☆ワシのひとりごと☆
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桜花

日本の春と言えば「桜」

そうイメージする人は多いだろう

桜の花

「桜花」

この言葉を「さくらばな」と読むことと「おうか」と読むことで、ずいぶん印象が変わります

「「特攻隊員 御霊の代弁者」 サクラ花上映会 出演の林家三平さん語る 阿見(茨城新聞より、2015年11月)」

特攻機「桜花(おうか)」がテーマの映画「サクラ花 桜花最期の特攻」の上映会が9年前(2015年)、主なロケ地だった茨城県稲敷郡阿見町で開かれた

搭乗員の一人を演じた落語家の林家三平さんも登壇し「亡くなった人はもの申すことができない。御霊(みたま)の代弁者と思って見てほしい」と訴えました

上映会は同町阿見の公民館で行われ、無料で招待された360人が観賞しました

戦闘で搭乗員が命を落とす過酷なシーンでは客席からすすり泣く声も聞こえたようです

上映後は林家さんが舞台に立ち「役を演じたみんなは一致団結した気持ちだった。こういう映画が公開できるような日本であり続けてほしい」と語りました

実は、この上映会には、妻と一緒に行きました

映画の中で自分の妹の友達が、映画の最後にトランペットの演奏をしているのを聞いていたので興味を持ってみました

また、ロケ現場が地元でもあり、何か縁がある映画だと思っていました

少ない予算で作られた映画なので、他の大作映画から見れば見劣りしますが、訴えるものは多くあると思います

戦時中末期、特攻兵器として作られた「桜花」(おうか)

陸軍の爆撃機「陸式一攻」の腹に取り付けられて、敵艦隊まで接近し、人が乗り込み、ロケット噴射で敵艦に突っ込む

アメリカ軍はそれを「バカ爆弾」と呼びました

滑空機能はあっても、それは飛行機ではありませんでした

爆弾そのもの

しかも、人が乗った爆弾

そんなものを太平洋戦争当時の軍部が承認して使っていたとは、戦争末期ではいかに人は狂っていたか…

そして、それを操縦していたのは、16,17歳の予科練生

子供たちにそこまで頼らねばならなかった戦争

そんな、桜花の出撃中の人間模様を映画にしたのが映画「サクラ花 桜花最期の特攻」

予科練の訓練所があったのが阿見町

そして、桜花の訓練所は同じ霞ヶ浦の対岸の茨城県神栖にあったそうです

出撃場所は九州でした

戦時中末期、その戦争に疑問を抱きながら、出撃した人たちは多かったと思います

敵勢力と敵の技術力に圧倒されながらも、出撃しなければならかった状況

出撃中の陸式一攻の機内では、敵に近づき、攻撃を受けるたびに死と恐怖が広がる

無謀な戦争に突入してしまったために、彼らは苦しまねばなりませんでした

ネタバレですが、当然、この映画はハッピーエンドはありません

最後の切なさは、以前見たドイツ映画の「Uボート」と同じような展開と結末が待っていました

記事にもありましたが、今回の上映会には、映画に出演された林家三平師匠のトークショウがありました

師匠のお姉さんの泰葉さんが主題曲を歌っていました

そして、やはり、戦争となると師匠の母:香葉子さんの戦争体験の話も出てきました

9年前(2015年)、戦後70年の区切りと言われましたが、やっぱり、傷跡はあります

そして、忘れてはならない

無知が、戦争を引き起こすのですから…

この上映会の後、帰宅して、録画してあったNHKで放映された戦後70年の番組「一番電車が走った」を見ました

広島に原爆が投下されて三日目に広島に電車が走る

それは、己斐と天満町の間わずか1.4km

でも、その復興に人々は明日への希望を持ったと思います

広島電鉄も、戦時中から戦後のわずかな時期に、14歳から16歳の女学生に電車の運転と車掌をさせている

どこも、男手が足りない戦時中

こんな彼女たちに頼らねばならなかった日本

なんと愚かだったのだろうか?

どんな時も、復興を優先したものたち

それに、電気技師や少女たちが奮闘する

あの東日本大震災でも、三陸鉄道の復興は人々に勇気を与えている思います

破壊を産む戦争より、モノを作り上げ人々に役に立つことが必要

戦争は人々に何ももたらさないのだから

 

平和祈念式

8月6日は、広島で平和祈念式典がありました

79年前も、暑い日だったと思います

この平和「祈」念式

相変わらずNHKのテロップは、「平和「記」念式典」になっていた

記念式典

「平和の記念日」とでも言いたいのでしょうか?

この日は、平和は祈り願うのでしょう!

平和ボケした日本人は、この日を他の記念日と同じ、単なる思い出の日にしてしまうのでしょうか?

79年間、被爆者が訴え続けても、継承されないものが数多くあります

日本人の意識が陳腐化しているのを恐ろしく感じます(これは、福島第1原発の事故についても同じです)

人間というのは、その特質・性質などの物理的なことは遺伝子によって継承できるのに、経験は継承できません

もしかしたら、原爆の傷跡は遺伝子の傷跡となって継承しているかもしれないですが…

(研究によると被爆の遺伝は無いと言われていますが、ある研究によると、それは科学的に証明されていないと言っています)

やっぱり、同じ過ちを繰り返してしまうのでしょうか?

東日本大震災で起こった原発事故は同じ過ちの一つと考えるべきでしょうか?

以前、祈念式で、子供代表の平和の誓いの言葉の中に

「辛いことを経験することはできないけど、想像して共存することはできる」

と言う言葉がありました

良い言葉だと思います

相手の身になって考える人間だからできること

だから、同じ過ちを繰り返さないようできるはず

被爆者がこの世からいなくなる時にこそ、さらに繰り返し、原爆の事実を継承して行かねばならないと思います

誰かがやらねば、誰も知らなくなってしまう

知らないことこそ、恐ろしいことです

知らないから、過ちが起こってしまう

どれだけの人が、この日、平和について考えたでしょうか?

ほとんどの人たちが、日常生活の延長であり、素通りでしょう

仕事をしていれば、学校に行っていれば、家事で忙しければ、育児で忙しければ、介護で忙しければ、しょうがないかもしれません

でも、どこかで、平和について考えて欲しい

平和について、意見を戦わせるのはいいと思います

それでお互いを知ることができるのだから

平和だから、今、生活できるのだと言うこと認識してください

この平和はもろいものだとと言うこと認識してください

そして、その平和を脅かす核兵器は、まだ、この世に存在すると言うこと認識してください

この日を単なる歴史の一行に終わらせてはいけません

「核兵器(放射性物質)と人類は共存できない」

(以前の記事を一部引用しました)

核分裂エネルギーを利用する限り人類は未来を失うであろう

以前、書いた記事をさらにもう一度

 

中沢啓治著「はだしのゲンはヒロシマを忘れない」

自らが被爆者である漫画家中沢啓治さんは、その被爆体験をゲンと言う少年に置き換えて漫画を書かれました

体験記だから、はだしのゲンはリアリティがあり生々しい

でも、「そんなもんじゃない」と中沢さんは著書で言っています

どんな文章も絵も映像も、実体験を超える事はできません

それでも、書かずにいられない

中沢さんを含めて多くの被爆者はその被爆体験を語る事はありませんでした

思い出すことで、目の前にそのフラッシュバックがあるから

でも、何かのきっかけで被爆者は被爆体験を語り始める

中沢さんの場合は、同じ被爆者だったお母さんの死とその骨を見た時だと言います

粉々に形も無い骨を見て、放射能はそこまで蝕んでいることに悔しさと憎しみを持ったと言います

それほど、放射性物質は恐ろしいもの

自分の祖父は同じ被爆者でありましたが、その骨はりっぱなものでした

生活習慣や食生活でそれは変わるのかもしれないとも思いました

しかし、二次被爆を受けていた自分の父はがんに冒され、骨はもろかったと聞きます

放射能は人にとって脅威であることは十分に理解しなければならないですが、それに対する備えは自ら行う必要があると思います

中沢さんのお母さんと私の祖父を比較して感じました

そして、お亡くなりになった中沢さんの骨はどうだったのでしょうか?

今、福島を中心に放射能(放射性物質)の問題はまだ残っています

問題解決はしなくてはならないのですが、相変わらず先延ばしにする政府とは別に、我々一般市民は自分の体の自己防衛を怠ってはならないでしょうか(免疫力の強化)

当然、核兵器(放射性物質)の恐ろしさも忘れてはいけません

諸悪の根源は断たねばなりません

それは、過去の悲劇を忘れない事で始まると思います

無知・無関心が怖いのです

以前、「はだしのゲン」の漫画に対して、その内容・描写について賛否両論がありました

でも、必要な漫画であると自分は信じています

中沢さんも著書で言っています

「しつこくやるしかない」

「繰り返し、繰り返し、伝え続けるしかない」

と…

はだしのゲンは「ヒロシマ」も「ナガサキ」も「第5福竜丸」もそして「フクシマ」も忘れない…

ちなみに

「1997年、茨城県東海村の動燃施設で爆発事故。労働者37人が低レベルの放射線に被曝し、過去最悪の被曝事故」

「1999年、茨城県東海村にあるウラン加工工場で臨界事故が発生し、3名が被曝、そのうち「2名が死亡」するという最悪の事故」

これも事実

「ヒロシマ」「ナガサキ」「第5福竜丸」「フクシマ」の中に「トウカイ」もあっていいはずだと自分は思っています

「フクシマ」では直接の被曝死者は無かった

しかし、「トウカイ」では、被曝死者が出ているのです

そして、我々は考えるべきです

森瀧市郎の言葉を

「核分裂エネルギーを利用する限り、人類は未来を失うであろう」

「核(放射性物質)と人類は共存しえない」

(「核絶対否定への歩み」 森瀧市郎著 渓水社より)

 

P・S でも、自分は思います

核分裂・核融合の技術・研究を人類は続けねばならないでしょう

それが、宇宙を形成しているのですから

毎年考えること

毎年のことなのですが、まだ、元気に会社に行っているときの1997.8.6(水)(曇り)の手記を読み返します

毎年、考えていることは同じです

 

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1997.8.6(水)(曇り)の手記

睡眠時間5時間

やはり朝は眠い

5時半に起きるのは、3年たったがやはりなれない

広島は、8時15分

原爆が投下された時間だ

ここ(会社(茨城))にいると、そんなものは関係ないような感じを受ける

もっとも、広島にいても職場では、そんな雰囲気なのだろうか?

自分にとっては、どうしても、この日は気にかかる

特に自分は被爆者ではない(このときは父の二次被爆を知りませんでした)のだけれど…

でも、身内に被爆者(祖父のことです)がいて、自分は広島県広島市出身であるために、そんな気持ちになるのだろう

原爆祈念式典も単なる記念式としてとらえられがちであり、本来の意味をみんなが考え直すべきかもしれない

いずれ、かみさんや長男にも原爆資料館を見せなくてはならない(まだ、次男が生まれていません。この後、かみさんや長男・次男を原爆資料館に連れて行きました)

原爆が落とされたという事実を知り、その原爆上回る核兵器が世の中に存在することを教えなければならないだろう

知らないということが一番恐ろしいことである

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自分の父親は、原爆が投下された次の朝広島に入り二次被爆をして、被爆者手帳を所持していました

そんな父は、ガンを発症して37歳と言う若さで亡くなりました

自分は、最近まで、父の被爆者手帳の存在を知らず、二世であることも知らずに最近まで生きてきました

祖父は被爆者手帳を所持しており、白内障は発症しましたが、被爆を決して人に話すことなく(近親者しか知りませんでした)、徹底的な自己健康管理を行い93歳まで長生きしました

二人とも原爆に遭遇したことも言わずにこの世を去っています

それが被爆者なのかなあと思うことがあります

戦争の話は、母方の祖父母や被爆者であった祖父の弟(4年前亡くなりました)から、聞きましたが、悲惨なことむごいことは、話してくれませんでした

子供時代の自分に対する配慮もあったのでしょうか?、それとも、話したくなかったのでしょうか?

祖父母達からもっとよく聞いておくべきだったと、今になって後悔しています

でも、少しでも知り得たこと・自分の体験したことを、子供達に伝えるべく、話さずにはいられません

戦争が恐いとか、核兵器が脅威であるとか、脅すということだけではないのです

事実を知っておかないと、また、同じ過ちを繰り返すと思うからです

無関心や知らないでは済まされないように思います

核兵器に関わらず、放射能物質を取り扱う原発も事故が起これば核兵器以上に脅威だということもしっかり理解しておかないといけないことだと思っています

(このことは2009年から毎年つぶやいていたのですが、最悪の原発事故は2011年に起こってしまいました)

広島、長崎が、最初で最後の被爆者を出した地ではありません

長崎以降、第五福竜丸の被曝(焼津)、それから、アメリカ・ロシア・フランスの核実験によるその土地での被曝者、そして、原発もロシアのチェルノブイリ原発の事故での周辺住民の被曝、日本でも東海村で放射能物質の処理ミスと放射性物質の認識不足による被曝者および死亡者が出ているのです

福島第1原発の作業員が、今後何らかの疾病を発症しないと言う保障はありません

原爆の被爆者ですら、10年後にがんや白血病が発病し、さらに、70年たったときでさえ、白血病が新たに発症しているのです

人は、放射性物質と共存できません

(以前の記事を引用しました)

被曝の森 原発事故 5年目の記録

7年前(2017年)に放送を見て

 

NHKスペシャル「被曝の森 原発事故 5年目の記録」

人がいなくなった地区に野生動物がはびこる

手つかずの森

毎時100マイクロシーベルトのホットスポットもあると言う

科学者が調査しているのだが、チェルノブイリの事故と同じようなことが生物に見られるという

 

被曝の森と言われている手つかずの森は、毎時10マイクロシーベルト(自然放射線0.04マイクロシーベルト)と観測されている

これが生物がどんな影響を与えるのだろうか?

 

今後、放射性物質の影響から突然変異の種が出てくるかもしれない

それは、通常生物だけでなく、微生物や細菌、ウィルスへの影響も考えられるのではないか?

福島に未知の生物が出現し、それが日本を襲い始めるということはないだろうか?

チェルノブイリでそんな報告は聞いていないが、でも、無いとはかぎらない

 

チェルノブイリでも例がない被曝動物がいる

人間に一番近いと言う霊長類のニホンザルだ

そのニホンザルがどれぐらいの被ばくをしているのか、捕獲したサルの太もものセシウムの被曝線量を量ったところ

13000ベクレル(通常の制限値が100ベクレル)

非常に高い被曝のようだ

これが、今後サルにどのような影響を与えるのか?

ある個体の脊髄では、血液を作る細胞が異常に低いものが見つかった(再生不良性貧血を通って白血病になる可能性がある)

それが放射能による影響かはまだわからない

 

今、被曝の森はどうなっているのだろうか?

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