こんばんは、不動産芸人のぺんとはうす・世良です
毎日更新15日目、めざせ10000日
軽い気持ちでめざせ10000日とかふざけてましたが、計算すると27年以上かかることがわかりました
果たして、2047年まで毎日更新が続けられるでしょうか、乞うご期待です!
というわけで、今日も不動産トップ営業マンにになるまでの道のりを書いていきたいと思います。
この内容を書き始めて、すでに4日目になります。
いままで書いてきた文字数を数えてみると、10,959文字でした。
作中では、まだ三ヶ月しか時が経過していないのにも関わらず、です。
これはブログではなく小説である!
と、ここで高らかに宣言したいのであります。
いままでの内容をお読み頂ける方は、下記リンクからご覧ください。
「不動産トップ営業マンになるまでの道のり①」
https://ameblo.jp/penthouse-sera/entry-12587695179.html
「不動産トップ営業マンになるまでの道のり②」
https://ameblo.jp/penthouse-sera/entry-12587941100.html
「不動産トップ営業マンになるまでの道のり③」
https://ameblo.jp/penthouse-sera/entry-12588178984.html
さて、僕が営業所に配属されてから約3ヶ月で、2名もの営業マンが営業所を去りました。
営業所の目標予算は、対前年比で組まれるため、営業マンが減っても目標予算は変わりません。
営業マンが少なくなればなるほど、単純に一人あたりが稼がなくてはいけない金額が上がっていくのです。
そこで、僕に白羽の矢が立ちました。
とは言えども、僕は新卒で入社してからまだ3ヶ月しか経っていませんし、その3ヶ月もチラシ投函しかしてこなかったので、不動産の知識なんてまるでありません。
ただ、人が減りすぎているので、僕をなんとかして起用するしかありません。
所長も、苦肉の策だったと思います。
そこで命じられた業務が、過去に問い合わせがあったお客様へのフォロー電話でした。
数年前に、家を買いたい、売りたいといった電話をくれたお客様に対して、その後いかがですか?との電話をひたすらかけていきます。
とは言っても、ほとんどの場合は電話に出ないし、出てもすぐにガチャ切りされます。
場合によっては、二度と電話してこないでくれとすごい剣幕で怒鳴られたりもします。
親身になって話を聞いてくれるお客様に出会えることは非常に稀なので、この業務が苦手という営業マンの方も多いんじゃないかと思います。
しかも僕が任されたのは、当時から見て5年前の、2008年度に問い合わせがあったお客様のリストでした。
5年前の問い合わせなんて、その電話番号がすでにいまは使われていないのもザラだし、もうすでに他で買ってしまったり売ってしまったという方ばかりです。
それでも、新卒で不動産会社に入社してからチラシ投函以外なにもしてこなかった僕には、最高の仕事でした。
2008年度の顧客リストが、まるで徳川埋蔵金を示す宝地図かのように見えました。
だって、エアコンが効いたオフィスに一日いられるんですよ?
ちゃんとスーツを着たままで、仕事をさせてもらえるんですよ?
ジャージ姿で大量のチラシを持ちながら、住宅街の真ん中でコンビニも自販機もなさすぎて、熱中症と脱水症状で死にかけたときに比べれば、夢のような業務です。
やっと、俺もサラリーマンっぽいことができる!そう思いました。
とにかく片っ端から電話をかけ続けたのを覚えています。
隣の営業マンが電話を1回かける間に、僕は電話を2回かけるくらいのペースで、とにかくダイヤルを回し続けました。
ガチャ切りされようが、電話相手から罵声を浴びせられようが、痛くも痒くもありません。
むしろそれすらも、快楽に感じていたような気がします。
数百回電話をかけた中で、神奈川県西部のお客様が、僕の電話に興味を持ってくれました。
不動産のことなんて何もわかりませんでしたが、無我夢中で話をしたのを覚えています。
結果、僕を担当にして、物件を売りに出してくれることになりました。
先に言っておきますが、この物件は、田舎すぎて山の奥すぎて安すぎて、行くのにも遠すぎたので、こちらから断ることになります。
お客様からすれば、無我夢中で電話をかけてきたフレッシュな声の営業マンの熱意に押されて、君なら僕の大切な物件を任せてあげよう!と決意した数時間後に、そのフレッシュな声の営業マンからやっぱり断りますわの電話が入るのです。
さぞつらかっただろうと思います。
結局、その日の僕の電話から直接の契約に繋がる案件はありませんでした。
でもその日をきっかけに、僕の電話の内容を聞いていた所長が、
この新卒めちゃくちゃできるやん・・・!
となってくれました。
その結果、一度世良に新規の購入顧客を一人任せてみよう、となったのです。
忘れもしないのですが、そのお客様は1,000万円以下のワンルーム投資マンションの購入を希望するお客様でした。
絶対に買ってもらおう!と決めて、わからないなりにいろいろ提案しました。
問い合わせをもらった二週間後には2,000万円の自宅を購入してもらっていました。
いつの間にか投資用でもなくなってるし、予算は倍になってるし、お前なんなん?って営業所のみなさまから言って頂いたのを覚えています。
そのとき、営業所の数字も落ち込んでいたので、僕は一躍ヒーローになりました。
チラシ投函の毎日から、顧客フォローをさせてもらえるようになって約一ヶ月で大出世です。
草履取りから大名になった気分でした。
その契約をしてから、世良にもっと購入顧客を任せてみようということになりました。
他の担当が今までいろいろな物件を紹介し続けてきたけどなかなか決まらない、という購入顧客を2人任せて頂きました。
そのうちの片方は、もう2年以上も購入物件を探し続けているというお客様でした。
僕に担当が変わって、3週間で契約が決まりました。
当時の僕は不動産の知識もないので大したことは言っていないはずなのですが、固定観念がない分、ただただがむしゃらに物件を紹介できていたのだと思います。
ちなみにもう片方も、僕に担当が変わって約1ヶ月で契約が決まりました。
すごく褒めてもらいましたし、新人賞候補と呼ばれるようになりました。
自分でも天才だと思いました。
草履取りから大名になって、大名から天狗になりました。
先に言っておくと、僕が天狗になってから丸二ヶ月、1件も契約が取れなくなります。
草履取りから大名になって、大名から天狗になって、天狗から坊主になるのです。
日本書紀から見ても、そんな変幻自在なやつはこの日本にいないと思います。
ちなみにこれが、天狗として迎えたお盆休みの写真です。
天狗というより、エロ河童ですね。
天狗からエロ河童になって、エロ河童から坊主になりました。
坊主になってからはとにかく怒られ続けました。
天狗の頃とは打って変わって、自分はこの仕事が向いていないんじゃないかと真剣に思うようなときもありました。
自信もやる気もなくなっていきました。
そんな中で、ひとつの出来事がきっかけで、僕のやる気が復活します。
ある日、大学が一緒で同じ会社に入った同期が、6億円の物件を契約します。
一躍新人賞候補どころか、新人王確実という額の成績を叩き出しました。
その瞬間、僕の消えかかっていた闘志の炎がメラメラと燃え上がります。
うちの大学の卒業生で、ワンツーフィニッシュしたる・・・!
そう決めたのが、僕の坊主からの再起のきっかけでした。
さて、どんなふうに再起していくのでしょうか?
続きはまた明日です~
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