ルーブル日記、続きです。

 

▶︎ルーブル美術館の日の日記①クレオパトラに会えない編

 

▶︎ち○この表現に心から感動する編♡ルーブル美術館の日の日記②

 

 

 

ナポレオンさんちの

豪奢なシャンデリアに釘付け!

 

 

 

 

住んでた人

 ナポレオンってかっこいいですね😍!

 

 

 

帰りの機内でノートを書いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ノートをもとに、書きます。

 

 

 

線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)

 

 

 

 

何か物憂げなマリア様。

「ねえねえママ、マーマってば〜?」

 

ジャンヌ・デヴルーの聖母子像。土台には、キリストの一生が。

 

 

 

お宝、なんだなぁ。

本当に、美術館って。

 

宝物の中にどっぷり浸かっている。

 

確実に存在した、

そして今もこうして存在している何か

 

 

ここまで書いて、

 

「何か」ってなんだろう?

 

って思った。

 

わたしはいつも感じたことを「何か」で片付ける。

だけど、この日は「何か、とは?」とその先に言葉を探してみた。

 

 

 

「何か」とは・・・

 

そのもの。本質。神。源。わたし自身

 

 

 

 

 

 

 

 色んな聖母子像

 

 

 

そうか、これらは

ずーっと奥深くで繋がっている、わたし自身の表現。

 

なんだ。

 

 

 

「こんな、わたしもあったんだ。」

「こんな、わたしたちも、あったんだ。」

 

 

 

わたし自身が

 

こんな母子(マリアとキリスト)でもあって

あんな母子(マリアとキリスト)でもあった。

 

 

 

 

きっと、思い出すんだ。

 

 

だから、やっぱりインスピレーションは内から湧き出るものだ。

外から与えられるものや、天から降ってくるものではない。

 

 

見て、感じて、自分の中に「取り込む」

「そして使う」

 

んじゃなく、

「思い出す」んだよ。

 

 

だからわたし、「インプット」「アウトプット」という言葉に違和感を覚えるのか。

 

 

 

 

王様の宝飾品の数々

 

 

 

何かを見て、感じて、自分の中の何かを繋げて生み出す。

 

やっぱり、「生み出す」なんだよなぁ。

 

「取り込んで(インプットして)使う(アウトプットする)」のではなく・・・

 

 

 

 

 

 

「存在」は全て自分自身である。

 

となると、本当に「真似っこ」とかそう言う概念、なくなるね。

 

 

 

美しい剣♡

 

美しい細工の肩章。ルーブルの中でも名品中の名品だそうです。

 

こちらも。腕章

 

美しい防具達。

今の戦士は迷彩服で身を隠すけど、昔の戦士は自分の存在をギラギラと示した。

戦いに誇りを持っていたからだって。

 

 

 

クリヨンをチェックアウトした時

サトーさんと話をした。

 

「クリヨンはダイヤモンドなんだよ」って

また誇らしげに言っていた。

 

 

 

 

 

 

 

例えばクリヨンに感銘を受けて、クリヨンそっくりのホテルを作ったとする。

でも、クリヨンの表現はクリヨンであって、

 

どんなにどんなにコピーしても

 

表現を同じにすることはできない。

ここが、「肉体を持つ」ということの凄さである。

 

 

私たちは、同じ存在、源なのに、

「肉体」がそれぞれ違うおかげで、

必ず違う表現になる。

 

 

 

優劣・勝ち負けの2極の世界で生きていると、これがネックになる。

 

 

どの肉体がいい、悪い、

どの表現がいい、悪い、正しい、間違い、

 

 

だからわたしは、このそもそもの「肉体」に対し

ブス、美女、の2極でスタートする「美女論」が嫌いなんだ、とはっきりわかった。

 

 

 

でも、全てが対等なら?

全ての「肉体」が対等なら?

 

それぞれの個性、表現

全て喜びである。

 

 

どこの国に生まれても

どんな顔に生まれても

どんな体に生まれても

いつの時代に生まれても

どんな階級に生まれても

 

全て、同じである。

 

 

「個」を感じたい。ってそういう魂の「願い」なんだ。

 

 

ルーブルで感じたのは、その「個達の表現」か。

「いつか、こんなわたし(個)もいたのだな。」

 

という、感動。

 

 

 

この時感じたことが、もっと理解できた♡

▶︎この身体はとても尊いものなのだった。アーユルヴェーダリトリート。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてもちろん、その「表現」が魂から直通で来てるほど

「存在」に磨きがかかる。

「存在感」が増す。

 

本物、とはそういう物のことをいうのだと思う。

 

去年の問いにまた答えが出た♡

 

 

▶︎「誇り」ってなんだろう?① 「信頼」の設定変更 Paris10

 

▶︎「誇り」ってなんだろう?②「誇り」とは、「信頼」であり「愛」なのだ。 Paris11

 

▶︎「誇り」ってなんだろう?③「本物か?」じゃなくて「本当か?」 Paris12

 

 

 

 

 

感動。

 

今さら涙が出てくる。豊かだなぁ。

 

こうして、たくさんの自分に出会えること。

「人」に限らず、たくさんの表現(存在)に出会えること。

 

もう、それが全て喜びである。

 

 

 

この、豪華な黄金や宝石、有名な絵描きが描いた絵など、物質そのものが「お宝」なんじゃない。

 

その、「本質、魂」とダイレクトに繋がる感覚をみんなに与える、その「表現」と、生み出した「存在」

 

 

「宝物」の正体は、それなんだな。

と思った。

 

 

 

 

その「表現(存在)」との出会いが、どんな感情を湧き起こそうが、

 

嫌い!とか

これムカつく!とか

 

例えそうでも、それすら全てまた「私の表現」であり、「喜び」であるのだ。

 

わたしの「存在」を感じるための。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余談ですが

 

ルーブル見て、クリヨンを後にしてタクシーに乗った。その時の異常な眠気は、このせいだったのかなって思った。

 

機内で少し寝たら、感じたことが言葉になった。

 

一日潜れってことだったのかも。

 

 

 

 

もしかして帰りの高速で何度も死にそうになったのもこのせいかな?笑

 

だって本当にすっごい怖い運転だったのです!

クリヨンから空港へ向かうまでの道。

 

Paris市内でデモのため、いくつか道が封鎖されていて

渋滞してたのもあり、急いでくれたのだとは思うのですが

 

 

車間距離もすれすれの猛スピード、

何度も「ムチウチになる!」ってくらいの急ブレーキ、

 

ものすごく怖いのに、ものすごい眠気。

安心してないはずなのに、心地よい眠気が襲った。

 

 

錯綜してたのかも。

時空と生死が。

 

 

全て同じ「今」である。

 

 

 

そう感じたのは、降りた時。

かなり「違和感」だったすっごい穏やかで、微笑んでいて、ものすごく優しそうな運転手さんの顔。

 

あんな恐ろしい運転してた人とは思えないほどの幸福そうな顔。

 

 

 

 

線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)

 

 

明日はクリスマスイブ♡

その前に書けてよかった!笑

 

 

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年末年始の「課題図書」に公開しました♡

 

みんなで読んで、感じたこと、シェアしませんか♡

 

 

ノートルダム寺院もクリスマスだった♡