続・「見えるもの」だけを見ない。 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

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【保存版】養護教諭シリーズ

 

10月の中旬以降、

本当に毎日が慌ただしくて、

びっくりするくらい足早に一日が終わってしまってた…。

気づけば来週は11月なんですね💦

 

3年前に書いたこちらの記事↓

 

↑この「見えるもの」だけを見ない。の中で紹介した記事の中で、

ついつい人は、

自分の視点だけでしか物事を考えられなくて、

自分の価値観だけでしか物事をジャッジできなくて、

自分の尺度でしか物事を測れなくて…

そんな時があると思います。

って書いたのだけれど、

これが特に相手(人)ありきの場合、

「相手(自分以外の視点)の側(がわ)に立つ」

って本当に大事なことだと思います。

 

とはいえ、

それはたとえば、昔学校で習ったような

「相手の気持ちになって考えましょう」

とはちょっと違うというか。

 

(うまく言えるかな…)

 

どんなに頑張っても、

「相手の気持ちを100%理解することはできない」

ということは分かったうえで

(「相手の気持ちがわかる」と思い込んだらそれはとってもおこがましいことだと思う)、

「相手の側(がわ)に立つ」ということ。

一方的に決めつけたり、

一方的に自分の「解釈」だけで理解するのではなく、

目の前の相手と自分の間に起こった出来事、として考えてみること。

 

(うーん、たとえば、こういうことも一例で考えやすいのかな?

朝、挨拶をしたのに挨拶を無視された時、

「あの人は私のことが嫌いなんだ」

と決めつけたり、

「私、あの人に何か悪いこと言ったかな。。。」

と悩んだり。

そうではなくてもしかしたら

・挨拶が聞こえなかった

・考え事をしていた

・何か別件で機嫌が悪かった

とかそういう「理由(背景)」もあるかもしれない。

世にいう「既読スルー問題?」とかも似ている気がする)

この事例だと、

実は「自分と相手」の間には何も問題は生じていなくて、

むしろ、勝手に(嫌われているとか何とか)「問題」を創り出したのは自分自身の「解釈」。

そして、「挨拶をしなかった相手」の方にある「理由(背景)」そのものは、

「相手の問題」であって、「自分」の問題ではない。

だからそこまで引き受ける必要なんて、ない。

 

 

ここに気づけるかどうか(この境界線を引けるかどうか)。

これが私の考える、

「相手(自分以外の視点)の側(がわ)に立つ」ということが大事だと思う理由。

「見えるもの」だけでは分からないところを「見る」ことで、

本当に必要なものが「見える」というか。

そしてそれが「見えた」時、

きっと目の前の出来事の「見え方」が変わると思うから。

 

中々、渦中にいると難しい時もあるし、

落ち込んだり悩んだり葛藤したり…

決してスムーズにいかないことも多いけれど、

それでも、少しずつでも、

そういう経験値を上げていくということって、

一つの「成長痛」な気がします。




 

 

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