息子を出産し
はじめてぶち当たった子育ての壁は、
『遊び食べ』時代だったと記憶している
そこから
イロイロぶち当たったと思うが
記憶にない。
壁にぶち当たることなく
ひょいひょいかわしていたのかもしれない
そして、
子が思春期に突入し
盛大に壁にぶち当たった
人生最大級の高い高い
めっぽう強く分厚い壁だった次第
いまでは壁を超え峠を越したと
感じているが
ある日の入浴中....
お湯の温かさも相まってか
ココロがじんわ〜〜〜
ぽかぽか~~〜〜.....
ほのぼのと和んでゆくのを感じた
なんてことのない日常
家族がみな無事で
ナニゴトもなく平和で穏やかな日
静かに終わろうとしている
「きょう」という日が
こんなにもしあわせだったのか
...と
ココロの底から
めっぽう感動してしまった
ココロが
いつまでもいつまでも
ぽかぽかだった。
息子と険悪になった日は、
毎回湯船に浸かりながら
闇出しをしていた
我が子のことが大嫌いになって
自分の未熟さに辟易して
被害者意識丸出しで
泣きながら
神に暴言を吐いていた
そんな日を思うと
この穏やかな日常が
とてつもなく有り難く
すべては自分
....であると
改めて気づかされて
スーパー腑に落ちる
この3次元世界である地球での体験は
プラス(ポジティブ)の体験も
マイナス(ネガティブ)の体験も
等価値である
そこに善悪はなく色が違うだけなのである
人間はネガティブ体験を
めっぽう避けたがるが
ネガティブを体験するから
ポジティブな体験ができるのだ
息子と険悪な日々が続いたから
ナニゴトもない穏やかな日に
感動できたということ
穏やかな日々が続けば
そのなんてことない
素晴らしい奇跡みたいな1日に
気づけないので
感動することもない、ということ。
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『悩みとは
感動するためにあるもの』
のちの『感動』のために
いま現在の『悩み』がある。
のちの『歓喜』のために
いま現在の『苦悩』がある。
この『地球ゲーム人間世界』は
2元世界なので
幸不幸はセットだし、
損得もセットで表裏一体です。
不幸があるから幸せがあり
損があるから得もある。
「苦痛」は「快楽」の元であり、
「快楽」も「苦痛」の元である。
つまり、
『体験』したくてやってきたのだから
「くるしーつらーい」と感じ切ってやり
その果てにやってくる
「ハァ〜♡幸せ〜」を感じてやる。
一瞬一瞬、やってくる流れに
ただ乗る。
※イロが違うだけのお話
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『あの体験があってよかった』
必ずそう思える日が来ると
識っている
だから、
苦痛真っ盛りの日々が続いても
「この体験、感情がのちに
喜びになるのか〜〜〜」
と呑気に構えられたのもある。
『ナニが起きてもへっちゃら』
我々の本質です。
いまの息子は
母を赤ちゃん扱いし
動画の猫さんみたいです。
きょうは以上です
ありがとうございました。