まだ時間は残っていると
信じている

残りの持ち時間なんて
きっと誰も
分からずに生活しているはずで

いや
そんなことすら
思うことなくいた若さの頃は

命は永遠に続くと
誤解したまま
思うことすらなかったけれど

それでも
或る日 突然
そこにいたはずの誰かが
姿を消すと

特にそれが
同期の仲間だったりすると
呆然とし
それを背負うことにもなる



そんなことの繰り返しで
僕は勝手に
彼らの気持ちを背負って来た

わずかでも良い
僕の動きの中で
同じ場面をと手を合わせ

いるかい?
見てるかい? と
呟きながら
その場にいない彼らと
同じ風景を
僕の目を身体を通して
伝えられたならばと
勝手に思って来た

そんなことは
あるはずはないと
分かっていても
そうせざるを得ないほど
彼らの無念さを
痛みを持って感じて来た


見えなかった風景が
見えるようになったのは
もしかすると
それらは彼らの仕業で

いつも
側にいたことを
教えてくれたのかもしれない

ならばそろそろ
こちらからの問い掛けに
言葉で返して欲しいと
思ってみるが戻らないのは

まだまだ僕が
彼らの域まで達していないのかと
更に心を正してみる



いずれにせよ
見えるものは必ずそこにあるから
間違いなくこれらは現実であり
見え始めたことで
何かが変わりつつあるのは
間違いないようだ



もうすぐ65となり
いよいよ 
おまけの時間の領域となる

正しく生きて来た時間と
無駄に過ごした時間との差で
果たして
ロスタイムは
どのくらい残っているのだろうか



まだまだ

時間は残っていると

信じてみる…