル〈19年大規模修理時に改装〉に延長)、幅23.5メートル 

【兵装】 

12.7センチ単装高角砲門、25ミリ連装機銃4基8挺 

【搭載機数】 

27機 [常用23機、補用4機] 

 

【所属】

海上護衛総隊            18年12月15日付~

第一海上護衛隊           19年8月15日付~

 

【艤装員長】

湊 慶譲   大佐  (海兵44期)  〔兵備局第二課長より〕16年12月10日~

【艦長】

湊 慶譲   大佐  (海兵44期)  17年5月31日~18年1月28日〔横須賀鎮守府附へ〕

相徳一郎  大佐  (海兵45期/海大29期)  18年1月28日~4月14日〔重巡洋艦「最上」艦長へ〕

関 郁平   大佐  (海兵43期)  〔海軍航海学校教頭より〕18年4月14日~19年3月1日〔海軍航海学校教頭へ〕

平塚四郎  大佐  (海兵40期)  〔応召〕19年3月1日~7月1日〔横須賀鎮守府附へ〕

木村行蔵  大佐  (海兵49期/航海専攻)  〔軽巡洋艦「鹿島」副長より〕19年7月1日~

 

【副長】

志柿謙吉  中佐  (海兵50期)  18年8月18日~

【機関長】

堀江國行  中佐  (海機31期)  17年10月10日~

檜垣謙次郎 中佐  (海機32期)  18年9月1日~

 

【飛行隊長】 

高橋 定  少佐 (海兵61期)   19年7月~9月

 

 

 

 

 

 

 

昭和16年11月

徴用 

 

昭和17年1月

呉工廠にて航空母艦への改造に入る。 

 

昭和17年5月31日付

竣工

 

特設航空母艦「八幡丸」として、固有の飛行隊を所属させた。


昭和17年7月14日

トラックに進出する第二航空戦隊の輸送命令を受ける。

飛行機隊を搭載。

昭和17年7月29日~8月13日

ラバウルに進出する第二航空戦隊の機材、基地員をカロリン諸島トラック島へ輸送。


昭和17年8月31日付

正式に軍艦籍に入り、航空母艦「雲鷹」となる。

 

その後、固有の飛行隊を収容、内海西部で発着艦訓練を行う。


昭和17年9月4日~18日

横須賀~サイパン~トラック~呉のコースで、飛行機の輸送を行った。


昭和17年9月25日

第二次ソロモン海戦後の損害を補充するため、飛行機と搭乗員を載せ、呉を出港、トラックに向かう。

 

昭和17年10月

固有の飛行機隊を解隊。

 

昭和17年11月 

陸軍の第六飛行師団・飛行第十一戦隊の一式戦闘機「隼」37機を輸送するためスラバヤに向かう事になった。

トラックよりパラオに向け出港。

パラオからミンダナオ島ダバオを経由してスラバヤに向かった。


昭和17年12月5日

十一戦隊を搭載、スラバヤを出港。 

 

昭和17年12月13日

トラックに入港。


昭和18年1月

横須賀に帰港。

入渠整備に入る。

 

昭和18年2月1日

航空母艦「大鷹」とともに、横須賀を出港。 

 

昭和18年2月7日

トラックに入港。


昭和18年4月25日~5月13日

「冲鷹」と共にトラックへ飛行機を輸送。〔第二五航空戦隊・第二五一海軍航空隊用の零戦60機〕

 

昭和18年5月24日~6月9日 

「冲鷹」と共にトラックへ飛行機を輸送。

 

昭和18年6月16日~7月2日

「冲鷹」と共にトラックへ飛行機を輸送。


昭和18年2月1日~9月10日

「航空機輸送」

内地~トラックを6往復した。


昭和18年9月30日
呉にて入渠修理に入る。

昭和18年11月30日~12月5日

軽空母「瑞鳳」、護送空母「冲鷹」、重巡「摩耶」、駆逐艦「曙」「朧」「漣」「浦風」とトラック拍地を出港し、横須賀に向かう。

この際、駆逐艦「山雲」により撃沈された、米潜水艦「スカルピン」の生存者41名が捕虜として「雲鷹」に21名、「冲鷹」に20名便乗、大船収容所に向かった。

夜、米潜水艦「スケイト」より雷撃を受けるが、艦隊に被害無し。 

 

昭和18年12月4日 

同型艦の護送空母「冲鷹」が、雷撃により沈没。 



昭和18年12月15日付

連合艦隊所属より、新たに設置された海上護衛総司令部の所属となる。 

第九三一海軍航空隊の九七式艦上攻撃機12機を搭載。


昭和18年10月14日~年末

「航空機輸送」 

トラックへ3往復した。



昭和19年1月14日 

横須賀を出港。

トラックへの輸送任務。

 



昭和19年1月19日

トラックよりの帰途、サイパン島東方で米潜水艦「ハドック」の魚雷2本が命中、中破したが自力航行で横須賀に帰着。

 

修理に約半年かかった。

その際、防空兵備強化のため機銃を74挺に増備した。 

 


昭和19年8月15日付

第一海上護衛隊(担当地区:九州~沖縄~台湾~シンガポール航路)に配属。


昭和19年8月24日~9月5日 

「門司~シンガポール/『ヒ七三船団』」

『ヒ七三船団』のタンカー9隻(「東邦丸」ほか)、貨物船4隻(「讃岐丸〈元特設水上機母艦」、「護国丸〈元特設巡洋艦〉」、「吉備丸〈元陸軍上陸用舟艇母艦〉」ほか)、給糧艦1隻を、練習巡洋艦「香椎」、海防艦「千振」、第一三号、第一九号、第二一号、第二七号とともに護衛。  

 


昭和19年9月1日

台湾~フィリピン間のルソン海峡にて、九七式艦攻が米潜水艦「タニー」を発見。

1435 60㌔対潜爆弾2発を潜航して深度33㍍の「タニー」に対して投下。爆弾は左舷後方直上方で爆発。

船体の後部発射管室前方左側の耐圧船体が変形し、発射管のジャイロ設定機器の大半が損傷。 

海防艦「千振」、二一号が爆雷を投下。 

特設運送艦「讃岐丸」が爆雷6発を投下。

「タニー」は故障続発と浸水のため、ただちにハワイ基地に帰投した。 

【戦果】

撃沈:潜水艦1隻 

《米軍記録》 

撃破:潜水艦「タニー」(中破)

 

昭和19年9月6日

シンガポール入港。

 


昭和19年9月10日~

「シンガポール~門司/『ヒ七四船団』」

『ヒ七四船団』の5隻を、艦艇6隻とともに護衛。

 


昭和19年9月17日

0050 ルソン島北西にて米潜水艦「バーブ」の魚雷を受け、油送船「あずさ丸」が沈没。

「雲鷹」にも魚雷1本が右舷艦尾の舵機室に命中。

続いて、右舷中央部主機室に2本目が命中。

0730 沈没。

乗組員約750名、便乗者約1,000名のうち、艦長:木村行蔵大佐と約900名が艦と運命を共にした。 

生存者761名は海防艦「千振」と「二十七号」に救助され、台湾・高雄に移送された。 

 


*筆者の別ブログ『航空戦史雑想ノート』にも併載しております。



【参考文献】 

テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。 

 

[筆者注:調査未完につき、今後大幅に加筆・改訂を予定しております] 

 

初稿  2005-05-24

第2稿 2005-05-28

第3稿 2007-06-16 大幅加筆



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