先日
2つ作ったテーブルの
1つを屋外で
メダカたちの台に使おうかと思い

ならば
塗装せねばと
朝からホームセンターへ急ぎ足



あれこれある
多くの塗料の中から
水性ペイントを選び
ハケをも選び
早速
塗り始めると
これがなかなか難しい




丁寧にやってもムラになるし
ゆっくりやってもムラになる

ならば
さほど丁寧に塗る必要もないと
サラサラと塗り終えれば
やっぱり ムラだらけ

それでも
メダカたちの台だから
わずかに防水効果があれば
それで良し




すでに朽ちて穴が空いた
30年も使った台は
騙し騙し使って来たけれど
そろそろ危うくなって来て
ちょうど変えるタイミングとなった

さてすれば
このままの無塗装で良いかと
そう思っていた
もう1つのテーブルも

ちょいと慣れた感もあり
明日にでも
塗ってみようかなんて…

それよりも
まだまだ余っている
膨大な量の木材

あと何を作ろうかと
思いながら…

一昨年の節分の
豆まきの時に
初めて姿を見せた玉響たち

調べれば
オーブとも言うそうで

不思議かな
怖さは一切なく
それよりも
味方のような
そんな存在

その日から
丸2年となり
1日も欠かすことなく
彼らの存在を肯定し
付き合って来た

相変わらず
必ずその姿は見えて
その都度
声を掛けて来たけれど

今まだ
戻る言葉はなく

何ひとつ
本当のことは分からない

分かったことは
彼らはどこにでもいて
自宅はもちろん
山でも
旅先でも

なんと
高速で飛ぶ飛行機の中にも
その姿を見せる

ってことは
もしかすると
常に僕に付いて周っているのかも?
なんて思ってみるが
それも分からない



今夜もまた
齢の数だけ
豆を食べて

外へと向かい
鬼は外 福は内 とやれば
一昨年の晩のように
彼らはその姿を見せ

いるよ! っとでも
告げるかのよう




いつか
本当が分かることがあれば
もしや
その時は
僕も彼らの姿となる日なのかもと
思ってみるが
これもまた
分からない

いつの間にか
自分よりも大切なものが増えた

それはやはり
家族たちで

親たちはもちろん
カミさんに
子供たちに

更には
孫たちも…

それは決して大袈裟ではなく
彼らに何事かがあれば
この身を差し出し
守る決断は出来ている

すでに
次へと繋ぐ
僕の生きた役目は終えた感

後は
運に支配された持ち時間の中で
どれだけ微笑めたかだけなのだろう



それは
孫というものが出来て
また
還暦なる齢を越して

すでに
オマケみたいな時間に突入し

ひと息ついて
周囲を見渡せは
もうこんなにいないのかと
失った仲間たちを
熱く思い出す

誰もが
年寄りになれるわけではなく
願っても届かない
運というひと言で
片付けられる人生



確かに
運が良かったのかと
危なかったいくつかの場面を
切り抜けられた瞬間を
振り返って身震いする

ひとつ間違っていたならば
もう何度
この世を去っていたことかと…

それだから
生かされてる感はあって
一昨年の節分に
突然 現れ始めた
見えなかった者たち

きっと彼らは
ずーっと側にいて
守ってくれてたのか
監視していたのかと

これまた
勝手に解釈などして
感謝する

時間は進むばかり
もがき逆らってみるが
何も変わらない



つい
いつまで? って
後ろ向きな言葉を吐いてしまう
自分を正してみるが
何も変わらない

そう
何も変わらないのだ

そうだ
もしかすると
彼らは
どなたかが吐いた
言霊が浮遊しているのかもしれない

ならば
前向きな言葉をと
更に
もっと
もっと
もっと…

休むことなく
毎日毎日
何らかの用事と共に
過ぎて行く

リタイアと言っても
セミリタイアだから
時間がありそうで
まったくない

現役との違いは
せわしく迫って来る
お客様がいなくなったこと

自分のペースで
片付けやらの
物事を処理して行けるから
ストレスは無くなった



ただし
慣れない作業に
身体はあちこちにガタが出て
傷だらけ
怪我だらけ…

それはきっと
今月の手術前までに
そこそこやって置かねばと
思う氣持ちが急がせるのだろう



楽をしたいと思うことはなく
落ち着いた頃
旅をしたいとだけ思っている

昨日もまた
道の駅の駐車場で
隣り合わせた
キャンピングカーのご夫婦

どちらへ? と
掛けたひと言で長話

62でこの車を手に入れて8年
もう沖縄以外
すべてを周ったよと良い笑顔

助手席には
相棒の犬くんがいて
後の席では
奥様が微笑んでいる

家を出たら
数ヶ月は戻らないなんて
キャンピングカーを住まいとした
移動旅

僕もまた
そんな姿を目指していたけれど
その相棒は先立って
今は
ワゴン車でカミさんとの
短い旅ばかり

本家の長男
そろそろ実家へと戻らねばならない
そんな立場となり

夢で終わりそうな
そんな長旅へ
なぜもう少し早く
決断出来なかったのかと
今頃 後悔などしてみるけれど

時間はもう
届かない



現実の中では

年齢と相談すれば

今しか出来ないことばかり



思ったならば
願ったならば
即 実行せねば
もうそのチャンスは
巡って来ないようだ



時は待ってはくれず
友もまた
待ってはくれない

還暦までに
準備をして
還暦と共に
スタートせねば
間に合わないのだと

いつの間にか
5年もが過ぎた時間を
棒に振ったかのように
反省などしてみるが

戻らない
戻らないのだ…

還暦で
バイクを降りる決断は
出来たというのに…

若くして
多くを成し遂げた方々の
齢をと見れば

その齢の時
僕はいったい何をしてたのかと
振り返りなから
反省してもみるが

それでも
あの日のあの無駄があったから
今があると
その反省に苦笑い



それでも
あの時の分かれ道で
あちら側をと選んでいたならば
今は
どう変わっていたのかと
想像してみるけれど

どうやら
無事に生きた
こちら側で良かったのかと
自らを慰める



時間は思ったよりも
早く
高速で目の前を過ぎて行く

今はすぐに過去となり
未来はすぐにここに来る

特に
孫たちを見ていると
先週 出来なかったことが
もう
今週 出来ていて

ついこの前に生まれた長女は
この4月には
年長となり
すでに2人の弟を従えたお姉さん

更には
もう 
ランドセルの予約が必要らしく
何色にしようかなんて
悩んでもいる



そんな頃も
足早に過ぎて

やがて
美しい娘となって
選んだ男を連れて来て

ひ孫を見せてくれたならば
それだけで良い

それまで
元氣でいなければ…

さて
いよいよ冬季五輪が始まる

この国の若者たちは
あの頃とは違い
世界を目指し
世界を掴み始めた



僕の中での冬季五輪は
やはり
72年の札幌で

70m級ジャンプで
金銀銅を独占した
日の丸飛行隊

忘れもしない彼ら
笠谷 金野 青地は
もうこの世にはいない



それと
スピードスケートを独占した
アルトシェンク

フィギュアで転んだ
ジャネットリン

そんな
遥か昔のことばかりが
記憶の中に残っている


さて本日は
真冬の軽井沢

スキーが出来ないのならば
カーリングならば なんて

ちょいと覗いてみた
軽井沢アイスパーク





いつか
カーリングなら
五輪に行けそうだと
思ったことを
今頃
反省などして…




本日もまた
スキー場を目の前にして
治らない右膝に
苛立ってみるが
こればかりは仕方がない



今月予定の
手術をすれば
その後 1ヶ月間は安静となり
今シーズンも終わってしまう

そしたら
ちょいと無理しても
その前に滑ってしまおう! なんて
わずかな望みを持って来たけれど

資材置場の片付けで
負傷した右膝は
やはり治りそうもない



さてすれば
美術館かと
調べてみれば

軽井沢の
安東美術館で
現在
生誕140周年 藤田嗣治展が
開催中とのこと

ならば
行くでしょ! と
出掛けることにした

藤田

安東


軽井沢


個人所有としては
それは立派な美術館で
オーナー夫婦が惚れた
藤田嗣治だけを展示するそこは
まだわずか3年だそうだ

100年前の
なんとも美しい絵画たちからは
パリの音楽が聴こえて来そうで

また
藤田嗣治を調べれば
なんと
生涯で5人もの奥様だなんて

羨ましくもあり
そうでもなくもあり 笑









この季節
軽井沢は人影少なく
美術館もまた同じ

ゆっくり
たっぷり
拝見出来たこと
ありがたい…




応援して来た若手たちが
次々と
真打ちになって行く

もちろん
それはメデタクもあり
嬉しいはずが

これでなんだか
遠ざかってしまうような
寂しさもある

自分の周波数に会った
若手のどなたかをと探して
出演者情報も調べずに
出掛けて来た小さな寄席

そこは
若手の二つ目だけが
毎日 日替わりで出るから

その中から
好みの若手を見つけ
なんとなく
匂いが合えば声を掛けてみる

そこで
良い感じの言葉が戻れば
興味を持ち
追い掛けてみて

いくつかの噺を聴き
これかな?
いや 違うかな? なんて
失礼ながら判断する

噺家との関係性は
演者とお客とになる前に
一種の審査員だとも思う

それでも
いずれ仲良しになれば
友となり

時と共に
彼らは師匠と呼ばれ
なんとなく
遠ざかる

もちろん
それで良いと思っているし
それでなくてはならないとも
思っている

そうだ
無名の前座から
二つ目
真打ちと歩み

弟子が出来
師匠と呼ばれ
大看板となれば…

そんな成長過程を
見たいのだなあ

いつか
その中から
名人と呼ばれる方が
現れたならば
僕の持つ価値観は
正しかったと微笑むのだろう

さて
今年もまた仲良くたちが
その真打ちとなる…




ただし
この真打ちがスタートラインで
二つ目と違い
ギャラが上がる

ということは
席亭たちは
そこそこお客を呼べないと
呼び難くもなる

そう
真打ち1人よりも
二つ目2人を呼んだ方がと…

暇になるか
多忙となるか
これまた
プロの世界…

今夜まで
出演予定と聞いて

ではと
急いで来てみれば

あらま!
演者の変更だなんて
聞いてないよ!

温泉らくご


そう
仲良しの若手噺家さんは
ここ数年
草津らくごの番頭で
その顔付けをも担当している

そんなもんだから
毎月
ここへと来ては
出演が出来るわけだけれど

ここは
二つ目 限定な寄席

すれば
もうすぐ真打ちへと昇進するから
ここもいよいよ最終章
 
僕もなかなか
来れないけれど
それでも
出来るだけ彼の出演に合わせてと
その予定を組んでみる

寄席が終われば
その宿は
彼は2階で
僕は真上の3階だから

階段をちょいと登れば
では一杯なんて仲



草津へと到着し
さてと調べてみたのは
時折
寄席の場所変更があるかも? と

すると
演者の変更とあって

なんじゃい こりゃ! なんて
本人に連絡すれば

どうやら
ネットの記載ミスらしく
すんません なんて
戻って来た

そしたら
夜8時からの寄席に
この −9℃の寒さの中
出掛ける氣もなくなり

ゆっくり温泉に浸かり
只今 部屋で
暖かい食事中



いずれにせよ
あと3ヶ月もすれば
真打ちとなるわけだけれど

それよりも
昨年末に
突然 その師匠を亡くし
この披露目に師匠がいない

師匠もさぞかし
無念であったろうけれど
弟子が真打ちになるまでは
長生きせねばと
弟子を取る時の
自分の齢と相談する必要もあるようだ

さあ
あとわずかで
その師匠と呼ばれる立場となり
弟子をも取れるようになる

そしたら
時を待たずして
多くの弟子を取って欲しい

すれば
その中から
次に周波数の合う若手を
探してみたいから…



誰が何と言おうと
最高のメロディメーカーは

レノン マッカートニーで

きっと
世界中の誰もが
そう思うのだろう


ビートルズの日本公演には
世代的に間に合わず

ジョンは
日本ではライブをやらず

ポールの
90年の東京ドームだけ
出掛けることが出来た

それも
チケットが取れず
諦めていたら
直前に予定が出来た友達が
代わりにと譲ってくれたもので

それ以降
まったくチケットは取れず
きっともう
観れないのだろう


昨今
洋楽には興味を持たず
これ 誰? ってばかり

僕ら世代は
MTVが出来た80年代が
すべてで

その後
家庭を持ち
離れてしまった方々ばかり

マイケル
マドンナ
シンディー
U2 … と
出掛けたけれど

そこまでが
僕の洋楽らしい




レディガガが来ているそうだが
はてさて
なんて
失礼を言ってみる世代

新たなそれらを
受け入れることなく
それすらも
ちょいと面倒だと思ってしまうのは
やはり
齢なようだ

そうだ
アカペラで口ずさめるような
あの頃の歌だけあれば
それで良いと…


さてすれば
この国では? と思えば
僕の中では
ダントツで
さだまさしさん

美しいメロディと
この上ない言葉

そして
今まだ
衰えることなく
作り続けている情熱

分かるかなあ
分からなくとも
結構結構…