柏木むつきです。
(YOUKYOUカフェに込めた想いはこちらです)
こういうタイトルで記事を書いたことってあんまりないなぁ…と思いつつ。
(「性」にかんすることはその道のプロの方がいらっしゃるし、
私は全然その領域は不勉強なので、
考えていることは色々あるけれど「発信」までは至らなかったな)
養護教諭時代から、
「学校全体で「性」についてしっかり考える機会を作りたいな」
と思っていましたし、
実際に5年間、全学年の道徳の指導案作成を担当し、実践してきました。
(とはいえ、心残り、後悔、課題だらけではあります、正直)
私自体、自分が「性」と正面から向き合うことが苦手だったこともあります。
自分があまりいいイメージを持てなくて
(持てないように教えられてきた、というのもある)、
どう向き合っていいのかも分からなくて
(そもそも向き合うこと自体ダメなことだと思っていた)、
そんな大人になっちゃった…と後悔することが大学生以降ずっと感じていたこと
(というか、そういうことを考えること自体がダメなこと、変なことだと思ってたから)。
そんな中、
国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の提唱する
「性(セクシュアリティ)は基本的人権である」
という考え方と出会います。
詳細はこちら↓
「性(セクシュアリティ)は、
その人の生き方であり、在り方であり、その人そのものである」
そう考えることで、私自身がだいぶ救われましたし、
私自身がこれまでのモヤモヤと向き合えるきっかけにもなりました。
もっと学校でも広い意味で「性(セクシュアリティ)」を扱う必要があるのではないか。
単なる知識や情報だけを伝えるのではなく、
「自分はどう生きていきたい?」
「自分はどう考えている?」
「自分はどう在りたい?」
と子どもたちが「性(セクシュアリティ)」を自分事として考えられるような機会を作っていく必要が今の学校には求められているのではないか。
「○○は大事です」
「△△はしてはいけません」
「自分を大事にしましょう」
「相手を大事にしましょう」
そういったことを表面的な「知識(単なる言葉)」として伝えるのではなく、
そもそも
「○○って大事なの?」
「△△ってしてはいけないの?」
「自分を大事にするってどういうこと?」
「相手を大事にすることは自分を大事にすることとは違うの?」
といった素朴な問いそのものを子どもたちが考えていくこと自体が大事なのではないか…。
そして、大人ももちろん。
どれだけの人がそういうことを真剣に考えてきただろうかって思います(私も含めて)。
そしてそれは、
養護教諭として、ではなく(それ以上に)、
保健室の中で、ではなく(それ以上に)、
教員みんなで、
学校全体で(もちろん学校外でも)取り組んでいきたい。
そんな風に考えています。
今後、この続きを書くかは分からないけれど、
また何か思うことがあれば文章にしてみようと思っています
(YOUKYOUカフェの根っこにあるのも
実はこういった「想い」も含まれているので…)。
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