1月19日は新津章夫の命日です。来年は七回忌。早いものです。
みなさん、あけましておめでとうございます。今年も、このBlogをよろしくお願いします。
今年の抱負をひとつ。 どちらかというと、絹ごしよりも木綿の方が好きで、やはりすき焼きには焼き…って、それはトーフ!(我ながら寒々しいギャグ…)。
抱負ですね。そうですね、これはぜんぜん変わらないんですけど、まずは新津章夫のオリジナル・アルバム「PetSteP」と「ウィンターワンダーランド」をCD復刻すること。そして、未発表テイクを集めたアルバム(注目は未来永劫PartⅡとPetStePオリジナルテイク!)を出すこと。さらに、「無印良品BGM1980-2000」に収録してある楽曲をオリジナルCDとして出すこと。これらの実現に向けて精進したいと思っております。
また、現在、アンドレアス・ドーラウ氏とコンタクトを取り、欧州内での発売に向けて画策中です。進展がありましたら、ご報告します。
2007年が皆様にとっても実り多い一年であることを祈っております。
Blog管理人・新津隆夫
PS/去年の初夢ライブ以降、新津章夫は一度も夢に現れておりません。完全に成仏してしまったのでしょうか?
新津章夫のレコードの中でもマイナー中のマイナー、「WINTER WONDERLAND」の中に名曲、「ホワイト・クリスマス」が収められています。
凡そ、新津章夫とクリスマスは結びつきませんが、実は彼はクリスマス・ソングが大好き。タイトルにクリスマスとは銘打っていなくても、クリスマスを連想させる曲を多く作っています。いずれは、オリジナル半分、カバー曲半分で密かに「クリスマス・アルバム」を計画していたほど。
この曲は「日本のクリスマス・ソング・リスト」というサイトにも紹介されています(二期会合唱団の後)。
http://christmasx.hp.infoseek.co.jp/songlist-na-no.htm
いつのことになるかわかりませんが、いつの日か「WINTER WONDERLAND」を復刻した暁には、ぜひとも新津章夫のクリスマス・ソングを聞いてください。
では、Merry Christmas & Buon Natale!
PS/この話は去年も書きましたけど、ま、恒例ということでご容赦を。
ひょんなことから美尾洋乃(みおひろの)さんについて検索してみた。美尾さんは、1980年代にムーンライダースの周辺で活躍していたバイオリニストである。その後、リアルフィッシュというバンドに参加していたことまでは知っていた。どうしているかと思っていたら、彼女のホームページがあった。
Mio Hirono Official Web Site
http://members3.jcom.home.ne.jp/mio-hirono/
※メールしたかったけど連絡先がなかったので勝手に貼ります。すみません。
なぜ突然、美尾さんかというと、この方はインクスティック六本木における新津章夫のライブのサポートメンバーだったからである。過日、唯一の共演者としてドイツ人ミュージシャンのアンドレアス・ドーラウについて書いたけど、スタジオ録音の唯一の共演者がドーラウだとしたら、ライブにおいては美尾さんなのである(もう一人重要な人がおりますが、それはまたの機会に)。
インクスティックでのライブは当初は、いわゆるマイナスワンと呼ばれる、ひとつのパートが入っていないテープを使って、その部分を生で弾くというスタイルで行われていた。その後、当時のマネージャー(ムーンライダースとはご昵懇の間柄だった)の発案で「華が欲しい」ということで、美尾さんのご指名となったようだ。
なにしろ、新津章夫。人前では愛想もへったくれもない。一応、ボソッと曲紹介なんかもするんだけど、下を向いたまま、客になにかアピールしようなんて気はぜんぜんない。サービス精神なんて言葉は彼の辞書には存在しない。
美尾さん、戸惑ったと思う。なにしろ堅物だったから、新津章夫先生は…。実は僕は当時、音楽ライターをやっていたため、その後も、美尾さんとは連絡を取り合ったりしていた。実際はどうだったのか、聞いておくべきだったと後悔している。
インクスティックにおける新津章夫&美尾洋乃嬢のライブ音源が手元にある。 いずれCDに…。ま、難しいだろうなぁ。
PS/美尾さん、これ見たら、連絡下さい。ページの右端にメールアドレスが書いてあります。とにかく大量のスパムメールしか届きませんが、ちゃんと読んでますから。
今年の初め、1月19日付のブログに新津章夫、唯一の共演者である、アンドレアス・ドーラウについて書きました。
ちょっと時間的な余裕ができたので、ドーラウに手紙を書いて、EU内で新津章夫のCDを売る画策を本格始動します。元々、「サイエンス・クラシックス」ができた時点で、まずはイタリアにおいて始めようと思ったプランですが、テクノ先進国(?)のドイツの方が受け入れられやすいかとも思い…。
いずれにしても、うまくいくといいのですが…。しかし、アンドレアス・ドーラウ、現役なんですね。そういえば、クラフトワークもまだ活動しているようだし。いいことです。
新津章夫にはいくつかニックネームがありました。音楽業界の人は、ただ「ニーツ」と苗字で呼んでいましたが、古い知人たちは、彼をマイケルと呼んでいました。
由来は、ブルース・ギタリストのマイケル(マイク)・ブルームフィールド。マニアックな話で恐縮ですが、ギターを弾く時の、弦をチョーキングをして、それを降ろす時にもまたピッキングする、その弾き方がマイケル・ブルームフィールドに似ているというわけです。
デビュー前、新津章夫は浅草にある楽器店でギター教室を担当する一方で、同じ楽器教室の他の先生たちと一緒にジャズ・ブルース・バンドを組んでいました。その演奏を聴いた、ある人がマイケル・ブルームフィールドと重ね合わせたのでした。
実際、新津章夫はマイケル・ブルームフィールドの大ファンでした。新津章夫は1952年生まれ。この世代のミュージシャンは例外なく、1969年に行われた伝説のロックフェスティバル「ウッドストック」を受けたものですが、それと同じくらいの影響力があったのが、「フィルモアの奇跡」というライブ・アルバムでした。
これは1968年にサン・フランシスコのフィルモア・ウエストにて行われたセッションをレコード化したもので、ジャケットはアメリカを代表するイラストレーターのノーマン・ロックウェルによるものです中心となっているのは、マイケル・ブルームフィールドとキーボード・プレイヤーのアル・クーパーですが、ギタリストのエルビン・ビショップや若き日のカルロス・サンタナも参加しています。
サンタナなどは現在のプレイ・スタイルからは想像ができませんが、混じりっ気なしのブルース・ギターで、思えば1980年代にフュージョン・ギタリストとして人気だったロベン・フォードも最近では、ブルースばかり弾いていますし、アメリカのギタリストにとってはブルースは、その原点だといえそうです。
実は新津章夫にとってもブルースは原点で、高校時代は自らヴォーカルをとってブルース・バンドを結成していました。その後、ブルース、ロック、ジャズ、クラシックと彼のプレイ・スタイルは変化し、結果、すべての要素を踏襲して「I・O」に代表される新津章夫ワールドができあがったことはいうまでもありません。
「I・O」の研究もアナログ盤でいうとA面最後の「未来永劫」まできました。この曲は音楽をやる人ならばすぐにわかりますが、曲自体は4つのコードの循環でなりたっています。とってもシンプルな曲です。反して、音の構成はとても厚く、この曲などはまさにギター1本の多重録音なのですが、とてもギターだけとは思えない、まさに新津ワールドを代表する楽曲となっています。
実は音作りもけしてトリッキーなことはしていません。エレクトリックギターのエフェクター類もディストーションと、当時出始めたばかりのフランジャーだけ。冒頭の美しいアルペジオ、そして、バロック展開した後のメロディーにかぶる轟音は、そのフランジャーあっての効果です。ギターのエフェクターではありませんが、この曲ではやはり当時出始めたばかりのデジタル・リバーブの効果が大きいですね。澄み渡った残響音は、おそらく従来のスプリング式では得られないものです。
アルペジオに続いてディストーション・ギターによる主旋律。やがてもう一本のギターとの絡み合い。だんだんとドラマティックに盛り上げていきます。そして、倍速ギターによるバロック部分。ここはデモテープに比べておとなしめにまとまった感がありますが、当然のように何テイクも録られています。本当に完璧主義を地でいく人で、妥協という言葉は彼の辞書にはありませんでした。ずっと付き合っていたフィリップスレコードのエンジニアの宮○氏…。さぞかしたいへんだったでしょう。でも、楽しんでいた様子もうかがえました。でなければ朝まで付き合えませんからね、新津章夫なんかに。
ラスト部分、2本のギターが空を舞う二頭の竜がお互いを攻めあうがごとく天に上り詰めます。そして、エンディング。SEはこの曲の原題「シャッハウゼン」を表現したものです。シャッハウゼンとはドイツのライン川の途中にある滝で、華厳滝のような落差の大きな滝ではありませんが、しかし雄大な、120㍍の川幅一杯に20㍍強落ちていく迫力満点の滝です。これを見た新津章夫が、その光景を曲に描いたのが「未来永劫(シャッハウゼン)」なのでした。水音とともにストリングスの音色が聞こえます。懐かしいローランドのストリングスです。
夏に帰国していた際に懐かしい本を買ってきました。伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」。新津章夫は1952年生まれ。団塊より少し下の世代ですが、凡そあの年代の人々で内よりも外に目が向いていた人々は、この本に強く感化されたことと思います。僕も中学、高校時代に新津章夫の影響で、この本に始まり伊丹十三氏の著作は読みまくりました。読みまくったどころか、読みすぎて汚くなると、また買いなおして読みました。そして、今夏、いったい何冊目になるかわかりませんが、また買っちゃった。
新津章夫は大学3年の秋に、その後、ミュージシャンとしてデビューするきっかけとなった、西ドイツを中心とした欧州貧乏旅行に旅立ちました。そこで彼が行ったことの、どうだろう、20㌫くらいは伊丹十三氏の「ヨーロッパ退屈日記」の実地検証であったといえるかもしれません。旅の途中、僕に手紙を送ってくれましたが、その中でも、幾度となく触れられておりました。今、僕がイタリアに住んでいるのも、元を辿れば彼の著作に出会ったことがきっかけであることは間違いありません。
伊丹十三氏について、くどくど語ることはここでは控えます。著作、映画などなど、今ではオンデマンドで彼の足跡を知ることはできるから。
「ヨーロッパ退屈日記」には、ブランドの名前がたくさん出てきます。しかし、1960年代に、エルメスやグッチ、シャルル・ジョルダンなどを知っている人はいったいどのくらいいたのでしょうか? ジャギュア(ジャガー)やロータスという車の特色をどれだけの人が理解していたでしょう? スパゲッティを皿の上で上手に巻くコツを書いたところで、誰が実践したのでしょう? スパゲッティなど、ケチャップであえたナポリタンくらいしか知られていない時代に。
新津章夫は時代の先を行くことを全肯定してはいませんでした。しかし、伊丹氏が好奇心を抱いたものは、それぞれ本質的な意義があり、またその視線がまるで子供が自然界の不思議を探求したくなるような透明なものであったことが、新津章夫の琴線を掻き鳴らしたのでした。筒井康隆氏のロジックを音にして現してみたように、伊丹氏の好奇心も、また新津章夫の音作りには大きく影響しています。
幅広く薀蓄を持ち、ファッションにも気を使い、外国語にも堪能という大人の男をして、インスタントな時代に相応しい、「ちょい悪オヤジ」という軽薄な言葉が闊歩しておりますが、このような傾向について、ぜひとも伊丹十三氏のコメントを聞きたい気がします。おそらく「興味はない」といわれるでしょうけどね…。
新津章夫のプロのミュージシャンとしての第一歩。それが、「光のオルゴール」でした。作曲、編曲、演奏、録音、エンジニアリング。すべてにおいて新津章夫の音楽を結集したような曲でもあります。
1975年ごろに自宅のSONY製の4チャンネル・オープンリールデッキで制作されたデモテープにおける「光のオルゴール」は、オルゴールと呼ぶにはほど遠い音作りでした。曲番号・No,15。題名はまだなく、「I・O」のアレンジからは考えられませんが、ドラム(スネアとシンバル)、そして、ベースのバッキングをしたがえた多重録音によるギター・インスト曲。それが、「光のオルゴール」の元の姿でした。
ギター・インスト曲とはいえ、原曲の時点ですでに、A→D♭→F→Aと3回の転調をして元のキーに戻るというロジカルな遊びや、主旋律を倍速ギターで弾くという形はできあがっていました。このキラキラとした倍速ギターの響きにヒントを得たスーパーバイザーである岩田由記夫氏と担当ディレクターの伊藤洋一氏(現ブリッジ社長)等のアドバイスが元となって、オルゴール・サウンドへと変化していったのでした。
転調は新津章夫の得意とするテクニックです。得意というよりも転調フェチといってもいいくらい。「I・O」の中でも「未来永劫」「コズミック・トレイン」と転調を用いた曲があります。
オルゴール・サウンドへと編曲をしなおした時点で、倍速ギターは2倍速だけでなく、4倍速も使わなければならなくなり、倍速ギターの演奏、および録音テクニックに磨きがかかりました。また、ドラム、ベースといった他の楽器はすべて取り去られました。
2倍速ギターは主に主旋律に、4倍速は飾り音とトライアングルのような打楽器として用いられています。ちなみに、主旋律の音がたわむ感じは当時、発売されたばかりのフランジャーというアタッチメントを使用しています。
こうして作られた世にもギターによる珍しいオルゴール・サウンドは、その後の新津章夫の代名詞となりましたが、それを印象付けるためにわざわざプロモーション用のシングル盤(非売品)まで作っていただいた伊藤氏、及びプロデューサーの三浦光紀氏にはあらためて感謝いたします。「I・O」発売後、LPの発売印税よりも、「光のオルゴール」の放送印税の方が大きかった、という噂もあるほどで…。
突然ですが、皆さんは「ドラえもん」の主題歌というと、どんな曲を思い出しますか? やっぱり、♪アンアンアン、とっても大好き、ドラえもん、を思い出しますかね? 実は3歳になる愛娘が「ドラえもん」が大好きで、年中付き合って見せられています(長兄がDVDに録画して送ってくれています)。
現在の主題歌、「ハグしちゃお」。ぜひ、一度、聞いてみてください。僕は「ドラえもん」世代ではないから、昔の主題歌にはまったく思い入れはなかったのだけど、今のは宇崎竜童の作曲なんですが、琉球メロディーを取り入れていて、なかなか面白いんです。で、最大の注目点は、ドラムの音。打ち込みですが、超高速のロール音がなんとも心地よいのです。
これで、ひとつ思い出しました。
* * * * * * *
新津章夫は、歌とドラムが嫌いでした。いや、憎んでいたといってもいいでしょう。時として歌のおかげで背景にあるすべての音作りは無にされ、ドラムの"ノリ"とやらに繊細な音作りも音像もすべて台無しにされてしまう。歌とドラムがあれば、とりあえず音楽として楽しめる、みたいなイージーな部分が嫌いだったわけです。ドラムについては、坂本龍一氏も同じようなことを言っていたと聞きますが…(発言の詳細を知っている方がいたら教えてください)。
しかし、だからといって、ドラムを否定していたわけではありません。実際、「I/O」では彼自身、ドラムを叩いていますし、その他の楽曲でもリズムボックスや打ち込みを使っていますからね。
新津章夫が使っていた機材は、以前も書きましたが、初期はエーストーンとローランドのリズムボックスを使っていました。1970年代にはエレクトーンの演奏には欠かせなかった機材です。その衰退ともに姿を消し、シークエンサー系のリズムマシン(打ち込みのリズムマシン)に取って代わられました。「I/O」の一曲目、「オレンジ・パラドックス」で、その音を聞くことができます。
マネージメント事務所がついてからは、機材面では格段の進歩があり、ローランドのTR-909が買い与えられました。YMOをはじめ、数多くのミュージシャンが愛用した"ヤオヤ"と呼ばれた808の上位機種です。しかし、一曲分すべてを打ち込むようなことはしなかったといいます(実際、彼の909に残されていたメモリはすべて断片的なものばかりでした)。
まず章ごとに打ち込みをして、それをつないで(アナログ録音だからできるテクニック?)録音し、さらに途中途中で、必ずマニュアルで音を足すのです。
さて、909を手に入れた新津章夫には、ひとつの約束がありました。それは、「人間のドラマーが叩くようなリズムは使わない」というものです。
* * * * * * *
冒頭、「ドラえもん」の主題歌のドラム・ロール音が面白いと書きましたが、どう面白いかというと、人間のドラマーには絶対に不可能な速さのロール音なのです。
打ち込みのリズムマシンを使ってもっともつまらない、愚の骨頂ともいえる音作りが、人間のドラマーみたいな音にすること。だったら、わざわざ機械を使う必要はありません(バンドでなり手がいないならまだしも…)。
機械特有の無機的な面白さ、などというありきたりな発想ではなく、人には実現不可能なドラム・パターンを考える。あるいは、ドラマーの発想にはないパターンにする。ここにリズム・マシンを使う必然性があると思うのです。僕はもう音楽の現場からは完全に遠い人間になってしまったのでわからないけど、たとえば、3種類のタムタムが同時に鳴る、なんてどうですか?(ペダルを使えば可能か?) ま、いわば、そういう発想が機械を使った音作りの楽しさです。
現在、CD化されている中では、「無印良品BGM 1980~2000」の4曲目「星のささやき」(何度もいいますが、新津彰夫は誤植です)や「サイエンス・クラシックス」に収録されている「亡き王女のためのパヴァーヌ」の大太鼓(実際のラベルの編曲には存在しませんが…)などで、その独特のドラム・パターンは聞くことができます。


