田中角栄、武見太郎、そして反サロ運動
反サロンパス?
この前の日曜、経済学者K氏のお話を伺った。
昨日に引き続き、本日は、健康保険について
もうすっかり忘れていたが、田中角栄氏とケンカ太郎こと、武見太郎氏(日本医師会会長:現厚労大臣武見敬三氏の父)により、1973年(福祉元年、大盤振る舞いの開始)から70歳以上の高齢者の医療費の負担がゼロになった。
1983年から高齢者医療費無償化が廃止され、入院1日300円、外来月400円の定額負担制度が導入された。
その後、負担率は変遷し、現在、現役世代は3割、70〜74歳は2割、75歳以上は1割負担となっている。
ドラッグストアなどで、後期高齢者の方が、湿布薬などを買おうとすると、「お客さん、ここで買うと高くつきますよ。医療機関で診察してもらって処方された方がお得ですよ。」なんてアドバイスを受けることもあるらしい。
そういえば、ある時、私が腰を痛めたとき、義父から湿布薬をもらった。わが家にあるわあるわ、在庫の量に驚いた。(笑)
さて、ガン治療など、何千万円とする高額治療を受けても、現在の保険制度の下、本人の負担は、5万円とか、それを超えることはない。
後期高齢者の医療費9割、そして高額治療費の負担は、ざっくり言ってしまえば、現役である。そして、若い人にとっての負担感は半端ない。
若い人の20万円に満たない給与明細に占める健康保険料は半端ない。
K氏から、若い人の間で、反サロンパス運動、反サロン運動が起こっていると聞いた。
反サロンパスとは、上述した湿布薬の象徴として、名付けられているらしい。反サロンとは、「病院のサロン化」のことである。
ようは、1割負担、高額治療負担の在り方に異議申し立てをしている。
ある高齢者の方が3000万円の高額治療を受けると仮定する。仮に現行の1割負担でも、300万円、600万円をキャッシュで払える人はそうそういないだろう。現行では、本人負担は、5万円とかそんな程度である。
K氏は言った。
高額医療を、若い人たちの「犠牲」の上に、受けるという事に関しては、道義的に、あるいは、辞退するという考え方、実は、これは人間本来の道義心ではあるまいか。と問う。
このまま、現行の制度にぶらさがり続け、若い人の希望を奪い続けてもいいのか。この先の人口減少を考えると、もっともっと若い人の負担は増えていく。
高齢者も3割負担にすれば、病院のサロン化は、少なくともなくなるだろう。反サロン運動は、若い人の問題意識で起こっている。
糖尿病は、平安貴族の藤原氏一族のみの病気であって、粗食の庶民には、糖尿病など存在しなかった。
現在、糖尿病は国民病である。
極端な例えをお許しいただきたい。実は、以下の話は、K氏の話を聞いた75歳を過ぎた当事者Aさんのから出た意見である。
美食三昧で、食べ放題の挙句、糖尿病にかかる。そして国民保健のお世話になる。
Aさんは言う。「これは自業自得の話。保険適用除外ではないか。」
K氏は言う。
実は、民間の保険制度では、「免責」要件がある。糖尿病は象徴的に言っているのだが、保険制度を国が運用すると、なんと申しますか、「食ったもん勝ち」といいますか、悪が得をするという。
この続きの話を伺いたかったが、時間切れ。
若い人の「反サロ運動」に一理を見た。
※こっそりと書いておく。
K氏は、現厚労大臣に対して、以下のように評した。
私の意訳
「国民がこれだけ犠牲になっているのに、平気の平左でいられる奴は『人間じゃねえ』」