こんにちは、不動産芸人のぺんとはうす・世良です
毎日更新18日目、めざせ10000日
本日でなんと7日目を迎えます、不動産トップ営業マンになるまでの道のりシリーズです。
一週間もかかりましたが、いよいよ本日完結します。
いや、絶対完結させます
営業所への初出勤の日に勢いで設定した、新人賞を獲るという目標を無事に達成した23歳の僕ですが、いよいよ2年目を迎えます。
果たして、トップ営業マンになるまでを今日書ききることができるのかも、乞うご期待です
いままでの内容は下記リンクより、ぜひお読みください。
「不動産トップ営業マンになるまでの道のり①」
https://ameblo.jp/penthouse-sera/entry-12587695179.html
「不動産トップ営業マンになるまでの道のり②」
https://ameblo.jp/penthouse-sera/entry-12587941100.html
「不動産トップ営業マンになるまでの道のり③」
https://ameblo.jp/penthouse-sera/entry-12588178984.html
「不動産トップ営業マンになるまでの道のり④」
https://ameblo.jp/penthouse-sera/entry-12588432011.html
「不動産トップ営業マンになるまでの道のり⑤」
https://ameblo.jp/penthouse-sera/entry-12588678989.html
「不動産トップ営業マンになるまでの道のり⑥」
https://ameblo.jp/penthouse-sera/entry-12588871753.html
さて、2014年4月、無事に2年目を迎えました。
年度末は本当に怒涛で、新人賞の条件の1,500万円以上の仲介手数料額が確定してからも僕は契約をし続け、3月30日まで新規に契約をしていたのを覚えています。
先に言っておきますが、この3月30日にした契約は、後に大クレームとなります。
土地の売買だったのですが、土壌が六価クロムという物質で汚染されている可能性が出て、建築計画がすべてストップしてしまいます。
しかもそれが、お盆休み初日の旅行先でわかり、それ以後の旅行は何を食べても味がしなかったのを覚えています。
年度末や月末に無理に追い込んで契約をすると、こういうことになりかねないので、普段の契約以上に細心の注意を払うことが大切だと、今になって思います。
ただ、当時はそんなこと何も気にしてませんでした。
月末やでぇ!数字入れるでぇ!業者放り込んだるでぇ!みたいな感じでした。
でも、その勢いがあったから、入社一年でそんなに数字ができたのかもしれません。
一長一短だと思いますが、お客様が人生で一番高い買い物をなされるのが不動産売買なので、やっぱり細心の注意は絶対にするべきだと思います。
少し話が変わりますが、僕は当時、人事部の方々にすごく評価をして頂いていました。
内定者の懇親会に先輩代表社員として呼ばれたり、新入社員研修の講師をさせて頂いたりしました。
一年前は研修を受ける側にいたのに、その一年後に講師として登壇して偉そうに喋っている自分がいるのは、非常に不思議でした。
研修では、「昨年度に新人賞を獲得しました、世界を良くすると書いて世良と言います。よろしくお願いします。」と挨拶をしたのを覚えています。
新入社員たちの反応があんまり良くなかったのを覚えています。
勘の悪い後輩たちです。
反応を悪くすると書いて後輩と読むんだと思います。
ただ、それからしばらくして一期下の後輩たちに聞いたのですが、僕の講習が非常に好評だったらしく、世良さんみたいな先輩になりたい、と僕を憧れている営業マンがたくさんいたそうです。
チョロいもんですね。
世界を良くすると書いて世良と言いますと僕が自己紹介をしたことに関しては、後輩の誰も覚えてくれていませんでした。
気の遣える後輩たちです。
あと、内定者懇親会のときには、この会社に入って絶対正解だと思うから、3年間は一生懸命頑張った方がいいという話をしたのを覚えています。
先に言っておきますが、僕はそれから一年後にお笑い芸人になると言って颯爽と会社を去ります。
いま思えば、一年後の大ボケのための壮大なフリだったのですね。
ワンピースばりの伏線の張り方です、お見事です。
さて、4月は営業成績はあまり良くなかったです。
その理由としては、3月に一生懸命頑張りすぎて、物件がほとんど残っていなかったというのが一つです。
それとは別にもうひとつ理由があります。
4月に営業成績を頑張る意味が見出せなかったのです。
3月までは、新人賞がかかっているので、俄然やる気は出ます。
2年目になって最初の月だから更にやる気が出るんじゃないのか?新人王を獲れなくて悔しかったと言っていた昨日のブログの世良はどうした?
と思われた方も多いと思います。
非常におっしゃる通りなんですが、僕が頑張るのは5月からでいいやと思ってしまう、大きな大きな理由があったのです。
それは、給料の査定です。
入社して、2年目の4月までは、給料は全員固定なのです。
業績表彰式などでもらう表彰金はたしかにありますが、それ以外は全員一律です。
新人王を獲った同期も、新人賞の僕も、一年間全く契約できなかった同期も、全員2年目の4月までは給料は固定なのです。
5月から、給料は固定プラス歩合制となり、営業成績の良い社員と悪い社員では、給料に倍以上の開きが出ます。
それを知っていたので、その時の僕は、5月から頑張ればいいや、になってしまったのです。
2年目にして、遮二無二頑張ろうというフレッシュさを失ってしまっております。
オープン戦で、「今日は振らない、ボールを見るだけ」と言って全打席見逃し三振した落合博満のような調整の仕方をしています。
僕は入社して丸一年で、草履取りから大名になって、大名から天狗になって、天狗から坊主になって、坊主から落合博満になったのです。
とは言っても、4月の営業成績がゼロで終わるのは嫌だったので、月末に1件だけちゃんと契約しています。
一応4打席目にヒットだけ打つ落合博満ですね、ますますふてぶてしいです。
そして、2013年5月を迎えます。
完全固定給ではなく、初めて固定プラス歩合給となったこの月、世良は爆発します。
首都圏で約900名いる全営業職員の中で、
営業成績1位になりました。
というわけで、不動産トップ営業マンになるまでの道のりシリーズ完結です
さらっと終わりすぎたので多少補足すると、この月の僕は、5件契約して、約6億8,000万円の取扱高で、約2,100万円の仲介手数料額を稼ぎます。
新卒2年目の5月ということで、とにかく驚かれました。
一撃必殺で数億円の案件を入れる若手は居ても、しっかり件数も稼ぎながら手数料額も稼げるのがすごいと言われました。
とは言えども、この月の契約に関しては、1件1件の物件の単価が大きかったです。
1億円を超えるマンションも契約しましたし、
約5億円のビルも契約しました。
ちなみにこの約5億円のビルは、1年目の年末から販売をスタートしました。
販売のスタート時は、10億円で売りに出しました。
金額が大きすぎるので、所長と一緒に案件をさせて頂いており、所長が10億円で売れる!と言ったのでその金額で販売をスタートしました。
そうです、所長の価格査定が大間違えしてたのです。
10億円では箸にも棒にもかからなかったので、7億5,000万円に価格を見直しました。
そのときも所長は、7億5,000万円なら売れる!と声を荒げていました。
結局、7億5,000万円でも全く売れる気配はなく、再度価格変更をしてなんとか成約になりました。
奇跡の5億円引きです。
Amazonプライムセールでも、50%引きはなかなかありません。
というより、僕の人生の中で、こんな金額の値引きをした商品は見たことがありません。
とにかく、無事に成約になってよかったです。
この物件には本当に成長させてもらいました。
実際、僕が初めて土地やビルの販売をしたのがこの物件で、いろいろな知識や経験を得ました。
物件が不動産営業マンを成長させる、と言っても過言ではないと思います。
いろいろな物件と出会うことが、その不動産営業マンの知識や経験を深くします。
なによりも、この物件がなければ入社して14ヶ月でトップ営業マンにはなれませんでした。
いまだに近くを通るときには、どんな感じになっているか確認したりします。
それくらい、思い入れが深い物件になります。
ちなみに、そのときの僕の給料がこちらです。
ここに、毎月の固定給と、現金支給のコンテスト代というのが乗っかります。
23歳でこんな金額を手にすると、金銭感覚はおかしくなります。
いまだに、節約をすることが非常に苦手です。
ちなみに、先月の僕の芸人としての給料がこちらです。
節約します。
というわけで、一週間にかけてお送りしてきた、不動産トップ営業マンになるまでの道のりシリーズは本日で以上になります
書ききれなかった部分がたくさんあって、ノンフィクションだと他の方の名前も出せないので、ぜひ小説にして書籍化したいなぁ・・・
出版社様、いつでもオファーお待ちしておりますm(_ _)m
また今度は、不動産トップ営業マンがお笑い芸人になると言って会社をやめるまでシリーズでも書こうかな
その続編は、不動産トップ営業マンが街の不動産屋さんでアルバイトとして働いてみたシリーズもいいなぁ・・・!
全部実話ですので、乞うご期待です
というわけで、本日のブログは以上です。
ブログフォローやいいねをなにとぞよろしくお願い申し上げます