自分らしく輝く生き方を応援する「グリーフケアセラピスト講座」主宰の山田眞佑里です。
今日は24時間テレビ「盲目のヨシノリ先生の原作と感想」をテーマにして書いてみたいと思います。
今年の24時間テレビ愛は地球を救うのドラマスペシャルの原作やキャストが発表されました。新井淑則さん原作の「光を失って心が見えた~全盲先生のメッセージ」が「盲目のヨシノリ先生~光を失って心が見えた」と題してドラマ化されます。
このドラマのあらすじは、盲目となり、何もかも失ったかにみえた人生から立ち上がり、再び中学校の教師として教壇に立った、ヨシノリ先生の夢への挑戦と、彼を支える周囲の人たちの愛の物語です。
キャストは、ヨシノリ先生を演じるのがNewsの加藤シゲアキさん、その妻役に沢尻エリカさん、ヨシノリ先生を支える大学時代の先輩役に小泉孝太郎さんが出演します。
新井淑則さん原作の「光を失って心が見えた~全盲先生のメッセージ」は、ヨシノリ先生自らが音声パソコンを使って執筆した感動ノンフィクションです。
実はこのドラマの存在を知ったことから興味を持ち、原作の「光を失って心が見えた~全盲先生のメッセージ」と、もう一冊、新井淑則さんの著作「全盲先生、泣いて笑っていっぱい生きる」を読んでみました。どちらも素晴らしい本でしたので、2冊を合わせて、あらすじや感想をご紹介したいと思います。

~あらすじ~
夢を叶えて教師になる
幼いころからの夢を叶えて中学校の教師をしていた新井淑則さんは、同僚だった音楽教師の妻・真弓さんと結婚し、二年後には長女が誕生。サッカー部の顧問として指導に熱中し、教師生活も家庭も充実した日々を送っていました。
しのび寄る暗雲
28歳のある日、目を覚ますと右目から暗幕が降りたような状態で、視野の三分の二ほどをふさいでいます。急いで病院に行くと、このまま放っておくと失明していますと、すぐに大学病院の受診をすすめられます。
網膜剥離と診断され、そのまま入院、緊急手術を受けます。三週間の入院の後、歪んで見えた右目の視力も少しずつ回復し、小康状態を保ちながら2年が過ぎ、次女も生まれた矢先に、右の目の網膜剥離が再発。担任やサッカー部の顧問を外されてしまいます。その時の「あなたのために外した。病気を繰り返し、片目が不自由で仕事の効率の悪い者は必要とされない」との校長から言われ、養護学校への転勤を余儀なくされます。
この頃、手術を繰り返した右目はほどんと視力を失いつつあり、常に眼圧が高く、圧迫されたように痛みに加え、仕事ができない焦りと悔しさでヨシノリ先生は次第に追いつめられ苛立っていました。
自室や階段の壁を殴り、何個も穴を空けました。
ことあるごとに妻に当り、大きな声で怒鳴り、時には手をあげることもあったそうです。
ある時に長女とお風呂に入っていた時、理由も忘れてしまうほどの些細なことで腹を立て、気づけばお風呂場のガラス戸を蹴破っていたそうです。
驚いた子どもは泣き叫び、慌てて駆け付けた奥さんは、足からひどく出血したヨシノリ先生を見て救急車を呼んだそうです。
愚痴や泣き言ばかり言うヨシノリ先生に、ある時奥さんはこう言ったそうです。「もう、そんなに辛いのなら、子どもたちも一緒に皆で死にましょう」本気の彼女の決心が伝わってきたヨシノリ先生は、背筋が凍りついたそうです。
あわや一家心中の危機…
それくらいヨシノリ先生は追いつめられていたのです。
霧の中の日々
長男が生まれ、養護学校での教師生活が3年めを迎えた頃、左目にも異変が現れます。入退院を繰り返し、3度の手術受けるも、とうとう34歳の時に両目とも視力を失ってしまいます。
ヨシノリ先生の左目は光覚が残っていて、真っ暗闇ではなく、時に視界ゼロの濃霧だったり、白とグレーと黒のまだら模様だったり、闇の中に白い雲があったりとさまざまな「闇」で、それが、寝ていても目覚めていても悪夢を見続けているような感覚にさいなまれ、ヨシノリ先生を苦しめていきます。
泣いて泣いて、また泣いて、泣き続けた日々、奈落の底へ突き落されような失意と絶望の中にいました。
妻にも、子どもにも、両親にも全てに心を閉ざし、誰の言葉も心に届かず、運命を呪い、再び死の誘惑にとりつかれていきます。
孤軍奮闘し家族を支える妻の真弓さんとも、口を開けば喧嘩です。
「見えない俺の気持ちなんてわからないだろ?」
「おまえはいいよな、俺と離婚して再婚すれば幸せになれるんだから」
ほどんど産休もとらず、3人の子どもを抱え、充分すぎるほど頑張っていることを頭では理解しても、自分の苛立ちを止めることができません。
妻の決断
ふさぎこみ家にとじこもる日々が半年近く続いた頃、妻は強引に「マッサージに行こう」とヨシノリ先生を連れ出します。
それからあらゆるつてを使って、視覚障がい者に次々と連絡を取り、ヨシノリ先生を勇気付け自立させようと試みます。
最初は、どうして僕は彼らのように目が見えなくなったことを受け入れられないのか…
彼らのように按摩・針・灸・マッサージ師になるのか…
もう教師に戻るという夢は叶わないのか…と希望が音を立てて崩れるように感じ、どんな言葉も受け入れることができません。
ヨシノリ先生と同じように、人生の途中で失明し全盲になった男性に会った時、「僕もずっと目が見えるようになることを、諦められなかった。でもある時、交通事故にあったようなものだと思って諦めよう、事実を受け入れ前に進まなくては…」と泣きながら決意した話をしてくれたそうです。
その時、ヨシノリ先生は、「まだ希望があるはずだ、いつか必ず見えるようになるはず」と現実から目を背け、自分の世界に閉じこもっていたことに気が付きます。
ヨシノリ先生は自問自答し続けます。
「おまえはどうするんだ」
数日後、ヨシノリ先生は全盲である自分を受け入れる決意をします。
役所に「身体障障害者手帳」を申請し、リハビリテーションに通う手続きをとります。
宮城道雄先生との出会い
ある時1本の電話がかかってきます。
「視力を失っても、やる気があれば、あなたも教師に戻れますよ」
教職員組合を通じてヨシノリ先生を知った宮城道雄さんが連絡をくれたのです。彼も視覚障がいを持ちながら、普通高校で物理を教えていました。
宮城先生は、半ば強引に、頻繁に電話をかけてきます。
慈愛に満ちた心で宮城先生に、やがてヨシノリ先生は心を動かされはじめます。
「障害がある人もない人も一緒に生活をし、助け合える温かい社会になってほしい。子どもたちにとっても、日常的に障がいを持つ人と接することで、自然に他者を思う心が育つ。そのことを教えられたら、障がい者が教師をする意味は大きいと思う・・・」
宮城先生に出会いがなければ、ヨシノリ先生が教師に戻ることはなかったと、ご本人は言っています。宮城先生の、ヨシノリ先生を信頼し、可能性を信じる心が、ヨシノリ先生を動かしたのです。
リハビリからの再出発
ヨシノリ先生は、最初は国立身体障害者リハビリテーションセンターで2か月、そして埼玉県総合リハビリテーションセンターへ10ヶ月の訓練を受けます。
施設に入所しての訓練で、家族のもとに戻れるのは週末だけです。
白杖での歩行訓練、点字、音声パソコンに加えて、体育や料理などの日常生活訓練があります。
とても訓練は厳しく、泣きながら前へ進む毎日だったと言います。
白杖を使って歩くのは、常に頭の中に地図を描いて歩くメンタルマップが必要で、このメンタルマップを描けなければ、盲導犬に指示することも出来ないのです。
最初の頃、白杖をついて家の近所を歩いていると、遠くで話声が聞こえ、近づいて行くと話を途中でやめるように思えることがあり、どうしても自意識過剰になってしまう。地元の駅のホームで落ちた時にも、傷の痛みよりも「誰かに見られなかったかな」とひやひやしたそうです。
ある時、歩行訓練中、車にクラクションを思いっきり鳴らされびっくりしていると、車の中の若者たちがゲラゲラと笑っています。自分の驚きを見て笑われたのかと思った瞬間、涙が止まらなくなりました。後ろから見守っていた指導員がそっと背中に手を当てて「あれは新井さんを見て笑ったわけではありませんよ」そう教えてくれても、どうしてこんなに怯えながら歩かなくてはならないのか、ビクビクしなくてはいけないのか、一気に抱え込んでいた思いが溢れ出て涙が止まらなかったのです。

シフトポイント
そんなヨシノリ先生も、訓練が5か月を超える頃、気持ちのシフトポイントを迎えたといいます。出来ないことを数えて嘆くより、あれもできた、今度はこれもしてみたいと、できることを数えて喜んでいる自分に気が付きました。
気持ち一つで、悲しみを喜びに変えることがわかったのです。
その頃、宮城先生のすすめで、神戸で行われた「全国視覚障害教師の会」に参加します。全国で様々な学校種で、視覚障害がありながら教壇に立ち続ける先生たちが20名ほど、そのご家族とボランティアが集まりでした。
この時初めてヨシノリ先生は「自分も教壇に立てるかもしれない」との希望を持ちます。
盲導犬との出会い
とにかく自由に一人で歩きたいとの思いから、アイメイト協会へ盲導犬の申し込みをしていました。県リハでの訓練が10ヶ月を迎えた頃、念願の盲導犬との出会いの日が訪れたのです。
「もう一度、教師への復職を目指す!」と決意したヨシノリ先生は、練馬にあるアイメイト協会の訓練所で、合宿しながら1ヶ月間の盲導犬との訓練です。
最初は盲導犬の歩く速さに、何かにぶつかるのではないかと腰が引けほど怖かったそうです。教官の指導は厳しく、頭が混乱するくらい次々をいろいろな注意が飛んできます。盲導犬をコントロールし意思疎通が出来なければ、安全に歩くことができません。段差や障害物をよけることができるか、バスや電車に乗れるか、盲導犬に的確な指示をだせるか、盲導犬の健康状態をきちんと把握し、きちんと面倒をみることができるか、1週間ごとにテストが行われます。
ヨシノリ先生の盲導犬の名前は「クロード」、ラブラドール・レトリバーの雄です。24時間ずっとクロード一緒に過ごします。毎日世話をし、話しかけ、遊んでやり、マッサージもします。
4週間後の卒業試験は銀座の和光をスタートし、日本橋の三越までのコースです。都会の喧騒の中を、自由に歩くことができるなんて、夢のようだったと、この時のことを語っています。無事にゴール!!
卒業式で「さぁ、盲導犬と一緒にご自宅へ帰ってください」との祝辞に、胸のドキドキが止まりません。練馬から秩父の自宅まで、クロードと一緒に一人きりで、3時間の道のりをかけて無事に帰りついたそうです。
訓練を終えて自宅に帰ったヨシノリ先生に新しい日課ができました。長男を幼稚園バスに乗る時に送り迎えをするのです。最初に右目の網膜剥離をしてから約9年間。ようやく長いトンネルを抜けて自分の足で歩き始めたことを、誰よりも妻の真弓さんが心から喜んでくれました。

復職への道
入院、自宅療養、リハビリ、盲導犬の合宿訓練とここまで2年の月日が流れていました。復職期間は3年間。あと1年で復職できなければ、失職してしまいます。
宮城道雄先生をはじめとする、ノーマライゼーション・教育ネットワークの支援を受けて、埼玉県教育委員会との粘り強い話し合いが始まりました。ようやく復職訓練という形で秩父養護学校での訓練が決まりました。
1学期は週2日、2学期からは毎日登校しました。ヨシノリ先生を支えてくれる心強い存在が現れました。彼は密かに地元の点訳ボランティアサークルに入って、点字を勉強し、「この点字、ちょっとやってみたんだけどさ」とさりげなくサポートしてくれる心優しい同僚です。
翌年の春、念願の復職を果たしました。復職訓練中の、登校は家族の付き添いが必要との条件が外され、クロードと一緒にヨシノリ先生一人で通います。養護学校では、障がいのある子どもたちから、さまざまなことを教えられ、明るくたくましく生きる姿に、勇気と生きる力を与えられる毎日を過ごします。
ヨシノリ先生は、障がいを持つ生徒たちと接するうちに、生徒や保護者の相談者としても力になりたいと思い始めます。希望を伝えると埼玉県から1年間の長期研修に派遣されることになりました。筑波大学の夜間社会人大学院でカウンセリングや心理学を学び、ヒューマンケア協会で、ピア・カウンセリングの長期研修にも参加します。またインターネットを始めとする情報ツールの活用方法を指導する研修も受け、さまざまな現場の生の声を聞く機会を得ます。
そして研修から戻った翌年の4月、秩父養護学校へ戻って担任を持ちます。そして3年後には盲学校へ異動となるのです。県に1つしかない盲学校へ、自宅からの登校にかかる時間は往復5時間。雨の日も、アスファルトが焼けつくような夏の日も、霜が降りる朝も、クロードと一緒に通い続けました。
後にヨシノリ先生は、この養護学校と盲学校で勤務した9年で、さまざまな出会いがあったからこそ、「今の自分を受け入れて、自分のできることや、自分のできることはなんだろうと考えられるようになった」折れない心を作ることができたと語っています。
普通中学校の教師になる
2007年定期健診の時、「クロード君は、かなり白内障が進んでいて、良く見えない状態です」と言われます。やんちゃで、吠えられると向かっていこうとし、年に1度は家出をする、型にはまらない盲導犬クロードも引退する時がきました。幸いなことにパピーウォーカーだったご家族が引退後のお世話をしたいと言ってくださり、引き取り先が決まりました。クロードと涙をのんでお別れです。
次の盲導犬マーリンとの出会いがあり、訓練を行っている頃、「来年度から新井さんは、長瀞中学校に移動になりました」と学校長を通じて教育委員会から連絡があります。
本人の働きかけはもちろん、普通中学校復帰には、たくさんの方のサポートがありました。毎日、往復5時間をかけて盲学校に通っているのを見守っていた駅員の方が、なんとか地元の中学校に復帰できないかと、公民館に人を集めて講演会を開いてくれたのです。ノーマライゼーション・教育ネットワークの先生の誘いで県議会議員に話を聞いてもらったことから、県議会、県知事の知るところとなり、前述の講演会に招待されていた長瀞町長が、「ぜひうちに」と門戸を開いてくれたのです。

2008年の4月1日、長瀞中学校では、全校生徒と先生たちが校門の前で花道を作り、ヨシノリ先生とマーリンを拍手で出迎えてくれました。
感動の涙が止まらなかったそうです。
長瀞中学校に赴任すると、すぐにヨシノリ先生と呼ばれるようになりました。親しみを込めてそう呼ばれるのかと思ったら、実は新井先生が5人いたのです。
授業はたくさんの人に支えられて成り立っています。
チーム・ティーチングの方法で、パートナー先生と組み、ヨシノリ先生をサポートするのではなく、1+1が2以上になるように、お互いがパートナーとして生徒と向き合う方式を取り入れています。
授業にはルールがあります。
・指名されて答えがすぐに出ない時「わかりません」「今、考えているところです」「質問(問題)の意味がわかりません」のいずれかを答えてください。
・こそあど言葉はできるだけさけてください。
・「黒板3時の方向です(クロックポジション)」・「教科書27ページ1行目です」など、具体的に言ってください。
・「はい。○○です。」「はい、〇〇だと思います。」最後まで言い切りましょう。
・授業以外で話しかける時は「〇年〇組○○です」と名乗ってください。
ICレコーダーに録音し、クラス全員の声を覚え、声を聞いただけで名前が分かるようにし、机の天板の裏には生徒の名前を点字で張り、生徒はその机を3年間使います。
中学1年生の国語の教科書を点字にすると30冊。ヨシノリ先生は、授業で使うプリントやテスト問題は、音声ソフトが入ったパソコンで作成します。テストの答案用紙の添削などはパートナーの先生にお願いします。そしてたくさんのボランティアの方たちが支えてくれます。週に2回朗読ボランティがの方が来て、先生方に配られた印刷物や国語の資料、生徒の作文など、必要な書類をを読んでくれます。
学期末の終わりごとに「今学期の国語の授業を振り返って」という作文を書いてもらいます。すると生徒たちは「目の見えない先生に授業ができるか心配だった」「目が見えなくても字が書けるので驚いた」と、多くの生徒がヨシノリ先生のことに触れています。しかし2学期、3学期になると、もう誰もヨシノリ先生やマーリンのことにふれる生徒はいません。ごく自然に生徒たちに受け入れられたと、ヨシノリ先生が気づいた瞬間だったといいます。
2年目を過ぎた頃から、生徒たちともっと深く関わりたい、生徒たちと喜びを共有したいとの思いから、学級担任をしたいとの新たな希望が生まれ始めます。
担任として入学式に臨む
2014年4月の入学式「1年B組入場」の司会者言葉に、ヨシノリ先生とマーリンを先頭に40人の生徒が続きました。レッドカーペットを一歩一歩踏みしめて進みます。ヨシノリ先生にとっては22年ぶりに中学校の学級担任になったのです。長瀞中学校に来てから6年が経っていました。視覚障がい者で学級担任をやっているのは、日本でただ一人。「このクラスを、いじめのない、一人ひとりが違いを認め、思いやりのある明るい素晴らしい日本一のクラスにしたいと思います」とヨシノリ先生は挨拶しました。
ヨシノリ先生が夢を叶えた瞬間でした。
翌年の2015年、ヨシノリ先生は長瀞中学校から自身の母校である皆野中学校に赴任します。
3代めの盲導犬リルと一緒に、今日も教壇に立っています。市民団体「ノーマライゼーション・教育ネットワーク」の代表としても、障がい者と健常者がより良く共存できる社会や教育現場を実現するための活動を続けています。

普段テレビはめったに観ないのですが、事実や史実を基にしたノンフィクションが原作の感動ドラマなどは、チェックします。
そして「光を失って心が見えた~全盲先生のメッセージ」の原作に出会いました。
オリンピックなどもそうですが、本気で人生に向かいあう姿が、なにより心が動かされるし、魂も揺さぶられるからです。
明日からまた軌道修正して、人生に本気で向かいあおう!という気持ちになるからです。
自分の顔は見ることができません。縄文文化から承継する古神道の教えがとても好きです。
古来から続く、いにしえの日本人の霊性が反映されています。
古神道には「姿態は心の顕現」という言葉があります。

どんなに上手く周りの人をだましたり、自分以上に、より良く見せようと装っても、その人の本音や在り様は、言葉や行動、姿勢すらに、すべて反映されるという意味です。
あなた自身の心の在り様は、あなたが創るものであり、すべての呼吸、すべてのあなたの一部分に、あなたの全体性のすべてが現れるのです。
人は考えたり、行動したりするすべての司令塔は、脳だと思っています。
私も脳が壊れたら、思考も感情も止まるものだと思っていました。
しかし、感情は、身体のすべてに溜まります。ヒーリングをしていると、エネルギーは、肌、血管、筋膜など臓器のすべてに記憶されているのです。
母が、クモ膜下出血で倒れた時のことです。脳の再起はもう望めないとお医者様に言われたことがあります。とてもショックなことでした。
大好きな母と二度と、話したり、笑ったりできないと思うと胸が張り裂けそうでした。
その時、私は東京に住んでおり、母は、札幌に入院していました。
もう無表情で動けない母でしたが、月に最低一度は、東京から札幌に通いました。
そして、手をにぎったり、身体に触れて、話しかけていました。
確かに何も反応がないのですが、皮膚に触れると、母の感情が伝わってきます。
痛いよ。つらいよ・・・・・
そして、もう東京に戻るからね、というと悲しそうな表情をしているように見えます。
人は、脳が壊れていても、感情は、すべての母の中に記憶されているんだ。
とっても納得しました。
それから、ヒーラーになり、私は、どんなお客様に対しても、身体のすべてに愛を注ぐことをしています。
愛は、言葉からも、目線からも、体温からも、どんな方法でも相手に伝えることができるのです。
母の出来事は本当に悲しいことでしたが、その経験が、今のお客様との匕ーリングやカウンセリングの信念のもとになっています。

人は、どんな経験からも学べます。一見、どんな希望のない出来事からも、宝物の経験を生み出すことができます。
その経験を宝物にするか、悲しい事実で終わらせるかは、その人次第なのかもしれません。
私が主宰しているグリーフケアセラピスト養成講座では、悲しみをそのままで終わらせないで、希望に変えることを目標にしています。
私は、いつも不可能を可能にすると思って、行動して、発言します。
言葉が世界を創るからです。
この講座では、あらゆる心の技術、愛の技術を学びます。
最近のクラスでネガティブプレジャーを題材にしました。
プレジャーは英語で喜びです。ネガティブプレジャーとは、直訳すると否定的な喜びです。
私なんて幸せになるわけがない。
どうせいつも最後は貧乏くじを引くんだ。
またどうせ振られるんだ。元カレと同じで、また浮気して、他の人のところへ行くんだ。
あなたが創りだしたネガティブなイメージを、大事に執着することを、ネガティブプレジャーといいます。
過去の経験や心の傷が、自身をを貶めているイメージを創り、それが強固になると、信念になります。
幸せにならない信念です。
ついていない人、不幸と思っている人は、その願望を叶えています。
やっぱり私は不幸なんだという現実をきっちり実現化しているのです。
言葉が世界を創るとは、あなたが創りだした信念、思考、言葉、行動すべてを指します。
不可能を可能にするという視点に立って取り組んでみてください。
本気でそう思ってください。
心にある信念が、引き寄せの原因の種になるからです。 まわりの人の目を気にするより、幸せになるためのイメージを明確にして、幸せになるという立場をとって、行動する。
それが在り様すべてに写し鏡のように反映されるのです。
人生の原作を創るのも、あらすじを決めるのも、私たち自身なのです。

8月27日土曜日の午後9時に、日本テレビの恒例の24時間テレビが放映されます。
ヨシノリ先生を演じるキャストの加藤シゲアキさんは、Newsのメンバーとして活躍するかたわら、「ピンクとグレー」で作家としてもデビューしています。生きづらさを抱えた人々の痛みと希望を描いた短編小説「傘を持たないアリたちは」、原作の新井淑則さんも、読んでもらったといい、「これだけの本を書けるのだから私、新井淑則の役を見事に演じてくれるだろうと期待しています」と、キャストの加藤さんにコメントを寄せています。
また妻役のキャストの沢尻エリカさんは、夫を支える献身的な妻を、今年のテーマである「愛」を表現して演じたいと語っています。原作の本には、「いつも支えてくれる最強のパートナー妻・真弓との記念ショット」とキャプションのついたお二人の写真が掲載されています。
ヨシノリ先生は光を失い、一旦は生きる希望も失いました。しかし、まわりの人の支えにより、盲目であっても生きる上で一番大切なものを見出していきます。
それは、運命を受け入れて、その人生に向かいあう心の在り様です。
生きる姿勢こそ、教師として、まわりに伝えることのできる、たった一つの宝物だと気が付くのです。
そしてヨシノリ先生は立ち上がります。
そして、52才で、光を失った時と同じように、中学校の担任クラスを持ったのです。
22年ぶりのクラス担任への復職です。
ヨシノリ先生の不屈な信念が、光を失っても、とうとうまた愛する仕事を手に入れたのです!

盲導犬と登校し、パートナー先生の力を借りて、授業をします。まわりもどんどんヨシノリ先生を支えていき、色々な知恵が生れていきます。
創意工夫しながら、伝えること、話すことなど、生徒もどんどん先生に合わせて、積極的に行動するようになります。
光を失って絶望的な状況にあっても、生きていれば、必ず希望がある。僕ならそれを身をもって教えられる。そう盲目のヨシノリ先生は、ネガティブプレジャーではなく、ポジティブな希望のある信念で、言葉が自分の創りだしたい世界を創るという実践をしています。
今、うつ状態や学校に通うことができない子どもの相談がサロンでは多いのです。
みんな心をはりつめて、頑張っています。
でも頑張ろうとしても、突然頑張れなくなるのです。
今、学校で一番教えることが必要なことは、人との比較で、人生の価値を決めることではないのです。
自分軸で、命の輝きを取り戻して、幸せになるために生きる方向を見つけることなのです。
そのためには、心の在り様、心への向き合い方を教える必要性を感じます。

生徒も、効率性や合理性、損得ではなく、ヨシノリ先生の本当の生きざま、希望に向かって、どこまでも自分を信じる力、命の輝きの本質を学ぶ生きたチャンスになるのではないでしょうか。
視覚障がいのある全盲の先生を受け入れた、学校や生徒や父兄もすばらしいですね。
原作の新井淑則さんは、「みんな一人ひとり顔形が違うように、性格や個性も一人ひとり違います。人それぞれの違いを当たり前のこととして認めて受け入れることのできる思いやりのある人になってほしい。」それを伝えられることこそが、全盲という重度の障がいがあるのに、わがままを言ってクラス担任をさせてもらっている自分の存在意義であり使命だと思っていると言っています。
原作を読み、脚本がどんな構成やあらすじになっているのか、キャストがどう演じるのか興味深いです。
皆さんは、どんな感想を持たれるのでしょうか?
自分だったら、どんな脚本にするかなという視点も併せ持って、このドラマを観たいと思います。
「盲目のヨシノリ先生の原作と感想」をテーマにして書いてみました。
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