推しキャラ(その1)黒影豹馬・ブラックジャガー
黒影豹馬・ブラックジャガー(black jaguar)
「風雲ライオン丸(1973年)」(13)
ブラックジャガーについて考える(1)
風雲ライオン丸では、なぜ、ブラックジャガー(黒影豹馬)だったのだろう?
パイロットフィルムにもなった、「豹マン」のような形態でもいいと思ったのだが
これに、ブラックジャガーの鎧とベルト、そして、肩鎧をつけて、刀を持たせれば「シン・ジャガーマン」の出来上がり?
しかし、配色や形態が、怪傑ライオン丸のタイガージョーにかぶるからだったのだろうか?
いや、豹柄・ジャガー柄のマスクや着ぐるみを作るのが大変だったのか?
豹柄・ジャガー柄は虎柄より細かいからねえ
その点、黒は一番簡単だから
うしおそうじ氏の思いは、豹族(ジャガー、ヒョウ、チータ)への強い思い入れもあって、パイロットフィルムで終わってしまった「豹マン」や「ジャガーマン」のリベンジということで、タイガージョーとは違った配色のブラックジャガーの登場になったのかもしれない
自分は、このブラックジャガーは気に入っているのだけど
しかし、これも、不発に終わり、最後に託したのが「シルバージャガー」
そのシルバージャガーも、パイロットフィルムでとどまってしまったのは無念だろうと思う
「豹マン」「ジャガーマン」「ブラックジャガー」「シルバージャガー」の豹族の造形は、ともに造形家の高山良策氏と聞いている
うしお氏も高山氏も、最後まで、豹人間の決定版を作る思いは強かったのだと思う
それが、両者の心残りではないだろうか?
実写の「ライオン丸G」で、せめて、豹の獣人が出てくれば、報われたかもしれない(漫画では描かれている)
ブラックジャガーの衣装は、一見、派手のように見えるけど、本体の黒にマッチングしているいい衣装だと思う(派手かなあ?普通だと思うけど)
戦国の安土桃山期を考えれば、黒影豹馬やブラックジャガーのあの衣装も理にかなっていたと思う
表地に山吹色の豹柄(実際はチーター柄のような気がするが)で裏地に鮮やかな赤のマント(ブラックジャガーなので、ジャガー柄と思ったらそうではなかった。あくまで黒影豹馬の着用羽織の豹柄。豹柄とジャガー柄はちょっと違う)
これは、マンガ及び実写版「あずみ」で主人公のあずみ(上戸彩)が来ていた西洋風マントのように、かっこいいマントだと思う
でも、残念なのは、ライオン丸やタイガージョーのようにマントが固定できていないために、殺陣のシーンで、マントが前に回って、前に垂れ下がり、せっかくいい殺陣の邪魔になってしまっていたシーンもあった(くやしい!)
ライオン丸やタイガージョーのように、胴着に固定するようにできなかったのが原因だろう
さらに、前の合わせは、あずみのようにボタン留めでは無く、イミテーションチェーンだったために、壊れやすかったのではないか?
初登場の第2話では、終わりの方で、とらわれていた和尚・志乃・三吉の縄を刀で切った後で、マントをひるがえしたのちにマントを留めているチェーンが切れた?
地虫忍者を斬りに行ったときマントが落ちるハプニング映像があったことに気付いた
このコマのあと、マントが完全に落ちてしまったと思う
このコマのあとは、シーンが切り替わる
1秒にも満たない映像なので、ほとんどの視聴者は気づかなかっただろう?(現場はどうなっていたのか不明)
その後のブラックジャガーの殺陣もあったのだろうけど、マントがとれたことで、シーンカットされたのかも
その後の話の戦闘シーンでは、スーツアクター(原博美)さんのマントさばきの改善で、少しはみえる殺陣になっていた
実写版「あずみ」でも、同じようなマントを羽織って百人切りの撮影をした上戸彩さんも、マントの扱いは難しかったと言っている
あずみ(上戸彩)vs美女丸(オダギリジョー)の殺陣シーンを見てもわかる
でも、ザグロとの対戦では、チェーンも巻きつけてしっかり、首にマントを固定して、殺陣のシーンを行っていた
飛んだり、転んだり、激しい動きの中、マントはしっかり固定されていた
最後の見せ場をマントのせいで台無しにしたくなかったのだろう
でも、飛び回るところとか転がる場面では、マントがまとわりついて苦労しているように見えました
マントの造形は素晴らしかったのだが、実用性を考えると今一つだったかもしれない
ちょっと悔しい!
広がると、きれいで、鮮やかなマントなんだけど……
マントって難しい!
自分の推しのこだわり
ブラックジャガーについて考える(2)へ(つづく)
映画「一枚のハガキ」
映画「一枚のハガキ」
12年前(2012年)、CSで放映されていたのを見ました
その時の感想をもう一度読み直します
今は亡き新藤兼人監督が描く戦争映画(2011年公開)です
監督が経験したことを映画にしたもので、反戦平和への信念が描かれています
出演 豊川悦司、大竹しのぶほか
戦争から生還した男が、はがきを頼りに戦友の妻を訪ねる物語です
井上ひさしさんの舞台劇のように、舞台劇にしても良い映画だと思います
くじが決める運命
「国のためならしょうがない。どことあろうが行けと言われればいかなゃあならん。くじじゃけの」
そう言われて戦友:森川定蔵(六平直哉)から渡された一枚のハガキを受け取る男:桧山啓太(豊川悦司)
一方、夫:定蔵が戦死しても、家にとどまらなければならない妻:森川友子(大竹しのぶ)
義父母を養う為に、義父母からは次男と結婚してくれと迫られる
戦争は何もかも狂わす
次男と結婚した後、次男にも召集令状(赤紙)が来る
そして、次男も戦死…
さらに義父も心臓発作で亡くなる
しまいには義母も、へそくりを教えて首吊り自殺してしまう
残ったのは、嫁に来た妻のみ
これが戦争の現実なのだろうか?
一方、戦友から一枚のハガキを預かった男:桧山啓太(豊川悦司)は…
生き残ったが…
彼がいない間に、妻と父親ができて逃げられる
そして、手にした一枚のハガキを持って、戦友の妻を訪ねる
そこには
「戦争を呪って生きて行く。野垂れ死ぬ。」
と言っている妻がいた
そして、2人は一緒になる
生きて行くために…
戦争は何もかもを失ってしまうけど、人がいる限り、新しく生まれるものはある
そう信じたい
この映画、レンタルあったかなあ…
推しキャラ(その1)黒影豹馬・ブラックジャガー
黒影豹馬・ブラックジャガー(black jaguar)
「風雲ライオン丸(1973年)」
「風雲ライオン丸」<37>(妄想版)
サンケイ新聞に連載された「風雲ライオン丸(後編)作:うしおそうじ、まんが:若林不二吾」のストーリーを題材にして、一峰大二の風雲ライオン丸の内容の漫画の画像を使って作ってみた
自分は漫画家でもイラストレーターでもないので、素人の切った張った程度
謎の剣士は、名乗ることも無く、戦いからすぐに手を引いて終わる
謎の剣士の切っ先は、ブラックジャガーの額をかすめる
(しかし、ブラックジャガーは面が弱いなあ)
それに負けず、ブラックジャガーの「飛び牙の剣」が謎の剣士の右目をつぶす
ブラックジャガーは、この勝負を「五分五分」と言う
まるで、テレビ版の第10話「うなる大砲怪人ズク」で、ライオン丸とブラックジャガーが決闘とした時と同じような感じではないか?
だが、漫画では、ブラックジャガーは相手の方が強いと自覚しているところが違う
この漫画の豹馬の方がちょっと大人のような気がする
そして、原作漫画では、謎の剣士との対決は、豹馬の死によって立ち消えになるのだが、この妄想ストーリーでは新たなる展開を作ってみた
その時に、謎の剣士の素性もわかり、最後には、何故豹馬をつけねらうのかも分かるようにした
もし、原作漫画で、豹馬が生き延びていたら、豹馬とこの謎の剣士との再戦をうしおそうじはどのように描いたのだろうか?
今は亡きうしおそうじ氏に聞いたみたい
さて、ブラックジャガーの秘剣だが、テレビ版の「つばめ落とし」だけではないことがここでわかる
この先、さらにブラックジャガーの秘剣を妄想版で出そうと思っている
そして、豹馬に対する志乃の行為もポイントだと思う
志乃は、獅子丸に憧れを募らすのだが、豹馬には実は母性を出すのでないかと思う
原作では豹馬が戦死して、豹馬と志乃の関係は進展しなかったが、もし、生きていたら面白い関係になったと思う
(参考資料)
怪傑ライオン丸 第2巻 光ノ章 うしおそうじ:作、一峰大二:画
風雲ライオン丸 全1巻 ロケットノ章 うしおそうじ:作、一峰大二:画
「総員死ニ方用意」
太平洋戦争末期、戦艦大和は、1945年4月7日、米軍の猛攻を受けて沈没し、約3000人が戦死しました
「戦艦大和:総員死ニ方用意…1945年4月6日最後の出撃(毎日新聞より、2015年4月)」
「総員死ニ方用意」
そう書かれた黒板が砲塔に掲げられると、乗組員たちはざわめいた
死の準備をせよ、という命令
その大和が4月6日沖縄に向け山口県を出港する前に、掲げられた言葉でした
映画「男たちの大和」で、長嶋一茂さん演ずる臼淵大尉が特年兵にこの言葉を示唆する場面があります
日本が救われるのはもはや「敗れて目覚めるしかない」
太平洋戦争末期、沖縄にアメリカ軍が上陸を始めたとき、それを阻止する軍艦が日本にはほとんど無かった
一矢報いるために、九州より沖縄周辺のアメリカ艦船に向けて、自ら命を捨てて激突するゼロ戦の特攻隊がいるだけでした
唯一、無傷だった戦艦大和を沖縄に差し向ける作戦が行われましたが、それは、護衛する戦闘機ももなく、片道燃焼しか与えられない水上特攻でした
「これはもはや作戦にあらず」そう言う士官もいたと思います
「死を前提とする作戦だった。それは作戦と呼べるのか」と思った少年兵もいたと思います
お国のために命を捧げる
そんな時代だったと思うだけでいいのでしょうか?
今、「死ニ方用意」と言われて、それに対応できる日本人はどのくらいいるでしょう?
日本国のために…
いや、会社のために…
あるいは、家族のために…
この子のために命を張ることができる親はいるかもしれません
でも、日本国のために会社のために、命を絶対落とさねばねらない状況に陥ったら、どうでしょう?
「死ニ方用意」できますか?
今、アジア近隣の状況が非常に切迫しています
日本は、平和憲法の基にありながら、積極的に自分を守ると言う名目で、集団的自衛権に大きく舵を切りました
それは、国民を守るために盾となる人間に「死ニ方用意」と言っているようなものだと思いませんか?
ある人に、人々を守るのが仕事だから命の盾になってくれと言っているようなものではありませんか?
自分を含めて、今の日本人にそれだけの覚悟ができているのだろうか?
大和沈没の日にこんなことを考えてしまいました
そして、戦艦大和と共に戦死された多くの方々のご冥福申し上げます