「知っている」の罠。 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

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「私は○○について知っている」

と思った時点で、

「それ以上」はないな、と思う時があります。

そこで終わっちゃうな、と。

 

もちろん「知っている」ことは大事だし、

「知っている」ことを否定するつもりもない。

 

けれども、

「私は○○について知っている」

ということは、

時にそれ以上を知る機会を自ら奪っていることもあると思います。

 

加えて、

「知っている」方が上で、

「知らない」方が下…という価値観だと

(無意識にそう思っていることもあると思う、

「知らなくてごめんなさい」とか、

「知らない自分が悪いのですが…」とか、

そんな言葉を前置きしてしまうこと、私もあるから)

やがてその価値観から

「知っていなくてはいけない」

「知らないことはダメなこと、恥ずかしいこと」

という解釈をしてしまうことにつながってしまうこともあるように思います。

 

同じ「知っている」でも、

「知っていることを“知っている”」よりも、

「知らないことを“知っている”」ことの方が、

きっと、もっともっと、自分と仲良しになれるんじゃないのかなー…。

 

そんな今日のつぶやき。




 

 

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