いつも、元旦から数日経った頃に初詣に行きます。
今年も1月3日に、妹家族と、母と一緒に行ってきました♡
私は年末のお礼参りもするので、(そっちの方がメイン)
なので、お正月は混雑を避けて数日経ってからお参りするのですが・・・
今年は年末年始の大寒波と大雪、
コロナ君の影響もあり
元旦や2日よりも、この日が大混雑だったそう🤣
日曜日だったしお天気だったしなぁ。
凍りすぎのお清め水に笑ってしまいました。
カッチカチやぞー
かろうじて生き残っているチョロチョロで手と口をすすぎ、お参りへ♡
針が本格的でちょっと怖い「釣りみくじ」を釣ったり♡
二人とも大吉釣ったぞ!
鯛焼きを食べたり♡
みんなで毎年恒例、絵馬の前で集合写真を撮ったり♡
この写真、私がカメラマンなので入っていないんですが、私やっぱりそれが、すごく好き。
本当の「私」が見ている世界はこれだ♡って思う。
私がこの写真に居ないからこそ、
私がここに確かに居るって思う。
この景色を創った(見た)のは確かに私だ、と思う。
壮大な本当の魂の目を感じるんです。
自分で自分は見えない。
それが、神はお隠れになるっていうことだし、
だから神社では鏡が御神体。
そして肉体も鏡。
肉体を鏡に「五感」として写る。
私と娘と妹♡
自撮りは私もするけど、本当は「自分で自分を見る」って不自然。
自然界には起こらないこと。
インカメラや神社の鏡でさえ、写る自分は本当の自分じゃないんだ。
だってそこに写る自分はただの虚像なんだもの。
それを知るために、わざわざ神社へ、参るのよ。
それを知るために、わざわざ虚像を見るのよ。
じゃあ、私ってどこにいる?
ここにいる。
確かにいる。
なぜ、それを目で見たり、
人から認めてもらったり、
私!私!ここにいる私!をしなければ
感じられないのだ?
「本当のこと」じゃないことは
「不自然」だから
「苦しさ」となる。
事象を通して、
人を通して、
物事を通して、
自分を知る。
だから、自分を知ることは
全てを知ること。
その目に見えぬプロセス、循環、サイクルこそが
その通過、こそが
我々魂の1番の生命力であり
一番味わい深い部分、愛の部分なんでしょうな♡
ほんっとに世界中の全てが同じ♡
本当のご自愛ならば、自然と世界を愛することに必ず繋がってる。
決して↑これは勘違いご自愛の、開き直りの言い訳にはならない。
この日は快晴でしたが、気温は氷点下。
年末年始に、神社の杉林に降り積もった雪が、風に吹かれ光に当たると
ダイヤモンドダストのように、キラキラと結晶のまま舞うのです。
雪とは違う、その光景がとても好き。
桜の花が舞い散るような
イチョウの葉が舞い散るような
「散る」景色と似ています。
雪の日は、雪雲があるからこんな景色にはならないの。
お日様の光と
高い木に積もったパウダー状の雪と風。
その一つ一つの条件、組み合わせ、マリアージュに感動!
代わり映えしない毎日なんて、ありえない。
「私」抜きの世界でさえ、ただ見れば、毎日がこんなにも違う。
ということは「私」が居なくなってしまえばいい。
「私」を無くして、まっさらにこの世界を見てみろ。
がめつく「私が!私が!」と固執して
その「私」がこの美しい世界をガチガチに固めて
「代わり映えしない」と言ってる「私」に絶望しろ。
その「私」ってなんなん?
ついに挿入してしまった。風♡笑
「代わり映えしない毎日」を作っている張本人じゃないの?
まだまだ終わっていない2020年のノート振り返り感謝♡
3月頃までかかるんじゃないかとさえ思われますがやり切りますよ!
これ、ほんとうに翌年がすごい変わるから!!
絶対にやった方がいい♡
一緒にどうでしょう♡
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