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新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景

独断と超偏見による、勝手気ままでええ事しか書かん日記のようなもんです。
まあるい形してて、音が飛び出してくるモノへの愛情表現です。
ほなお暇なお方はどうぞお入りやす。
某サイトの『ぺんたno座右の銘盤』、『続・ぺんたno座右の銘盤』の続編となります。


新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-セントレアスカイデッキイルミ
 あのジャズ評論家の寺島靖国氏は目眩が酷いらしいが、かくいう私も年に何度かその目眩に襲われることがあり、酷いと人間を止めたくなるくらい辛い。さて年寄りじみた話のついでに私の老いた目のことを少々。自分の身体で一番駄目なところが目だ。いやいや、お前のその性格と根性だと仰る方もおられようがそれについては自身まだ気づいていないようなので(笑)。さて生まれつきというくらい気がついたら近視だといわれ、早々と流行の最先端をゆくコンタクトレンズなるものの力を借り、30年以上もお世話になってきた。そんなコンタクトレンズも老眼という新たな敵に遭遇するとたちまち諸手を挙げての降参となる。ただ本など読む場合などはこの近視(コンタクトレンズを外した状態)が有効手段と化するのだから面白い。というワケで日頃コンタクトレンズ常用しているため老眼なるものはCDなどのライナーが実に鬱陶しいものとなってくる。あれほどまでにCDを買った時の喜びの3分の1がライナーを読むことだったのに何ていうことだ。わざわざ高価な日本盤を優先してまで購入していたのにねぇ。その点輸入盤は安くてあの煩わしいライナーが英文なので読む気にもならないからとてもいい。ということでRESONANT盤(輸入盤)ベース三人衆の一人、テリエ・ゲベルトの『OSLO』で今年を締めくくろうと思います。

 うん、まずこのオスロの町らしき夕暮れのジャケットが購買基準をクリアしている。そして不安と希望が同居するなか、某巨大CDショップの視聴機でピアノ参加しているエンリコ・ピエラヌンツィ作の格調高き<Bleu Waltz>でのめり込む。つづく可憐なるタイトル・ナンバー<Oslo>は、アルバム・ジャケットの街並みよりグッと深い闇の雰囲気に包まれている。しかしピエラヌンツィという人は自身のソロ作品よりも、かつてマッズ・ヴィンディングの作品に参加したした時のように、じつに他人の褌でいい相撲を取ってるわ。彼には“流転の生涯”を送ることを勧めるね。そしてゲベルトの十八番<Small Country><Snowflake>はことのほかピエラヌンツィ自身の作品以上に魂が宿っているように聴こえる。よってピアノは最初から最後まで我が曲としての煌めき感で見事である。

 思えば今年(2009年)のスタートはこのテリエ・ゲベルトのこの作品を手にしたことからだった。以後彼を追い続けることになる。さあ来る年はどんな作品との出会いが待っているのか今からワクワクしている。

-NO.564-


【セントレア スカイデッキ イルミネーション】

 毎年恒例となったスカイデッキでのイルミネーション。じつはこの写真は昨年(2008年)のもので、アップし損なったためこれを今年最後にアップしようとしたためていたもの。そう一年越しのアップで御座います。肝心のイルミネーションの今年はかなりパワーアップした内容らしいですので、是非機会があれば見ては如何でしょうか。ちなみにこのイルミネーションは年明けもやっているそうです。では世界中の皆さん良いお年をお迎えくださいませ。

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-PATRICK  今年の5月忌野清志郎が亡くなったことで急に思い出してしまったスーパー・バンドがある。HIS(ヒズ)と言って東芝EMI創立30周年イベントの一環として結成された3人組(旅行会社ではありませんので悪しからず)。Hは細野晴臣、Iは忌野清志郎でSがあらぬことに坂本冬美だったのだ。たとえレコード会社が同じだと言っても、これっぽっちも頭の片隅に浮かんでくるはずない3人のユニットだ。名古屋弁でいうなら“何~んだまあ、遊びやぁ~すのもてぃやぁがぁ~にしとかんといかんわぁ”と叫んだ奴もいるんじゃなかろうかという次第。しかし、その遊びココロも音楽的観点から見ても半端なモノではなかったのであるから採り上げないわけにいかない。

 そのなかの一人坂本冬美は1987年に「あばれ太鼓」でデビューし、今年の初めには懐かしや中村あゆみ作の「アジアの海賊」をリリースし、これまでに37枚ものシングルを発表している。が、レギュラー・アルバムを除く公式編集アルバム、すなわちベスト・アルバムは32作と驚く数だ。とにかく人もいいが歌は抜群に抜きん出ており、それは演歌界にとどまらず日本歌謡界という尺度を持ってしてもだ。また忌野清志郎についてはあの井上陽水(当時私は陽水ファンだった)との共作「帰れない二人」や「待ちぼうけ」でその名を知ることとなり、衝撃的な再会は自身のバンド RCサクセションの起爆剤となった「雨上がりの夜空に」で、日本にもこんな奴等がいるんだと震撼した覚えがある。そして細野晴臣はサウンド・クリエイターとして世界のポップスで君臨し続け、80年代のライフワークともなったYMOを結成し、いまだ世界中でその黄色したマジックは終わっていない。さあ笑ってもよし、泣いてもよし、魅力満載の一枚を今一度お聴きあれ。

 高らかとオープニングを告げるのは3人の共作<HIS>で、フラメンコ風イントロからしてすでに怪しい展開を見せる。 ♪超豪華メンバー~ 究極のナンバー~ ハイテクを駆使~ 情報を無視~ と歌いだす、もうこのくだりだけでノック・アウト。つづく<パープル・ヘイズ音頭>はドスを効かせシャウトしまくる冬美に圧倒させらる。そこに当時流行だったドブロ・ギターの名手・三宅伸治が、ジャンゴ・ラインハルトにジミヘンも吃驚のスンゲ~ソロを奏でる。しみじみと巧いっ!と唸ってしまった。

 そして今までを否定するかのように切ないメロディに揺られ<夜空の誓い>が現れる。冬美のやわらかなコブシ廻しと清志郎のおどけたヴォーカルが交互に現れ、時にもつれ合ってはたいそうな名曲に仕立てている。さらに<恋人はいない>で昭和歌謡浪漫をちらつかせ、切々と歌う冬美の声が透き通った冬の夜空に染み渡る。<おやすみ もうすぐ逢える>では清志郎が先ほどからの夢のつづきをしみじみと語っている。

 他にも坂本の丁寧な歌が聴ける<逢いたくて 逢いたくて>や忙しないパーカッションが駄洒落を彩る<渡り鳥>、細野弾く足踏みオルガンが聴けるしんみりとした<500マイル>。一転して<スキー・スキー>で寸劇寸前まで行ってしまい、ペレス・プラードの名曲<恋のチュンガ>、ヘヴィなブルースの<ヤングBee>、清志郎のしっとりヴォイスが聴ける<セラピー>、行く果てはビートルズの<アンド・アイ・ラヴ・ハー>までと多種多様の内容だ。

 さてジャケットはご祝儀袋の目出度い水引がデザインされており、これは3人が自信を持って贈る証。裏ではそれを嘲笑うかのように学生服とセーラー服姿に身を包んだ3人が真剣な眼差しで僕らを射す。クレジットにはさり気なく“リード・ヴォーカル 坂本冬美”とあり思わずニヤりとしてしまった。2005年に3人は再び顔を合わせたが、HISとしては清志郎亡きいまそれが最後となった。HISはイベント的なバンドで済ませるには実にもったいなかった。僕の車から零れた冬美ちゃんのドスの効いたコブシに、通りすがりのオバちゃんの目が何か言っているように見えた。

-NO.563-


★PATRICK SPORTS MARATHON★

 さてパトリックのシューズ、憧れますね。ひょんなことから知り合いがシューズを買うこととなり、たまたま出向いていた吉祥寺のABCマートが閉店セールをやってるのことでその場へ急行。バーゲン物を買うはずがちっとも安くないパトリックのマラソン・シューズを買うというだいそれた行動に出た。ならばと買う前に写真を一枚と(笑)。

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-pretzel logic  何度も何度も、繰り返し繰り返し聴く。長嶋茂雄が“わが巨人軍は永久に不滅です”と、今なら流行語大賞でも獲ったのではないかと思われる名言を残し現役を引退し、ブラウン管の中では“アルプスの少女ハイジ”が“傷だらけの天使”が、CMでは変てこな外人さんが“クイントリックス”と業とらしい発音で一世を風靡し、どの家庭にも“ノストラダムスの大予言”なる書物が置かれていた1974年、僕がまだ小学4年生のときにこの化物『プレッェル・ロジック』で世に問うたのがスティーリー・ダン。デビュー盤《キャント・バイ・ア・スリル》で僕のこころを鷲掴みしたのは『プレッェル・ロジック』で思考回路を滅茶苦茶にされてからのことだ。6人組でスタートを切ったデビュー盤はあまりにも聴き応え充分の出来であり、サウンドに加え以後続く凝った曲のタイトルさえもハイセンスな印象を与えた。

 主たるドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの鬼才と奇才にいつしか6人が5人、当の2人になり、やがてスティーリー・ダンを解体しそれぞれソロとして別れてゆく。言い換えれば完全主義者のあの二人は硝子のハートの持ち主だったのかもとそう思わせる。あまりにもスタート時点での次元の高さに僕らも戸惑い、一線を画した彼らを聴こうとする意思がそれまでのあらゆる音楽を排除しようとした。少なくともそのことが返って彼らから遠ざけてしまったワケなのかも知れない。したがって1977年発表のグラミー賞も獲り最高傑作とされた《エイジャ》さえ手に取ったのも80年代も半ばのこととなる。もう一つ僕を億劫にさせたのはドナルド・フェイゲンの声だ。どうも生理的に受け付けないのがあって、ファンに叱られるのを承知でサザンの桑田さんなんかもその一例ですが。桑田さんファン、D・フェイゲンのファンの方お許しくだされ~。さて曲に目を転じてみましょう。

 何や気味の悪いSEに導かれホレス・シルヴァーの名曲《ソング・フォー・マイ・ファーザー》と何ら疑う余地もないベース・ラインで始まる<リキの電話番号>は、今までに聴いたことのないロックを啓示する。今更ながら1974年だとは信じ難い演奏であり、彼らの力量をまざまざと見せるけられる思いだ。<ナイト・バイ・ナイト>もそうだが結構ハードなギター・サウンドが炸裂し、知らない世代に聴かせてやってもこれスゲ~じゃんと賞賛を受け、そんな時代を嫉妬させてくれるに違いないナンバーだ。さらにド肝を抜かれるのがD・エリントンのカバーで唯一のインスト<イースト・セントルイス・トゥードゥル・オー>は、ディキシーにマリアッチ、ラグタイムなピアノの調べと音の多様性に陶然となる、なるしかない。ここにも仕掛けが! 最後に何で銅鑼の音が必要か。ひねくれててもいい、お遊びであってもいい、今時のサスペンス小説並みの予想もつかない展開が待っているから、一時たりとも休むことなく耳をそばだてておかねばならない。

 最新型コテコテ・ブギの<プレッェル・ロジック>はトコトン格好よく、カントリー・ロック調の<銃さえあれば>と合わせどことなく後に華を咲かせることとなる瀟洒なドゥービー・サウンドの萌芽の匂いが立ち込めている。まあそれにしても集めにあつめたりの凄腕ミュージシャン。敬意を表しジェフ・バクスター、チャック・レイニー、デヴィッド・ペイチ、ジェフ・ポーカロ、アーニー・ワッツ・・・とまだまだ。これ以降その参加者の錚々たる顔ぶれと多さに気が遠くなる。ちなみに元スティーリー・ダンのドナルドのソロ作品、1982年の《ナイトフライ》は無調法なAORという狭間に埋もれてしまった世にも言う名盤らしい・・・とスティーリー・ダンは言ってると僕は信じるが。

-NO.562-


★菊屋雑貨店★

 京都・寺町にあるアジアン・アフリカン雑貨のお店で、特に目を惹くのがカラフル家具たちだ。文字通り色彩豊かに塗り分けられた椅子やテーブルにちょっとした家具。僕は何を入れようか考える間もなくカラフルBOXを一目気に入りずいぶん前だが購入した。そして未だそこには何も入っていないのである。何を入れようかと考えたり、何がこの中に入るのだろうかと想像するだけで幸せな気分にさせてくれるBOXです。

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-ike issacs  一見ロン・カーターと見間違える風貌のアイク・アイザックス、ロンと同じベーシストである。この『AT FREDDIE JETT'S PIED PIPER』は、ピアニスト ジャック・ウイルソンとの出会いがなければ知る由もなかっただろう。アイクのリーダー作なのにベースが主張してない何とも控えめなアルバムである。よってどう逆立ちしたってジャック・ウイルソンのリーダー作として問題はあるまい。

 その控えめなに疑問符をつけたのがジョン・コルトレーンの<Impressions>、僅か6分足らずの急速調のなかにとても控えめとは言えないアイクのベースが唸っている。しかし、《しかし》と言う言葉はそれを覆す如きジャック・ウイルソンのめくるめくピアノが立ちはだかる。ジャズマンが挙ってこの曲を取り上げるときは自分自身を鼓舞させるときであり、得も言われぬ高揚感に満ち足りたパッピー・チューンとなるのだ。《涙枯れるまで》という素敵なタイトルの<I'll Drown In My Own Tears>は、ちょいと粋なそれでいてアーシーで最高にお洒落とくる極上のドリーミィー・サウンドに酔う。一瞬ラウンジ風の退屈なピアノと思ったら大間違い。ゴスペル・ライクに強靭なストロークでジャックはピアノで謳わせる。

 もう一つ耳を奪うナンバー、ある程度の年代なら<Walk On By>と訊いて胸の高鳴りも起こるだろう。ジャズ畑でも何かと重宝されるバカラック・メロディ、ここでのモサモサした音や、ブリッジ部での他愛もないピアノ・ソロ、ベースとドラムの古めかしくも懐かしいジャズ・ロックの安っぽいリズムを匠の技で凌ぐ。どれもこれもジャック・ウイルソンの痛快なピアノで聴くジャックのためのアルバムだ。

-NO.561-


【中部セントレア空港 フ~ちゃん】

 セントレア空港も毎年クリスマス・イルミネーションが恒例となりそうだ。送迎デッキではライトアップが始まっている。そのスカイデッキに出る手前にはセントレアのマスコット フーちゃんがサンタ姿でお迎えしてくれるスノードームがお目見えしました。

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-please please me  世の中には読書週間というものあるが、僕の場合は読書時代なるものがこれまでに興っていた。その最初の読書時代は小学生のころに遡る。それまではまともに本を読むという習慣がなかったため、学校にある図書室の膨大な量とその見るすべての色や形はそれら本の写真なり描かれた絵によって驚きを与えられた。また下校途中にあった町立図書館は、学校のそれとは比べものにならないくらい圧倒的な威圧感で僕を呑み込んだ。そこで発行してもらった貸出図書カードは、初めて手にした自分だけの身分証明書や警察手帳にも匹敵するほど輝かしい僕なりのうれしはずかしの名刺でもあったのだ。

 2度目の読書時代は大学一年のとき初めて都会暮らしをしたころにやってきた。すなわち一人暮らしの生活の始まりのこと。街には田舎にはない巨大な本屋があり、どこが出入り口なのかお勘定場なのか、はたまたどこまでが本屋なのか判別できないほどで、店そのものが大きな口を開けているいるようにも感じた。そこはお金さえ出せば自由に好きな本が買え、図書館にもないもの、ありとあらゆる新刊が毎日のように並べられる。そしてなけなしの僕のお金も大きな口を開けたレジスターへと呑み込まれていく。

 40代後半になったいま、3度目の読書時代がやってきた。怒涛のサスペンスものや今流行りのファンタジーもの、面白可笑しくなくてはならないエッセイと読みたい本が溢れている。あれもこれもと焦っては買い、読まずに目の前に積まれた本のタワーが残りの人生しっかり本でも読んでおけよいわんばかりに攻め立ててくる。残された人生読まなければならない本、どう計ってもバランスが悪い。それだけではない、これからどれだけの音楽を聴け過ごせるのか、これがもっとも重要な問題だ。

 そんな矢先ビートルズがモノラル盤リマスターを発売するというのだから困ったものだ。何百回と耳にしてきたビートルズ諸作を改めて聴き込めというのだから、当然残された時間と聴かなければならないものとのバランスがより悪くなる。こうなっては仕事になんぞ構ってばかりはいられない、聴く時間、読みふける時間を捻出、作らなければいけない。今回リマスターされたモノラル盤、インナー・スリーブやジャケット表裏、ディスク盤面と英オリジナルそのもの。記念すべきデビュー盤『プリーズ・プリーズ・ミー』はモノラル再現によって正真正銘のロック・アルバムと肝に銘じて聴くこと。モノラルによってより迫力を増し、リマスターされたことにより艶が現われる。ジョージ・マーティンのピアノが光る<ミズリー>、ジョンの艶ある声に思わずエっ!と声をあげそうになる<アンナ>や<アスミーホワイ>、大音量で聴いてほしいジョージのシャウトが聴ける<ドゥー・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット>、ジョンのもう一つのヘヴィなナンバー<ゼアズ・ア・プレイス>、いつも二の次とされたナンバーが生き生きと蘇ってくる。いままで擬似ステレオ盤でしか耳にできないと観念していたものが、999事件により、当時世界の一部の熱心なファンや録音に関わったビートルズとその関係者と同じ音を体現できるということは、揺るぐことない今年の世界10大ニュースの一つであり、まさしくそれは事件なのだ。

 それにしても休日朝一番の本屋は好きだ。今朝訪れるであろうの僕のために、店じまいのたび本を整理整頓しその真新しい空間を用意してくれている。せっせと独り占めするため本屋へと向かうのである。

-NO.560-


【札幌テレビ塔】

 これを撮影したのは11月のとある日、雪がちらついたとはいえまだ午後4時台。あたりはもう薄暗くテレビ塔のオレンジ色のライトアップが少しの暖かさを与えてくれる。モノクロ写真で申し訳ないが、そのオレンジ色は皆様の想像にお任せしたい次第である。そしてビートルズのモノラル盤リマスターに敬意を表してお許し戴きたい。彼らの音とともにモノならではの想像力豊かな世界に圧倒されたし。