2002年に新津章夫が亡くなってから9年も経ちましたか…。早いものですね。命日は1月19日とされておりますので、もう2日も過ぎちゃったわけですが、今でもあの偏屈野郎を愛してくださっている方々のためになにかプレゼントをしたいと思いまして、今回は1982年に発表された2枚目のアルバム「PETSTEP」からの名曲中の名曲、「LYON」を紹介します。
このアルバムは当時YMOのメンバーだっだ細野晴臣さんをアドバイザーに迎えて製作されたとクレジットには書いてあるわけですが、実際のところ新津章夫は細野さんのことは、やはり自宅録音のアルバム「HOSONO HOUSE」の大ファンでもあったし、たいへん尊敬していたのですが、自分のアルバム製作に意見を求めるということに対してはまったく別物で、その現場を見たわけではありませんが、おそらく、たぶん、いや、間違いなく、レコード会社が名前だけ拝借した、っていう感じだったのだと思います。
当時、「I/O」のディレクターだった伊藤洋一氏はすでにYMOに手一杯で、新津章夫の担当は別の方が勤めておりましたが、まぁ、四半世紀も経っているから言ってもいいと思いますが、どうにもこうにも馬があわなかったようです。そんなわけで、「PETSTEP」についてはアルバム名が新津章夫の大好きな回文になっていますし、ヨーロッパテイストてんこ盛りの曲も多いのですが、一方で製作現場においては納得のいかないことばかりだったようです。
話は「LYON」に戻りますが、この曲は、題名からしてもおわかりになるように、フランスの都市、リヨンに新津章夫が旅したときの想い出を音にしたものです。
な~んていうと、特別な思いが込められたように聞こえますが、実際には半日もいなかったとか? 1970年代の欧州は、もちろんユーロなんてものはないし、西側諸国といえども国境越えはひとつひとつが面倒でした。
新津章夫は列車の旅の途中で、そういった細々としたことの連続で幾度となく予定が狂い、その時も食事もままならず、ひょいと飛び降りてメシでもと思ったのが、このリヨンだったようです(僕への手紙にそうありました)。
列車の車窓から見る欧州の風景のようなテンポ。流れるメロディーライン。凝りに凝ったコード進行といつもの煌く倍速ギターの音。
さぞかし良い想い出なのかと思いきや…。しかしまぁ空腹に耐えかねて降りた町で美味しい食べ物とワインを得られたわけですから、まぁ、それはそれで幸せな時間を過ごせたことが、このような名曲に仕上げられた理由かもしれません。
新津章夫が亡くなって9年。ひと一人がいなくなったからってどうなるわけでもないんですが、彼のことをいつまでも覚えてくれているファンの皆さんに聞いてもらいたいと思います。
PS/YOUTUBEにも載せておきました。