☆ワシの終活☆
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今日は、ある作曲家の命日

2月8日は、日本を代表する作曲家伊福部昭(いふくべ あきら、1914年5月31日~2006年2月8日)氏の命日
伊福部昭氏は、女優そしてピアニストの松下奈緒さんが在学した東京音楽大学にも在籍していて、教鞭ととっていらした方です
でも、一般には知られていないと思います
そんな人を、クラシック通でもない自分が何故知っているのか?
実は、伊福部昭氏は、映画音楽もてがけており、特に東宝の特撮映画(「ゴジラ」シリーズなど)には深く関与されていました
特撮映画「ゴジラ」が大好きな自分が、BGMに流れている曲が気になり、伊福部氏を知ったということなのです(特に、「自衛隊」の行進曲が気にいりました)
以降、「ゴジラ」イコール「伊福部昭」という関係で、伊福部氏の作曲された曲を聴きあさり、しまいにはコンサートにも行ってしまったほどです


また、ゴジラの鳴き声についての逸話について以下のようなことがあったということを後で知って感心してしまいました
「なかなか決まらず難儀していたゴジラの鳴き声の表現に、コントラバスのスル・ポンティチェロという軋んだ奏法の音を使用することを発案した(最終的に音響技師が、テープを逆回転させるなどし、完成させる)」
特技監督であった円谷英二氏や、この伊福部昭氏のおかげで、なおいっそう、ゴジラシリーズに自分がのめりこんでいったと言えます
そう言えば、伊福部氏の息子さん(作曲家ではありませんが)が、緊急地震速報の警戒音の担当をしたそうです
地震が迫ってくるのは、ゴジラのように感じられるからだろうか?
ところで、そのゴジラもハリウッド版ゴジラとして、復活し、第二弾も公開されようとしています
それに乗じて、東宝も2016年にゴジラ復活しました
ハリウッド版のゴジラは伊福部音楽をリスペクトしてBGMを作ったようだけど、ちょっとね…
日本版「シン・ゴジラ」はしっかり伊福部氏の音楽をオマージュしてました
(去年の記事を引用しました)

 

 

 

 

 

 

 

追い払いたいものある?

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持病を追い払いたい
人生の1/3が、何らかの病気で治療している
重篤なものではないが、それでも、日常生活に支障が出ている
いろいろ追い払いたいものがあるけど、健康が一番
生きるためには病気がない体が一番だと思う
 

頭痛を和らげる方法教えて?

頭痛を和らげる方法教えて?

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はっきり、言って頭痛を和らげる方法はない
頭痛持ち、片頭痛を持っているので、来るとひたすら安静にしている
ただ、気を付けないといけないのは、睡眠時無呼吸症候群からくる場合の頭痛は、薬ではだめ
医療機関で、根本的に治療しないとだめ
また、睡眠時無呼吸症候群は、肥満の人がなると思っていたら大間違い
日本人は骨格の関係で、やせていても睡眠時無呼吸症候群になる
自分がそうだった
今一度、朝起きて頭痛、日中の頭痛、日中の眠気、夜中のいびきなど、思い当たる人は、呼吸器内科へ直行した方がいい
いびきはしょうがない、頭痛は薬で何とか、などと、安易に考えていると、そのうち、重大な心臓血管疾患を発症する可能性があるので、要注意
たかが頭痛、されど頭痛
 

あるアメリカの有名俳優の命日

1月29日は、アメリカの有名俳優アラン・ラッド(Alan Ladd, 1913年9月3日 ~1964年1月29日)の命日
アラン・ラッドと聞いて、今の人はあまりピンと来ないかもしれませんね
映画「シェーン」(1953年)と聞くと、何となくわかるのではないでしょうか?
アラン・ラッドはアメリカの西部劇映画の代表作品「シェーン」の主役:シェーンを演じた人なのです
自分は、幼い頃、この「シェーン」を見てとりこになってしまいました
物静かでやさしい、でも、いざというときは強く頼もしい
最後の決闘のシーン
ジャックパランス扮する二丁拳銃の悪役との対決
伝説の0.6秒の早撃ち
ジョーイ少年が「シェーン!カム・バック」と叫ぶラストシーン
そして、シェーンが去って行く姿はいつまでも脳裏に残っています
そして、アラン・ラッドがかっこいい
「美男子」、今のイケメンとはまた違うのでしょうが…
アラン・ラッドは、「シェーン」の他いろいろな映画に出演されていて、その映画を自分は見ていると思うのですが、どのような役で出ていたか、わかりません
幼少の時に見た映画ですから、「シェーン」のように主役では無い限り、記憶に残っていないのでしょうね
日本の時代劇と同じように、アメリカの西部劇は影が薄くなってしまいました
今一度、西部劇も見てみたい
「シェーン、カムバック!」

 

 

 

今日は、ある特撮監督の命日

今日(1月25日)は、特撮監督円谷英二(つぶらや えいじ、1901年7月7日~ 1970年1月25日)の命日
円谷英二とくれば、「特撮の神様」でしょうね
円谷氏は、自分を特撮マニアに引きずり込んだ、日本初の本格的特撮怪獣映画「ゴジラ」(1954年公開)の特技監督です
2014年に、くしくも円谷氏の誕生月にハリウッド版として「ゴジラ」が復活しましたが、初代「ゴジラ」は氏が53歳の時の作品だそうです
その後、自分が好きなテレビ特撮番組の「ウルトラQ」(1964年、氏63歳の作品)、テレビ特撮番組第2弾「ウルトラマン」(1966年、氏65歳の作品)を世に送り出されて、子供達をとりこにしたのは言うまでもありません
怪獣ブームはこのとき始まったのでしょうね
意外だったのは、これらの作品は、円谷英二氏が50歳を過ぎて作り上げたものと言うこと
そんな円谷英二氏の影響を受けた人は数多くいるでしょう
子供の時見た「ウルトラQ」は恐かった
ラストの石坂浩二さんのナレーションにはいつもびくっとしていたなあ
「あなたの眼は、まもなくあなたの体を離れ、この不思議な世界に入って行くのです…」
(石坂浩二さんをこの作品に引き込んだのは、この作品で江戸川由利子を演じた桜井浩子さんでした(ウルトラマン青春記より))
お恥ずかしいことですが、円谷英二が、自分の好きなPプロ(マグマ大使、スペクトルマン、怪傑ライオン丸、風雲ライオン丸等)の生みの親である鷺巣富雄(うしおそうじ)の上司及び師匠だった言うことは認識がありませんでした
そんな円谷英二氏が世に送り出した作りだした以下のSF映画・怪獣映画 も見ました
「美女と液体人間」(1958年、東宝)、「電送人間」(1960年、東宝)、「ガス人間第一号」(1960年、東宝)「マタンゴ」(1963年、東宝)は、幼い頃テレビの再放送で見たのですが、今の恐怖映画に近く、強い衝撃を受けたなあ 
「地球防衛軍」(1957年、東宝) 
「宇宙大戦争」(1959年、東宝) 
「妖星ゴラス」(1962年、東宝) 
「マタンゴ」(1963年、東宝) 
「海底軍艦」(1963年、東宝) 
「緯度0大作戦」(1969年、東宝・ドン=シャーププロ):映画館で見ました 
ゴジラシリーズ 
「ゴジラ」(1954年、東宝)
「ゴジラの逆襲」(1955年、東宝)
「キングコング対ゴジラ」(1962年、東宝)
「モスラ対ゴジラ」(1964年、東宝)
「三大怪獣地球最大の決戦」(1964年、東宝)
「怪獣大戦争」(1965年、東宝)
「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」(1966年、東宝)
「空の大怪獣ラドン」(1956年、東宝) 
「大怪獣バラン」(1958年、東宝) 
「モスラ」(1961年、東宝) 
「宇宙大怪獣ドゴラ」(1964年、東宝) 
「フランケンシュタイン対地底怪獣」(1965年、東宝) 
「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」(1966年、東宝) 
「キングコングの逆襲」(1967年、東宝):映画館で見ました 
「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣」(1970年、東宝)※監修(名義のみ) 
円谷英二は、「特撮の神様」と呼ばれるくらい、新しいものを取り入れ、新しい発想と独創性で日本の特撮の道を築いて来た、別な意味でのものつくりの一人として尊敬できる人だとも思います
(過去の記事を引用しました)

ちなみに、長男の円谷一氏もやはり2月が命日にあたります
円谷一氏が亡くなった1973年2月は、ちょうど、風雲ライオン丸のキャラクター:ライオン丸を高山良作氏が作っている最中であり、急な逝去に、仕事を中断し、うしおそうじ氏(当時ピープロ社長)と告別式に参列している
 

印象に残っているヒーローは?

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毎年、同じことを書いているように思うのだけど
「ヒーロー」、「ヒロイン」って、主役というのが定番だよね
でも、自分はいつも脇役のサブキャラがヒーロー、ヒロインでもある
ヒーローは、このブログで、いつも言っているけど、1973年に放送された特撮時代劇「風雲ライオン丸」のサブキャラである
「ブラックジャガー(変身体)・黒影豹馬(人間体)」
です
そして、ヒロインはたくさんいるけど、1976年に放映された特撮番組「ザ・カゲスター」のサブキャラである
「風村鈴子(人間体・早川絵美)・ベルスター(変身体・早川絵美)」
です
その他、ヒーロー、ヒロインは数多くあるけどね
 
 
 

”Heroes”/David Bowie

10年前(2016年)1月に、「スターマン」「レッツ・ダンス」などの大ヒット曲で知られる英ロックシーンを代表する歌手、デヴィッド・ボウイさんが亡くなった

69歳だったそうです

1年半にわたりがんで闘病していて、愛する家族に見守られての最期だったそうです

当時、ネットでニュースを見たときは、思わず声を上げてしまいました

スーパースターもがんには勝てなかったか…

1983年に公開され、坂本龍一さんやビートたけしさんとの共演も話題になった大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」に主演したのが思い出されます

自分としては、デヴィッド・ボウイの曲をよく聞いていたわけではありませんでした

でも、海外アーティストの曲を聞くときに必ずと言っていいほど、彼の曲が耳に入ってきたと言っていいと思います

1977年に発表された「ヒーローズ」(”Heroes”/David Bowie)

2007年にNHKEテレの「ジュークボックス英会話」で紹介されました

当時、米ソ冷戦下にあって、ベルリンの壁が存在していたときに、彼はそれに向けてメッセージを込めて作ったとされています

デヴィッド・ボウイの反戦歌と言うべきものでしょうか?

歌詞の中にもベルリンの壁を思わせるwallと言う歌詞や、敵と言う表現のthemやgunsという歌詞が出てきます

そんな中でも、デヴィッド・ボウイは、愛する男女は1日だけヒーローになれると強調する

 

”Heroes”/David Bowie

I,I wish you could swin

Like the dolphins

Like dolphins can swin

Though nothing,

Nothing will keep us together

We can beat them

Forever and ever

Oh,we can be heroes

Just for one day

 

I,I will be king

And you,you will be gueen

Though nothing

Will drive thme away

We can be heroes

Just for one day

We ca be us

Just for one day

 

I,I can remember

Standing by the wall

And the guns

Shot above our heads

And we kissed

As though nothing could fall

And the shame

Was on the other side

Oh, we can beat them

Forever and ever

Then we can be heroes

Just for one day

 

We can be heroes

We can be heroes

We can be heroes

Just for one day

(歌詞は「ジュークボックス英会話」より)

 

今は米ソ冷戦時代は終わり、ベルリンの壁は無くなった

しかし、テロリストが世界をはびこり、あちこちで命を落とす人が今でもいる

さらに、ウクライナ戦争、ガザ地区の紛争、未だに南北寸断された朝鮮半島に緊張が走る現在

世界の各地で、火種が起きている

デヴィッド・ボウイのメッセージをもう一度、聞き直してみてはどうだろうか?

改めて、ご冥福を申し上げます

 

 

 

 

 

終活のブログ

終活のブログ

ブログ19年目

途中、パソコンの故障や病症の発症などで、中断した期間は6年

アメブロに登録したのは18年前の2008年の3月

あるタレントの日記を読むために登録しただけで、自分がここに記事を書くなど微塵も思っていませんでした

そして、実際、記事を書き始めたのが、17年前の2009年1月

その前の1年間は、ペタを受けるだけでした(今はペタ機能はない)

当時、ペタは不規則ですがいつも一人の人から来てました

そのうち、そのペタが2人になり、3人になり、多くなっていったのです(今はペタ機能は無い)

しばらくブログのプロフィールは何もなく、記事なぞ何も無かったにもかかわらずです

その後、なんとなく書き始めた記事

ただ、他のブログ(楽天とauです。楽天だけちょっと。今auはない)では、すでに2008年から記事は書いていました

ただ、そこのブログよりアメブロが面白そうだから、乗り換えたと言った方がいいでしょう

2016年の5月、PCが壊れ、途切れました

その後、PC修復後も再度破損し、ようやく、10月に新しいPCを購入したときは、ブログを書く気力がありませんでした

一度、放置された書き込みは、なかなか元に戻らない

見に行くことはあっても、コメントも残せない

そんなものだろうなあ

でも、個人の日記(ノートパソコン)には記事を書いていました

それをアメブロに記載する気力が無かった…

病気もいろいろ発症していました(入院、手術、そして、多くの病院への通院がまだ続く)

自分のブログの最後の記事への「いいね」はまだ続いていたようだ

ただし、人のブログは読んでいたので、こちらからの一方的な「いいね」(足跡)は残していた

ブログの訪問も、最近は、一日中から、午前中に限られている

一文のブログをぼちぼちやっていて、ようやく、2024年に本格的にブログを再開した

これは、被爆二世として一種の終活と言う名のブログだろう

今日はあるエンジニア(航空技術者)の命日

過去の記事を引用しました

 

今日(1月11日)は、零戦の設計技術者堀越二郎(ほりこしじろう、1903年6月22日 - 1982年1月11日)の命日
今は亡き堀越二郎さんは、第二次大戦中の戦闘機「零式艦上戦闘機」(ゼロ戦)の設計者であり、昭和期の日本の航空技術者です
ゼロ戦については、設計者というより、ゼロ戦開発設計のプロジェクトリーダであり、製造をも兼ねる設計チームの主任であったと言うべきでしょう
終戦後、日本初の国産旅客機YS-11にも、今は亡き木村秀政先生とともに設計に携わりました
(堀越氏と木村先生は大学の同期なんだよね)
設計者というのは、とかく、視野が狭くなり(俗に言う設計バカ)、ひとつの技術に執着してしまうものです
しかし、ものつくりとは、あらゆる方面にアンテナを張り巡らし、浅く広い知識により、製品の方向を位置つけて行くものだと自分は思っています
そして、発想の転換のできる柔軟な頭と最後まであきらめない心を持つ人間こそが、世に残るものを作り上げているように思います
現にゼロ戦設計において、堀越二郎氏は、当時にそむいた操縦系統を採用して成功しています
(詳しくは、佐貫亦男著「飛行機の本」を参照されたし)
自分のように凡人は、全然、こんな境地には達していません
だからこそ、一人の技術者として、堀越二郎氏を尊敬しています
そして、同じような人間である故本田宗一郎氏にも同じことが言えると思っています
資源の無い日本だからこそ、ものつくりニッポンとして生きて行くために、このような技術者が若い人からどんどん出てきてもらいたいと思うのです
堀越二郎氏の培った技術が継承された飛行機
残念ながら、ゼロ戦は血塗られた歴史の中で悲しい運命をたどってしまいました
でも、技術は、今、我々に幸せを運んできてくれていると信じています

 

 

 

110番したことある?

110番したことある?

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ある!
昔、朝の通勤途中で、目の前の車が対向車と正面衝突を起こす交通事故に対して、110番通報しました。
目の前の車の正面衝突だったので、危うく巻き込まれそうになったのですが、車間距離をちゃんととっていたおかげで、巻き込まれなくて済みました。
幸い、両者の運転手は、無事だったので、すぐに公衆電話を探して、110番通報しました。
まだ、携帯の無い時代だったので、公衆電話を探すのも苦労しました。
今は、スマホなどがあるので、早く通報ができるのでいいですね。
そして、今は、ネットの記事で知ったのですが、スマートフォンなどでリアルタイムの映像や、事前に保存した動画・画像を送信できる「110番映像通報システム」での通報があるのですね。
どうやって、使うのかよくわからないけど、時代は進んでいるのですねえ。
 
 
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