☆ワシの終活☆ -3ページ目

ピカドン先生

今年は、被爆そして戦後80年ということで、

過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます

10月24日は、坪井直さんの命日です。

坪井直(つぼいすなお)と言っても一般の人にはわからないだろう。

坪井直さんは、広島に投下された原爆の被爆者であり、長年、病魔と闘いながら、被爆者団体の代表をつとめ国内外に向け核兵器の廃絶を訴え続けた人です。

その坪井直さんの言葉を以下の記事で振り返ります。

「坪井直さん「ネバーギブアップ」貫いた人生 病魔と闘いながら、核兵器廃絶訴える

2021年10月27日(水) 19:00配信」

長年、被爆者団体の代表をつとめ国内外に向け核兵器の廃絶を訴えてきた坪井直さんその足跡を振り返ります。

【坪井直さん】

「あきらめたらいかん、ネバーギブアップ」

これは坪井さんの口癖です。

坪井さんはがん、心臓病、貧血。いくつもの病魔と闘いながら県被団協の理事長として核廃絶のための運動を長年リードしてきました。

坪井さんは20歳のとき爆心地からおよそ1・2キロの広島市役所付近で被爆。その後、目にしたのは地獄絵図だったと言います。

【坪井直さん】

「指と指の間から腸が出かかっとる。そんなのは皆さんがみたら先にびっくりする倒れるよ。我々はそういうところばかりを見て来た」

奇跡的に生き延び教師となり、授業の合間に生徒へ原爆の悲惨さを語り「ピカドン先生」と慕われました。

定年退職後は被爆者運動の先頭に立ち核兵器廃絶を訴え、海外で20回以上も被爆体験を証言。

2010年にはNPT再検討会議が行われたアメリカ・ニューヨークで世界に向けて「ノーモアヒロシマ」を訴えました。

【坪井直さん】

「人間の波なんです。ヒロシマやナガサキの波じゃない。このチャンスを逃すべきじゃない」

2016年には広島を訪問した当時のアメリカ大統領・オバマ氏と面会し核廃絶への思いを直接訴えました。

【坪井直さん会見】

「これからが大事なんですよと。ときどき広島にやってきて、色々な人に聞いたり見たりそれを重ねてくださいと(伝えた)」

原爆の熱戦の影響で、がんを患い、点滴や輸血をしながらも活動を続けていましたが、ここ数年は体調を崩し、県被団協には理事長代行職が設けられ、その声を聞く機会は減りました。

これまで坪井さんは折に触れ若い世代へメッセージを残しています。

【坪井直さん】

「常に命を大事にするということが先決だと思っています。特に若者は未来志向で物事を考えていってもらいたい」

TSSでの最後の取材となったのは2019年5月。坪井さんの被爆証言の英訳に取り組む高校生たちに向けて電話でメッセージを送りました。

【坪井直さん】

「あなたがたの世界を作らないといけない。私たちよりもよっぽど・・・重いものを持ち上げよる」

それは、70年以上訴え続けた核廃絶を次世代に伝えるために絞りだした言葉でした。

坪井直さん96歳。最後までネバーギブアップの信念を貫き通した人生でした。

【坪井直さん】

「あきらめたらいかんネバーギブアップ」

広島ニュースTSS

テレビ新広島

 

 

原子力は危険な劇薬?

今年は、被爆そして戦後80年ということで、

過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます

12年前(2014年)の記事ですが、内容をそのまま引用します

「(被爆国から2014)原子力は危険な薬 歯止めが必要(朝日新聞デジタルより、2014年5月)」

脚本家 倉本聰さん(79(当時))のお話

「 3・11まで原発に無知でした。事故後、福島を何度も訪れ、勉強もしました。それから震災や原発を絡めた舞台を作っています。

 昨年、上演した「夜想曲―ノクターン」。東日本大震災のはるか前に福島の詩人が書いた、まるで事故を予言したかのような詩に触発されて書いたものです。昨年に出した評論「ヒトに問う」では、文明の進歩が人類の破局をもたらす、と警鐘を鳴らしました。

 破局の要因の一つは原子力。原発反対というと政治的なようですが、僕は人間として反対しています。なのに、福島の風化のスピードが速い。経済が成り立たないという考え方のもと、原発を推進する力が広がっています。

 原子力は危険な薬と似ています。どこかで歯止めをかけないと、飲み過ぎてしまう。「原子力発電所」という言葉も意図的な気がする。なぜ「核発電所」と言わないのか。平和利用に見せるため、あえて核と言わなかったんじゃないか。

 1995年の地下鉄サリン事件のすぐ後。(脚本家を養成する)富良野塾に大学で化学を学んだ女の子が入ってきました。「サリン作れる?」と聞くと「作れる」と簡単に言う。作れるけど作らない倫理観、哲学がないといけない。でも、科学が発達して善悪の判断が追いつかなくなる。作ってはいけないものを作ったのが、原爆です。

 アインシュタインはインタビューで「第3次世界大戦の武器は何か」と問われて、「第3次はわからないが、第4次は石だろう」と言っています。第3次で地球が破滅して石ころしか残らないと解釈されることが多いですが、僕は違う。

 第4次の頃には人間の英知が正しい方向に向かい、戦争という愚かなものに科学を使ってはいけない、と気づくと考えたのではないか。たとえば、ブッシュとフセインが石で殴り合う。これは「退化」のようですが、「進歩」と思う。退化はいまや進歩です。(聞き手・岡田将平)」

倉本さんは「原子力は危険な薬」と言っていますが、劇薬でしょうね

最近読んだ武田邦彦著の「2015年放射能クライシス」でも、こんなことが書かれていました

「たとえ話ですが、もし畑に青酸カリがまかれたら、誰もが迷うことなく、青酸カリを土壌から取り除いてから農作物を植えるでしょう

青酸カリを放射性物質に置きかえて考えれば、日本人や日本国土を守るために今すぐ何をしなければいけないのか、はっきりとわかっていただけると思います

放射性セシウム137の50%致死量(成人、経口の場合)は0.1ミリグラム程度です

これに対して青酸カリの50%致死量(成人、経口の場合)は200ミリグラム程度ですから、青酸カリの方が2000倍程度、セシウムより毒性が低いという関係にあります

「放射性物質は目に見えない」と、よく耳にしますが、科学的には「あまりに毒性が強いので、目に見えないほどの微量でも死に至るもの」と言えます

青酸カリは一般的に猛毒であることが知られているので、例にだしましたが、セシウムの方が青酸カリより約2000倍の猛毒であることは一般的に知られていないため、驚く方も多いと思います

しかし、このようなことこそ政府や自治体などが国民に知らせる必要があり、除染しないまま作物を生産することに慎重にならなければいけないのです」

まだ、国民はこのようなことを理解していないのではないでしょうか?

 

 

 

 

ターンキー契約

今年は、被爆そして戦後80年ということで、

過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます

毎年書いていた記事をひつこくもう一度

15前(2011年)のETV特集の感想手記をここに載せます

NHK ETV特集「日本原子力発電史①安全神話の形成から崩壊までの半世紀を検証」を途中から見て

福島第1原発の設計はアメリカへのターンキー契約(設計から製造まで丸投げ)でした

津波にやられた福島第1原発の非常用発電の設置場所はアメリカの設計だったそうです

同じ位置にサブの発電機を配置したことも、日本が疑問に思っていても、ターンキー契約だったので設計変更で余分な設計変更費が発生することを恐れて、何も言わなかった

また、軽水炉の炉心(マーク1)の設置も海抜35mから10mまで削って、設置されました

それはアメリカの設計したポンプが35mも組み上げられないせいでもありました

その設計変更もできなかった日本

すべてはコスト安、経済性を重視したために、安全性がおそろかになってしまいました

これが、日本の原子力建設だったということになると、後、日本にある原発でターンキー契約であるものは何基あるのでしょうか?

15.7mの津波の高さを巡って、裁判沙汰になっています

その前に、ターンキー契約に問題は無かったかどうかの方が重要に思ってしまいます

今からでも遅くない、他の原発に対して、至急、見直し・調査が必要ではないか?

物造りはもとより、政治の世界でも丸投げは、恐ろしい結果を導き出すのではないか?

(去年の記事をそのまま引用しました)

 

世界の「核」の被害

今年は、被爆そして戦後80年ということで、

過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます

10年前(2015年)の記事をもう一度

「「被爆電車」当時の姿に復元 8月まで広島の街走る(朝日新聞デジタルより、2015年 6月)」

広島に原爆が投下された朝、市民とともに路面電車も被爆しました

その3日後には運行を再開し、「復興のシンボル」とも言われた路面電車

そのうちの1両が当時と同じ姿(上半分が灰色・下半分が青色)に復元され、10年前(2015年)の6月13日に広島市内を走ったようです

被爆者、戦争を知らない世代、外国人、それぞれが当時(70年前)の惨禍に思いをはせ、「核兵器のない平和な世界を」と願う

核兵器は使われることは無くとも、放射性物質の被害は起こっています

2011年の東日本大震災に伴う福島の原子力発電所事故

放射能被害は、福島、そして、チェルノブイリ、スリーマイルが主なものですが、細かく言うと、公表されていないものは数多くあると思います

そして、「核」についても、広島・長崎・第5福竜丸など、日本にとどまらない世界の「核」による放射能被害があると思います

そんな世界の「核」の被害を扱った本が、メールマガジンに紹介されていました

 

No Nukes ヒロシマ ナガサキ フクシマ

出版者:講談社  出版年:2015年4月

ISBN:978-4-06-219379-5  価格:1,620円(税込)(当時)

http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062193795

 この本は色鮮やかな写真の合い間に、たくさんのNukes(核)に対する人々の思いを掲載した装丁はきれいで穏やかに見えます

それでもこの本は、人類が制御できない核に依存することの危うさを訴えています

次に「核」を考えるために、日本にとどまらない世界の「核」の被害を扱った本を合わせて紹介します

 

ヒバクシャ 世界の核実験と核汚染 (母と子でみる)

出版者:草の根出版会  出版年:1995年6月

ISBN:4-87648-106-7

出版から年数を経ており、書店で入手しにくくなったシリーズですが、世界各地の核実験場で何が起こったかを丁寧に取材しています

出版から年数を経ており、書店で入手しにくくなったシリーズですが、世界各地の核実験場で何が起こったかを丁寧に取材してるそうです

目次

ビキニ核実験 被曝したロンゲラップの人びと

ネバタ核実験 被曝した風下地域の人びと

セミパラチンスク核実験 被曝したセミパラチンスクの人びと

モルロア核実験 被曝したポリネシアの人びと

 

もう1冊、大量破壊兵器である核兵器を禁止する条約を解説した本を紹介します

核兵器を禁止する  川崎哲著 (岩波ブックレット)

出版者:岩波書店  出版年:2014年8月

ISBN:978-4-00-270906-2  価格:561円(税込)(当時)

http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/27/X/2709060.html

今回のNPT再検討会議のために渡米されたご高齢の被爆者が反核の思いを拡げたにもかかわらず、最終文書の採択に至りませんでした

そうした中、「核兵器禁止条約」の必要性が議論されたことが朗報でした

(広島平和記念資料館メールマガジンより、2015年6月)」

1995年の本なら、町の図書館に無いかなあ

今度、調べてみよう

 

 

 

 

 

 

「それが戦争だ…」

今年は、被爆そして戦後80年ということで、

過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます

毎年、同じ記事を載せています

1944年の6月6日、第二次世界大戦時、ヨーロッパでノルマンディー上陸作戦が始まりました

6月6日から26日の間に行われた作戦といわれています

そして、6月6日は、「血のオマハ」とも言われているようです

上陸箇所(オマハ)でおびただしい兵士の血が流され亡くなったからだと思います

11年前、この上陸作戦を映画にした「史上最大の作戦」(1962年)を久しぶりにテレビで見ました

この映画を初めて見たときは、まだ自分は幼く、凄く勇ましい映画と思っていました

その当時の大物俳優ジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ、ロバート・ミッチャムなどが、かっこよく見えたものです

(若い人たちは、こんな俳優はもう知らないでしょうね)

でも、実際は非常に悲惨で過酷な戦闘であったということを聞いています

最後は連合軍が勝つ作戦ですが、小説を読むと最初の悲惨な戦闘が多くつづられています

この映画は1960年代に作られたものです

1960年、アジアでは、朝鮮戦争が始まった頃ですが、そんな時に、こんな戦争映画が作られたわけです

このころの戦争映画やドラマは美化されているものが多かったような感じがします

殺し殺される戦闘とは、恐怖である何者でもありません

映画の一場面ですが、ドイツ軍が戦闘の演習を卓上でやって、「これはゲームだ」と言うシーンがありますが、戦闘はゲームなんかじゃないと思います

ネタバレですが、映画の最後に、連合軍の負傷兵と迷子になった兵隊、そして、死んだドイツ軍兵が出てくるシーンがあります

その負傷兵が

「俺は負傷して、君は迷子になって、あいつ(ドイツ兵)は死んでいる。そして、どっちが勝ったのか負けたのかわからない。それが戦争だ」

この言葉は非常に重みを持ってきます

最初に見た時は、多分、映像スケールのすごさだけが印象に残って、こんな言葉は印象に残らなかったのだと思います

でも、年を重ねて、いろいろな映画を見た今は、戦闘よりも、戦闘員が発する、重苦しいこんな言葉が頭に残ります

この作品はアカデミー賞を取っていますが、何に対しての評価だったのでしょう?

(去年の記事を引用しました)

 

 

 

 

 

 

 

 

幸せなら手をたたこう

今年は、被爆そして戦後80年ということで、

過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます

「幸せなら手をたたこう」

今は亡き歌手・坂本九さんが歌った有名な歌

ほとんどの人が、小学校などで教わったのではないだろうか?

この歌のルーツは、日本とフィリピン、そして戦争と平和にあるらしいのです

このヒット曲の作詞者、木村利人・早稲田大学名誉教授

1959年4月後半、当時25歳で早大大学院生だった木村青年は羽田から空路、マニラに向かったそうです

YMCA主催の勤労奉仕キャンプに参加するためでした

5月初旬、彼は北部ルソンのダグパン市ロカオでのワークキャンプに合流したそうです

日本人は彼一人だけ

ダグパンでは炎天下の中、地元YMCAのフィリピン人青年たちとトイレの穴掘りや小学校の井戸掘りなどで共に汗を流したそうです

彼らとの交流の中で、木村青年は日本軍の占領時代にフィリピン人が蒙った惨禍を具体的に知り、犠牲者や家族の悲しみにも触れて、大きなショックと深い罪悪感に襲われたようです

何かと話し相手になってくれたラルフ

彼の父は日本軍に殺され、母も刀傷を負いながらかろうじて生き延びたそうです

ラルフ自身は何も言わなかったが、後日、彼の友人がそう教えてくれたそうです

また、自宅に招き、宿泊させてくれたナアヴァ氏

戦争中、憲兵隊司令部(サンチャゴ要塞)に拘禁され、日本兵から拷問を受けていました

終戦から14年、日比両国が国交を回復して3年も経っていましたが、戦争の傷跡はなお生々しかったと言います

木村青年は滞在中、フィリピン各地で温かく迎えられました

フィリピン人は「態度で示して」彼に親切にし、歓待してくれました

「我らはキリストにありて友なのだ(Tayo ay mga kaibigan kay Kristo)」

あるフィリピン人青年はこう言ったそうです

木村青年は赦しと友好の精神を態度で示してくれたフィリピン人への感謝の気持ちを形に表したいと強く思ったそうです

そして、船で帰国の途上、フィリピンの人々への謝意を歌に託したそうです

キャンプ地のロカオ小学校で子供たちが楽しそうに歌っていたスペイン民謡のメロディを思い出し、その曲に日本語の歌詞をつけたそうです

キャンプ中に皆で読んだ旧約聖書の詩編47がヒントになり、かくして「幸せなら手をたたこう」の歌が誕生したそうです

「幸せなら態度で示そうよ」

普段何気なく聞いたり、歌ったりしている歌

その背景には、こんな物語があったことを我々はよく知っておく必要があると思います

そして、今度、この歌に出会ったら、今一度、その拝啓を思い出してもらいたいと思います

友好の気持ちは、物的物以上に、態度で示す必要があるのでしょうね

 

 

 

 

ルワンダ大虐殺

今年は、被爆そして戦後80年ということで、

過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます

4月6日

もう過ぎてしまったが、この日は、約100万人が犠牲になったアフリカのルワンダ大虐殺の日

世界を震撼させた大虐殺から31年を迎える

1994年のルワンダは、内戦と100日もの間続いた虐殺によって国内のインフラは破壊され、孤児の数は史上最多を記録していたそうです

戦いの中、犠牲になるのはいつも女性・子供

広島・長崎の原爆によっても、原爆孤児は多数いました

そして、東京大空襲を含め、日本各地の絨毯爆撃でも、孤児達は多数出ました

その孤児達のそれからの人生は長く辛いものが多い

以前、東京大空襲で疎開先で孤児になった人たちの証言をテレビで放送していました

命を守るための疎開が、彼らを孤児にし、政府の仕打ちによって、その後の人生を大きく狂わされる

ウクライナやガザ地区でも孤児が多数いるのではないか?

戦争は助ける人がいなくなる

みんな自己中心だから

今も、女性や子供たちが、戦いの渦に巻き込まれて、その人生を狂わされている

過去の出来事を決して我々は忘れてはならない

 

ビキニデー

今年は、被爆そして戦後80年ということで、

過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます

3月1日は、1954年、ビキニ環礁の水爆実験で焼津港所属の漁船「第五福竜丸」が被ばくしたとしてビキニデーと呼ばれている

この事実を知っている人は、今日本にどれぐらいいるのだろうか?

そして、今年(2025年)も、静岡県焼津市で平和への祈念行動が行われたのだろうか?

水爆実験では約200キロ離れたロンゲラップ島にも死の灰が降り注ぎ、多くの島民が被ばくし、別の島への避難を余儀なくされたと言います

11年前(2014年)の記事ですが

「ビキニ環礁の水爆実験から60年 今も戻れない住民(朝日新聞デジタルより、2014年02月)」

広島原爆の1千倍の威力といわれたこの爆発で、周囲にあった三つの島が吹き飛び、放射性物質が広範囲にまき散らされました

事前に避難しなかった危険区域外の環礁の住民や、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」など周辺で操業中だった船舶が「死の灰」を浴びました

ビキニ環礁の地方政府によると、核実験前まで住んでいた167人の島民が移住を強いられ、その後、米国とともに1988年から着手した除染と再定住計画は、資金面などから宙に浮いたままだそうです

元島民のケディ上院議員によると、米政府は除染が終わったとして帰島を促しているようなのですが、60年後の今も島民は「本当に安全かどうか」と不安を抱き一人も帰っていないというのです(今、どうなっているのかわかりません)

まるで、福島第一原発の周辺と同じ感じではないでしょうか?

福島原発の放射線量は、水爆実験に比べればはるかに低いかもしれません

しかし、人体に影響を与える放射性物質であることに変わらないと思います

福島の除染は、問題を抱えながらも粛々と進んでいますが、人々の不安はいつになったら拭えるのでしょうか? 

「1954年3~5月、太平洋中西部のビキニ環礁などで米国が行った6回の水爆実験。3月1日の初回で第五福竜丸の乗組員23人が放射性降下物(死の灰)を浴びて被ばくし、無線長の久保山愛吉さん(当時40歳)が死亡した。日本社会にも衝撃を与え、原水爆禁止運動が広がる契機となった。日本の遠洋漁船が付近に多数出漁中で、被害は延べ約1000隻に上るとされる。」

「「家の事は口外するな」口閉ざした元漁船員 44年後の真相(毎日新聞)2024/2/29より」

この1000隻の遠洋漁船の船員も当然被曝者

もしかしたら、この人たちの子供たちに被曝二世がいるかもしれない

被爆者・被爆二世そして被曝者・被曝二世は意外に多いかもしれない

そして、いまだに解決されていない「核ののごみ」(使用済み燃料)の廃棄の問題

11年前(2014年)、原発から出る高レベル放射性廃棄物を地下深く埋める最終処分場について、経済産業省の作業部会が、適地の選定基準案を示し、立地不適地として、火山の半径15キロ圏内▽活断層の周辺▽過去10万年間に300メートル以上隆起した地域--などの基準を示し、候補地から外すよう求めたのですが、この基準に該当しない適地は国土の7割に及ぶとされ、科学的基準による絞り込みは事実上、不可能との見解を示しました

つまり、地下深く埋めることは日本では不可能

だから、とりあえず地上の空冷施設ですか?

原発再稼働の話が進んでいますが、使用済み核燃料の問題が解決しない限り何もできないと思います

ご飯食べるけど、便所無しでいいのですか?

ウンコばっかり増えていくではないか?

やっぱり、今の人類の技術ではまだ核分裂を制御・処理する技術は未熟だと思います

むしろ、核融合に先を越されるかもしれません

次々と再稼働している原発(新型原発の話もあるし)

本当に原発でいいのですか?

諦めた方がいいのでは…

もちろん、核兵器も無くした方がいいです

自分を含めて、電気に頼っている日本人よ、他人ごとではないぞ

 

次世代に先送りにすることだけは避けて欲しい!

今年は、被爆そして戦後80年ということで、

過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます

8年前(2017年)、アップした記事をもう一度

14年前(2011年)、東日本大震災が起こり、そして、福島第一原発の事故が起こりました

そして、たまたま、14年前(2011年)の夏に、復旧していた映画館で公開されていた映画がありました

映画「100000年後の安全」(デンマーク製作)

(実際は秋公開だったようです)

自分は、映画館で見たかったのですが、チャンスがありませんでした

しかし、13年前(2012年)、レンタルして見ることができました

(その後もyoutubeで無料視聴しました)

ドキュメンタリー映画なので、普通に映画を楽しむものではありません

原発の放射性廃棄物保管場にカメラが入り、その中を見せるものでした

そして、その施設をどのように運営していくのかを関係者に問うものでした

それが、この映画の全容です

「オンカロ」

フィンランド語で、「隠された場所」と言う意味です

放射性廃棄物を格納している場所です

そこは、人が住むのはもちろんのこと、人が行ってはいけないところです

この映画のマイケルオドセン監督は言います

「20世紀から始まったこのプロジェクトは(監督が)生きている時に終わらない」

「その廃棄物が無害になるには100000年かかると言われている」

「世界中にある放射性廃棄物は現在約25万トンあると言われている」

放射性廃棄物の格納・保存を行っているのは、世界でもフィンランドのオンカロ以外に無いそうです

(最近、スウェーデンで保存の計画が進んでいますが、いまだに日本は保管場所は決まっていません)

それほど、放射性物質とはやっかいなものなのです

オンカロも、100000年まで、管理されなければなりません

放射性物質が漏れだしたり、人間いや生物が触れないようにさせる必要があるのです

気の遠くなる話です

そこまで考え、そして、投資しないとだめなのが放射性物質なのです

現在、福島第一原発の廃炉が40年いやもっとかかるであろうと考えられていますが、放射性廃棄物自体はもっと長い年月をかけないと無害にならないのです!!

原発の電力単価が安いと言われていますが、放射性物質の廃棄および管理の設備投資や維持費を上乗せすれば、とんでもなく高くなることは想像できると思いませんか?

そんな費用を子孫達に背負わせていいのですか?(使えないゴミの管理を…)

我々は福島第一原発事故によって、それを知ることになったと思います

原発以外にも放射性物質を取り扱うものはあります(核兵器も)

森瀧市郎氏が著書『核絶対否定への歩み』にて「核と人類は共存できない」と言っています

自分はあえて

「人と放射性物質は共存できない」

と言いたい

でも、原発再稼働は粛々と進んでいます

核のごみ最終処分がはっきりしないままに、原発の再稼働が先行しても良いのでしょうか?

経済維持、温室効果ガス削減などなど、現状を考えると原発は必要なのかもしれません

それはあくまで今の世代の問題

もっと大きな問題を次世代に先送りにすることだけは避けて欲しい

このドキュメンタリー映画を見て、もう一度、我々は原発や核兵器について、考えた直した方がいいと思います

 

 

 

 

核融合発電

今年は、被爆そして戦後80年ということで、

過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます

10年前(2015年)の記事をもう一度

原発の再稼働が粛々と進められている

稼働しても、大量に出てくる放射性廃棄物の問題はそのまま

また、地震・台風などの気象災害において、外部電源の喪失をしたときの不安もゼロではない

我々はどこまで、原発に頼らねばならないのか?

火山列島である日本の特徴を生かした地熱発電もずいぶん昔からあったはずなのだが、今頃になってようやく設置の動きがある

でも、動きも鈍い

将来のエネルギーを太陽光発電や風力発電などにすべて頼るには、その発電量に問題がある

どちらにせよ、火力発電で使われる化石燃料や、原子力発電で使われるウランは、資源量が有限であり、将来の枯渇が心配されている

そこで考えられるのが核融合発電

核融合発電の燃料は「重水素」と「トリチウム(三重水素)」と言う物質だが、これらは事実上無尽蔵

「重水素」は水素のうちの0.015%の割合で自然界に存在しているが水(海水)から得られるので無尽蔵とも言われている(水は枯渇するか?)

また、「トリチウム」は自然界での存在はきわめて少なく、水からの分離では十分な量は取れないが、リチウムを使って核融合炉の中で人工的に作ることができる(リチウムは有限ではないのか?)

(ただし、ノートパソコン用の充電池1個に含まれるリチウム6グラムと重水素1.7グラムで、日本の1世帯30年分のエネルギー消費量がまかなえる)

核融合は、宇宙では当たり前に起こっている現象

太陽が輝いているのも核融合

ウランやプルトニウムの核分裂よりも、その規模ははるかに大きい

当たり前に起こっていることを取り入れて、それをエネルギー源にするのは当然の考えだろう

原子力発電と比較して、安全性が高いとされている

核融合反応は異常が発生すると、反応が過剰に進むのではなく、反応が急速におさまってゆく性質があり、「暴走」することは原理的にない

ただし、核融合発電でも、放射性廃棄物は発生する

それは、原子力発電で発生し、人間社会から数万年にわたって隔離する必要がある「高レベル放射能廃棄物」に相当するものではない

核融合炉は、燃料である重水素とトリチウムを供給し続ける必要がある

その反応で出てくるのはヘリウム

そう、風船を膨らませるのに使われるガス

また、核融合炉にある燃料も1グラム程度であり、原子力発電とは比較にならないほど少ない

ただ、核融合反応によって生じる中性子が炉壁ぶつかると、炉壁を構成している物質が放射化してしまうために、廃炉や定期交換の際に、低レベル放射能廃棄物として処分されることになる

ここを注意する必要があるだろう(どの程度の交換分量か廃棄量なのか?)

核融合発電として最初の実用炉が電気を伝送網に供給するのは、2050年頃ではないかと言われています

また、100年後には、30%から50%程度の電力を核融合炉が供給できるとも言われています

その核融合発電の実用化に向けて、日本・ヨーロッパ(EU)、アメリカ、ロシア、中国、韓国、インドの7ヶ国協力による実験炉ITER(イーター)がフランスで建設中ですが、その間は、やっぱり化石燃料に頼るしかないのでしょうね

さて、核融合発電も、やっぱり、水蒸気を利用したタービン発電で発電を行うらしい

このタービン発電に執着する必要はあるのだろうか?

熱をそのまま電気に置きかえる方法はないのか?

日本でもちらほらその研究を行っているのを聞くことがあるのだが…

ここまで来たら、発電効率もよくする方法を考えておく必要があるのではないか?

核融合に対する人類の期待はあるが、やっぱり自分としては、核兵器や原発に続き、またも人工の太陽を作ることになり、それへの反発は無いとは言えない…

(科学情報誌2015年1月号より)

(10年前(2015年)の記事を引用しました)