黒島を忘れない [ 小林 広司 ]
楽天市場
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
今年もまたまた同じ記事をもう一度
「パグウォッシュ会議(Pugwash Conference)」という言葉を今の人は何人知っているのだろうか?
自分もこの会議はつい最近まで知りませんでした
「パグウォッシュ会議(パグウォッシュかいぎ、Pugwash Conferences)は、全ての核兵器およびすべての戦争の廃絶を訴える科学者による国際会議である。イギリスの哲学者・バートランド・ラッセルとアメリカの物理学者・アルベルト・アインシュタインによるラッセル=アインシュタイン宣言での呼びかけを受け、11人の著名な科学者によって1957年より創設された。(ウィキペディアより抜粋)」
当時、日本からは、湯川秀樹、朝永振一郎等が参加しました
原爆が爆発した後に、核分裂兵器を発明した科学者も、その恐ろしいほどの破壊力・殺りく力に、「しまった」と思ったのでしょうね
アインシュタイン自ら、核兵器の廃絶を訴えたわけですよね
(ヒットラー恐ろしさに、アメリカに原爆開発をたきつけたのは彼ですが…)
会議においてはすべての核兵器は絶対悪であるとされたのですが、時の経つのは恐ろしいもので、やがて、核共存を訴える科学者も出てきているのです
宣言では、核兵器廃絶とは言っていますが、核の平和利用を訴えています(つまり、原発推進?)
この時点で、「放射性物質と人類の共存ができないこと」が、アインシュタインでもわからなかったと言うことでしょうか?
ごく最近まで(2005年頃)、開かれていたパグウォッシュ会議ですが、最近の開催を聞いていません
(2005年に「ヒロシマ・ナガサキから60年」と言うことでパグウオッシュ評議会の広島宣言が行われています)
「パグウォッシュ会議、来年は長崎で開催(朝日新聞デジタルより、2014年7月)」
パグウォッシュ会議の世界大会が、被爆から70年となる来年(2015年)、長崎市で開かれるようです
日本での開催は1995年、2005年の広島市に続いて3回目
会議には原子力の平和利用について様々な考え方の科学者が参加しているようですが、東京電力福島第一原発の事故を経験した日本で、原子力の脅威や人道的、社会的側面についても話し合うようです
時が経てば、全てが、風化してしまう世界です
宣言を行った科学者は世をさり、新しい世代の科学者が出てきています
彼らは、それがわからなくなっていないでしょうか?
政治の闇に引き込まれていないでしょうか?
戦後世代の私たちが、戦争がわからないのと同じように…
何も知らない世代が、また、同じ過ちを起こさないか、非常に恐ろしい感じがします
(以前のの記事を引用しました)
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
11年前(2014年)、アップした記事をもう一度
戦後79年がたち、戦争経験者は高齢化し、どんどんいなくなっています
戦争を知らない世代が多くなる
歴史の教科書や本で、戦争のことが書いてあっても、それは抽象化した出来事の1行でしかない
感情がないのです
だからこそ、戦争というものを理屈ではなく、気持ちで伝える必要があると思い、いろんな人がいろいろな方法で伝えようとしています
人間の遺伝子は、生物学的な特質は継承できても、経験は遺伝できません
だから、ひとは、活字や絵でそれを伝えようとしています(音楽もあるだろか?)
活字で伝えるもの、絵で伝えるもの、そして、直接語って伝えるもの
様々な方法があります
でも、百聞は一見にしかず
どんな多彩な文章でも、一枚の絵、写真、映像に勝るものはないでしょう
以前、茨城では、被爆者では無いにもかかわらず毎年、8月6日に広島に出向き、原爆ドーム前で道行くひとに一筆絵に入れてもらいみんなの鎮魂の祈りを込める作品を作っている画家:山﨑理恵子さんがいらっしゃいました
(最近は、どうなっているのだろう?)
それも一つの方法でしょうね
でも、それらの絵を管理・展示するには、なかなか今の人の賛同を得られず苦労されています
(今はどうなっているのだろうか?)
伝えようとしているのに…
被爆者であり漫画家だった中沢啓治さんは、父が日本画家だったこともあり、絵に興味があり、漫画と言う手法で、ひとびとに気持ちを伝えようとしました
有名な漫画「はだしのゲン」
もともと、彼は、母の死去を切っ掛けに、アメリカ憎さで、他の漫画を書いていたそうです
でも、ゲンは、あの少年ジャンプからの要望で書くようになったそうです
中沢さん曰く、「見てきたものは、あんなものじゃない」
漫画でさえ描ききれない酷い光景があったと言います
そんなものを描ききれない漫画も、彼が亡き今、倫理的な問題で、その伝承を断とうとする人がいる
今は亡き新藤監督は、映像を使って、その気持ちを人々に伝えようとしました
ドキュメント映像は、もっとリアルに伝わるが、怖さだけが伝わり、気持ちが伝わらないことがあります
そこに、感情を入れて、言いたいことを映像にぶつける
それでも、それは人々にグロテスクに写り、敬遠される場合があります
広島の平和記念館の撤去された被爆人形にしたって、同じことでした
祈念式典を行い、みんなに気持ちを忘れないようにする
被爆者はみなあの日を永遠に忘れることができない
だから、祈念式典には同じ思いで出席し、かかわる
でも、被爆者でないまわりの人々はどうだろうか?
広島・長崎と同じように大勢の犠牲者を出して東京大空襲の祈念式は、戦争を知らない世代の関心が薄い
習慣化し、マンネリ化すれば人々は批判をし始める
経験したものと、経験しないものの温度差が、そんな行為を起こさせます
気持ちを伝えるとは難しいとこです
いまのひとは、いかに、当時の人の立場にたち、その気持ちを感じる事ができるか
これは理屈では、解決できない
そして、気持ちが伝わり、相手の立場を想像し、わかることができれば、争いは回避できる
感情を持つ人間だから…
目を背けず、先人たちの伝えると言う気持ちを感じとってほしい
そして、想像してごらん
ジョンレノンもイマジンで呼びかけているよね
(以前の記事を引用しました)
Imagine
Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...
Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace
You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one
Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world
You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one
想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって...
想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ
想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって...
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ
imagine英語日本語歌詞
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
10年前(2015年)の記事をもう一度
「核兵器、世界で約1万6300個 北朝鮮は6~8個所有(共同通信より、2014年6月)」
スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)は2015年、2014年の核兵器保有数のデータを発表しましたよね
2014年1月時点で、世界全体の数は米国とロシアの削減により推定約1万6300個となり、近年の減少傾向が続いているようです
(米国務省は2014年に、2013年9月末時点の核弾頭保有数は4804発で、最大だった冷戦時代の3万1255発(1967年)に比べて約85%減少したと説明しています)
そして、北朝鮮の核保有数は6~8個と推定されたようですね(現在は、50発に及ぶ核兵器があるとされています)
2025年6月現在の「現役核弾頭」の総数は、ロシア、米国、中国、フランス、英国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮の9カ国で合計9,615発と推計されています。(ウィキペディアより)
核軍縮と言われていますが、世界にはまだこれだけ核兵器は存在するのです
(極秘に持っている国・団体は知りませんが…)
自分が小学校だったか、中学校だったか、忘れましたが、平和教育の時、もし、日本に水爆が落とされたらと言うことについて話をしてもらったことがあったと思います
その時、日本に4発の水爆が落とされれば、日本は破滅すると言われました
しかも、その投下都市は、福岡か北九州、大阪、東京、函館か仙台と言う、具体的なものだったと思います
ただ、何故、4発で何故、その都市なのかは、覚えていません
核兵器は、原爆の1000倍の破壊力を持つと言われていますので、都市はその瞬間に破壊されるでしょう
そして、政治・経済の機能は麻痺し、滅んで行くと言うことだったのかもしれません
日本赤十字社長崎原爆病院のグループが、現代の100万都市に爆発力1メガトンの水爆と、広島型原爆と同じ16キロトンの原爆がそれぞれ投下された時の被害シミュレーションの研究結果をまとめています
水爆が上空2400メートルで爆発した場合は、郊外も含め37万人が即死し46万人が負傷、原爆が同600メートルで爆発すると6万6000人が即死し20万5000人が負傷すると推計したようです
研究報告は、12カ国が参加し2014年に広島市で開催された軍縮・不拡散イニシアチブ(NPDI)外相会合で配布されたようです
「もしも核戦争が起きたら...? コンピュータが予測する、過酷すぎる地球の状態!!(tocanaより、2014年7月)」
「核戦争後の地球」に関する最新の研究結果が、米国人科学者4名からなるチームによって発表されているようです
全面戦争となると地球上は放射能だらけになってしまって、その末路は容易にわかりますが、これは、「限られた地域における核戦争」の後に起こるであろう事態をモデル化したものだそうです
これは、インドとパキスタンの核戦争を想定したものだそうですが、その理由は、インドとパキスタンは、他国(例えば米国、ロシアや中国)と比較すると、核保有量が比較的少ないということに着目したようです
まず少量の核が地球に与える影響を考えれば、巨大サイズの核の影響も想定できると考えたようです
結果を要約すると、
「世界的な温度低下(2~3℃)」と「年間降雨量の9%減少」というもので、素人目にはそれほどショッキングには思えない
しかしこの変化は、地球の気温が過去1000年の間で最も低温となることを意味しており、「農業の不作」と「飢饉」を起こすのに十分であるというのです
どちらにせよ、どのレベルの核戦争が起きても、人類は飢饉を避けることはできないということですね
現在でも、一部の地域は飢餓で苦しんでいるのに、それ以上の苦しみがあるということ
飢餓は、病気も流行させるので、飢餓による死や病気による死、そして、核兵器の使用量が多ければ、放射能の影響の比例して大となるのでしょう
これらの悲観的な研究結果は、人々を暗い気分にさせるでしょう
しかし、それこそが今回の研究の重要なポイントであると科学者チームは語っているようです
彼らはこれを発表する事により、現在地球上にある核兵器を破棄する動機を与えたいと考えているようです
さらに
「核戦争の影響を検討 国連科学パネル初会合 被爆医師の朝長さん参加(毎日新聞、2025/9/6)」
核戦争が起きた場合に地球規模で生じるさまざまな影響を評価する国連の科学者パネルの初会合が、米ニューヨークで9月5日まで2日間にわたり開かれたようです
日本からは長崎の被爆者で、医師として被爆者医療に携わってきた朝長(ともなが)万左男・長崎大名誉教授(82)が委員として参加されたようです
朝長さんは9月5日、記者団に対し、核のない世界の実現には「核抑止の概念からの脱却」が不可欠だと強調
その上で「核戦争の結末を21人の科学者が練り上げていけば、核保有国へのプレッシャーになるかもしれない」と語ったようです
共同議長に選出されたメキシコ国立自治大の物理学者、アナ・マリア・チェットさんは記者会見で「将来世代のため、市民が危険性やリスクを理解し、意思決定を行えるよう、最善の方法で情報を提供することが重要だ」と述べたそうです
核の悲惨さやむごさを訴え、核廃絶を訴えるだけでは、人は動かない
しかし、地道に訴え続けるしかないとも思う
これは教育についても同じでしょうね
今、学校教育では、核兵器について、どこまで教えているのでしょうか?
特に、核兵器を理解していない子供達にも、これらの定量的なこと(具体的な数値)を教えて、核兵器の恐ろしさを周知させる必要はあるのではないでしょうか?
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
映画「一枚のハガキ」
13年前(2012年)、CSで放映されていたのを見ました
その時の感想をもう一度読み直します
今は亡き新藤兼人監督が描く戦争映画(2011年公開)です
監督が経験したことを映画にしたもので、反戦平和への信念が描かれています
出演 豊川悦司、大竹しのぶほか
戦争から生還した男が、はがきを頼りに戦友の妻を訪ねる物語です
井上ひさしさんの舞台劇のように、舞台劇にしても良い映画だと思います
くじが決める運命
「国のためならしょうがない。どことあろうが行けと言われればいかなゃあならん。くじじゃけの」
そう言われて戦友:森川定蔵(六平直哉)から渡された一枚のハガキを受け取る男:桧山啓太(豊川悦司)
一方、夫:定蔵が戦死しても、家にとどまらなければならない妻:森川友子(大竹しのぶ)
義父母を養う為に、義父母からは次男と結婚してくれと迫られる
戦争は何もかも狂わす
次男と結婚した後、次男にも召集令状(赤紙)が来る
そして、次男も戦死…
さらに義父も心臓発作で亡くなる
しまいには義母も、へそくりを教えて首吊り自殺してしまう
残ったのは、嫁に来た妻のみ
これが戦争の現実なのだろうか?
一方、戦友から一枚のハガキを預かった男:桧山啓太(豊川悦司)は…
生き残ったが…
彼がいない間に、妻と父親ができて逃げられる
そして、手にした一枚のハガキを持って、戦友の妻を訪ねる
そこには
「戦争を呪って生きて行く。野垂れ死ぬ。」
と言っている妻がいた
そして、2人は一緒になる
生きて行くために…
戦争は何もかもを失ってしまうけど、人がいる限り、新しく生まれるものはある
そう信じたい
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
太平洋戦争末期、戦艦大和は、1945年4月7日、米軍の猛攻を受けて沈没し、約3000人が戦死しました
「戦艦大和:総員死ニ方用意…1945年4月6日最後の出撃(毎日新聞より、2015年4月)」
「総員死ニ方用意」
そう書かれた黒板が砲塔に掲げられると、乗組員たちはざわめいた
死の準備をせよ、という命令
その大和が4月6日沖縄に向け山口県を出港する前に、掲げられた言葉でした
映画「男たちの大和」で、長嶋一茂さん演ずる臼淵大尉が特年兵にこの言葉を示唆する場面があります
日本が救われるのはもはや「敗れて目覚めるしかない」
太平洋戦争末期、沖縄にアメリカ軍が上陸を始めたとき、それを阻止する軍艦が日本にはほとんど無かった
一矢報いるために、九州より沖縄周辺のアメリカ艦船に向けて、自ら命を捨てて激突するゼロ戦の特攻隊がいるだけでした
唯一、無傷だった戦艦大和を沖縄に差し向ける作戦が行われましたが、それは、護衛する戦闘機ももなく、片道燃焼しか与えられない水上特攻でした
「これはもはや作戦にあらず」そう言う士官もいたと思います
「死を前提とする作戦だった。それは作戦と呼べるのか」と思った少年兵もいたと思います
お国のために命を捧げる
そんな時代だったと思うだけでいいのでしょうか?
今、「死ニ方用意」と言われて、それに対応できる日本人はどのくらいいるでしょう?
日本国のために…
いや、会社のために…
あるいは、家族のために…
この子のために命を張ることができる親はいるかもしれません
でも、日本国のために会社のために、命を絶対落とさねばねらない状況に陥ったら、どうでしょう?
「死ニ方用意」できますか?
今、アジア近隣の状況が非常に切迫しています
日本は、平和憲法の基にありながら、積極的に自分を守ると言う名目で、集団的自衛権に大きく舵を切りました
それは、国民を守るために盾となる人間に「死ニ方用意」と言っているようなものだと思いませんか?
ある人に、人々を守るのが仕事だから命の盾になってくれと言っているようなものではありませんか?
自分を含めて、今の日本人にそれだけの覚悟ができているのだろうか?
大和沈没の日にこんなことを考えてしまいました
そして、戦艦大和と共に戦死された多くの方々のご冥福申し上げます
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
10年前(2015年)の記事をもう一度
「黒人差別と相似している沖縄差別 映画「沖縄 うりずんの雨」米国人監督インタビュー(Excite Bit コネタより、2015年7月)」
(記事の内容をほとんど引用します)
毎年訪れる6月23日の沖縄「慰霊の日」
多くのメディアが凄惨な沖縄戦を特集にかわらず、自分を含めて我々は沖縄のことを何もわかっていません
沖縄戦と今日の間、ニュースで沖縄が取り上げられていない間にも沖縄には生活が存在し、人々は様々な思いを抱いて暮らしてきました
そのことが痛いほどよくわかる映画がありました
その映画とは、当時、公開されてから、ドキュメンタリ―映画としては異例の満席が続いている「沖縄 うりずんの雨」
映画「沖縄 うりずんの雨」は、沖縄の占領・基地問題を、大田昌秀元知事を始め日米両国関係者の証言と、貴重な資料映像で正面から取り扱ったドキュメンタリー映画
「沖縄戦」「占領」「凌辱」そして「明日へ」という四部構成からなっているこの映画を監督したのはアメリカ人ドキュメンタリー作家のジャン・ユンカーマンさんという人物だそうです
高校時代1年間日本に留学したユンカーマンさんは、1975年に半年ほど沖縄で過ごし、その文化と人々に魅了されたといいます
「当時はすでにアメリカの占領下にありました。特にベトナム戦争の直後でひどい状態でした。その状態を世界に伝えなければという思いが生まれました」
やがて80年代に入り映画監督となったユンカーマンさんは、2005年に「映画 日本国憲法」というドキュメンタリーを撮ります
「(「映画 日本国憲法」の)上映活動をしているときに、いくら憲法を守ろうとしても、あんな基地が沖縄にある限りは憲法を守っていることにはならないと思うようになりました」
その思いが本作の製作につながったようです
かのペリー提督が沖縄を太平洋の戦略拠点にしようと計画していたことを明かすことから始まるこの映画は、2004年の米軍ヘリ墜落事故、沖縄戦、1970年のゴザ暴動、2005年の沖縄米兵少女暴行事件、基地問題など現代沖縄史上における重大事件を、大田昌秀元沖縄県知事を始めとする日米双方の当事者の証言とともに紹介しているようです
関係者へのインタビューは80時間にも及び、100時間以上のなかから選んだという資料映像は歴史的価値も高いそうです
なかには米兵少女暴行事件の実行犯の1人への単独インタビューも含まれているとか
「戦争中に基地建設をしていた頃から今の危機に至るまで、基本的な構造はまったく変わっていません」
その根底にあるのは、内地の人の沖縄に対する差別意識だというのです
「今はブームが起きて、沖縄というと素晴らしいところとして憧れられていますが、僕がいた75年当時はひどい差別を受けていました」
沖縄県人の身体的特徴から方言まで、すべて差別の対象になったといいます
本編でも沖縄戦に内地から駆り出された元日本兵が沖縄の兵士を差別していた様子を述懐している
また60年代以降のアメリカにおける黒人の人権運動を基地周辺で感じ、白人の黒人に対する差別が、内地の人の沖縄の人への差別と相似していることに気付いたとするコメントも登場するのです
「沖縄問題の根っこには差別があります。差別意識がなければ、普天間の移転先を辺野古にしようとしたり、74%の基地を沖縄に集中させたままにするなど沖縄の住民を犠牲にして平気でいられるわけがありません」
「昔から差別はされていたのですが、そのことを口にする人はあまりいませんでした。'75年当時はとても貧しく、沖縄の住民の中にも卑屈なところがあったかも知れません。でも「ブラック・イズ・ビューティフル」(アフリカ系アメリカ人が誇りを取り戻すために行った民族回帰運動)のような世界的な人権運動の高まりとともに、沖縄でもこの40年少しずつプライドが高まってきて、この十年は行動として表にでるようになってきました」
今では、各界で沖縄の人々が本土で活躍している姿を見る
でも、基地問題の根底に差別問題もあるという認識が一般の人にあるだろうか?
もし、機会があれば見てみたい映画でもあると思う
我々は、今一度、沖縄について、考えるべきではないだろうか?
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
被爆70年特集「アメリカ人少女と幼なじみの60年」
録画しておいたものをようやくみた
原爆投下から7年後、アメリカ人の少女が広島に来た
ファリダ・フツイ
そのファリダさんが、広島に在住中に書いた紙芝居「炭のカンちゃん」
子供たちの遊び場に生えていた親子の木が大人たちによって、斬り倒されて、炭になり、親子は離れ離れになる
そして、炭は燃え尽き、白くなりボロボロになって崩れる
炭の作り方、生い立ちと考えれば、それまでの物語だろう
でも、その背景には、幼かったファリダさんを襲う、原爆の被害の声
彼女は早くから日本語を理解し、聞き取り、話せることになったために、原爆投下から7年しかたっていない広島の生の声が彼女の頭に入って行って幼い心を苦しめた
原爆投下をしたのが祖国アメリカという罪悪感と心の闇が描かれていた
それが紙芝居「炭のカンちゃん」だった
ファリダさんが広島に来たのは6歳の時で、日米間に友好関係を築くのが父の任務だった
一家は家族ぐるみで文化交流に取り組み、日本の伝統文化を学ぶことに力を注いだ
また、アメリカ文化を理解してもらうことにも注力し、母のアグネスさんは料理教室も開いたそうだ
大人にとっては、それは仕事だったかもしれない
でも、子供にとってはつらいことだったと思う
それを救ったのが、隣に住んでいた波田さん一家
彼女を実の娘のようにかわいがってくれた
そして、ファリダさんが「波田のおばちゃん」と呼んでいた波田恵子さん
彼女は被爆者であった
ファリダさんは幼い気持ちで、原爆の事を聞いたそうだ
それに、波田のおばちゃんは丁寧に真実を説明した
でも、ファリダさんには、「あなたに罪はない、心配しなくていいんだよ」と言って抱きしめてくれたそうだ
やはり、どこの国でも母親は同じではないか?
そう思う
原爆を落としたのはアメリカ
国であって、人ではない
人と人は、国と国と違って、話せば分かり合える
ファリダさんは救われたそうだ
ファリダさんは、日本で過ごした日々は宝物だという
人は戦争や国の違いは乗り越えることが出来る、心と心で繋がる「かけはし」がここにあると語ったようだ
面と向かって話し合う
人と人との話し合いが必要
ネット社会で、文字だけが飛び交うところに、人の心はあるのだろうか?
そういえば、自分も、小学6年生の時(12歳?)、アメリカから一人の男の子がクラスにやってきたことを思い出す
日系日本人だった
年は自分たちより2歳上
でも、言葉の関係で小学6年生への転入だったと思う
背も高かった
彼は、被爆地広島をどのように感じていたのだろう?
そんなことは何も感じず、自分たちは彼は一人の日本人としていつもいっしょに遊んでいた
残念なことに、アメリカに帰ったあと、亡くなったことを知った
事故だったのか、病気だったのか?
子供時代は、遊ぶことに夢中だった
今なら、いろいろなことを話すことができたと思う
残念なことだと思う
今だったら、彼と何を話しただろうか?
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
13年前の記事をもう一度…
17年前(2008年)に公開された映画「ハート・ロッカー」をようやく見ることができた
2004年のバグダッド(イラク)が舞台
PKO支援を描いたものだと思うけど
アカデミー賞受賞作品じゃなかったかな?
いきなり、画面は爆弾処理から始まる
そして、いきなり、その爆弾が爆発
こんな風にアメリカ兵士が亡くなっていく(PKO活動で、日本人もそのうち…)
イラク戦争が終わって、いったい何名のアメリカ軍兵士が亡くなったのだろう
(今は、ウクライナとガザでいったい何人の兵士や民間人が亡くなっているのだろう?)
新しい処理工員が派遣され爆弾処理は粛々と進む
「爆弾処理に秘訣は?」と問うと、工員は答える「死なないこと」
戦場では精神が麻痺する
新しい処理兵は正気を逸した行動をとる
それを他の隊員は理解できない
ショックなのは、子どもに爆弾を仕掛けた人間爆弾
その子どもは、処理兵がいつもDVDを買っていた子どもだった
こうやって、一般市民に爆弾をつけることも、あたりまえになる…
毎日のように爆弾の犠牲になって行く人々
それでも、処理兵は粛々と作業をこなして行く
処理兵は、任期が終わって、帰国し、家に帰っても、彼は再び戦場に戻ることを選択する
そうさせるのは何なのだろう?
誰かがやらねばならない作業なのだが…
そして、何故、彼なんだろう?
人が死に、そして爆弾処理兵が爆弾処理を粛々と行う
そんな場面しかない映画「ハート・ロッカー」
でも、これが今も地球上の何処かで起こっている現実なんだ
そう思わねばならない
その後、映画館で、同じような内容の映画「アメリカンスナイパー」を見ました
テロ、一般市民の被害、そして、米国兵の犠牲者
集団的自衛権で、これから日本が直面すること
これらの映画と同じようなことが自衛隊員でも、起こらないとは限らない
日本市民は、自衛隊員の行う任務を、他人事と思っていませんか?
そして、これらの映画は、平和ボケした日本人には単なる映画としか映らないかもしれない
でも、集団的自衛権によって、これが日本でも現実の世界になって襲ってくる
政治家は被害の無いような法整備をしているが、そんなものは現場では通用しなくなる
わかっているのだろうか?
一度手を染めると、その後は限りなく手が染まっていく
(以前の記事を引用しました)
PKO派遣で自衛隊がもし戦闘に巻き込まれたら
映画「火の華」2025年10月31日(金)全国順次公開
9年前(2016年)見た映画の感想
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
2013年公開、「遺体 明日への十日間」
これは戦争映画ではないのですが、ずっと見ようと思っていた映画
東日本大震災から6年目でようやく見ることができた
それまでも、見ようとしたが、手が伸びなかった
2万人近くの人々が亡くなった東日本大震災
津波が多くの人の命を奪い去った
残された遺体
生き残った人々が、彼らを一人一人運んで行く
あまりの多さに、普通の葬儀はできない
医師が検死し、歯医者が歯の検視を行う
その作業は延々と続く
市役所の職員、消防団、自衛隊、そして、ボランティア、さらに葬儀屋
遺体の多さに、戸惑う人々
「ご遺体」
どんな状態でも、遺体に畏敬の念を向ける
それが人
映画ではあるけど、実際に起こったことであり、映像から、想像できることが多く、胸が詰まった
日航機の墜落事故でも、多くのご遺体があった
そして、茨城県の鬼怒川の氾濫でも、亡くなられた人はいる
熊本の地震でも
死者の数の多い少ないではないけど
多ければ多いほど、死者の対応ができずにパニックになる
今後、どんな大きな災害が起こり、多くの死者が出るのだろう
そして、戦争での死者は決して出してはならない
広島・長崎の死者、そして、関東大空襲の死者
東日本大震災の数を遥かに上回る死者が出た戦争
その埋葬、死者を丁重に扱うことなどできなかったことを、この映画を見ながら感じて、切なくなった
今なお、熱帯のジャングルや海底で、戦争で亡くなった人は、埋葬されずにいることが悲しくなる
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
9年前(2016年)に読んだ本
「黒島を忘れない」小林広司著
西日本出版社 定価1400円(外税)(当時)
太平洋戦争末期、特攻隊員が墜落し、流れ着く島があった
今よみがえる、思い半ばで不時着した若き軍神だちと、鹿児島沖に浮かぶ「黒島」の人々との、深い愛情の記録
昭和20年4月ごろから、黒島に日本兵の遺体が流れ着くようになった
出撃機の飛行ルート上に島があり、ろくに訓練も受けていない学徒兵や少年兵が操縦する整備不良の飛行機が海に墜落するのである
島の人達は、生きて流れ着いた若者達を懸命に救おうとした
(所感)
この本を読み終えて、
あとがきで、筆者の奥様が
「この物語に登場する人達は、すべて誰かのために何かをする人ばかりだった」
と言っていることが印象深かった
太平洋戦争末期
みんなが、自分のことで精一杯の時だった時に、人のことを思い人のために行動した一生懸命の人達がいた
それが、孤島であった黒島だった
いま、人のために一生懸命になれる人はどれぐらいいるだろうか?
特にそれはトップの人に投げかけたい
三島村黒島全景
はじめに
平成15年(2003年)12月
黒島を知った
昭和20年(1945年)4月
柴田少尉
安部少尉
安永青年
荷物投下
江名少尉
終戦
黒島と戦後の絆
平成16年(2004年)5月
黒島の慰霊祭
余話(あしたよな)
あとがき「ヨーイ、スタート!」のカチンコが鳴って 小林ちえみ
エピローグ「出版からの出会い、ドラマは終わらない-」 小林ちえみ
余話(あしたよな)
「あしたよな」とは、黒島大里の言葉で、「さようなら」の意味
「さようなら、また明日」、明日は会えないけれど、それでも、また明日
今日はどんなに辛くても、必ず明日は来る
昨日はどんなに悲しくても、明日はきっといい日になる
黒島はそのことを知っている
だから黒島は忘れない
今日のことも昨日のことも、悲しい過去の出来事も、なぜならきっと明日は輝くから
あしたよな~、あしたよな
あとがき「ヨーイ、スタート!」のカチンコが鳴って 小林ちえみ
「この物語は、この物語に登場する人達は、すべて誰かのために何かをする人ばかりだった」