続・「男性」養護教諭について考える。 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

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【保存版】養護教諭シリーズ

 

 

以前このような記事を書きました。

(未だに結構読まれているみたい…)

 

その続きでこんな記事も。


 

先日、とある学会に出た時に、

久しぶりにお会いした男性の養護教諭。

「まだ僕のいる県で、男性は僕一人ですよ~」

と苦笑していました。

「…え!?令和に入ってもまだそんな感じでしたか!?

全国でまだ100人いないとはいえ、○○県でも先生お1人ですか…」

と思わずため息をついてしまいました。

※ちなみに全国の教員数がざっくり100万人、

そのうちの養護教諭がざっくり4万人、

そのうちの「男性」の養護教諭が100人弱(2桁)です。

 

こちらの記事では、

共著者の市川先生と講演会をさせていただいた際の記事にも

「養護教諭は女性の職種だ」

という社会の“イメージ”が強い中、

市川さんを始め、

男性の養護教諭の存在は、

ある意味「先駆的」ともいえるかもしれない。

 

でも、私は、そんなことは正直どうでも良くて。

男性であろうが女性であろうが、

その前に一人の人間であることは変わりないから。

 

ただ、私から言えるのは、

「養護教諭らしさ」にとらわれている

女性の養護教諭にとって、

男性の養護教諭の存在は、

「枠」に気付き、

「枠」をはずし、

「養護教諭」の、そして、

「自分」の新たな可能性に気付く

大きな存在であることには間違いない。

 

と書いたのですが、

「先駆的」な存在ではなくなり、

当たり前の存在になれば、

きっと「男性」養護教諭という呼称はなくなると思います。

 

と書きましたが、未だ「男性」養護教諭と呼ばざるを得ない状況は、

数年前からほとんど変わっていないのだなぁ…と思いました。

 

 

以前、上記の「男性」養護教諭関係とは全然違う観点からこんな記事を書いたのですが、

 

「あぁ、根っこは同じか…」と。

 

 

この記事で書いたのですが、

「答え」がすぐ出るもの、

マジョリティの「答え」があるもの、

「答え」に安心できるもの、

そういった「答え」の上辺だけをみて、

「私もそう思う」って判断するのではなく、

「本当にそうなの?」

と当たり前を疑い、

一旦「立ち止まる」ことが結果として「前進する」ことなのだと、

私は思うのです。

 

「男性」養護教諭のこともそうだな、と。

正直、養護教諭を目指している(女性の)学生でも、

「男性がなれるって知らなかった」

という人が複数いるくらいですし、

それだけでなく、

「男性には(養護教諭は)向いていないと思う」

と「最初は」思ってしまうようです

(そこは対話を深めていく中で少しずつ「当たり前」を疑ってみることで、

考え方や見え方が次第に変わっていくのですが…)。

※じゃ、「女性」だったらみんなが向いているの?といわれたら、

正直私は「YES」とは言い切れないなぁ…。

かといって「NO」でもない。

こちらの記事に書いたように「性別」でどうこう考えることではないと思っているからです。

 

 

さっきの記事では、

「性(セクシュアリティ)は、

その人の生き方であり、在り方であり、その人そのものである」

という国際的なスタンダードである「性」にかんする考え方を紹介したのですが、

単なる知識や情報だけを伝えるのではなく、

「自分はどう生きていきたい?」

「自分はどう考えている?」

「自分はどう在りたい?」

と子どもたちが「性(セクシュアリティ)」を自分事として考えられるような機会を作っていく必要が今の学校には求められているのではないか。

 

(略)

 

そしてそれは、

養護教諭として、ではなく(それ以上に)、

保健室の中で、ではなく(それ以上に)、

教員みんなで、

学校全体で(もちろん学校外でも)取り組んでいきたい。

と自分の考えを書きました。

 

「何で男性の養護教諭は少ないの?」

「どうして養護教諭には女性が多いの?」

そういう「問い」に対して、

これまでの当たり前からの「答え」だとか、

いかにもこたえになりそうな「答え」だとか、

感情論だけで片づけてしまう「答え」だとか、

そういうもので終わらせてしまうのではなくて、

その中に握りしめている(詰め込まれている)

歴史や背景、考え方なども一度フラットにして考えてみる。

 

そういうプロセスの中で、

「男性」養護教諭のことについても考えることができるのであれば、

きっとどのような「問い」であっても、

自分事として考えられる機会になりうる「応用」もできるのだろうと思います

(いや、もしかしたら「性(セクシュアリティ)」を自分事として考えられる、

そういう姿勢があれば、「男性」養護教諭のことも考えることが容易なのかもしれません)。

 

この辺りは本当に本当に本当に、

考えることがありすぎて(自分の研究関心にもつながるから)。

またおいおい少しずつ、記事にできればいいな、と思います。




 

 

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