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「ネイルアート」は「纏足」だといったら呆れられた!  どうでもいい話、その② 

 先日、会社帰りにコンビニに立ち寄ったときのこと。

そのとき、レジの店員の手を見て驚いた。

爪先にネイルアートをしていたのだ。

大学生くらいの女の子だから、バイトだったのかな。

コンビニの店員がネイルアートなんぞをしていては、まったく仕事にならないだろうに……。

ネイルアートがしたいのなら、コンビニのバイトではなく、他のバイトでも行けばいいのに、とも思った。

その爪を見たら、店長あたりから「ダメだよ」と怒られるだろうな、と余計な心配までしてしまった。

考えてみると、私の周りにネイルアートをした人はいない。だから見かける機会もない。

周りを見渡してもネイルアートをするような年代の人はいない。(マニキュアくらいならするだろうけど)

それに仕事でネイルアートをしている人なんてまずない。バイトの子とか、年頃の人はいるにはいるけど、実際にしているのを見たことがない。(休みの日や夜はするかもしれないけど、残念ながら見る機会がない)

だから、勝手な思い込みで「ネイルアート」をしている人は

セレブのような人や夜のお勤めをしている人だと思っていた。

仕事や家事までも放棄することになるから、そんな心配をしなくて済む人がするものだと思っていた。(勝手な思い込みです)

それに長く伸ばした爪に派手な装飾を施したものを、指先に書いていたら、仕事にもならなきゃ、日常生活にも支障がでるだろう。

美しくなるためには、体に無理をしてまでするというのなら、

それこそ、

中国の「纏足」だ!

(子どものころから無理に小さい靴を履いて足を小さくする風習。足が小さいことが美しいと云われるが、実際には歩行困難になる)


アフリカの首長族だ!


(首にリングをして無理に首を長くする女性たち)

とそんなことをぶつぶつ言っていたら、


「まったく、おんな心が分からない人ね」とかみさんに呆れられた。


まあ、うちのかみさんの手は、水仕事で手が荒れている。

あかぎれが酷くって、ハンドクリームなんかじゃ効かないので、「サカムケア」なるものを塗っている。

「ネイルアート」なんてものに程遠い世界にいるけど、

「爪をきれいに絵を書く」人の気持ちは分かるようだ。

そうか、実際にはしなくても、心になかには、そんな願望があったのか。

そう思ってかみさんの指先を見る。

……。

なるほど「おんな心」は難しいということか。

追記 以下はまとまっていないが、記しておく。

 「今日はネイルを塗りました」「ネイルアートしてみました」という写真付きのブログ記事をよく見かける。これが結構多い。

やはりネイルを塗るという行為の中に、「特別なもの」「特別なこと」が含まれていて、「ケ(日常)」に対する「ハレ」ということになるのだろうか。

日常的なことができない、(指先が使えないということは)、つまり非日常である、という意味なのだろうか。

という展開で、「化粧」をすることによる非日常を書こうとしたが、まとまりそうになかったのでやめました。

どうでもいいような話①  伊集院光が中二なら、太田光は高一で、品川祐は小五かな?

「ウィキペディア」でいろいろ言葉を見ていたら、「中二病」という言葉の説明が目に付いた。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%BA%8C%E7%97%85

『中二病(ちゅうにびょう)とは、タレント・伊集院光がラジオ番組「伊集院光 深夜の馬鹿力」で提唱した、特に日本の思春期の少年に見られる特徴的な言動・行動例を病気として比喩した俗語である。』と説明がある。
『子供と大人の過渡期、思春期特有の思想・行動・価値観の総称、成長過程における一種の熱中的な精神状態を、「熱病」に似た「症状」に比喩して、その「発症」時期が日本の教育制度において中学2年生前後となることから、「中二病」と指し示している。また、その状態の者を「中二病患者」と称する。
かつて「中二病患者」であった高校生や成人が、当時の自分を振り返ったり、「発症」中の人間を見た時に、その言動が余りに幼稚で滑稽に見え、その上「病的」と言ってもよいほど無駄に熱く微妙に歪んでいると感じることから、自嘲と皮肉をこめて「中二病」と称する。』


ここでは様々な症例というのが載って、それが可笑しかった。


そして、伊集院光は40歳になったいまでも、「自分は未だ中二病を発病している」と言っている。
確かに、ラジオでは、子供ぽい愚痴を言って、明らかに年下の女子アナ(長岡杏子、山内あゆ)に「大人気ない」とよくたしなめられていました。


そこで、思ったのが、伊集院光が「中二病」なら、爆笑問題の太田光は「高一病」だろう、ということ。


高校生になると急に自分が大人だと意識し始め、そこで改めて世の中を見てみると、世間では不義、不正が横行し、世界では正義が貫かれず、理不尽なことだらけだと気付く。ある程度大人になれば、「世間はそんなもんだ」とか「世の中そう正しいことばかりじゃ通じない」ということが分かってきて、どこか冷めたものになり、諦観したものになっていくのでしょう。しかし、世間を知らず、まだ世の中にもまれたことがない初心な精神をもつ若者とっては「なぜ世の中では正しいことが行われないのか」と疑問をもつことになる。そして義憤に駆られて、自己の(思い込みの)正当性を主張することになる。また、そういった気持を持ち、主張することが「大人」なのだと思い始めるでしょう。そういった「妙な正義感」を持つ人が出始めるのが、高校に入った時期のころからだということ。昔なら、学生運動に目覚めるとき、かな。いわば「中二病」+「社会性の萌芽」→「高一病」といったところ。
そしてこんな意識が芽生えた人々は、自分が正しいと思うことを主張して、相手を論破しょうとする。太田光はまさにこんな感じ。「太田総理」なんかを見ると、「正論」「正義」ばかりを押し並べて取り憑かれたたように論じ立てるが、その内容があまりのも「奇麗ごと」ばかりなので、見ているこっちが辟易してしまう。そんなタイプの人が、同じ学級に一人位いますよね。生徒会長に立候補して、ウザったがられて落選するような人、そんなタイプを思い浮かべます。(まあ、こんな人がいて、勿論いいんですよ)

そこへ行くと品川庄司の品川祐は、「小五」ぐらいかな。覚えたての知識を必死になって言いまくる姿は、先生にあててもらいたくて懸命に手を挙げる子供のように見える。小学校高学年になると、「○○博士」(怪獣とか昆虫とか国旗とか) みたいな一分野だけに物凄い知識を持つ子供がいて、それについては滅茶滅茶しゃべり出す、そんな子供がクラスに必ずいたもんです。品川祐をみると、小学校時代にそんな子供がいたっけ、っていうのを思い出すんですよ。だから「品川は小五病だ」と勝手に決めてしまいました。


この方式でいえば、「みうらじゅん」とか「リリー・フランキー」とかサブカル世代は「浪人生病」かな。
覚え始めたSEXの話とかオナニーの話とかのそんな話ばかりをする大人に成りきれない浪人生。大学生じゃなく、浪人生というのがミソ。サブカル世代って、どこか浪人生のような暗さがあるんですよね。そして、サブカル世代っていつもノスタルジーな世界に浸ってます。怪獣の話とか、昔の映画、音楽とか、自分が創作するものも自身の昔をもとにする。(「ブロンソンズ」しかり「東京タワー」しかり) そして、みんな昔の話をする。それを喜んでする。それでいて、「これでいいのか」「こんなことしていていいのか」っていうどこか後ろ向きのような感じもある。この内に籠っていく閉塞感がどこか「浪人生」のもつ印象と重なるということです。この人たちはどうもこの時期の年代の話が多いような気がするので、ここでも勝手に「浪人生病」と名づけました。(みうらじゅん曰く、団塊の世代の後がサブカル世代というらしい。この後に続くのが「おたく」だということ)

こうして見てみると、みんな「モラトリアム人間」なのかな。この手の病気で重症なのは、みんな子供がいないような気がします。子供がいると必然的に社会と関わることが多くなるから、好むと好まざる関係なく、学生時代・「~病」の卒業を迫られるということなのかな、と思う。
でも、だれもがみんなどこかの年代の「~病」を引きずって生きているような気もします。そういう私は「小五病」ぐらいかな。
ただこれは自分ではなかなか客観的に見られなそうにもない。自分をよく知る他人に判断してもらうのがいいかも。自分がどの時代の昔話を一番するかで「~病」にかかっているか分かるような気もします。まあ、人によっては学生時代ではなく、「社会人病」「中年病」っていうのがあるかもしれない。

とまあ、どうでもいいような話で、思い付いたことをダラダラと書いてみました。

「富士重工・スバル」と「新田義貞せんべい」と「新田一族」

前回「新田義貞のせんべい」のことを載せたら、それに対して問い合わせが数件ありました。(アメーバブログ・びびんば様、fc2ブログ・ゆうたママ様、源太様)

そのほか数少ない新田義貞および新田源氏ファンのために、ここで取り扱っている店舗を書いておきます。
私が見たのは、
「Aコープ・ブレイス店」でした。

住所  群馬県太田市新田市野井町438-1
電話番号  0276-40-9111
JAグループで、ホームページアドレス http://www.acoop-kanto.co.jp/
電話で問い合わせて、取り寄せた方が早いかもしれません。
パッケージには「新田産米ゴロピカリ使用」と書いてあります。新田づくしで、「新田ファン」にはお宝です。

さて、「新田」つながりで、次の話。
まず画像から、
「上毛新聞、3月19日号スポーツ面」の写真。
全国社会人野球東京大会で「富士重工の選手がヒットを打った写真」です。
注目してもらいたいのが選手のユニホームの袖口。
そう「大中黒」。新田一族の家紋ですよ。
富士重工の選手は「新田源氏」を背負って戦っているわけです。(ちと大袈裟ですが)

富士重工は太田市が発祥なんですね。まあ「スバル」といった方が通りがいいでしょうか。

『1917年5月、海軍機関大尉中島知久平によって群馬県新田郡尾島町(現:群馬県太田市)に設立された民営の飛行機研究所を前身とし、太平洋戦争終戦後、GHQにより財閥解体の対象となった「中島飛行機」(1945年に富士産業と改称)が、富士重工業のルーツである。』
だから戦時中「呑龍」なんて名前の爆撃機が作られたんですね。(太田といえば、大光院の呑龍さま)

で、このスバルが、2008年4月12日に、トヨタとの提携強化を発表した。
『トヨタ自動車、ダイハツ工業、富士重工業(スバル)の3社社長は10日夜、都内のホテルで記者会見し、トヨタの富士重工への出資拡大を含む提携拡大で基本合意したと発表した。』とニュースで伝えている。

トヨタは愛知県豊田市。
豊田市は三河だ。
松平氏の遺跡が多くある地域。
挙母、猿投、岡崎、安城……、そして岐阜県の土岐、恵那……、
これじゃ「東毛奇談」そのものじゃないですか。
新田一族(スバル)が徳川家(トヨタ)に呑み込まれていく様が似ている。
これも運命なのか。(ほとんど連想ゲームのようですが……)

また、ニュースでは、『富士重工業は10日発表した、トヨタ自動車との提携拡大策の一環として軽自動車の開発・生産から撤退することを明らかにした。トヨタの子会社で軽最大手のダイハツ工業からのOEM調達に順次切り替える。』

スバルといえば、「てんとう虫」の愛称で親しまれた「スバル360」がある。
この車の誕生秘話はNHK「プロジェクトⅩ」でも取り上げられてました。
そして、スバルは今後、軽自動車を作らないというのだ。
スバル360からの伝統「軽」と言われていただけに、それを作らないというのは、あまりにも寂しいことですね。
ちなみに、斎藤佑樹くんの父親は「富士重工」の社員で、野球部に所属していました。
やはりここでも「新田源氏」の因縁を感じます。


「歴史のミステリー」第12号

目次



歴史検証ファイル   信長の比叡山焼き討ちは虐殺だったのか?
           リンカーン暗殺事件の真相
遺跡に眠る謎     ナスカの地上絵
疑惑の真相      切り裂きジャックは女だった!?
芸術の裏側      「ミロのビーナス」
語り継がれる伝説   「天女の羽衣」
人物再発見      二宮金次郎



「信長の比叡山焼き討ちは虐殺だったのか?」

織田信長が1571年に行った「比叡山焼き討ち」が是か非かを検証しています。本書では、信長の残虐行為はやもえないこととして「肯定」的にとらえています。信長の目的は「政教分離」にあって、ジュノサイト(組織的大量虐殺)も容認されるということなのでしょう。
この論が詳しく書かれているのは、井沢元彦著「逆説の日本史10 戦国覇王編 天下布武と信長の謎」であり、本書はこれをまとめたものだといってもよいでしょう。全体的に「信長ファン」による「信長擁護」の説が載っている。

①信長は宗教を弾圧したのか?
比叡山焼き討ちで殺した僧侶は3千人、中には女子供もいたが容赦なかった。しかも延暦寺の根本中堂をはじめ三塔十六谷の伽藍は灰燼に帰した。
ここで、信長は宗教弾圧を行ったわけではないということを宗教学者・山折哲雄氏の言葉を引いて書いています。「宗教弾圧を行っていたなら禁止令や追放令などを出して徹底的に取り締まったはずだ」としています。

②「比叡山の僧侶は善人だったのか?」
ということで当時の僧侶の堕落した様子を書いています。

③焼き討ちに踏み切ったのはなぜか?
直接の要因は、延暦寺が朝倉義景・浅井長政らに加担したため、信長が窮地に追い込まれ、これをかなり根に持っていたということ。

④信長は全山を焼き払ったのか?
逃げまどう僧侶は見つけ次第殺され、焼け残った堂塔は3日間放火して回ったといわれている。しかし近年の調査・研究では、それほど徹底的に焼き討ちが行われていたわけではない、という説が言われている。(谷口克広氏)また、「大虐殺は行われず、山火事程度ではないか」という説も載せている。焼き討ちの様子を伝えている「言継卿記」「御湯殿上日記」も伝聞であるゆえ大袈裟に書かれている、としている。本文では、「一級史料といえども、必ずしも信用できない」と書いている。

が、なぜ「信長の焼き討ち」のところだけ信用がないというのか、大いに疑問である。実に都合のいい史料の使い方だ。まさに信長擁護のためだけに史料を利用すべきではない。

「信長公記」についても「他の宗教勢力に対しして大げさに信長の残虐ぶりを伝えることで、「たとえ僧侶といえども、信長に逆らえば容赦なく殺害される」という恐怖心を植えつけようとしたのではないか、との見方もされている。」と本文にある。だが、これはありえない。「信長公記」は江戸時代に書かれてものであって、信長の残虐性、恐怖心を煽る意味など江戸時代にあっては全く必要のないことだ。戦国時代が終わった後年になって「信長」を振り返ったときに、その残虐性が他の武将よりも一段と際立っていたということになるのではないのか。
では延暦寺は焼かれなかったのかとでも言うのだろうか。比叡山の寺院はそのほとんどが焼き払われたことは「事実」なのである。現在ある寺や伽藍は、のちに秀吉や家康によって再建されたものである。それがどうして山火事程度という見解になってしまうのか、実に不思議だ。

⑤蛮行とされた宗教改革
ということで、信長が比叡山延暦寺を焼き討ちしたのは、「宗教改革」であって、「堕落しきった僧侶への鉄槌」「経済の開放」「政教分離」であった、という結論である。

確かに「目的」はそうであろう。しかし、目的のためには手段を選ばないというのでは、払われた代償は余りにも悲惨すぎる。
まあ、これも信長の描いた理想世界を作るためなら仕方なかった、と言われればそれまでなんですが……。

ただ、信長が行ったのは、比叡山焼き討ちだけでないだろう。
伊勢長島一向一揆衆の残虐行為は「根切り」といわれ、2万人を殺した。天正伊賀の乱では、伊賀の国全土が焦土化する大殺戮を行った。また、高野聖千三百人を捕まえて処刑し、高野山を大軍で囲んだ。信長が本能寺の変で死ななければ、真言宗・高野山でも虐殺行為は実行され、寺院はすべて焼き払われることになっただろう。(そうなれば、高野山奥の院にある空海の霊廟も焼き払われることになる)
それに荒木村重一族の虐殺、竹生島詣した侍女をかたっぱしから切り殺した事件(仲裁に入った僧侶まで殺した)、敵方の婦女を見せしめに殺すなど、実に枚挙にいとまがない。

さて、私はここまで、信長の残忍性ばかりを書いてきたが、決して、「信長」すべてを否定しているわけではない。信長の持っているこういった加虐性を含めてすべてが「信長」なのであって、それら功罪が合わさって「信長像」を作っているのであるから、それら「悪」の行為までも全部肯定化する必要はないと思うのだが。

同じ時期に文藝春秋五月号が出ていて、「織田信長 改革と破壊と」といった特集記事が載っていた。本郷和人氏、小和田哲夫氏など「歴史のミステリー」で紹介していた人が、ここでも「信長」について書いている。
まさしく「大転換期に出現した天才政治家」「壮大なヴィジョン、組織、人事」といった内容で、「信長」が偉大な人物であることは間違いない。

当時の血生臭い戦国時代の人々が見ても、やはり信長は残虐だった、というのは事実であって、その点を歪めてしまうと、おかしなことになる。そういった「残虐な面を持つ信長」がいたからこそ光秀がいて、家康がいることになのだから。(この辺りは長くなるので説明は省略。「東毛奇談」で)

では、ここで、明石散人著「二人の天魔王」から引用します。(対談本になっています)

「……信長がついに天下を制することが出来なかった要因の一つに旧仏教、五山(禅宗)、一向宗の抑え込みに失敗してしまったことがあるでしょう」
「それは認めます。元亀元年(1570年)の伊勢長島の一向一揆以来、信長は生涯一向一揆に悩まされたようですし……、本願寺顕如との石山合戦、比叡山延暦寺焼き討ち、日蓮宗弾圧、確かに信長は宗教界に対しての戦術が下手ですね」
「下手というより……、むしろ無策と表現する方が適切ではありませんか。比叡山延暦寺の焼き討ちにみる信長は、無策からなる愚かさを如実に物語っていますよ。笑っちゃうのは、この焼き討ちの後にわざわざ吉田兼和を出頭させて南都(奈良興福寺)、北嶺(延暦寺)を滅ぼしたら祟りがあるかを尋ねていることです。兼和の『先例に無い』との返答を聞いてやっと安心するのですが……」

というわけで、信長の宗教対策に対しては、失敗だったと見てる人もいるということです。

そして、信長が比叡山を焼いたことによって、かなりの文化遺産が失われたことは確かなことなのです。今残っていたらかなりの貴重なものだったに違いない。また日本仏教を伝える文書も、このときかなり失われた。残っていたなら日本文化を知る上で重要なものになっていたはず。宗教改革を行うなら別の方法があったのではないのか。これでは文化を尊重しない「バーミアン遺跡を壊すタリバン」のようだ。
こういったことは、明治維新のとき「上野戦争」で大村益次郎が、上野寛永寺焼き払ったときも同じだことだ。(寛永寺が「東の比叡山」と云われていたから同じような悲運に遭うのは皮肉なものだ。)  軍略の天才と言われた大村だが、果たしてそこまでする必要があったのか。このとき失われた文化遺産はかなりのもので、しかも徳川家の謎を解く鍵もここにあったはずなのだ。(これも説明省略。)
と、どんどん横道にそれていくのでここらやめます。


リンカーン暗殺事件の真相

「1865年4月14日、リンカーン大統領は、ワシントンDCのフォード劇場で観劇中、俳優のジョン・ウィルクス・ブースに拳銃で撃たれ、翌日死亡した。だが、この事件にはあまりにも多くの謎が残されていたのである。」(本文より)
ということで、リンカーン暗殺事件を検証している。アメリカの有名な暗殺事件の3回目となる。一回目は「ケネディ暗殺事件」第5号、二回目は「キング牧師暗殺事件」第9号となっている。
暗殺事件の経緯などはここで、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%B3%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E3%81%AE%E6%9A%97%E6%AE%BA
事件から12日後、犯人のブースは仲間とともに隠れているところを発見され、射殺されたという。しかし、誰が撃ったのかも分らず、射殺されたブースの遺体を見た仲間は「これはブースではない」と叫んだというのだ。しかもその遺体は秘密裏に運ばれ、後に旧監獄の地下監房の床下で見つかったということだ。
本書では、陸軍省長官で、本事件の捜査指揮者のエドウィン・スタントンを黒幕としています。

これで思い出すのが、ニコラス・ケイジが主演した作品『ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記』

映画の内容は「リンカーン大統領暗殺事件の犯人、ジョン・ウィルクス・ブースの日記が見つかり、そこにはベンの祖先が暗殺事件にかかわっていたという記録が残されていた。汚名を晴らそうとベンは再び冒険に出る。」ということで、このブースの日記というのが「証拠品として提出された日記は完全なものではなく事件前後の18ページ分が破り取られていた。このことを暴露した秘密警察本部長のラフィエット・ベーカーであり、ベーカーの遺体の場所までばらしたという。」ということです。
映画は未見。
DVDは6月4日に出るというから、そのころ読み返すといいかも。


ナスカの地上絵

砂漠に描かれた謎の巨大絵、ペルーのナスカ川とインヘニヨ川に囲まれた乾燥した盆地状の高原の地表面に「描かれた」幾何学図形、動植物の絵。紀元前2世紀から6世紀の間に、「描かれた」と考えられている。
1939年6月22日、考古学者のポール・コソック博士により発見される。ドイツの数学者、マリア・ライヒェがこの地に住み着き、彼女を中心として、地上絵の解明作業と、保護が行われるようになった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~t-ohashi/nazca.html このサイトでは地上絵が見易くなっています。


切り裂きジャックは女だった!?

『切り裂きジャック(きりさきジャック、英:Jack the Ripper ジャック・ザ・リッパー)は、1888年8月31日 - 11月9日の2ヶ月間にロンドンのイースト・エンド、ホワイトチャペル地区で少なくとも売春婦5人をバラバラ殺人にした連続猟奇殺人犯。』を解説している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E3%82%8A%E8%A3%82%E3%81%8D%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF

そして本書でいう「女犯人説」の根拠とは
①犯人は被害者の女の服を着て逃走したという証言がある。よって小柄な男か、女ということになる。
②被害者が妊娠3ヶ月だったことから、堕胎のために産婆を呼んで、そこで殺されたのではないかということ。(1936、ウィリアム・スチュアートの説)
③警察が産婆を捜査線上に上がった時点から、殺人事件がなくなった。犯人が警戒したためではないか、という説(コイル・ウィルソン) 
④「犯人は女性堕胎医」と元ロンドン警視庁のアーサー・バトラーが発表した説。堕胎手術に失敗するたびに、表沙汰にならないように殺害したということ。

まあ、説としては新味があるけど、どうも根拠が薄いような気が……。

で、切り裂きジャックの映画



ジョニー・デップ主演映画「フロム・ヘル」監督: アルバート・ヒューズ、アレン・ヒューズ 、出演へザー・グラハム、イアン・ホルム他


ミロのヴィーナス「永遠に失われた両腕の神秘」

1820年ギリシャのミロス(ミロ)島で発見された大理石のヴィーナス像。古代ギリシャ彫刻の傑作とされたが、紀元前4世紀ころの作品を前2世紀ころ摸刻したものという。現ルーブル美術館所蔵。

本文では、①ミロのヴィーナスがルーブル美術館に所蔵されるまでの経緯と各国の争奪戦を紹介。②欠けた両腕の謎の代表的説を5つ紹介。リンゴを持つ、楽器を持つなどがある。出典はアンリ・ポール・エドゥー著「考古学の啓示」 ③ヴィーナス否定説。この像が「勝利の女神」であったのではないかという説。元々腕は作られていなかったのではないかという説などを解説。 ④究極の美の法則「黄金比」の解説。
参考文献は「古代ギリシャ発掘史」ロラン&フランソワ・エティンヌ著となっている。

さて、語り継がれる伝説「羽衣伝説」は次回ということで。
第11号の「河童伝説」もまだ書いてません。これらはまとめて書きます。「河童伝説」は「おしりかじり虫は河童説」とからめて書こうとして挫折してしまって、全くまとまっておりません。それが遅れている原因。この分だと次週の13号が発売しちゃうよ~。

海外の長篇小説ベスト100

新潮社「考える人」2008年5月号に「海外の長篇小説ベスト100」が載っていた。
表紙につられて買ってしまいました。




で、第1位が、
「百年の孤独」  ガルシア・マルケス

以下20位まで
第2位「失われた時を求めて」  マルセル・プルースト
第3位「カラマーゾフの兄弟」  フィードル・ドストエフスキー
第4位「ドン・キホーテ」  ミゲル・デ・セルバンテス
第5位「城」  フランツ・カフカ
第6位「罪と罰」  フョードル・ドストエフスキー
第7位「白鯨」  ハーマン・メルヴィル
第8位「アンナ・カレーニナ」  レフ・トルストイ
第9位「審判」  フランツ・カフカ
第10位「悪霊」  フィードル・ドストエフスキー
第11位「嵐が丘」  エミリー・ブロンテ
第12位「戦争と平和」  レフ・トルストイ
第13位「ロリータ」  ウラジーミル・ナブコフ
第14位「ユリシーズ」  ジェイムズ・ジョイス
第15位「赤と黒」  スタンダール
第16位「魔の山」  トーマス・マン
第17位「異邦人」  アルベール・カミュ
第18位「白痴」  フィ-ドル・ドストエフスキー
第19位「レ・ミゼラブル」  ヴィクトル・ユーゴー
第20位「ハックルベリー・フィンの冒険」  マーク・トウェイン

となっていました。
あと、100位までずらっと並んでいて、これは題名だけ見ていても楽しめます。

でもこうしてみると、
途中で挫折したもの、あらすじだけ知っているもの、映画、ドラマで見ただけのものなどが多くて結構読んでませんね。
時間があったら読み耽ってみたい、と言いつつそんな時間なかなか作れませんが……。

ちなみに爆笑問題の太田光がラジオで、14位のナブコフの「ロリータ」が面白いと言ってました。私はキュブリックの映画でしか知りませんが、どうなんでしょうか……。