この記事の、続き♡


 

 

 

 

「誇り」って、なんだろう?

 

 

 

 

ここ数年、パリには外資系のホテルもたくさん進出し、ツアー客が多くなり、それをあまりよく思わないフランス人も多いとか。

 

時代が移り変わり、いろんな思いが錯綜する中、

 

クリヨンやリッツ・ホテルの改装オープンは、やっぱりフランス人の「誇り」なんだって。

 

それは、このランチの時だけでもとってもわかった。

本当にみんな幸せそうに嬉しそうにクリヨンに集まっている。

 

 

お部屋のバルコニーから毎日眺めた国旗とエッフェル塔♡

 

 

 

 

誇り=プライド

 

ですが、この時「誇り(プライド)」という言葉の奥に感じたのは

 

もちろん、うぬぼれ、高慢、思い上がりではなく

 

自慢、でもなく

光栄、でもなく

威厳、でもなく

自尊心、でもなく・・・

 

 

なんだろう?

なんだろう?

 

って考えていました。

 

 

 

それで、10月頃の「信頼の設定変更」を思い出したんですが

「信頼」だなぁって。

 

 

私がクリヨンから感じるアットホームな温かさは、

地元の人に愛されてるエネルギーなんだなぁと思ったんです。

みんなに愛されているホテルだというのが伝わってくるから。

 

 

「誇り」とは、「信頼」でありそれは「愛」なのだ。

 

 

 

 

 

朝のエッフェル塔

 

 

 

私はいつもクラシカルなテイストが好きですと言っていたのですが

それはなんでかな?と思い調べたことがあるんです。

 

classical(クラシカル)

classic(クラシック)

 

というのは「階級」を表す「class」に由来し

「最高クラスの」「一流の」という意味ですが

 

ここから転じて「古典」「格式のある」の意味で使われるそうです。

ここから、各分野において歴史的に長く、評価の定まった物事を指して「classic」と呼ぶそう。

 

 

 

 

ある大きな会社の社長さんから流通の話を聞いていた時

とっても学びになったのは

 

「積み上げたものにしか見えない世界があるし聞こえない話がある」っていうこと。

 

 

その社長はピラミッドに例えてくれるのです。

「信頼はピラミッドになっている」と。

 

 

 

前の記事で書いた「牡蠣」のように

(いいものはいいホテルから流れる。)

 

 

それは、パッと華やかに急に作ったものではなくて長い間、積み上げた経験(歴史)があるからです。

 

残った世界では残った世界での牡蠣しか見えない。

 

 

それが「class」だと思うんですが

なんていうかそれはやっぱり勝ち負けじゃなくて、

 

自分目線での「追求」だと思うんです。

本当の自分の追求。

 

 

 

サトーさんのお話を聞いていて感動したのは

「フランス人の誇りなんだよね」という言葉の先に

「みんなのクリヨンへの愛」を感じたから。

 

 

それは、クリヨンがクリヨンを追求してるから。

 

「本物だ!偽物だ!」とするのではなくて

「クリヨン」という「在り方」をひたすらに追求してるからだと思ったんです。

 

その「本当のクリヨン」が積み重なり、格式になる。

「class」になる。

 

 

 

 

 

 

そして、それは、ここ1年よく聞く2極の世界の

 

「本物か偽物か」

 

そういう話でもない。と感じたの。

 

 

 

だってクリヨンが

「これこそが本物だ!!」という姿勢じゃないから。

 

 

 

またまた続きます♡

 

 

 

 

 

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