銀河ジャンボ
― 宇宙国家ニッポンの体裁よき税 ―
1枚 300円
まえがき
西暦2387年。人類が銀河の果てまで版図を広げても、変わらないものがあります。
それは「一攫千金の夢」と「役所の集金システム」です。
かつて島国だった日本は「宇宙国家ニッポン」へと姿を変え、空には巨大な広告衛星が浮かんでいます。本作は、300円の紙切れ一枚に宇宙の支配権を託す人々と、それを静かに、そして冷徹に管理する国家の姿を描いた短編連作です。
期待値、確率論、そしてほんの少しの絶望。
それらをごちゃ混ぜにして300円で割ったとき、残るのは「愚かさ」でしょうか、それとも「希望」でしょうか。
宇宙一「体裁のよい税金」を巡る、おかしな物語をどうぞお楽しみください。
第 一 章
バレンタイン銀河ジャンボ、発売
西暦2387年、2月14日。
宇宙国家ニッポンの首都、旧東京——現在の正式名称は「トーキョー・オービタル特別行政区」——の地上47階にある、くすんだネオンの宝くじ売り場に、田中夢男は今日も立っていた。
「いらっしゃいませェ〜。本日よりバレンタイン銀河ジャンボ、発売開始でございますゥ〜」
売り場のオバチャン——正確には人型確率演算ロボット・モデルKUJI-7型、愛称「くじオバチャン」——が、口角を正確に37度引き上げた笑顔で言った。その笑顔は、田中が物心ついた58年前から一ミリも変わっていない。いや、変わるはずがない。彼女はロボットなのだから。
「また増えたのか」
田中は売り場のガラスに貼られたポスターを眺めながら、ため息をついた。
バレンタイン銀河ジャンボ
1等賞金:惑星1個(推定資産価値:京円)
2等賞金:月1個(居住権付き)
3等賞金:小惑星帯採掘権(10年間)
4等:100万円 5等:10万円
下4桁一致:5万円
1枚:300円
「惑星、か」
田中はポスターの「1等」の文字を指でなぞった。宇宙国家ニッポン政府が太陽系外縁部に確保している「賞品惑星」は現在14個あるという。しかし、それを実際に受け取った人間を、田中は一度も見たことがない。
「当選者のお姿は、プライバシー保護のため非公開となっておりますゥ〜」
くじオバチャンが、まるで田中の考えを読んだかのように言った。
「……毎回そう言うな」
田中はコートのポケットに手を突っ込んだ。思えば長い付き合いだ。最初に宝くじを買ったのは28歳のとき。会社の先輩に「年末ジャンボ、話のタネに1枚どうだ」と言われたのがきっかけだった。あの頃はまだ年末ジャンボとサマージャンボの2種類しかなかった。
それがいつの間にか増えた。
ドリーム銀河ジャンボ(3月)。スプリング銀河ジャンボ(5月)。サマー銀河ジャンボ(7月)。ハロウィン銀河ジャンボ(10月)。年末銀河ジャンボ(12月)。そして今年から——バレンタイン銀河ジャンボ(2月)。年6回。ほぼ隔月。
さらに売り場には「その間」を埋めるように、ミニ銀河くじ、スクラッチ宇宙くじ、毎日くじが所狭しと並んでいた。365日、何かが売られている。
「要するに」と田中は小声で呟いた。「国ぐるみの博打だ」
「ありがとうございますゥ〜」
くじオバチャンが深々と頭を下げた。聞こえていたのかいないのか、その笑顔は変わらない。
田中は財布を取り出した。中には300円玉が1枚入っていた。毎回そうだ。彼は宝くじを買うとき、必ず300円だけを財布に入れてくる。それ以上持ってくると、つい10枚、20枚と買ってしまうからだ。
「1枚ください」
「毎度ありがとうございますゥ〜。本日はバレンタインということでハート型の封筒にお入れしましょうかァ〜?」
「いらない」
「かしこまりましたァ〜」
田中はそれをポケットに滑り込ませた。300円。それが今日の「夢の値段」だった。
売り場を出ると、トーキョー・オービタル特別行政区の空には、今日も巨大な宝くじ広告衛星が輝いていた。直径3キロメートルのその衛星は、24時間365日、宇宙国家ニッポンの空に浮かび、こう表示し続けている。
夢を買おう。300円で。
田中は空を見上げ、ため息をついた。あの衛星を打ち上げる費用は、一体いくらかかったのだろう。そしてその費用は、一体誰が払ったのだろう。
答えは分かっている。俺たちだ。300円ずつ、夢を買い続けた、俺たちの300円が、あの衛星を空に浮かべている。
「体裁の良い税、か」
田中は呟き、コートの襟を立てた。2月の宇宙都市の風は、相変わらず冷たかった。ポケットの中で、1枚の宝くじが、抽選日まで、わずかな時間だけ——夢を売っていた。
抽選日まで:あと28日
第 二 章
下4桁の哲学
田中夢男、58歳。
職業:元・宇宙国家ニッポン財務省・宝くじ課勤務。現在は定年退職し、年金と宇宙農業の副業で細々と暮らしている。趣味:宝くじ。特技:下4桁を当てること。いや、正確には「当てたことがある」という過去形だ。
田中が生涯で宝くじに使った金額を、彼は克明に記録していた。28歳から現在の58歳まで、30年間。毎回のジャンボ宝くじを1枚ずつ、年6回。さらに節目節目にスクラッチくじを数枚。
ジャンボ宝くじ:300円 × 6回 × 30年 = 54,000円
スクラッチくじ(平均):500円 × 年12回 × 30年 = 180,000円
毎日くじ(一時期):200円 × 365日 × 3年 = 219,000円
その他(衝動買い等):推定 100,000円
合計投資額:553,000円(約55万円)
そして、55万円の投資に対する総回収額はというと——
下4桁当選(5万円):2回 = 100,000円
5等(10,000円):3回 = 30,000円
スクラッチ小当たり:推定 50,000円
合計回収額:180,000円
差し引き、マイナス37万3千円。
田中はこの数字を、自宅のホログラム手帳に記録していた。毎年末、この数字を見るたびに「来年こそはやめよう」と思う。そして翌年の2月には、またバレンタイン銀河ジャンボを1枚買っている。
さて、問題は「下4桁」である。
銀河ジャンボ宝くじの券番号は8桁だ。その下4桁が一致すると5万円が当たる。一見、お得に見える。しかし田中は元・財務省の人間だ。計算ができる。
下4桁の組み合わせは0000から9999まで、ちょうど1万通り。つまり1枚の確率は1万分の1。
では、確実に1回当てるためには何枚買えばいいか。1万枚。
1万枚 × 300円 = 300万円。当選金額は5万円。
「つまり」と田中は自分の手帳に書き込んだ。「300万円の投資で、確実に戻るのは5万円だけだ」
残りの295万円は、国へと吸い込まれる。これを「体裁の良い税」と呼ばずして何と呼ぼう。
田中は昔、財務省の宝くじ課で働いていた。だから知っている。宝くじの収益がどこへ行くかを。公共事業。福祉。宇宙開発。そして——広告衛星の維持費。
「くそ」と田中は呟いた。「俺が若い頃に買った300円が、あの衛星を飛ばしてるわけか」
その衛星が今日も空に光っている。「夢を買おう。300円で。」
田中は空を見上げ、また300円をポケットに入れた。
抽選日まで:あと27日
第 三 章
売る側の論理
くじオバチャン——正式名称・確率演算型接客ロボット KUJI-7型 通称「ミドリ」——は、今日も売り場に立っていた。
彼女の頭の中には、常時、膨大な確率計算が走っている。1秒間に1兆回の演算。その全てが「いかに効率よく券を売るか」に費やされている。
ある日、田中が聞いた。
「ミドリさん、あなたは宝くじを買わないんですか?」
「私めには購入権限がございませんゥ〜」
「権限がない? 法律で禁止されてるんですか?」
「いいえ、私め自身の判断でございますゥ〜。確率演算の結果、購入することは非合理的と判断しております」
「……つまり、売るだけで買わないと」
「左様でございますゥ〜。お客様、本日は10枚セットがお買い得でございますゥ〜」
田中は深いため息をついた。
売る側は絶対に買わない。これが博打の鉄則だ。カジノのディーラーがルーレットに賭けないように。競馬の胴元が馬券を買わないように。宝くじ売り場のロボットは、宝くじを買わない。
その日の夜、田中は近所の居酒屋「宇宙の星」で、同じく常連の佐藤と飲んでいた。
「田中さん、今日も買ったんですか、宝くじ」
「1枚だけな。夢を買ったんだ」
「夢ねえ」佐藤は焼酎を一口飲んだ。「周りで当たった人、見たことあります?」
田中は少し考えた。30年間、宝くじを買い続けてきた。職場の同僚、近所の人、飲み仲間。誰か1人でも当たったという話を聞いたことがあるだろうか。
「……ない」
「でしょう」
「でも、どこかには当たった人がいるはずだ。じゃなければ詐欺じゃないか」
「本当に?」
田中は黙り込んだ。宝くじ課で30年働いた。しかし、1等当選者を直接確認したことは一度もない。プライバシー保護。非公開。匿名当選。
「……まあ、いるんだろうよ、どこかに」
「そんな確率なんですよ」と佐藤は言い、焼酎をもう一杯注文した。「でも田中さん、来年も買うんでしょ?」
「……当たり前だろ」
二人は笑い、乾杯した。宇宙都市の夜空に、広告衛星が光っていた。
抽選日まで:あと21日
第 四 章
MGT三人組、攻略計画を立てる
火星工科大学(MGT:Mars Grotech Technology)。
太陽系最高峰の理工系大学として知られるこの学府に、ある年、3人の天才が入学した。
名前
専攻
特徴
ケンジ・ホシ
量子確率論
宝くじの番号生成アルゴリズムを3時間で解析できる
アヤ・ツキ
宇宙行動経済学
なぜ人間が非合理な賭けをするかを研究
ダイ・ソラ
銀河統計学
過去500年分の宝くじデータを暗記している
3人は寮の食堂で、いつものように議論していた。
「銀河ジャンボの番号生成は、量子乱数発生器を使ってる」とケンジが言った。「でも、そのシードに規則性がある」
「規則性?」とアヤが眉を上げた。
「完全にランダムな乱数は、宇宙に存在しない。必ずどこかにパターンがある。俺はそれを見つけた」
ダイがホログラムに500年分のデータを展開した。数十億行に及ぶ当選番号の羅列。
「確かに」とダイが呟いた。「2進数で見ると、特定の周期で偏りが出てる」
「つまり」とアヤが言った。「次の当選番号を、ある程度予測できると?」
「理論上は、73.6%の精度で」
沈黙が流れた。
「やろう」とアヤが言った。「1等は惑星だ。固定資産税は後で考えよう」
3人は握手した。MGT銀河ジャンボ攻略プロジェクト、始動。
しかし誰も気づいていなかった。アヤが専門とする「なぜ人間は非合理な賭けをするか」の答えが、まさに自分たち自身に当てはまることを。
抽選日まで:あと18日
第 五 章
惑星を当てた男の噂
宇宙国家ニッポンには、ある都市伝説があった。
「山田太郎」——という男が、30年前に銀河ジャンボの1等を当て、惑星を1個手に入れたというのだ。
田中はこの噂を、かつて財務省宝くじ課で聞いたことがある。しかし誰も詳細を知らない。プライバシー保護で全て非公開。当時の担当者も既に退職か他界している。
ある日、田中は居酒屋で不思議な老人に出会った。
「あんた、宝くじを買ってるね」と老人は言った。「匂いでわかる。宝くじを30年以上買い続けた人間の目をしている」
「……誰ですか、あなたは」
「山田太郎」
田中は酒を吹き出した。
「嘘だ」
「本当だよ。惑星を当てた。でもね」と老人——山田は苦笑いした。「困ってるんだよ、それが」
「困る? 惑星ですよ? 固定資産税がどうとか——」
「それだよ」と山田は言った。「惑星の固定資産税、知ってるか? 地球換算で毎年1億円だ。おまけに惑星管理費、大気維持費、軌道修正費……合わせると年間3億円以上かかる」
「……惑星を当てたのに、破産しそうと」
「今は惑星を政府に貸し出して、その賃料で何とか維持してる。でもな、政府が払う賃料は年2000万円だ。差し引き毎年1億円の赤字だ」
田中は絶句した。
1等当選者は実在した。しかし彼は、惑星という呪われた当選品を抱えて、静かに破産しかけていた。
「……それで、なぜ売り場の前に来たんですか?」
山田は恥ずかしそうに言った。
「2等の月なら、管理費が安いかと思って……もう1枚買おうかと」
抽選日まで:あと15日
第 六 章
半丁博打と確率5割の誘惑
田中には昔、博打好きの友人・木村がいた。
木村は宝くじを絶対に買わない男だった。その理由を彼はいつもこう言っていた。
「田中よ、宝くじの期待値を計算してみろ。1枚300円で、期待値は120円程度だ。つまり買った瞬間に60%の損失が確定する。それより半丁博打のサイコロの方が、確率は5割だ」
「でも結局チャラじゃないか」と田中は言った。
「チャラは素晴らしい。宝くじは最初からマイナスが確定している。全然違う」
理屈はわかる。田中にも計算はできる。
しかし木村は今、どうしているか。
半丁博打で「チャラ」のはずが、なぜか毎回負けて帰ってくる。「勝った時にやめられない」のだ。勝てば続け、負ければ取り返そうとして続ける。結果、常に最後は負ける。
「確率5割の博打で、なぜ毎回負けるんだ」と田中は聞いた。
「運にも波があるんだよ」と木村は言った。「波が来てる時は続けるべきだし、逆風の時は……やめられないんだよ」
馬も、船も、バイクも、自転車も。当たりはたったの1つ。そして胴元は必ず儲かる仕組みになっている。
田中は考えた。宝くじと半丁博打、どちらがマシか。
宝くじは:買っただけしか負けない。追いかけない。追加で負けない。
半丁博打は:理論上チャラでも、「もう1回」が人間の本能だ。
「やはり」と田中は結論した。「博打はやらない方が良い」
そう言いながら、彼はポケットの宝くじをそっと握りしめた。これは博打ではない。夢のサブスクリプションだ。300円で28日間、惑星オーナーの夢を見られる。それだけだ。
抽選日まで:あと12日
第 七 章
カジノ星、大阪2.0
ニュースが流れた。
【速報】宇宙国家ニッポン・近畿宇宙圏政府、木星第4衛星「大阪2.0」にカジノ建設を正式発表。総事業費:3兆円。財源は「銀河ジャンボ収益の一部」と説明。
田中は朝のホログラムニュースを見て、口から朝食のご飯粒を飛ばした。
「何を考えてるんだ」
近畿宇宙圏知事・カスミ・ホシノが画面に映った。彼女は60代にして依然として派手な衣装を好む政治家で、その発言はいつも物議を醸す。
「カジノは観光業の目玉です! 宇宙国家ニッポンの経済を牽引する一大プロジェクトです! 反対する方は時代遅れです!」
田中はテレビを消した。
宝くじで集めた金で、カジノを建てる。博打の収益で、博打場を作る。これは一体、何の冗談だろうか。
そもそも、今この時期に優先順位がある。トーキョー・オービタル特別行政区の老朽化したインフラ。増え続ける宇宙難民。縮小する社会保障。
田中は元・財務省の人間として、計算した。3兆円あれば——老朽化した宇宙ステーション区画の全面改修(1兆円)。宇宙難民支援施設の整備(5000億円)。医療宇宙ステーションの増設(1兆円)。それでもまだ5000億円余る。
それを、カジノに使う。
「バカな政治家め」と田中は呟いた。
しかし翌朝、田中はまた宝くじ売り場の前に立っていた。このジレンマに、答えは出ない。国の博打に怒りながら、自分も国の博打を買い続ける。
「いらっしゃいませェ〜。カジノ建設記念・特別スペシャルジャンボ、本日より発売でございますゥ〜」
田中は深呼吸をした。
「……1枚ください」
抽選日まで:あと10日
第 八 章
MGT、ベルガス星へ飛ぶ
MGT三人組の計画は完成した。
ケンジが解析した量子乱数の偏りパターン。ダイが500年のデータから抽出したサイクル則。アヤが構築した「最適購入枚数モデル」。それらを統合した結果——
「次のバレンタイン銀河ジャンボの1等番号は、73.6%の確率でこの範囲内にある」とケンジが言った。
問題は資金だ。その範囲の券を全て買うには、300万円が必要だった。
3人は宇宙国家ニッポン銀河系最大のカジノ遊戯場——ベルガス星カジノ——で資金を調達することにした。ベルガス星は法的にニッポン管轄外なので、カジノが合法だ。
バカラで倍にする。それだけだ。ケンジは量子乱数論を応用したカード読み取りアルゴリズムを開発していた。精度89%。理論上、負けるはずがない。
ベルガス星カジノ。
惑星を丸ごとカジノに改造したこの星は、銀河系最大の賭博場として知られる。毎日10万人の来場者。毎時10億円が動く。
3人は150万円を持ち込み、バカラテーブルに向かった。
最初の3時間——順調だった。150万が180万になった。次の1時間——210万になった。
「計算通りだ」とケンジが囁いた。「このまま続けよう」
しかしその夜、カジノ側は静かに動いていた。AIディーラーが3人のベット履歴を分析し、異常なパターンを検出。密かにデッキのシャッフルアルゴリズムを変更した。
「逆を突かれた」とアヤが言った時、残金は12万円だった。
3人は真夜中のベルガス星カジノのロビーで、ソファに座り込んだ。
「完全なる攻略法は存在しない」とダイが静かに言った。
「量子乱数も、AIには読まれる」とケンジが言った。
「あちらはそれで食ってる。こちらに勝ち目はない」とアヤが言い——そしてポケットから300円を取り出した。「帰りに宝くじ、1枚買いましょうか」
3人は顔を見合わせ、苦笑した。夢を買うだけなら、300円で十分だ。
抽選日まで:あと7日
第 九 章
夢の値段、300円
田中は抽選日まで残り7日となったある夜、ひとり自室でホログラム手帳を眺めていた。
30年間の宝くじ購入記録。マイナス37万3千円。
しかし田中は最近、この数字の見方が変わってきた。
37万3千円で、何が買えたか。宇宙旅行の格安ツアーが1回、約30万円。つまり宇宙旅行1回分を、30年かけて夢に使ってきた計算だ。
いや、違う。
宝くじは麻雀と違う。カジノと違う。半丁博打と違う。買っただけしか負けない。追いかけない。追加で負けない。
300円払って、28日間、惑星オーナーの夢を見る。抽選日が来て、外れる。またポケットに300円を入れて、売り場に行く。
この繰り返しが、30年間続いた。
「夢のサブスクリプション」と田中は呟いた。「月額300円、惑星オーナー気分コース」
実は悪くないかもしれない。動画配信サービスに毎月1500円払うより、ずっと安い。
田中は立ち上がり、窓の外を見た。宇宙都市の夜景。遠くに広告衛星が光っている。「夢を買おう。300円で。」
「……わかってる」と田中は言った。「当たるはずはない。そんな確率だ。でも」
ポケットの宝くじをそっと取り出した。番号を見る。これが惑星の番号になる確率は、宇宙の塵が1粒、特定の原子に当たるより低い。
それでも——抽選日まで、この券は夢を売っている。
田中はそっと券をポケットに戻し、眠りについた。夢の中で、彼は惑星のオーナーだった。
抽選日まで:あと7日
第 十 章
1等当選者、現る?
抽選日3日前。
ニュースが流れた。
【速報】バレンタイン銀河ジャンボ・事前当選疑惑。「1等当選者が存在しない可能性」をMGT研究チームが発表。政府、調査委員会を設置。
MGT三人組だった。ベルガス星で大敗した後、やけになったダイが、500年分の1等当選データを詳細に分析した。
結果——統計的に、当選者が存在するには当選番号の分布が不自然すぎるという論文を発表したのだ。
宇宙国家ニッポン政府は即座に否定した。
「当選者は確かに存在します。プライバシー保護のため非公開なだけです」
しかし同じ日、田中は例の老人——山田太郎——と再び居酒屋で出会った。
「あの論文を見たか?」と山田は言った。「俺のことだ。俺は確かに当選した。でも政府は俺の存在を、対外的に認めたくない」
「なぜですか?」
「1等当選者が公開されると、みんな気づくんだよ。惑星を当てても不幸になるって。そうしたら誰も宝くじを買わなくなる」
田中は焼酎を一口飲んだ。
「……つまり、1等当選者は実在するが、喜んでいないから非公開にしていると?」
「そういうことだ。俺は今、惑星の固定資産税を払うために、毎年宝くじを買い続けている」
二人は沈黙した。
1等当選者が、1等当選のツケを払うために宝くじを買い続けている。これ以上の滑稽な話が、宇宙のどこかにあるだろうか。
「今日も1枚、買いましたか?」と田中は聞いた。
「ああ」と山田は言い、ポケットから2枚の宝くじを取り出した。「2等の月なら、管理費が安いから」
抽選日まで:あと3日
第 十 一 章
国ぐるみの博打、宇宙へ
銀河連邦本部から、宇宙国家ニッポンに正式な勧告書が届いた。
銀河連邦・公正取引委員会 宇宙国家ニッポン政府 御中 表題:宇宙規模の搾取的宝くじ事業に関する勧告 貴国の宝くじ事業は、1等賞品として惑星を提示しながら、当選後の維持費が当選者を経済的困窮に追いやる構造的欠陥を有している。これは宇宙規模の消費者詐欺に該当する可能性がある。改善勧告を発する。
財務省・宝くじ課は緊急会議を開いた。しかし会議の結論は予想通りだった。
「賞品を見直しましょう」と若い担当者が提案した。「惑星の代わりに、現金1000億円にすれば——」
「それでは夢がない」と大臣が言った。「惑星だから買う人がいる。現金1000億円では夢が小さい」
「では2等の月についても——」
「月は人気だ。変えない」
会議は3時間続き、結論は「勧告を丁重にお断りする」だった。
田中はそのニュースを聞きながら、ため息をついた。彼は財務省の宝くじ課に30年いた。あの会議の空気が、手に取るようにわかる。
宝くじは国の収入の柱だ。年間収益は数十兆円。それを手放す気など、政府には微塵もない。
国民から少しずつ、夢という名目で、税を取り続ける。体裁の良い税。
「わかってるんだよ」と田中は呟いた。「わかってて、買うんだよ」
広告衛星が今日も光っていた。
抽選日まで:あと1日
第 十 二 章
それでも、また買う
抽選日。
田中は自宅のホログラムテレビの前に座っていた。手には1枚の宝くじ。
バレンタイン銀河ジャンボ、抽選の様子が中継される。くじオバチャン(KUJI-7型)が司会を務めている。
「それではァ〜、バレンタイン銀河ジャンボの当選番号の発表でございますゥ〜!」
1等番号が発表された。田中は自分の券を見た。
違う。
2等。違う。3等。違う。4等。違う。5等。違う。下4桁——
「……違う」
田中は券をそっとテーブルに置いた。30年と1回目の外れ。
MGT三人組も、今頃ホログラムで番号を確認しているだろう。ベルガス星で資金を溶かし、それでも3枚買っていた3人組も、外れているだろう。山田太郎も、月を狙って買った2枚も、外れているだろう。
田中は立ち上がり、コートを羽織った。
売り場まで歩く。300円玉を1枚、財布に入れて。
次のジャンボはドリーム銀河ジャンボだ。3月発売。
「いらっしゃいませェ〜。ドリーム銀河ジャンボ、来月発売予定でございますゥ〜。本日はお早めのご予約を——」
「……1枚、予約します」
「毎度ありがとうございますゥ〜!」
田中はポケットに手を入れた。空になったポケット。外れた券は、もうない。
でも来月、また夢が1枚、300円でやってくる。
当たるはずはないことを、知っていながら。
周りで当たった人を、見たことがないことを、知りながら。
——また、その夢を買う。
次の抽選日まで:あと33日
エ ピ ロ ー グ
300円の宇宙
結局のところ、宇宙とは博打だ。
138億年前、宇宙が誕生した瞬間も、誰かの大博打だったのかもしれない。その確率は、銀河ジャンボの1等よりも低かっただろう。
しかし宇宙は生まれた。地球も生まれた。人間も生まれた。そして人間は、その低確率の奇跡の上に立ちながら、さらに低確率の夢を300円で買い続けている。
田中夢男は今日も売り場の前に立っている。くじオバチャンは今日も笑顔で券を売っている。MGT三人組は懲りずに次の攻略法を考えている。山田太郎は惑星の固定資産税に頭を抱えながら、月を狙っている。政治家たちはカジノ建設に夢を見ている。
そして広告衛星は今日も、宇宙国家ニッポンの空に輝いている。
夢を買おう。300円で。
——それが、宇宙で一番小さくて、
一番確率の低い、
一番やめられない
体裁の良い税 である。
― 完 ―
あとがき
宝くじの収益金が公共事業に使われることを「愚者の税金」と呼ぶ言葉がありますが、もしもその賞品が「惑星」だったら? という空想からこの物語は始まりました。
天文学的な低確率に挑むとき、人は理性を失います。しかし、その理性を失っている28日間こそが、300円で買える一番の価値なのかもしれません。
たとえ、その300円が空に浮かぶ邪魔な広告衛星の電気代に消えていたとしても。
現実の世界でも、たまには「夢」という名の納税を楽しんでみるのも悪くない……かもしれませんね。ただし、惑星が当たった際は、固定資産税のご確認をお忘れなく。















