特設艦船戦史 雑想ノート -2ページ目

特設航空母艦「海鷹」 【護送空母】

特設航空母艦「海鷹」【護送空母】


大阪商船「あるぜんちな丸」〔南米東岸航路の貨客船〕を改造


【竣工】

昭和14年5月31日

【徴用】

昭和17年5月1日付 特設運送艦


昭和17年6月30日

航空母艦に改装を決定。


昭和17年12月9日

買収。


昭和17年12月

三菱長崎造船所にて改装を着手。


【改装完成】

昭和18年11月23日 

【基準排水量】

13,600トン

【速力】

23ノット

【航続力】

7,000浬(18ノット)

【発着甲板】

長さ160メートル、幅23メートル

【兵装】

12,7センチ連装高角砲4基8門、25ミリ三連装機銃8基24挺

【搭載機数】

24機

【乗員】

587名
【艦長】

渡部 威   中佐 (海兵34期)  昭和15年5月1日~

高尾儀六  大佐 (海兵46期)  昭和18年11月23日~19年8月1日

有田雄三  大佐 (海兵48期/海大31期) 〔呉鎮守府主席参謀より〕 昭和19年8月1日~20年3月15日〔水雷学校教官へ〕

國府田清  大佐 (海兵49期/海大30期) 〔運輸本部総務課長より〕 昭和20年3月15日~5月1日

大須賀秀一 大佐 (海兵51期)  〔空母「鳳翔」艦長兼務〕 昭和20年5月1日~敗戦 


【所属】

昭和18年11月30日付 連合艦隊附属

昭和18年12月10日付 海上護衛総隊

昭和19年3月17日付  第一海上護衛隊

昭和20年3月28日付  呉鎮守府部隊

昭和20年4月20日付  連合艦隊附属



第九三一海軍航空隊の九七式艦上攻撃機12機を搭載。

【分隊長】

小松    大尉   操縦

【分隊士】

芦野    飛曹長 偵察
足立    飛曹長 操縦

山口    飛曹長 偵察


十島    上飛曹 操縦

伊藤    上飛曹 電信

小笠原   上飛曹 電信 

川村    一飛曹 偵察



昭和19年1月12日~2月9日

マニラ、シンガポール、タラカン、パラオ、トラック、サイパンへの輸送任務。


昭和19年4月1日~16日

「門司~シンガポール/『ヒ五七船団』」

『ヒ五七船団』9隻を、艦艇7隻とともに護衛。

 

昭和19年4月21日~5月3日

「シンガポール~門司/『ヒ五八船団』」

『ヒ五八船団』7隻〔タンカー〕を、艦艇4隻〔海防艦九号・「択捉」・「壱岐」・「占守」〕とともに護衛。

 

昭和19年4月24日

「対潜攻撃」

仏印サイゴン東岸にて、上空直衛中の九七式艦攻が潜航に入った米潜水艦「ロバロ」を発見。

「ロバロ」は急速潜航中、深度約16㍍にて爆弾1発が、左舷前部至近で爆発。主エンジン空気取り入れ口が浸水、深度調整機能が一時的に失われ、多数の道具・装置類が不調となった。

【戦果】

小破:米潜水艦「ロバロ」

*「ロバロ」による日本艦船の被害は無い。


昭和19年5月29日~6月12日

「門司~シンガポール/『ヒ六五船団』」

『ヒ六五船団』12隻を、艦艇7隻とともに護衛。

海防艦「淡路」が沈没、輸送船2隻が小破。

 

昭和19年6月  日~26日

「シンガポール~門司/『ヒ六六船団』」 

26日に門司に帰着。


昭和19年7月13日~8月4日

門司を出港。零戦55機、彗星艦爆10機を搭載。

マニラに輸送。

門司に帰着。


昭和19年8月3(?)日~10月1日

機関故障のため、呉工廠にて修理。


昭和19年10月25日~11月3日

艦攻12機を搭載、高雄航空廠への機材を「龍鳳」とともに基隆へ緊急輸送。

門司・六連港に帰投。


昭和19年11月25日~20年1月13日

「門司~シンガポール/『ヒ八三船団』」

艦攻14機搭載、マニラに向かう輸送船5隻(陸軍第十師団乗船)、シンガポールに向かうタンカー3隻の護衛。

高雄、シンガポール、サンジャック、ハイフォン、香港、舟山島への輸送任務を行い、門司に帰投。


昭和20年3月19日

呉軍港にて米艦載機群の攻撃を受け、飛行甲板に爆弾1発が命中、左舷機械室に浸水し小破した。 

呉工廠で復旧工事を受け、12センチ三〇連装噴進砲4基を搭載。


昭和20年4月20日

連合艦隊付属となり、別府湾方面で訓練目標艦として使用された。 

 

昭和20年7月24日

室津に向け別府湾を出港、米機が敷設した磁気機雷に触雷し大破、駆逐艦「夕風」に曳航され別府沖の日の出海岸で擱座。

敗戦を迎える。

 



*筆者の別ブログ『航空戦史雑想ノート』にも併載しております。


【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。

 

[筆者注:調査未完につき、今後大幅に加筆・改訂を予定しております] 

 

初稿  2005-05-23

第2稿 2007-06-09 大幅加筆


特設航空母艦「大鷹」/旧特設航空母艦「春日丸」【護送空母】

特設航空母艦「大鷹」/旧特設航空母艦「春日丸」【護送空母】

 

日本郵船の欧州航路用客船「新田丸」型三番船の「春日丸」〔オリンピック大会用の大型豪華客船として建造された〕を改造 
進水直後、海軍に徴用され特設航空母艦に改造された。
【同型艦】

「雲鷹」〔旧特設航空母艦「八幡丸」〕、「冲鷹」 


【起工】

昭和15年1月6日 三菱長崎造船所

【進水】

昭和15年9月19日

【徴用】

昭和16年5月1日 佐世保海軍工廠

【改装完成】 

昭和16年9月5日

【基準排水量】 

17,830トン 

【速力】
21.0ノット

【航続力】

8,500浬(18ノット)

【発着甲板】 

長さ172.0メートル、幅23.5メートル 

【備砲】 

12センチ単装高角砲4門、25ミリ連装機銃4基8挺

【搭載機数】
27機 

九六式艦上戦闘機 九六式艦上爆撃機

【艤装員長】

石井芸江  大佐 (海兵39期)  昭和16年5月1日~8月11日

高次貫一  大佐 (海兵44期)  〔岩国航空隊司令より〕 昭和16年8月11日~9月5日

【艦長】

高次貫一  大佐 (海兵44期)  昭和16年9月5日~10月24日

篠田太郎八 大佐 (海兵44期/海大26期)  〔特設水上機母艦「神川丸」艦長より〕 昭和17年10月24日~18年5月29日〔呉海軍航空隊司令へ〕

松田尊睦  大佐 (海兵45期)  〔「神川丸」艦長より〕 昭和18年5月29日~11月17日〔軽巡「阿賀野」艦長へ〕

松野俊郎  大佐 (海兵42期)  〔横須賀港務部長兼任〕昭和18年11月17日~19年2月15日

別府明朋  大佐 (海兵38期/海大21期)  〔航空母艦「千代田」艦長より〕 昭和19年2月15日~3月20日

杉野修一  大佐 (海兵46期)  昭和19年3月20日~

【副長】

青山茂雄  中佐 (海兵48期)  昭和16年

【機関長】

浜野軍一  中佐 (海機29期)  昭和16年



【所属】

第一航空艦隊・第五航空戦隊 昭和16年9月1日付~25日

第一航空艦隊・第四航空戦隊 昭和16年9月25日付~

連合艦隊附属 昭和16年12月13日付~
呉鎮守府所属 昭和16年12月31日付~
海上護衛総隊附属 昭和18年12月15日付~

第一海上護衛隊編入 昭和19年4月29日付~8月18日 


戦闘機隊編成〔昭和17年7月頃〕 

【飛行長】

五十嵐周正 少佐  (海兵56期) 17年4月11日~

【飛行隊長】

塚本祐造  大尉  (海兵66期)

【分隊士】

松場秋夫  飛曹長 (操練26期)

【先任搭乗員】

青木恭作  一飛曹 (操練25期)       ~10月 佐世保空へ

【搭乗員】   

大久保良逸 一飛曹 (操練27期)       ~10月 佐世保空へ

近藤 仁   一飛曹 (乙飛6期)        ~10月 佐世保空へ

前田英夫  一飛曹 (甲飛1期)        ~10月 佐世保空へ

米田康喜  二飛曹 (丙飛2期)  17年7月~10月 佐世保空へ  

安達繁信  二飛曹 (乙飛9期)  17年7月~10月 佐世保空へ  

杉野計雄  三飛曹 (丙飛3期)  17年7月~10月 佐世保空へ

谷水竹雄  三飛曹 (丙飛3期)  17年7月~10月 佐世保空へ


艦爆隊編成 [筆者注:調査未完]

 


昭和16年9月1日付

第一航空艦隊/第五航空戦隊に編入。
正規空母「翔鶴」
改装空母「春日丸」


昭和16年9月25日付

第一航空艦隊/第四航空戦隊に編入。
正規空母「龍驤」(旗艦)
改装空母「春日丸」

 

昭和16年9月26日

大村基地にて訓練中の飛行機隊を収容。 

 

昭和16年10月4日

佐世保出港。


翌日

鹿児島で四航戦と合同した。


昭和16年10月26日

高雄に入港。

基地訓練に入る。


昭和16年11月10日

佐世保に帰港。

飛行機隊は大村基地にて基礎訓練に入る。


昭和16年11月28日

「春日丸」は、第十一航空艦隊所属の飛行機を搭載し、パラオに向かう。


昭和16年12月12日

徳山に帰港。


昭和16年12月13日付

連合艦隊附属となる。


昭和16年12月31日付

呉鎮守府所属


昭和17年1月8日~2月16日

第十二連合航空隊の着艦訓練に従事。


昭和17年2月25日~3月12日

トラックへの飛行機輸送任務。


昭和17年4月3日~5月16日

ルオット、ラバウル方面への飛行機輸送任務。


昭和17年4月11日

飛行長:五十嵐周正少佐(海兵56期)が着任。


昭和17年6月25日

飛行機隊を収容。


昭和17年7月

「春日丸」飛行隊は、大分海軍航空隊にて訓練を開始。乗機は九六式艦戦であった。

第六航空隊より、米田康喜、安達繁信二飛曹、杉野計雄、谷水竹雄三飛曹が着任。 

「大鷹」は速力が低いため、発着艦が困難であったので、熟練搭乗員が揃えられた。


昭和17年8月1日

「春日丸」は海軍により買収された。


昭和17年8月 

大分基地を撤収。

昭和17年8月31日

「春日丸」は軍艦籍に入り航空母艦「大鷹」と改める。


昭和17年8月17日~

「大鷹」は、連合艦隊旗艦「大和」の護衛空母として、ソロモン方面にむけて柱島を出港。

戦闘機隊はトラックに向かうため出港した「大鷹」に洋上で着艦、収容された。
 
昭和17年8月22日

九六式艦上爆撃機による前路哨戒、九六式艦上戦闘機により2時間交替の対潜哨戒を行う。


昭和17年8月24日

「第二次ソロモン海戦」
上空哨戒に九六式艦戦6機が発進。
哨戒の飛行艇を発見したが、取り逃がす。


昭和17年8月25日

戦場より離脱、トラックに向かう。


戦闘機隊は、トラック到着後、竹島に移動して訓練を開始。

 

入港後、艦隊より編成を解かれ、輸送空母に戻る。

母艦はその間、内地を往復しマーシャル方面への零戦輸送輸送任務についていた。

搭乗員が乗艦、タラワ基地へ零戦を、ダバオ基地への艦爆の空輸を行う。

物資とダバオより乗艦させた陸軍兵をパラオに輸送。 

 

昭和17年9月28日

トラックに入港直前、潜水艦による雷撃を受け、魚雷2が命中。1本は不発貫通、1本が前部艦橋下の軽質油庫と弾火薬庫の中間にある機関科兵員室に命中爆発し、非番の10数名が死傷(戦死13名)、キールを破壊した。

そのまま自力で入港、応急処置を施した。


昭和17年10月7日

呉に帰投。

「大鷹」戦闘機隊は解散し、戦闘機隊の下士官搭乗員は全員、大村海軍航空隊の教員としての転勤が発令された。


昭和17年10月14日

呉にて入渠修理。

10日間で修理完了、横須賀に回航。

昭和17年10月24日

艦長:篠田太郎八大佐(海兵48期/海大26期)が着任〔特設水上機母艦「神川丸」艦長より〕。


昭和17年11月1日~18年5月29日

トラックへ6回、マニラ、シンガポール方面へ1回、輸送任務についた後、佐世保に入港。入渠修理の後に横須賀に回航。


昭和18年2月1日

航空母艦「雲鷹」とともに、横須賀を出港。


昭和18年2月7日

トラックに入港。 


昭和18年5月29日

艦長:松田尊睦大佐(海兵45期)が着任〔「神川丸」艦長より〕。


昭和18年7月23日~9月28日

トラックへ3回輸送任務を行う。


昭和18年9月24日

横須賀へ向かっている途中、父島沖で、潜水艦による雷撃を受け、右舷に6本(うち5本が不発)が命中。
航行不能となったが、「冲鷹」に曳航され、横須賀に入港。


昭和18年9月28日~19年1月11日

横須賀造船所にて修理。


昭和18年11月17日

艦長:松野俊郎大佐(海兵42期)が着任〔横須賀港務部長兼任〕。


昭和18年12月15日

海上護衛総隊・特設海上護衛隊・護衛空母隊に編入。


昭和19年2月1日

第九三一航空隊が、佐伯基地にて編成され、護衛空母隊に付属し各艦に12機程度搭載。
【装備定数】

九七式3号艦上攻撃機:48機


昭和19年2月15日

艦長:別府明朋大佐(海兵38期/海大21期)が着任〔航空母艦「千代田」艦長より〕。


昭和19年3月20日

艦長:杉野修一大佐(海兵46期)が着任。


昭和19年4月29日

第一海上護衛隊に編入。

        

昭和19年5月3日~18日

「門司~シンガポール/『ヒ六一船団』」

『ヒ六一船団』の11隻を、艦艇9隻とともに護衛。

 

昭和19年5月8日

輸送船「あかね丸」が潜水艦により小破。

昭和19年5月23日~6月8日

「シンガポール~門司/『ヒ六二船団』」

『ヒ六二船団』の8隻を、艦艇5隻とともに護衛。 

 

昭和19年6月30日

「大鷹」の九七式艦攻4機を済州島に派遣、鎮海警備府長官の指揮下に編入。


昭和19年7月16日

「ヒ六九船団護衛/大鷹」
「大鷹」磁探機が、基隆北東方で潜水艦を探知し、海防艦「佐渡」及び海防艦「第七号」と協同攻撃を加え、多量の気泡と油の噴出を見て1隻撃沈確実と認めた。
【戦果】

撃沈:潜水艦1隻
《米軍記録》

該当記録無し

 

昭和19年8月8日~

「門司~シンガポール/『ヒ七一船団』」

『ヒ七一船団』の20隻を、艦艇7隻とともに護衛。 

伊万里を出港、馬公へ向かう。

 

昭和19年8月17日

馬公を出港。


昭和19年8月18日

2328 マニラへの船団護衛中、米潜水艦「ラシャー」の魚雷1本が左舷に命中。

左舷艦底のガソリンタンクが大爆発、その8分後にルソン島北西方(北緯18度12分、東経120度22度の地点)で沈没。

「ラッシャー」はこの攻撃で魚雷18本を発射、うち15本が命中、「大鷹」とタンカー1隻、輸送船2隻が沈没、他の3隻が損傷した。 



*筆者の別ブログ『航空戦史雑想ノート』にも併載しております。

【参考文献】 

テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。

 

[筆者注:調査未完につき、今後大幅に加筆・改訂を予定しております] 

 

初稿  2005-05-24

第2稿 2005-05-28

第3稿 2005-06-16
第4稿 2007-06-16 大幅に加筆

電令作第六号

お寄り下さりありがとうございます。

当ブログは長いこと新規掲載や更新も出来ずにいましたが、そんな中でも毎日訪問者がおられるのを心の励みにしておりました。

決して、やる気がなくなったり、忘れていた訳ではなく、多忙のため取り掛かれなかっただけですので、今後も長い目でよろしくお願いいたします。

さて、筆者のメインブログである『航空戦史雑想ノート』より、商船改造の特設航空母艦群について、順次、こちらのブログにも併載を開始いたします。

ちなみに、日本海軍では公式にはすべて航空母艦と呼称されて、正規空母、軽空母、改装空母等の区別はされておりませんでしたが、筆者は便宜的に以下の商船改造の空母を特設航空母艦と呼ぶこととします。


 飛鷹型  飛鷹(旧客船「出雲丸」)、隼鷹(旧客船「橿原丸」)

 大鷹型  大鷹(旧貨客船「春日丸」)、雲鷹(旧貨客船「八幡丸」)、冲鷹(旧貨客船「新田丸」)

 神鷹(ドイツ客船「シャルンホルスト」)

 海鷹(貨客船「あるぜんちな丸」)


防御力がゼロに等しかった、これら空母の戦果とその苦闘を一部でも伝えることが出来れば幸いと考えております。