8月の末に南ドイツのガルミッシュ・パルテンキルヒェンという町に行ってきました。生前、新津章夫が愛した場所で、大学時代にここを中心に欧州貧乏旅行をした経験が、その後の彼の創作活動の、ほぼすべての原動力だったと言っていもいいかもしれません。
この町はガルミッシュとパルテンキルヒェンという2つの村が合わさってできた町です。1936年、時のヒットラーの命で合併が行われ、冬季オリンピックが開かれました。ナチス党時代のドイツではベルリンで行われた夏季五輪ばかりが有名ですが、この冬季五輪には当時12歳の日本人フィギュアスケーターが初出場をし、そののちの荒川静香や浅田真央、安藤美姫らの活躍の礎を築いたり、日本とも縁がある大会でした。
周囲を山に囲まれ、自然豊かな町。しかし、五輪がなければ目立つこともなかったと思われ、なぜ新津章夫がこの町を旅の第一歩として選んだのか、今となっては知る由もありません。おそらくバッハと同じくらい政治活動以外のヒットラーについても関心を持っていたことと関係があるのかもしれません。
新津章夫はこの地にあるペンションに長逗留をしておりました。そのときのパンフレットが僕の手元にあったので住所を尋ねてみましたが、残念ながらペンションはすでになく、近隣の人々も誰もオーナーの消息を知りませんでした。ちなみに、件のオーナーはヒットラー・ユーゲントだったそうです。
以下は新津章夫が見ただろう風景です。







↑ここが1976年、新津章夫が泊まっていたペンションのあった場所。建物はすっかり変わっておりました。件のペンションにおいては、新津章夫は初めての東洋人宿泊者だったそうで、玄関に迎えに出たオーナーは驚いた顔で出迎えたとか。