音楽の回文といえば、やっぱり新津章夫の「オレンジ・パラドックス」。
ニコニコ動画で、これを検証してくれている方がいます。本当に前から聞いても逆回転させても同じなのかと。
それでは、ぜひ聞いてみてください。アカウントを持っていない方もこの際にぜひ!
PS/きんさん、多謝!
YOUTUBEにレコードデビューのきっかけとなった1976年のデモテープの音源を載せました。
「I・O」に収録されている「未来永劫」ですが、シンクロ機能のない4チャンネルデッキで作られた音です。音質の問題を除けばレコードとほぼ変わりありません。しかし、これを作る手間はプロ機材によるレコード音源の何倍もかかります。この前に2チャンネル(普通のステレオ)デッキを使ったテイクもあり、こちらはピンポン録音(片チャンネルづつ重ねて録音する。先にとった音はどんどん劣化していくため録音する楽器の順番を考える必要がある)で作ったものなので、さらに気が遠くなるような作業です。こういったテスト録音と試行錯誤の上に「未来永劫」は完成したわけです。
久々にニコニコ動画を見たらなんとなんと「新津章夫」のタグができていました。びっくり。しかも2010年に作られていたようで、これまで気が付きませんで失礼しました。Blogなどで取り上げられた場合は極力お礼の連絡をさせているのですが…。
ニコニコ動画のIDを持っていらっしゃる方なら見られると思います。
http://www.nicovideo.jp/tag/%E6%96%B0%E6%B4%A5%E7%AB%A0%E5%A4%AB
今後ともご贔屓のほど宜しくお願いします。
追伸/ニコ動の「模型のつばめや」のCMが新津章夫のタグにくっついていますが、このCMと新津章夫は無関係ですよ。念のため。
8月の末に南ドイツのガルミッシュ・パルテンキルヒェンという町に行ってきました。生前、新津章夫が愛した場所で、大学時代にここを中心に欧州貧乏旅行をした経験が、その後の彼の創作活動の、ほぼすべての原動力だったと言っていもいいかもしれません。
この町はガルミッシュとパルテンキルヒェンという2つの村が合わさってできた町です。1936年、時のヒットラーの命で合併が行われ、冬季オリンピックが開かれました。ナチス党時代のドイツではベルリンで行われた夏季五輪ばかりが有名ですが、この冬季五輪には当時12歳の日本人フィギュアスケーターが初出場をし、そののちの荒川静香や浅田真央、安藤美姫らの活躍の礎を築いたり、日本とも縁がある大会でした。
周囲を山に囲まれ、自然豊かな町。しかし、五輪がなければ目立つこともなかったと思われ、なぜ新津章夫がこの町を旅の第一歩として選んだのか、今となっては知る由もありません。おそらくバッハと同じくらい政治活動以外のヒットラーについても関心を持っていたことと関係があるのかもしれません。
新津章夫はこの地にあるペンションに長逗留をしておりました。そのときのパンフレットが僕の手元にあったので住所を尋ねてみましたが、残念ながらペンションはすでになく、近隣の人々も誰もオーナーの消息を知りませんでした。ちなみに、件のオーナーはヒットラー・ユーゲントだったそうです。
以下は新津章夫が見ただろう風景です。







↑ここが1976年、新津章夫が泊まっていたペンションのあった場所。建物はすっかり変わっておりました。件のペンションにおいては、新津章夫は初めての東洋人宿泊者だったそうで、玄関に迎えに出たオーナーは驚いた顔で出迎えたとか。
8月19日は新津章夫の59回目の誕生日でした。というわけで、いつもこのBlogを見ていただいている皆さんにプレゼントです。
入手難といわれている新津章夫の3rdアルバム「ウィンターワンダーランド」の中の名曲、「エヌ氏のナイーヴ」をYOUTUBEにアップしました。
この曲はギタリストの新津章夫にしてギターパートのない珍しい曲です。音源はYAMAHAのDX-7とKorgのMS-20&MS-50、そして、リズムはRolandのTR-909です。
リズム部分は「無印良品BGM」と同様1曲を打ち込みしておらずフリークエンスのみ。この件について当人に聞いてみますと「1曲、丸々打ち込むのは面倒くさいから」とのことでした。
いかにもリズム楽器を嫌うどころか憎いんでさえいた新津章夫らしい意見です。「歌とリズムで音楽を作るのは簡単、イージー」というのが新津章夫の音楽哲学です。
それでいてアイドルやロックバンドの編曲、プロデュースもやっていたわけですから、さほど堅物というわけでもないんです。自分の音楽には持ち込まないというだけで。
ちなみに、この「エヌ氏のナイーヴ」という曲名は不肖、私、新津隆夫が命名いたしました。「エヌ氏」とは新津章夫が大好きだったSF作家の星新一さんの著作の登場人物名。もちろん、NIITSU AKIOの頭文字であるエヌとかけているわけですが、僕にとっても「未来永劫」「迷宮の森」「PetSteP」と並ぶ新津章夫の傑作のひとつだと思っています。
「エヌ氏のナイーヴ」
私事ではありますが、というわけで、震災の当日から3週間ほど帰国しておりましたが、その間のことを娘が通うイタリアの小学校の担任がひどく心配してくれておりまして、帰ってからメールでやり取りしていた際、なにかの拍子で「日本では今、元気付けるために『上を向いて歩こう』という歌が良く流れている」と話したのです。
その担任は本来は音楽の先生で、娘の小学校では4年生からリコーダーを習うところを、自分の受け持ち時間に1年生から教えていまして、ならばぜひその「上を向いて歩こう」を教材に取り入れましょう、となった次第。
「上を向いて歩こう」は唯一の日本語で唄ったアメリカ・ビルボード誌1位になった曲だと記憶しておりますが、海外では「Sukiyaki」という題名でも知られております。
イタリアの小学生のリコーダーによる「上を向いて歩こう」
http://www.youtube.com/watch?v=QvA1qh4nuok
ちなみに、件の先生はお兄さんがギタリストで、2000年に亡くなっているそうで、私と同じような境遇ということもあり、シンパシーを感じてもらっています。エリオ先生、ありがとうございました。
追伸
遅ればせながら、この度の東日本大震災にあわれた方々に、この場を借りてお見舞い申し上げます。上記のように私は偶然にも地震当日に帰国し、その時のつらく悲しい日本の空気を肌で感じました。1日も早く皆様に平穏な日々が戻ることをお祈りしております。
地震当日に帰国。成田からの欧州直行便が再開したのを受けて再びイタリアに戻りました。
帰国中、新津章夫のCDを制作、販売していただいている「ブリッジ」と打ち合わせをし、来年の「新津章夫 没後10年、生誕60年」に向けて未発表テイクをまとめたCDを発表することになりそうです。
発売の時期は、新津章夫の命日である1月から誕生日である8月までの間にと思っています。
このCDでの目玉は、「I・O」に収録されている「未来永劫」の「未来永劫 パート2」。そして、録音されながらもお蔵入りになった2ndアルバム「PETSTEP」のタイトル曲「PETSTEP」のオリジナルテイク(1分に満たない新津章夫のアレンジ力、演奏力、エンジニアリング力が凝縮された珠玉の一作)。
その他、数少ないCMへの提供曲やテレビ番組のために作られたテーマ曲なども収録する予定です。
また詳細が決まりましたらお知ら せします。
新津章夫のことを「ギター科学者ともいうべき雰囲気」と評していただいた方がいらっしゃいましたが、なかなか言い得て妙な表現だと感服いたしました。が、一方で異様なほどポップ好きな一面もありました。それがTボーンズの「真っ赤な太陽」のカバーだったり、クリスマスソングだったりするわけですが、今日はあまり新津章夫とは関係ありませんが、そのあたりの話。
新津章夫が好きだったポップ系ミュージシャンのひとりが、キャロル・キングです。まぁ、いかにも時代ですね。
そのキャロル・キングの名曲に「You've Got A Friend」というのがあります。有名な曲です。
「You've Got A Friend」CAROLE KING
http://www.youtube.com/watch?v=XHlcW_lKPl4
歌詞がいいですね。翻訳の詩がネットにありますので、見つけてみてください。
友達のことを歌った名曲といえば、トッド・ラングレンの「Can We Still Be Friends」も有名です。お若い方は知らないかな?
「Can We Still Be Friends」TODD RUNDGREN
http://www.youtube.com/watch?v=T3Z4H61LXmQ
トッド・ラングレンというと「Hello It's Me」がヒット曲として知られていますが、いいでしょ、こっちも??
そうなんですよ。友達を歌った曲は、どれも切ないんです。名曲にはいろいろな曲調がありますが、友達を歌った曲はどれも切なさが魅力なんです。
新津章夫の親友に学生時代、放送作家の真似事をやっていた人がいるのですが、まだデビューしたてで一部のマニアしか知らなかった荒井由実を深夜放送でバンバンかけまくったのが、この人でした。あえて番組名やパーソナリティーには触れません。とくにパーソナリティーはもう亡くなっているかただし。
そのユーミンにも、友達を歌った名曲があります。
「Hello, My Friend」 松任谷由実
http://www.youtube.com/watch?v=TYS1o-HGx_4
友達を歌った曲って、どうしてこんなにも切ないんでしょうね。
「You've Got A Friend」 CAROLE KING
「Can We Still Be Friends」 TODD RUNDGREN
「Hello, My Friend」 松任谷由実
僕はこれを、世界3大お友達ソングと呼びたいと思ってます。
2002年に新津章夫が亡くなってから9年も経ちましたか…。早いものですね。命日は1月19日とされておりますので、もう2日も過ぎちゃったわけですが、今でもあの偏屈野郎を愛してくださっている方々のためになにかプレゼントをしたいと思いまして、今回は1982年に発表された2枚目のアルバム「PETSTEP」からの名曲中の名曲、「LYON」を紹介します。
このアルバムは当時YMOのメンバーだっだ細野晴臣さんをアドバイザーに迎えて製作されたとクレジットには書いてあるわけですが、実際のところ新津章夫は細野さんのことは、やはり自宅録音のアルバム「HOSONO HOUSE」の大ファンでもあったし、たいへん尊敬していたのですが、自分のアルバム製作に意見を求めるということに対してはまったく別物で、その現場を見たわけではありませんが、おそらく、たぶん、いや、間違いなく、レコード会社が名前だけ拝借した、っていう感じだったのだと思います。
当時、「I/O」のディレクターだった伊藤洋一氏はすでにYMOに手一杯で、新津章夫の担当は別の方が勤めておりましたが、まぁ、四半世紀も経っているから言ってもいいと思いますが、どうにもこうにも馬があわなかったようです。そんなわけで、「PETSTEP」についてはアルバム名が新津章夫の大好きな回文になっていますし、ヨーロッパテイストてんこ盛りの曲も多いのですが、一方で製作現場においては納得のいかないことばかりだったようです。
話は「LYON」に戻りますが、この曲は、題名からしてもおわかりになるように、フランスの都市、リヨンに新津章夫が旅したときの想い出を音にしたものです。
な~んていうと、特別な思いが込められたように聞こえますが、実際には半日もいなかったとか? 1970年代の欧州は、もちろんユーロなんてものはないし、西側諸国といえども国境越えはひとつひとつが面倒でした。
新津章夫は列車の旅の途中で、そういった細々としたことの連続で幾度となく予定が狂い、その時も食事もままならず、ひょいと飛び降りてメシでもと思ったのが、このリヨンだったようです(僕への手紙にそうありました)。
列車の車窓から見る欧州の風景のようなテンポ。流れるメロディーライン。凝りに凝ったコード進行といつもの煌く倍速ギターの音。
さぞかし良い想い出なのかと思いきや…。しかしまぁ空腹に耐えかねて降りた町で美味しい食べ物とワインを得られたわけですから、まぁ、それはそれで幸せな時間を過ごせたことが、このような名曲に仕上げられた理由かもしれません。
新津章夫が亡くなって9年。ひと一人がいなくなったからってどうなるわけでもないんですが、彼のことをいつまでも覚えてくれているファンの皆さんに聞いてもらいたいと思います。
PS/YOUTUBEにも載せておきました。