こんばんは、不動産芸人のぺんとはうす・世良です照れ

 

毎日更新27日目、めざせ10000日口笛

 

本日から、不動産トップ営業マンから芸人になるまでの経緯を書いていきたいと思います。

 

トップ営業マンになるまでの道のりについてはこちらのブログをお読みください。

 

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「不動産トップ営業マンになるまでの道のり①」

https://ameblo.jp/penthouse-sera/entry-12587695179.html

 

「不動産トップ営業マンになるまでの道のり②」

https://ameblo.jp/penthouse-sera/entry-12587941100.html

 

「不動産トップ営業マンになるまでの道のり③」

https://ameblo.jp/penthouse-sera/entry-12588178984.html

 

「不動産トップ営業マンになるまでの道のり④」

https://ameblo.jp/penthouse-sera/entry-12588432011.html

 

「不動産トップ営業マンになるまでの道のり⑤」

https://ameblo.jp/penthouse-sera/entry-12588678989.html

 

「不動産トップ営業マンになるまでの道のり⑥」

https://ameblo.jp/penthouse-sera/entry-12588871753.html

 

「不動産トップ営業マンになるまでの道のり⑦」

https://ameblo.jp/penthouse-sera/entry-12589117800.html

 

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トップ営業マンまでの道のりはかなり長編になってしまいました・・・!

 

今回はさらっと終わることができるのか、乞うご期待です。

 

さて、忘れもしない2013年の12月に僕の携帯へ、とある電話がかかってきました。

 

それは、大学の後輩からの電話でした。

 

「世良さんが卒業する前に僕に言ってくれたこと覚えてますか?」

 

あれ、なんやったっけなぁ、と思いながら、必死に思い出してみました。

 

2013年の3月、大学を卒業する直前の僕は、非常にナーバスになっていました。

 

なぜならば、自分の就職先である会社の情報をネットで調べれば調べるほど超絶ブラック企業なのです。

 

2ちゃんねる、みんしゅう、どのサイトを見てもとんでもない情報しか書かれていません。

 

嫌だ!就職なんてしたくない!と思った僕は、キャンパスですれ違う全ての知り合いに声をかけていました。

 

「なぁ、一緒に芸人なろうや!」

 

いま思えば、ネットに書かれている情報で考えれば吉本興業も超絶ブラック企業じゃないかと思うのですが、そのときは圧倒的に芸人の方がホワイトに感じたのです。

 

もちろん、お笑いが好きということもありましたが、それ以上に就職したくないという気持ちが大きかったのを覚えています。

 

卒業直前でみんな進路が決まっている中、そんな僕の軽い誘いに乗る友人がいるわけもなく、僕はあっけなく普通に卒業して普通に就職します。

 

ただ、そんな軽い誘いであったのにも関わらず、それを真剣に受け止めて一生懸命考えてくれていた後輩が、電話をかけてきてくれたのです。

 

僕はとにかく驚きました。

 

聞いてみると、就職活動をして一社から内定をもらっていたが、やっぱりあのときの世良さんの誘いが忘れられないからその内定を断ったというのです。

 

おったまげました。

 

国内大手の旅行会社からの内定です。

 

そんなしっかりとした会社の内定を、就職したくないという軽い気持ちから出た「なぁ、一緒に芸人なろうや!」が蹴散らしてしまったのです。

 

えらいことになってしまったとも思いました。

 

とにかくいまの僕がみなさんに言えることは、軽い気持ちで「なぁ、一緒に芸人なろうや!」とは言わない方がいいです。

 

忘れた頃に返事がきます。

 

さて、自分から言いだしたことではあっても、そんな急には返事ができないので、いまの状況を伝えて、年末年始に会うことになりました。

 

そのときに、

 

「蹴った内定をもう一度復活できないのか、一応聞いておいて。あと他の企業も、一応受けといて。」

 

と弱々しい声で伝えました。

 

「なぁ、一緒に芸人なろうや!」とは比べものにならないくらいの小さな声だったと思います。

 

そして年末年始の休暇の際に、彼と会いました。

 

そのときの彼の熱意がすごかったのを覚えています。

 

世良さんから誘って頂いたおかげでお笑い芸人を目指すことができることに感謝している、世良さんとならお笑いの世界で勝負できると思う、絶対に一緒にお笑い芸人になりたい、などといった内容で、とにかく熱意に満ちていました。

 

先に言っておきますが、彼は芸人になって二年後に突然講談師になるのでやめると言って僕の前から去っていきます。

 

軽い気持ちで言った「なぁ、一緒に芸人なろうや!」は、真剣に考え抜いて言った「僕、講談師になります!」に勝てないのです。

 

これは、芸人になってからの話なので、ここでは割愛します。

 

ただとにかく、そんな急には会社もやめられないので、一年間お互いそれぞれ別の場所で働いて、来年の年末にもう一度会って、お互いの気持ちが変わっていなかったらお笑い芸人になろう、という話をしました。

 

えらいことになってしまったという思いももちろんありましたが、ずっと憧れだったお笑い芸人を目指せる最後のチャンスかもしれないという思いの方が強かったです。

 

そこからは普通に仕事をして、トップ営業マンになるまでの道のりに書きましたが、僕は首都圏1位の営業成績を収めます。

 

内定者懇親会や新入社員研修に、代表社員として呼ばれるくらいなので、若手のホープというような感じだったと思います。

 

なんせ入社2年目の5月に首都圏1位の営業成績を獲得したので、社内でもなかなかの有名人になっていました。

 

この状況で、会社って非常にやめづらいんです。

 

とは言えども、まだ5月なので、約束の年末まではまだまだ時間はあります。

 

とにかく自分の営業成績を上げることに注力しました。

 

そのときの目標は、業績表彰を目標にしていました。

 

半期で仲介手数料額が3,300万円を超えると、会社から優秀社員として業績表彰をしてもらえます。

 

これがなかなか難関で、一度も業績表彰をされたことがないという先輩社員がたくさんいました。

 

業績表彰者は、半年に一回の業績表彰式に参加することができます。

 

これに参加するのがひとつの憧れであり、営業社員にとってのステータスなのです。

 

そんなみんなの憧れの業績表彰ですが、2年目の僕は、7月の終了時点ですでに3,300万円の仲介手数料額を達成しました。

 

 

これが業績表彰式のときの写真です。

 

後ろは、当時の会長社長のテーブルで、会長と写真撮ったぜ~!と騒いでいたのを覚えています。

 

非常に失礼な若造でした、すみません。

 

 

これが表彰状なのですが、左上の封筒には現金が入っていて、業績表彰式の場で社長から手渡しでもらいます。

 

たぶん、業績表彰式だけで1,000万円くらいの現金が動いていると思います。

 

なんともバブリーな会です。

 

 

これは、業績表彰式に行けなかった後輩も呼んで、楽しんでいる様子です。

 

ここの会計は全部僕が払ったのを覚えています。

 

とにかくお金は腐るほどありましたし、当時は節約という行為をした覚えがありません。

 

あのときのお金が、いま少しでも残っていればと心から思います。

 

話が非常に脱線しましたが、とにかく会社をやめづらくなりました。

 

いろいろ考えました。

 

このままサラリーマンを続ければ、おそらく順風満帆な人生が待っています。

 

ただ、現時点で想像できる範疇にはおさまってしまうような気もします。

 

かと言って会社をやめて芸人になれば、イバラの道が待っています。

 

いまのように好きなものを食べて、飲んで、ができなくなります。

 

しかも、何よりもなんて会社に言えばいいのかもわかりません。

 

「実家の両親が倒れまして・・・」という嘘をつくことも考えました。

 

でもそれは、「関西の支店に異動にしてあげよう!」となったら、えらいこっちゃになります。

 

「会社やめて、お笑い芸人なりますわ!」と軽い感じで言ってみることも考えました。

 

ただそれだと、「冗談はよしこさん!」と返されたら、笑いの面でも負けてしまいますし、次に真剣に言い出しづらくなります。

 

何よりも、僕のことを厳しくも指導し続けてくれた上司が悲しむだろうなぁというのがすごくつらかったです。

 

たしかにあの上司には、壁向かって立たされたりオフィスの椅子を使えなくさせられたり出勤日にできる仕事をあえて休みの日にさせられたりエレベーターホールから叫ばされたりレポート用紙みっちりの反省文を書かされたり時計を投げつけられたり口からザリガニの匂いがすると罵られたり、他にもここでは言えないいろいろなひどいことはされてきました。

 

それでも、何があっても僕と向き合ってくれ、何よりも僕を一人前の営業マンに育ててくれたのはその上司でした。

 

そんな上司にどうやって打ち明ければいいか、考えても考えても答えが出ませんでした。

 

そうこうしていたある日、とある辞令が会社から出されたことによって、大きくその状況が変わるのです。

 

上司が、別の営業所へ異動になります。

 

そこから僕のお笑い芸人への歩みがどんどんスピードアップしていきます。

 

ちょっと長くなってしまったので本日はここまでにしますウインク

 

明日も書きますのでお楽しみに~ニコニコ

 

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