昨今の

巨大なリサイクルショップ


知ってたけどさ
以前
古着を持ち込んだ時
こんなに安いんだ! ってこと

それでも
持ち帰るのが面倒だから
それで! って
置いて来たけれど

氣になって
翌日 見に行けば
僕から
300円で買い取ったシャツが
5000円で並んでたってこと

なんだか
自分の中で処理出来なくて
それからは
メルカリへと…


昨今

自転車の法律が厳しくなりつつあり

バイクも降りたし

そろそろ自転車も不要かと

手放すことに…



でもね
自転車のメルカリ販売には
莫大な送料が掛かるから

今回
仕方なくも持ち込んでみれば
そこで
そこそこの値段で
販売しているのよりも綺麗なもんで

2台まとめて
2万円くらいになるかな? なんて
期待してみれば

4000円が2つで
8000円だって!

それじゃあ
どなたかに差し上げた方がと思い
やめます! と言えば

えっ? ってな顔してさ

結局
彼らは
10倍儲けるわけだな

そんなわけで
もう2度と
買取りには持ち込まない!
って決めたのよ

環境の為にリサイクルを! って
言うけどさ

あなたの不要は
わたしも不要 ってことかな


失礼


今朝もまた

早朝から
ひとり テレビの前

さあ
いよいよこれで
スーパーボウルへの
出場チームが決まる

そんな
大事な2つの試合

もしかすると
ここが1番 面白いのかもと
毎年
かぶり付いて観ている生中継



まずは
AFCの
デンバー vs ニューイングランド

第1シードを取ったデンバーは
先週の試合のオーバータイムで
なんと
クォーターバックが足首を骨折し
ここまで来て
今シーズンを終えた

すると
今日は仕方なくも
控えのQBで戦わねばならず
さあ
この大きなハンデ
どうなるのか!

なんて
思っていたら
いきなりのタッチダウン

こりゃもしや
さほど研究されてない
控えQBの方が
勝てるのかもしれない

こりゃ
面白くなって来た!



弱い側に付く
そんな斜に構えたこの性格は
本来ならば
第2シードのニューイングランドを
応援しているはずが

そんなわけで
今朝は
デンバー側に付いている

やっぱり
NFL
ここ以上はない!

NCAA


今シーズンは
番狂せばかりのフットボール
それは
NFLだけではなく
NCAAにも及んで

なんと
万年最下位だった大学が
優勝などした

時代は
大きく変わろうとしているらしい



アメフトってね
人生に似ていて
オフェンスよりも
ディフェンスらしい…

フィリス祭りと
皆 口を揃えて言うのは
彼女がやって来る度に
お世話になったこの国の
あの日
学生だった方々が集まり

賑やかな彼女を取り巻いて
お祭りのように
日本中を渡り歩く





そう
45年前
えいっ! と飛び込んだアメリカで
ステイした家庭のママで

不安そうな僕に
気遣いしてくれた
恩人中の恩人

どうやら
僕が2人目の日本人学生で
僕の後にも
知る限り10人近くいたようで

それは
長いこと続いて
近年もまた
若い娘を受け入れており

彼女もまた
昨年の夏休みに舞い戻って
楽しんでいたようだ

そんなだから
フィリスが来る! と聞けば

もちろん! と
皆が微笑んで集まり
その旅に付き添うこととなる



記憶では
今回で4度目の日本

そして
今回は仲良しの友達たちと
3人で来るらしい

大阪へと入り USJを楽しんで
京都での観光をし
東京へと入る

その街々の近くには
必ず誰かがいるから
きっと不自由なく
日本を楽しめるのだろう

僕はfacebookのメッセンジャーで
福岡 大阪 名古屋 横浜…
なんて
連絡を急ぐと


微笑んで

フィリス祭りね! と
返事をくれる

さあ
どんな旅になるのだろうか

さて
桜は間に合うのだろうか



真夜中から
時差を無視したスマホへの連絡は続き
寝起きと共に
懐かしさの中で
当時のアルバムを引っ張り出せば

あの頃
取り巻いてくれた仲間たちが
皆 微笑んいて
ひとり胸が熱くなった

更には
あの日の家までそこにあり
あれから
3度も引越したから
この最初の家を知っているのは
僕と僕の前の娘だけかと
誇らしくも微笑んだ

さあ
アメリカがまた
近づいて来る!

まだ時間は残っていると
信じている

残りの持ち時間なんて
きっと誰も
分からずに生活しているはずで

いや
そんなことすら
思うことなくいた若さの頃は

命は永遠に続くと
誤解したまま
思うことすらなかったけれど

それでも
或る日 突然
そこにいたはずの誰かが
姿を消すと

特にそれが
同期の仲間だったりすると
呆然とし
それを背負うことにもなる



そんなことの繰り返しで
僕は勝手に
彼らの気持ちを背負って来た

わずかでも良い
僕の動きの中で
同じ場面をと手を合わせ

いるかい?
見てるかい? と
呟きながら
その場にいない彼らと
同じ風景を
僕の目を身体を通して
伝えられたならばと
勝手に思って来た

そんなことは
あるはずはないと
分かっていても
そうせざるを得ないほど
彼らの無念さを
痛みを持って感じて来た


見えなかった風景が
見えるようになったのは
もしかすると
それらは彼らの仕業で

いつも
側にいたことを
教えてくれたのかもしれない

ならばそろそろ
こちらからの問い掛けに
言葉で返して欲しいと
思ってみるが戻らないのは

まだまだ僕が
彼らの域まで達していないのかと
更に心を正してみる



いずれにせよ
見えるものは必ずそこにあるから
間違いなくこれらは現実であり
見え始めたことで
何かが変わりつつあるのは
間違いないようだ



もうすぐ65となり
いよいよ 
おまけの時間の領域となる

正しく生きて来た時間と
無駄に過ごした時間との差で
果たして
ロスタイムは
どのくらい残っているのだろうか



まだまだ

時間は残っていると

信じてみる…


昨日は
思い立っての山登り

今年 最初の山は
手術入院の前にと
簡単に登れる低山にしました

そろそろ
ロウ梅が咲いた頃かと
宝登山へ ぶらり

ロウ梅は咲き始めてましたが
人影は少なく
まだ少し早いようです





昨年をと

スマホの中の写真を振り返れば
どうやら2月にここへと来て
雪に降られたようで

まだまだ寒い季節の中
いくつかの梅は咲き始めており
春は近づいて来てると
微笑んでみました





昨年 来た時にはなかった
頂上のテラスからの眺めは絶景で
更に振り返ることばかり



そう
ここもまた
何度も訪れた場所で

学生の頃
観光屋の添乗員のバイトで
小学生の遠足に付き添い
そのシーズンには
昨年末に登った筑波山同様
多くの子供たちと微笑んだ山

ロープウェイで一気に
山頂へと登り
動物園へ行き
お弁当を食べて
歩いて下山する

そんな頃の風景を
思い出しながら
記憶の場所を辿ってみるけれども
もう
何も残ってはいないのは
45年もの歳月に
かき消された記憶なのでしょう

それもそのはずで
45年もが経てば
彼らもまたすでに
50代後半になっているはすで

なんだか
時の流れに呑み込まれたかのような
そんな時間でした








振り返ることが更に増えて
これからもまた
あの頃って場所へ
そっと舞い戻り
ひとり黄昏れながら
想いにふけるのでしょう




ここまで来れば

素通り出来ないのが

たい平さん家


いつものように

こんちは! とドアを開ければ

まいど! って

賑やかな たい平姉ちゃんと長話


ここもまた

幸せな場所となりました


ありがとう


この春に

LAのママがやって来ると知り

あの頃って頃を

また振り返るばかり…


あの頃って頃は
僕の中では 83年で

雑誌やテレビで観た
アメリカに憧れ
カレンカーペンターに憧れ
目指した70年代に間に合わず
80年代となったばかりの
西海岸の田舎町だった

そこには
毎週末 教会へと出掛ける
若い家族がいて

3歳と5歳との
ヤンチャな息子たちと
毎日 格闘していた記憶

平屋の小さな家には
大きな芝生の庭があって
そこでは

犬が走り回っていて
まさに田舎町のアメリカの景色

そこへと

えいっ! と
飛び込んだアジアの若造は
右も左も分からず
聞き取れない言葉と格闘した

そんな
45年も前の記憶を辿ると

その後 

この国で家族を持ち
仕事ばかりに追われ
家族の為にと費やした時間は
わずかな後悔の中にも
正しかったはずと肯定してもみるが

もう
戻らない時間ばかりを
時折 振り返っては
ひとり
黄昏れながら懐かしむ


まだまだ
アナログだった時代
テレビを点ければ
ちょうどMTVが始まった頃で

マイケルは踊り
マドンナは妖艶に
カーマはカメレオンだった 笑

クリスマスが近づけば
大きなツリーがリビングに現れ
その下に
あちらこちらから
プレゼントが届き積み上がる


ローカルのラジオ局からは
小声で
ヨーコが
Happy Xmas Kyokoと囁き
ジョンも
Happy Xmas Julianと囁いて

🎵 So this is Christmas
And what have you done? 🎵と
もういないジョンが歌い出し

街は家は
クリスマスシーズンへと
呑み込まれる



今と比べたら
確かに不便さはあったけれど
あの頃と今とを比べることすら
不要で

やはり
とても良い時代だったと思う

もしも戻れるならば
僕は真っ先に
1983年と答えるだろう

今回は桜の季節を選び
仲良しの友達とやって来ると
連絡が入り
いよいよかとワクワクしている



あの賑やかなママが来るのは
きっと30年ぶりかと
記憶を辿れば

多分これが4度目で
1度目は40年前
京王プラザホテルの部屋で
お世話になった僕ら数名が
日本中から集まって
ワイワイした記憶

2度目は37年前
僕の結婚式に合わせて来てくれて
僕のすぐ前にステイした
九州の女性と
ぶらり観光した記憶

3度目は33年前
幼い3男を連れ
お姉さんと来て
生まれたばかりの僕の長女と
トレードしてくれ! なんて
笑ってた記憶

そう
ママはとても
女の子が欲しかったけれど
その後も皆 男の子となり
結局 5人の男兄弟となった

でもそれが今
その5人が
5人の娘を連れて来て
また
3人の孫娘と
6人の孫息子が出来て
大家族となり
とても嬉しそう



最後に会ったのは
20年前
大きな家へ引っ越したと聞き
家族で押し掛けた

僕はそれから
ネットでの会話ばかりだけれど

10年前
娘たち2人は
我が家にステイした
3人のアメリカ娘宅を
東から西へと周りながら
初めてのママ宅へも
出掛けて来た

そこで
とても賑やかな家族に歓迎され
楽しい旅だったと微笑んだ

さて今回は
久々の日本
大阪からスタートするらしく

僕はどこから
合流しようかと
楽しみにしてみる



あの頃
国際交流は
1週間も掛かる手紙だけで
あまりにも遠かったけれども
今は
手の中のスマホで
いつでもすぐにテレビ電話が出来る

それでも
リアルな距離だけは変わらず
再会した瞬間
大粒の涙で溢れるのだろう

なんせ
45年前
未来に不安視して
どうにもこうにもならず
えいっ! と
飛び込んだ
逃げ込んだ僕を
救ってくれた恩人だから…

あの日がなければ
確実に今はない

ありがとう
とても楽しみに待ってます

本日は

来月の手術への事前検査となり
全身麻酔の為
多くの検査が必要らしく

朝から順を追えば
7項目も…

それって
年齢も関係するのかと
苦笑いしながら
言われるままに
次から次へと
検査室を渡り歩き

今朝は食事を抜いてとのことで
お腹が空いて来たけれど
我慢我慢!




それでも
その大きな医療センターは
混雑しているわりに
こうした予約があると
スムーズに受けられて

思っていたよりも
早く終わった

さて
それよりも
来月早々
カミさんを連れて
その結果と
入院の手続きに伺わねばならない

すでに
その予約もあり
また
入院日も
手術日も
決めてあるから
もう
まな板の鯉状態

エコーの検査をしてくれた
その担当の女性に訊けば
ウチの旦那も
先月 
これと同じ手術をしたばかりと…

ならば
その後
治りはどうですか? と問えば

1ヶ月間は
そこそこ安静にして
自転車も禁止だそうで

ならば
今年 
スキーの道具を新調したのですが
と問えば

あらま!
それは
今シーズンはもう難しいわね
だって…

なるほど
わかっちゃいたけど
やっぱりダメかと

これまた
この寒さの中
スキー場は
きっと粉雪が積もり
最高のコンディションなはずなのに

なんて
思えば
そうか!
手術前に行けば良いんだ! と

帰宅後
ちょいと呟くと
カミさんは
それは無理でしょ! と
止めに入る

だよね! と
同意してみるけれど

さてね…


それよりも
昨年末の健康診断で
引っ掛かったのは
僕だけではなく

カミさん
初めて大腸ポリープ検査となり
休み明けの月曜日に
予約して来たらしい

ついでに
胃カメラもとお願いしたらしく
それは
また別日にとのことで
ちょいと
氣持ちが落ちてるようだ

いずれにせよ
還暦をも越すと
そろそろ
あちこちにガタが出て
丁寧にメンテナンスせねば
ならないらしい

健康こそ! と

言い切ってみる



先週の燃えないゴミの日に

物置の家族中のスキーの道具を

すべて出すと


ブーツは全部 回収してくれて

子供たちの板も回収したけれど

僕のとカミさんのとが

これは長いのでダメですと

置き去りとなり


ならばと

今朝 丸ノコでカットして

出してみたら

回収してくれた


これで

なんとなく身軽になったのに

今シーズンは

いかに…


時折
卒業出来ない夢で
うなされる

今朝もまた
そんな夢の中

今日は
授業をふけて寄席にいる



すると
談志師匠に楽屋へと呼び出され
オレの弟子にならないか? と
誘われる

もちろん
嬉しいはずが
ちょいと悩んでいると
抱き寄せられ
その温もりに負けて… って場面で

師匠の娘からも呼ばれて
伺うと
あたし 結婚したのよと
告げられる

そこには
あなたを待ってたのに
待たせたままだったから…
なんて言葉ではない
心が伝わって来た

目の前には
可愛い男の子の赤ちゃんと
イカした旦那さま

子供の名前を尋ねると
二六だと言う

えっ?
にじゅうろく? と問えば

なぜか
ニフと…

起きてから
26はニフではないことに
気付き あれっ? って…

そうでしたか
それは良かった
お幸せに と
慌てて授業へと戻り

そ〜っと
ドアを開け
1番後ろの席に座ると
教授に
卒業が掛かってたはずでは?
…って言われ

ヤバイ! って場面で
目が覚めた

あぁ
またしても卒業が掛かった
この夢か!

確かにあの頃
単位不足で
何度も教授のところへ
お願いに伺った

課題を仲間たちに手伝って貰い
多くのレポートを出し
裏で用意した
オールドパーとジョニ黒は
流石に持参しなかったけれど

やっと卒業が決まり
それらを仲間たちと
飲み干したっけ…

しかしね
最近
具体的な名前や数字の夢をみる

それって
何か関係するのだろうか?

分からない



社会へと出て分かったことは

この国は

まだまだ学歴社会


若い内に

沢山勉強して

良い大学を出ないと

その先の出世で躓くということ


昨今

わずかにそれが崩れ出したとはいえ

それでも採用側は

そこから見るようだ


失礼


恋 という字は
変 という字に似ている! と

あの頃
賑やかな女友達と
バカ騒ぎしていた呑み会

そんな
40年も前を
時折 振り返っては
ひとりニヤニヤと微笑んでみる


やっぱりさ
恋は 変なのかもしれないね!
なんて
いつか 酔って話しながら
恋の駆け引きは
確かにそこにあったようだ

恋 変


そんなことを
なぜか今頃 思い出し
検索してみれば

なるほど
そういうことかと笑ってみるが

そんな話題を
真正面から受けて
意気投合し
笑っていた彼女は
今 地球の裏側で
あの頃のように微笑んでいる

彼女は
料理屋の娘で
ちょいと ポッチャリしていて

あたし
結婚 諦めた! と笑って
青年海外協力隊へと参加し
南米へと出掛けて行った

そこで2年ほど過ごし
帰国すると
また南米へと出掛け

次に帰国した時には
ボリビア人の旦那さまを
連れて来た

その後
子供も出来て
日本で暮らしていたけれど

10年ほど前
旦那の国 ボリビアへと家族で戻り
ポッチャリ体型も相まって
もうすっかり ボリビア人

時折 
こちらへ戻っては
あの頃のように
僕らと呑んで笑っている姿は

相変わらず
おおらかで
心優しい女性

もしかすると
あの頃
1つ 言葉を掛け間違えたならば
僕のカミさんだったかも? 
なんて
ふと思うこともあるが

まだまだ
見掛けから入っていた
バカな若さでは
やっぱり
それは難しかったかな?

なんて失礼を思いながらも
今ならばきっと
心に重荷を置くからと
あの頃を振り返り
正してみるが戻らない


こうして
過去を振り返ることが増えて
あの時
あの場面で! と

選んで来た分かれ道を
右だったか
左だったかと

戻れるはずのない現実の中で
時には 笑い
時には 泣き

それでも
恋は 変だと
微笑んでみる