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新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景

独断と超偏見による、勝手気ままでええ事しか書かん日記のようなもんです。
まあるい形してて、音が飛び出してくるモノへの愛情表現です。
ほなお暇なお方はどうぞお入りやす。
某サイトの『ぺんたno座右の銘盤』、『続・ぺんたno座右の銘盤』の続編となります。

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-アビイロード裏ジャケ  何もこのCDは買わなくてもレコードだって持ってるのに・・・買わなくてはならないワケとは。ただ通りすがりの女性の短いスカートから前後する御脚を繁々と眺めるだけという、極めて動機は不純だ。で、何が悪いか。この作品もCD化されること22年経って漸くオリジナル裏ジャケがお目見えしたのだ。全世界的ニュースにまでもなった《リマスター999事件(2009年9月9日世界同時発売)》ともよぶべき一連の騒ぎは、多くのみんなとは違った意味で僕の胸のあたりがザワザワと蠢くものであった。

 1曲目は不可解な ♪シュ~ッ で幕を開ける<カム・トゥゲザー>。実際には ♪SHOOT ME とジョン・レノンは叫んでいる。その11年後の今日12月8日に自宅前で凶弾に倒れた。犯人マーク・デービッド・チャップマンはその事件直前までこの「俺を撃て」と繰り返すメロディが鳴っていたのだろうか。運命を匂わせる曲だ。ラスト、ハリスンのエロティズムに満ちたソロが悦楽を倍増させる。1曲目からジョンの思惑が不思議なリズムとビートで乱れ飛ぶ。2曲目は消え入りそうなハリスンの声あっての<サムシング>だ。女々しいだなどと言ってはおれぬ、すぐにサビで振り絞るようにシャウトするのだから実に男らしいではないか。あのF・シナトラも取りあげたというほどに甘い歌だ。3曲目はポールの何処までものほのんとした<マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー>。リマスターによってよりポールのベースしか見えてこないくらい音が胸張っている。4曲目はロッカー、ポール・マッカートニー生涯最高のヴォーカルと信じて止まない<オー!・ダーリン>。5曲目ついにリンゴの最高傑作<オクトパス・ガーデン>の登場だ! 危ういというか自信なさげに歌うところがとても可愛いリンゴ。などとカラかってはいられない、意外と思うかも知れないが歌自体ウマイのだ。巧いというより旨いんだな。さてレコードでいうA面最後の「アイ・ウォント・ユー」、全体にシリアスなロック調なのだが、中盤から場末のストリップ小屋にでも流れているような陳腐なリズムが出てきたり、後半嵐のようなヘヴィなリフが延々とつづくなか急に止みB面のオープニング<ヒア・カムズ・ザ・サン>が爽やかな太陽とともに現われる。レコードでは盤面をひっくり返す時間がこうも感動を与えてくれない、CDだから成せる業といえよう。これまたリンゴにつづいてハリスン生涯最高傑作の誕生だ。何もかもいいついでに言わせてもらうと間奏部終盤でのオーケストレーションと仲睦まじい深い音像にしびれる。背筋がゾクゾクするほど完成された名曲だ。

 俗に世紀のメドレーと称される始まりは<ビコーズ>、切ないジョージ・マーティンのハープシコードに導かれ3声多重録音による最高の ♪ア~ という厳粛なコーラスに始まる。これをメドレーの最初にもってくるか否かはあなた次第。つづく<ユー・ネヴァー・ギブ・ミー・ユア・マネー>の序曲として立派に「ビコーズ」は存在すると僕は思っている。「ユー・ネヴァー~」は1曲で3つも愉しいナンバーだ。この曲自体が3つの曲で構成されているような、これそのものがメドレーで成り立っている。ポールお得意の手法だ。流れてジョンらしい「サン・キング」はイタリア語、スペイン語、ポルトガル語を意味もなく滅茶苦茶に並べこれでもかと遊んでいる。メロディは後のジョンのソロ諸作に見られるような愛を形にした音が充満している。息つく間もなくジョン作「ポリシーン・パン」でR&Rへと雪崩れ込み、またも切れ目なくリンゴのドダダダッダの覚束ない(失礼)ロールで<シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウインドウ>に移る。一端ここでメドレーも小休止し静けさが訪れる。ジョン不在のなかでの<ゴールデン・スランバー><キャリー・ザット・ウェイト>ポールの独壇場と化す。前者は「オー!・ダーリン」と双璧なすポール渾身の歌が聴ける、泣ける曲だ。後者は「ユー・ネヴァー~」のメロディが途中に現われたりとギミックに飛んでいて一瞬頭のやわらかい組織が混乱したりする。実質ラスト・ナンバーとした「ジ・エンド」、みんな何を思って録音してたのだろうか。ピアノの連打から最後のコーラスが終わりを告げる。もう終わったかと思い俄かに不安になる。長い沈黙のあとやってくる「ハー・マジェスティ」は何より豪華なオマケだ。
 「ビコーズ」から「ジ・エンド」までは組曲としての評価が高いが、ふと手持ちのi-podから選択された一曲一曲は独立したナンバーであり、一つの曲としてじっくり、しっかり、いつまでも聴いていたい気持ちに駆られる。このビートルズの『アビイ・ロード』、これで3回目のアップとなる。いかに好きかが分かるでしょ。

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【ビートルズ アビイ・ロードの裏ジャケ】

 さてこの青い服を着た女性が偶然にカメラの前を通り過ぎたということである、が。僕の見解は偶然でなく必然的仕掛けとみる。第一、カメラの右端にすでに移動している。女性はファインダーから消えてゆこうとしてるんだよ、カメラマンもそれまで女性に気づかないわけがない。この美脚やっと陽の目みることとなり、特に明るく陽の射すふくらはぎの辺りに釘付けの僕。それを眺めながら「ヒア・カムズ・ザ・サン」を聴いていると、次第と最高にキュートなハリスンの声や音となってくる。カメラを持ったイアン・マクミランに拍手!感謝!万歳!

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-谷屋2  ドイツといえば硬派なイメージがつきまとうが、これまたどうしようもないのが名前である。その名はクラウス・ヴァーゲンライター、どう転んでも堅く重いピアニストだ。ドイツが世界中のジャズ・ファンに差し向けた空前絶後のレーベルとしてY.V.PPという社長(York.V.Prittwitz)自らの頭文字を連ねた単純明快の優れた会社がある。そしてその数多の作品は蒐集家にとっても手を焼くほどの快作ばかりで、金も随分とかかる訳だ。その中の一枚がクラウス・ヴァーゲンライターが軸となった《TRIO CONCEPTS》と呼ばれた一連のシリーズ作品であり、秀逸なるトリオ名の冠を記したのである。1987年のそのデビュー作が犬ジャケでお馴染みの『YASPER』だ。

 さてここで注目したいのが音であり、このトリオが生むサウンドがドイツ製でなくアメリカ製の純真なジャズであるということだ。タイトル・チューン<YASPER>の匂い立つ色香を湛えたイントロで、まったく気が抜けないアルバムであり気の置けない3人と決まった。この曲を書いたのはヴァーゲンライターでなくベース奏者のトーマス・スタベナフであり、それに敬意を表してか途中短いソロが組み込まれている。何とも謙虚なソロであろうか、この作者は私だ~なんて訴えることすらなく、この私利私欲を捨てた可憐なメロディに自身満足していらっしゃるのだとお察しする。

 <BLUES FOR TOOTS>ですぐにお分かりでしょう、ゲスト参加のディーター・ゴールのまさにトゥーツ爺さん張りのブルース・ハーモニカにまたもやゲルマン魂を葬り去ってしまった。でもディ-タ作のもう一つ<MY CHILDREN'S LULLABY>で、タイトルに負けない可愛らしいメロディが聴くたび愛着を湧かせてくれ気を取り直すこととなる。トゥーツ後、ジャズ界のハーモニカを背負うのはディータしか居ないのはここで明白となる。一方、まだリーダーとして認知されないままのヴァーゲンライターは、この10年後にあたる《スイート・チョイス》まで待たなければならなく、やっとのことゲルマン魂が宿り始めたかと思ったらまた10年音沙汰無しで私のモヤモヤは晴れないままでいる。アメリカの持つブルージーなフィーリングに溺れることなく、本作を含めたそれまでの3枚は紛れもなくスタベナフがご主人様に違いないのであった。それこそスタベナフさんはどうしているんだろうなぁ・・・急に気になりだした。

-NO.558-


【そば処 谷屋・名古屋】

 以前にもご紹介した蕎麦処・谷屋での杯。銘柄は忘れてしまいましたが、このお酒が一番旨かったのでこのワン・ショットを。お値段もそれなりでしたが、綺麗な硝子の酒器にこれまた硝子製のお猪口に注ぐとキラキラしてくるんですよね。周りのありとあらゆる光を通し幻想的ともいえる旨味を宿します。すみませ~ん、これと同じのもう一提くださいな。

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-police  30周年記念と銘打って2007年に再結成されたポリス。先日も某TV番組で彼らの最新ライヴ映像を放映し、僕の中で眠っていた30年前の歓声にも似た興奮が湧き上がった。ポリスはたった5枚のアルバムを残しただけで、人気絶頂のさなかに突如解散、もちろん僕の断りもなくだ。最初に言っておくが、僕自身ポリスの最高傑作は比べるもなく考えることもなく問答無用でこのデビュー盤『アウトランドス・ダムール』、彼らが世に問うた最初の一枚である。

 巷で何かと彼らの所作を書くにあたってレゲエ・サウンドを持ち込んだだの、到底トリオ(3人)とは思えないサウンドだとか決まって出てくるが、彼らはレゲエを意識したのでなく偶然と必然が重なり合いレゲエ風なリズムやビートとなっただけのことであり、トリオ故に生まれた無類のポリス・サウンドなのである。ドラムスのスチュワート・コープランドはプログレ・バンドのカーヴド・エア出身であり、アンディ・サマーズはアニマルズに参加したりスタジオ・ワーク中心に活躍、スティングはジャズ・クラブで腕を磨きそれこそディランからモンクやミンガスまでこなし、皆それぞれに溺れ狂っていた逸材達ばかりだ。そんな彼らが集まったことであのポリス・サウンドが生まれるとは誰も夢にも思うまい。過去を知る者にとっては信じられない奇跡の産物だったのだ。そして70年代後半に席巻したパンク・ムーヴメントにある意味乗っかってしまったことが大ブレイクのきっかけとなる。今となっては《乗せた》と言ったほうが正しいかも。

 さて曲の方はというと<ロクサーヌ><キャント・スタンド・ルージング・ユー>は魔物と呼ばれるに相応しい名曲で、あらためて紹介はしないが書くに書ききれないほど聴いた事実はある。それらの巨大な影に隠れたし<ネクスト・トゥ・ユー><ソー・ロンリー>は、彼らもライヴから外せないほどの才能の賜でシアトリカルなナンバーだ。一か八かの捨て身の勝負に出た彼らに対し、僕らも捨て身でかからなければならないほど擢んでた存在だった。ラスト・ソング<マソコ・タンガ>は訳詩もない意味不明のナンバーだが、ゆっくりと時間をかけて燃えてゆく様は絶品。次なるアルバムで露わになる無重力なサウンドや、S・コープランドの超絶技巧なドラミングが息吹き始める瞬間を垣間見ることが出来る。

 衝撃的な出遭いというものはそうそうあるものではないが、音楽シーンではそれが頻繁に起こり得るからアレもコレもとじっとしてられないのだ。ロックに限定してみれば後にも先にも彼らの衝撃を超えるものはなかったと記憶する。それはロックと思しき最初に買ったストーンズの《ホンキー・トンク・ウィメン》のシングル・レコードに針を落とした瞬間や、中学校の昼休みに放送部が流し聴いたビートルズの《アビー・ロード》と《ラバー・ソウル》、ツェッペリンとの神話に帰した文学的出会いも、ファンタジックな境地へと誘ってくれたキャメルにしても、大人ぶって手を差し伸べたザ・バンドやリトル・フィートは、夙成でない僕にとって時間のかかるものであって、アヴァンギャルドなフォリナーは驚くほど新鮮なポップ襲いかかり、トム・シュルツ率いる精密機械如きのボストンとの遭遇もすべてポリスの足元には及ばなかった。もうこんなバンドは出てこないかも知れない。

-NO.557-


【あいち技能プラザ・名古屋吹上ホール】

 毎年11月恒例となった《あいち技能プラザ》は、地元の技能士たちがモノ作りの楽しさや尊さ、また技能士たちの社会的評価を高める目的で開催されている。いろいろな体験コーナーがメインとなっており、入場自体は無料。このパネルは段ボールへの印刷物で、カエルやトカゲを切り抜き陥没させリアル感を出している。ハッとさせられた作品だ。


新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-live 1994
 私のハンドル・ネームの《ぺんたんぐる》の由来は70年代初頭にトラッド・フォークで名を馳せた同名のバンドPENTANGLEより拝借したものだ。今回はアメブロにおける通算100回目のアップを記念して、同バンドの1994年におけるハンブルクでのスタジオ・ライブ盤を。このライブ盤『Live 1994』は少し前《One More Road》とのカップリングで発売されているものと同じだが、単独作品としては廃盤のため中古市場で根気よく探さないと手に入らない。まあ自慢したくて取り上げた訳ではないが、今現在無いとなりますとエッヘ~ンと咳払いもしたくもなる。でもまだ相当流通しているかと思われますので、★コレクターの方は注意深くお探しをしてみては。

 さてここでのペンタングル・オリジナル・メンバーは紅一点のヴォーカル、ジャッキー・マクシーと実質的サウンドを握るギターのバート・ヤンシュだけである。ヤンシュとの往年のギター・バトルを演じたジョン・レンボーンは居るはずもなく、代役のピーター・カートリーが超エレクトリックなギターで精一杯の応酬。ゲリー・コンウエーのドラムも節操も引っ手繰れもなくただドカスカ叩くだけで、テリー・コックスの制御の効いたドラミングがやはりペンタングルには似つかわしいと感じるのである。ベースだってダニー・トンプソンと比べちゃうと可哀相なくらいだ。しかしペンタングルという《ブランド・エクイティ》を楽しんじゃおう!

ペンタングル再結成後の数年、ヤンシュが参加した最後と思われる音源の記録だ。聴いてとれるようにトラッド・フォークらしい<Bramble Briar>で幕を開ける。やっぱりこうでなくっちゃというやや複雑で渾然一体となったリフで一気にあの世界へと誘う。そして至高極める格好いいヤンシュ作のインスト・ナンバー<Kingfisher>はどうだ。ギター陣の弾けるようなピッキングに超美メロとあっては悶絶必至にありて必死覚悟を要する。あまりにも短すぎる余韻嫋嫋の名曲なり名演だ。ちなみにキング・フィッシャーとは1880年代に実在した人物で、アメリカ西部開拓時代の伝説的ガンマン。英国トラッド・フォークを核となすペンタングルが、米国ガンマンに魅せられるなんて時の流れを感じずにはおれない。これまでに何度歌い紡いできたことであろうペンタングル十八番の<Cruel Sister>は、バンド内の安定感と聴く側の安堵感に満ちた出来映えだ。

 そこかしこに浮遊するブルース・フィーリングは英国らしさが薄れ、紛れもなく米国東部アパラチア山脈を経て泥臭さをまとった感があるものの、相も変わらぬフラット気味のヤンシュのヴォーカルで英国の深い森を連想させ心なしか落ち着かせてくれる。またお歳を召されたとはいえ格調高きマクシーの歌声はまだまだ健在で、私の奥底で抱いていた不安などは見る影もなく一掃してくれた。愚かなる私の無礼千万を赦したもう。

-NO.556-

 追伸 : めでたくアメブロ100回目のアップとなりました。こんな気まま勝手なブログにお付き合いくださいました勇気ある皆様に感謝いたします(笑)。 いつまで続くやら分かりませんが暇のある限りアップして参りますので引き続きよろしくお願いします。


【手打ちそば 竹馬・美和町】

 片田舎を車で走らせていると田圃のなかにポツンと蔵創りの蕎麦屋・竹馬(たけうま)がある。店内は薄暗くトーンを落としたまるでバーのような趣だ。一人なのでカウンターに席をとる。目の前には佐賀県小城市のスワンサイダー(明治35年創業の老舗飲料メーカー)が置かれており、インテリアとしてもいい雰囲気を醸し出している。何とここでは竹馬オリジナルのキャンディとともにお土産として買うこともできる。


新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-positively the most
 アルバム『ポジティヴィリィ・ザ・モスト』はジョニー・ソマーズの初々しさとマーティ・ペイチ楽団の格好いいアンサンブルを聴く。中でもアート・ペッパー吹く、艶かしくも火のでるようなソロが聴きたくてついつい手が伸びる狂喜乱舞の一枚だ。ジョニー・ソマーズおよび彼女のファンには悪いが、この章での多くはアート・ペッパーについて語りたいのでお許しを。

 私はアート・ペッパーについて無類飛切りのファンであり、反面それ故になかなか多くを語れずにいたのだ。そうと言いながらファン心理も微妙なもので好きの度合いにも周期のようなものがあることに気づいた。最初のペッパーとの出会いはジャズを本格的に聴きだした30年近くも前のことで、名盤とされる《モダン・アート》だった。さてそのきっかけとなったのは音、音色なのだ。こんなことを過去に書き記した内容も、たぶん彼の作品で頻りに褒め称えていたのはやっぱり音色だったと思う。それは初めて聴くペッパーの音色に、私の鼓膜が空前の振動を経験したときだった。それから経つこと15年、第二次ペッパー・マイ・ブームの折は《アマング・フレンズ》で彼の壮絶な人生を知り、70年代後半から80年代すなわちこの世を去るまでの軌跡を追ったのである。どうにもこうにもその神と崇め奉られた存在も、ひたすら生身の人間であることを知り私の方から歩み寄ったときである。更に15年の時を経たいま、第三次ペッパー・マイ・ブームはサイドメンとしてのアノ音色を探し続けることとして。

 それはスタン・ケントン楽団での万物の精気を呼び覚ますような、はたまたジョージ・ケイブルスとの《ブルー・ナイツ》における滾る生命力を放出させるが如しの強烈なパッション、そしてこのジョニー・ソマーズ盤で天空に上る想いを体現するに至る。たどたどしいとは失礼と思うが、そこがこの盤におけるジョニーの可愛さでもあり、私の心配をよそにマーティ・ペイチ率いる百戦錬磨つわもの達が彼女を護衛している。イントロはアルバム随一の凄みを含んだ格好良さが突進してくる<My Heart Belongs To Daddy>で幕を開ける。<It Might As Well Be Spring>、ここでは緊張のあまりか少し声も上擦ってしまうあたり、たいそう男心をくすぐられたりもする。先に戻って<My Heart Belongs To Daddy>の核心部分、いよいよ1分11秒のところで奥義を窮めたペッパーのあの音色を載せたフレーズが飛び出す。もう一度頼むと言われてもペッパーですら難しいのではと思う感性一発のソロだ。私はただ呆然とするのみ、ジョニーはただ心して歌うのみ。東洋的ムードもそこかしこに潜んでいて再認識させられた佳曲だ。ペッパーのソロといえば<So In Love>で威勢のいいのが出てくる。たいして好きでない曲でもこんなことされちゃうと一溜まりもないのは明白である。最後にジョニー・ソマーズの名誉のため書き足しておくが、彼女は「ワン・ボーイ」で一世を風靡したドリームガールなのであります。

-NO.555-


【蕎麦 江月・名古屋】

 名古屋の蕎麦事情として大きく二つの流れがある。一つは《春風荘系》とされるものと、もう一つが《紗羅餐系》とされるものである。その後者の枝派というのが正しいのか分からないが、すでに江月さんは独自の蕎麦打ちを確立されていらっしゃる。ここのお昼時のセット物は有難い。定番となった鮪漬け丼セットがいい。蕎麦も文句のつけようのない出来だが、蕎麦以外の楽しみがあってよく向かう私である。店内の大テーブルの端、この飾り窓越に零れる明かりが好きで空いてればいつもここに座ることにしている。